6.[DEUTSCHES REICH 1902-1920]DEUTSCHES REICH葉書は、1902年から1920年にかけて長期にわたり発行されました。ここでは、その全貌を取り上げています。 1)1902年4月1日発行 An左端市内用2ペニヒ葉書 市内用2ペニヒ往復葉書返信部 市外用5ペニヒ葉書 市外用5ペニヒ往復葉書返信部
1902年4月1日(火)から、印面の下の部分のREICHSPOSTをDEUTSCHES REICH(ドイチェス・ライヒ)に変えたシリーズが発行されました。この図案は、1920年まで長期に渡って使われました。「An」の文字が葉書の左端に移動しているシリーズ、と一般に言われますが、外信用10ペニヒ葉書には「An」の文字がないので注意してください。むしろ、「氏名と住所を書くための横線が長くて横向きの注記が左端のシリーズ」、と考えた方が正しいです。なお、外信用10ペニヒ葉書の枠線がなくなり、国内葉書と同じ形式になりました。 用紙にすかし入りとすかしなしがあります。ただし、往復葉書はすかしなししかありません。 外信用10ペニヒ葉書 外信用10ペニヒ往復葉書往信部 外信用10ペニヒ往復葉書返信部 2)1902年発行 An右寄り市内用2ペニヒ葉書 市内用2ペニヒ往復葉書返信部 市外用5ペニヒ葉書 市外用5ペニヒ往復葉書返信部 「An」の文字が右に移動したシリーズです。もちろん、その関係で氏名と住所を書くための横線が短くなり、印面よりずっと下に移動しています。外信用10ペニヒ葉書は「An」の文字がないのは前シリーズと同じですが、注記も右に移動しています。なお、この発行時期ははっきりしませんが、手元に1902年6月の使用例がありますので、4月のシリーズ発行後2ヶ月程度で変更されたことが分かります。 用紙にすかし入りとすかしなしがあります。ただし、往復葉書はすかしなししかありません。 外信用10ペニヒ葉書 外信用10ペニヒ往復葉書往信部 外信用10ペニヒ往復葉書返信部 3)1906年7月発行 料金改定追加加刷3ペニヒ追加加刷葉書 3ペニヒ追加加刷往復葉書返信部 1906年7月1日(日)から、ヴュルテンベルク王国を除いて市内便が廃止されて、市内と市外が同一料金になりました。つまり、国内用の葉書料金が5ペニヒに統一されたのに伴い、2ペニヒ葉書の残品に3ペニヒの額面を追加加刷したものが発行されました。バイエルン王国も同様の措置を取っています。 4)1906年発行 すかし変更すかしは従来から年号の下2桁と文字(用紙の製造会社の識別記号)の組み合わせでしたが、これに菱形を加えたすかしに変更されました。菱形にした関係から年号は下1桁になり、文字はDRのみとシンプルになっています。 5)1908年発行 Anなし市内用3ペニヒ葉書(ヴュルテンベルク地方用) 市内用3ペニヒ往復葉書往信部(同上) 市内用3ペニヒ往復葉書返信部(同上) 国内用5ペニヒ往復葉書往信部 国内用5ペニヒ往復葉書返信部 「〜宛」を意味する「An」の文字は、すでに外信葉書では外されていましたが、1908年からは国内の葉書も廃止されました。さらに、往復葉書について、今までは往復葉書であることが左下に小さく入れられていたのに対し、上の写真のように「Postkarte mit Antwort」と大きく入れられるようになりました。なお、外信葉書は、注記がカットされました。 このシリーズでは、ヴュルテンベルク王国用に用意された市内用の2ペニヒ葉書が難関です。 外信用10ペニヒ葉書 外信用10ペニヒ往復葉書返信部 5)1908年発行 料金改定加刷市内用2ペニヒ葉書に3ペニヒ加刷 市内用2ペニヒ往復葉書返信部に3ペニヒ加刷 印刷物用2ペニヒ葉書に3ペニヒ加刷 1908年4月1日(水)から、ヴュルテンベルク王国の市内用葉書料金が3ペニヒに値上げされたのに伴い、旧額面の2ペニヒの印面を抹消して、その左横に3ペニヒの額面を加刷したシリーズが発行されました。印刷物用2ペニヒ葉書を3ペニヒ葉書に変更したものもあります。このシリーズは、Anの文字が左端にある2ペニヒ葉書に加刷されたものが難関です。 6)1910年発行 縦罫線入り市内用3ペニヒ葉書(ヴュルテンベルク地方用) 国内用5ペニヒ葉書 国内用5ペニヒ往復葉書往信部 国内用5ペニヒ往復葉書返信部 外信用10ペニヒ往復葉書往信部 1910年から、葉書の左側にも通信文が書けるようなスペースが設けられ、宛先を書くスペースとの境に縦罫線を入れたものが発行されました。 7)1914年発行 すかしなし1914年8月の第一次世界大戦勃発後、すかしを入れる工程を省いたすかしなしの用紙が使用されました。以後、現在に至るまでの90年以上の間、このすかしなしが主流になります。 (物価との比較)1914年当時、10ペニヒで何が買えたか? 8)1915年発行 往復葉書文字改訂国内用5ペニヒ往復葉書往信部 国内用5ペニヒ往復葉書返信部 1915年から、5ペニヒ往復葉書のみ文字の一部が改定されました。往信部は、「mit Antwort」(返信付き)が「mit Antwortkarte」(返信部付き)に変えられ、返信部は「Antwort」が「(Antwort)」と括弧がつけられました。この改訂は後に他の額面にも踏襲されていきます。 9)1916年発行 Postkarte中央寄り市内用3ペニヒ葉書(ヴュルテンベルク地方用) 国内用5ペニヒ葉書 外信用10ペニヒ葉書 葉書の中央に縦罫線が入れられた関係で印面寄りに移動していたPostkarte(葉書)の文字が、葉書の中央に移動したシリーズです。5ペニヒ葉書は、発行後まもなくの8月1日(火)に料金改定が行われたため、切手を貼っていない使用例はあまり見かけません。 (物価との比較)1916年当時、10ペニヒで何が買えたか? 10)1916年8月1日発行 料金改定市内用5 1/2ペニヒ葉書(ヴュルテンベルク地方用) 市内用5 1/2ペニヒ往復葉書往信部(同上) 市内用5 1/2ペニヒ往復葉書返信部(同上) 国内用7 1/2ペニヒ葉書 国内用7 1/2ペニヒ往復葉書往信部 国内用7 1/2ペニヒ往復葉書返信部 1916年8月1日(火)から葉書料金が2 1/2ペニヒ値上げされたことにより、新額面の葉書(5 1/2ペニヒ、7 1/2ペニヒ)が発行されました。なお、外信用葉書料金の10ペニヒは据え置かれています。第一次世界大戦の長期化によるインフレが原因でもあるのですが、むしろ戦費調達のための増税と言われています。8月1日が初日なのですが、1〜2日前の使用例が知られています。 11)1918年10月1日発行 料金改定国内用・外信用10ペニヒ往復葉書往信部 国内用・外信用10ペニヒ往復葉書返信部 1918年10月1日(火)からヴュルテンベルク王国以外でも市内便・市外便の区別が復活し、市外用葉書が外信葉書料金と同じ10ペニヒになったため、ドイツ語のみの表記の10ペニヒ往復葉書が発行されました。当時の市内用葉書料金は、7 1/2ペニヒです。外信葉書は早い時期からドイツ語表記のみでしたので、これをこのまま国内向けに使用すればちょうどいいのですが、往復葉書だけはフランス語も併記していたため、外すことになったのです。 (物価との比較)1918年当時、10ペニヒで何が買えたか? 12)1918年発行 料金改定加刷印刷物用3ペニヒ葉書に2 1/2ペニヒ加刷 1918年の後半に、ヴュルテンベルク王国で印刷物用3ペニヒ葉書に2 1/2ペニヒの額面を加刷した葉書が発行されました。おそらく、ヴュルテンベルク王国内の市内用5 1/2ペニヒ葉書が不足して、臨時に加刷されたと思われます。ヴュルテンベルク王国内の市内用葉書料金が5 1/2ペニヒから7 1/2ペニヒに値上がりするのは1919年7月1日(火)なので、切手を貼っていない適正使用はもちろん存在するはずですが、実際に見る使用例のほとんどが、料金改定に伴って切手を加貼りしたものばかりです。 13)1919年10月1日発行 料金改定市外用・外信用15ペニヒ葉書 市外用15ペニヒ往復葉書往信部 市外用15ペニヒ往復葉書返信部 外信用15ペニヒ往復葉書往信部、フランス語併記 外信用15ペニヒ往復葉書返信部、フランス語併記 前回の料金改定からちょうど一年後に、市内用葉書料金が7 1/2ペニヒから10ペニヒへ、市外用および外信用葉書料金が10ペニヒから15ペニヒに値上げされました。わずか一年で料金が改定されたのは統一後のドイツでは初めてのケースです。15ペニヒ葉書の方は市外用と外信用を兼ねていましたが、ドイツ語表記のみ発行されました。往復葉書の方は、市外用がドイツ語表記のみ、外信用がドイツ語・フランス語併記の2種類が発行されました。 (物価との比較)1919年当時、15ペニヒで何が買えたか? 14)1920年発行 往復葉書裁断・追加加刷市外用7 1/2ペニヒ往復葉書往信部に7 1/2ペニヒ追加加刷 市外用7 1/2ペニヒ往復葉書返信部に7 1/2ペニヒ追加加刷 前年の料金改定で不要になった市外用7 1/2ペニヒ往復葉書を廃棄する代わりに、これを2つに裁断して7 1/2ペニヒの額面を追加で加刷し、市外用15ペニヒ葉書としたものが発行されました。これは、用紙不足による残品処理です。これが発行されてからすぐの1920年5月6日(木)に料金改定があったため、切手を貼っていない使用例が意外に少なく、見かけるものはたいてい切手を加貼りしたものです。15)1920年発行 国内葉書(30ペニヒ)国内用30ペニヒ葉書 国内用30ペニヒ往復葉書往信部 国内用30ペニヒ往復葉書返信部 外信用40ペニヒ葉書 外信用40ペニヒ往復葉書往信部 外信用40ペニヒ往復葉書返信部 1920年5月6日(木)から、市内用葉書料金が10ペニヒから30ペニヒへ、市外用葉書料金が15ペニヒから30ペニヒへ、外信用葉書料金が15ペニヒから40ペニヒに値上げされました。これに伴い、新額面の葉書が発行されましたが、これがゲルマニア図案が印面に使われた最後の正刷葉書となりました。40ペニヒ葉書の方は外信用専用でしたが、ドイツ語表記のみ発行されました。 用紙の違いからベルリン印刷とミュンヘン印刷があります。カタログにもその見分け方が色の具合や滑らかさの違いで記述されていますが、戦後混乱期の粗悪な用紙を使用しているため、なかなか区別がつきません。専門的には点線の数で区別します。 (物価との比較)1920年当時、30ペニヒで何が買えたか? [ワンポイント] 第一次世界大戦から戦後にかけては、料金の変遷があり、とても楽しめるシリーズです。外国宛も宛先によって料金が国内料金になったりしますので、注意が必要です。また、戦争中の中立国宛は、宛先によって評価が大きく変わる場合があります。特に参戦前のアメリカやそれより遠方は少ないようですので、お持ちの方は大切にしてください。 |
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