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ドイツ海軍艦船郵便

 ドイツ海軍の船から乗務員が差し出すための専用の葉書が1897年7月から発行されました。これは当時の外国用10ペニヒ葉書に Nur für Marine-Schiffsposten の加刷を施したもので、5ペニヒで配給されました。消印は番号入りの専用印で押されたため、差出人の書き込み以外に差し立て地がわかりません。ただし、膠州湾は除きます。幸い、研究者の成果により、艦船名との対応が解明されています。

 上の写真が専用葉書の未使用です。加刷がアーチ状になっていますが、このようなタイプの加刷は他のドイツの葉書には見られません。印面を囲むような加刷がありますが、それは試作品です。

 上の写真は、番号入りの専用印が押された使用例です。日付は1898年1月22日、番号はNo.25であることから、クレフェルト(Crefeld)号で使用された消印であることが判明しています。番号と船舶名の対応関係は時期によって異なりますので、使用された日付が重要になります。
 このクレフェルト号は、ブレーメンに本拠を置いていた北ドイツ・ロイド(Norddeutscher Lloyd)の所有する汽船でしたが、1897年11月に山東半島で発生したドイツ人宣教師殺害事件に軍隊を派遣するため、兵員輸送用船舶としてチャーターされたものです。チャーター便とはいえ、他の軍艦のように海軍兵士を乗せていたため、海軍専用葉書とその抹消のための専用印が配給されました。なお、クレフェルト号は、この消印の日付の半月後に当たる1898年2月7日に膠州湾に接岸し、兵士を降ろした後、2月15日頃まで停泊していました。膠州湾については、ドイツ植民地−「膠州湾」を参照してください。

 この葉書に不発行があります。それは加刷だけでは分からず、右下に刷られた印刷データが798fであることで区別します。下に例を示します。

不発行の葉書に見られる印刷データ


(参考)
 このドイツ海軍戦艦郵便葉書に「YOKOHAMA」(横浜)の地名が入った消印が押された使用例があります。「横浜にあったドイツ海軍病院」を参照してください。

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