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横浜にあったドイツ海軍病院

 1878年(明治11年)7月1日(水)に、現在の横浜元町小学校付近にドイツ海軍病院が設置されました。横浜には他にも英国海軍病院があります。この病院は、東アジアを航行するドイツ艦船およびドイツ商船の乗組員を対象にした施設でした。しかし、中国の山東半島の青島にも海軍病院を開設してからは、横浜は遠方になり、利用する患者も減って、1911年(明治44年)12月31日(日)をもって閉鎖されました。期間中、将兵や民間人など合わせて累計で3300名以上を収容したそうです。
 収集家の間では、この病院で使用された専用の郵便印が有名です。その前に、ドイツ海軍艦船郵便印について説明します。ドイツ海軍艦船郵便専用の加刷葉書についてはこちらを参考にしてください。
 1895年10月末頃から、ドイツ海軍艦船の乗組員が家族や知人宛に差し出す郵便物に、専用の丸い消印が使用されるようになりました。この消印は丸印の上半分に「KAIS.DEUTSCHE MARINE−SCHIFFSPOST」の文字が入れられ、その下に船を識別するための番号と日付が入れられたものです。日付とこの識別番号の組み合わせで、どの船で使用されたかが分かるため、人気があります。同じ番号でも、日付によって船が違います。秘密保持のためでしょうか。ちなみに、1895年10月末から11月始め頃に最初に配給されたのは、No.1がカイザー、No.4がイレーネ、No.5がプリンセス・ヴィルヘルム、No.6がアルコナでした。
 横浜のドイツ海軍病院では、この番号に相当する部分に、「YOKOHAMA」という地名が入った郵便印が使用されました。ドイツ海軍艦船郵便印に異国の地名が入ったものは、この横浜の例しかなく、まさに異例の消印でした。
 横浜のドイツ海軍病院では1897年7月〜8月頃から、入院患者が差し出す郵便にこの消印を使用しています。ただ、当時のドイツ人は、日本の郵便局から母国宛に郵便を差し出す方が異国情緒があると考えていたのか、病院内から差し出す者は少なく、この消印の使用例はあまり残されていません。

 上の写真は、ドイツ海軍艦船郵便専用の加刷葉書に押された使用例です。消印の日付は1897年12月30日で、宛先は、S.M.S. Ziethen(チーテン)号の機関士長です。

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