4.[数字・鷲図案 UPU色 1889-1900]・市外用5ペニヒ葉書1)1889年10月発行市外用5ペニヒ葉書 1889年10月から、図案を一新して、さらに5ペニヒを紫色から緑色に改めたシリーズの切手と葉書が発行されました。改色の理由は、5ペニヒが外信印刷物料金に相当したので、UPU会議で定められた緑色を採用したためです。日本のU小判切手(1銭緑、2銭紅、5銭青)をご存知の方は、それがドイツでは5ペニヒ緑、10ペニヒ紅、20ペニヒ青になっているとお考えください。この5ペニヒの緑色は、以後1916年6月まで、27年間も使用されました。なお、1924年から再び5ペニヒ緑色葉書が復活し、第二次世界大戦後も一部の例外を除いて5ペニヒ葉書には一貫してこの緑系統の色が使われています。 上の写真は、最初の5ペニヒ葉書の使用例です。今までのシリーズとの違いは、図案だけではありません。ご覧のように、色は1色刷りで、書体も大きく変わっています。 2)1890年8月発行 製造年月英小文字付き
1890年8月から、葉書の右下にある製造年月の右側に英小文字が入れられるようになりました。これは、葉書の一番下にある点線(住所欄)の中から1個の点を抜いたいわゆる「点線欠け」の位置と文字とを対応させたものです。詳細は専門的になりますので省略します。これによって、点線欠けの位置を調べるのに、いちいち右あるいは左から1つ1つ点を数える手間が省けて(収集家も)楽になります。なお、往復葉書には、この文字は「f」しかありません。 3)1891年3月発行 横線間隔幅広
1891年3月から葉書に宛名や住所を書くためのガイドラインである横線(点線)の上下の間隔が広げられ、書きやすくなりました。次のシリーズとは、Anの文字の位置で区別します。 4)1891年5月発行 An左寄り市外用5ペニヒ葉書 市外用5ペニヒ往復葉書返信部 1891年5月から、宛名の「・・・宛」を意味するAn(英語のToに相当)の文字が葉書の左端に近い位置に移動され、長い宛名が書きやすくなりました。上の写真で左端にある文字が、Anに当たるドイツ語の印刷体文字です。なお、現代の感覚では不要と思われるこのAnの文字が取り除かれるのは、1908年からです。 5)1894年発行 製造年月なし1894年7月から、製造管理に関するやり方を変更したため、試行的な改訂がいくつか始まりました。まず最初は、1882年1月以来入れられていた、葉書の右下にある(印刷の版の)製造年月が取り外されました。ただし、現場の混乱か、外されずに印刷されたものがあります。(次のシリーズがそうです。)点線欠けは残されていて、その位置には、これまた現場の混乱か、一番下の横線、一番上の横線、上の2つの横線の3パターンがあります。 なお、往復葉書は製造年月が入れられたままですので、注意してください。 6)1894年7月発行 製造年月あり1894年7月から8月にかけて印刷された葉書の一部に、製造年月がまだ入れられたものが知られています。次のシリーズとは、すかしの有無で区別します。 7)1894年8月発行 製造年月あり・すかしあり1894年の8月から、往復葉書以外の葉書にすかしが入れられるようになりました。ほとんどが次のシリーズに使われたのですが、ごく一部、製造年月ありのものにこの用紙が使われました。この5ペニヒ葉書は、UPU色シリーズ全体を通じて最も難しい葉書です。 8)1894年発行 製造年月なし・すかしあり製造年月のない版にすかし入りの用紙が使われたシリーズです。このシリーズは1900年まで発行され、しかも、すかしの種類と点線欠けの組み合わせが膨大にあることで有名です。完集はほとんど不可能です。 9)1898年発行 製造年月あり・英小文字なし(往復葉書のみ)往復葉書のみにあるシリーズです。それまで「f」しかなかったので、省いても同じ、と考えたのかも知れません。なお、製造年月のない往復葉書が知られていますが、これは植民地の加刷葉書に使われただけで、本国では発行されませんでした。しかし、一部が市場に出回っています。 [ワンポイント] |
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