[概説] [前のページ] [最初の外信葉書] [ワンポイント] [次のページ] 3.[紋章図案 PFENNIG単位](続き)紋章図案PFENNIG単位は、1876年から1900年まで発行され、細かなバラエティを除いて全部で20種類あります。 4) 1878/1879年発行 外信用10ペニヒ葉書 上の写真は、バイエルン王国初の外信葉書です。上から「万国郵便連合」に相当するWELTPOSTVEREINとそのフランス語の表記(UNION POSTALE UNIVERSELLE)、「ドイツからの葉書」に相当するPOSTKARTE AUS DEUTSCHLAND、王国名BAYERN、最後の行は「ドイツ−ババリア」に相当するフランス語の(ALLEMAGNE-BAVIÈRE)が書かれています。国内用の葉書の中央上に必ず入れられていた紋章は、諸外国を意識してか入れられていません。 左上の写真は、外信往復葉書の往信部から左下コーナーを拡大したものです。往信部と通常の外信葉書との違いはこの部分しかありません。ここには単に、つながっている葉書は返信用に使うこと、と書いてあるだけです。 5) 1878年発行 市外用5ペニヒ葉書 1875年以降、通貨単位はドイツ諸国で次々とPFENNIG(ペニヒ)に統一されましたが、5ペニヒ切手と葉書の色だけは、バイエルン王国のみ緑、他はすべて薄紫というように分かれていました。これをすべて薄紫に統一することになり、切手の変更に合わせて葉書の方も変更して発行されたのがこのシリーズです。 6) 1879年発行 [トピック] この往復葉書は、未使用/使用済ともに、ドイツの葉書の中で、最難関の1つ 市内用3ペニヒ葉書 市外用5ペニヒ葉書
従来の葉書は、上に印刷された紋章の中央部分が、一見楕円形のように見えますが、実は盾の形をしていて真の楕円形ではありませんでした。印面の方は一足早く1876年から(エンボスの紋章が)楕円形になっていたのですが、1879年シリーズになってようやく両者が統一されたものが発行されました。 1883年は国内葉書が数字図案に変更になりました。これについては次のグループを参考にしてください。このため、紋章図案は外信葉書のみとなりました。これと同時に、葉書にすかしが入れられるようになりました。すかしの形状は波形、鋸の歯のようなジグザグ型の2種類があり、これに向きの組み合わせがあります。詳細は専門的になりますので、省略します。 外信用10ペニヒ しばらく使われなかった印刷体文字がドイツ語の部分に使われた外信葉書が発行されました。 1887年から管理番号として、印刷した年の下2桁を葉書の左隅に印刷しています。この番号の位置は最初はもう少し葉書の中央寄りだったのですが、途中から左下の角に近い位置に変更されました。左の図の右側が初期の位置(葉書の中央寄り)、左側が後期の位置(左下の角寄り)です。
上の写真は、改訂版の外信往復葉書の違いを示したものです。葉書の上に印刷されている国名(赤色の文字)の位置が違うことに注意してください。
上の写真は、改訂版外信往復葉書の返信部の使用例です。1912年(明治45年)7月13日に四日市からバイエルンのニュルンベルクへ宛てたものです。返信部と往信部との違いは、「mit Antwort」か「− Antwort」か程度の違いしかありません。文字のわずかな違いですので注意してください。 [ワンポイント] |
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