目 次
ドイツ・ステーツ
ドイツ 1872
ドイツ 1873-1932
ドイツ 1933-1944
ドイツ在外局
ドイツ植民地
ドイツ海軍艦船郵便
第一次世界大戦占領地区
ベルギー軍占領地区
ドイツ住民投票地区
ダンチヒ
メーメル
ザール
第二次世界大戦占領地区
地方発行
連合軍占領地区
西ドイツ
 概説
  建物 1950
  ポストホルン 1951
  ホイス1次 1954-1961
  ホイス2次 1959-1961
  著名人 1961-1963
  建造物1次 1965-1966
  建造物2次 1966-1969
  ハイネマン 1971-1973
  事故防止 1974-1976
  城 1977-1982
  名所 1989
  絵入り・記念 1949-1989
  ロト 1949-1997
ベルリン
東ドイツ
統一後のドイツ

[概説] [前のページ] [ワンポイント] [次のページ]

7.[建造物2次]

 建造物2次図案葉書は、全部で6種類あります。

1)第1次

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ葉書(ロルシュ王立修道院)

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ往復葉書往信部

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ往復葉書返信部

外信用30ペニヒ葉書(フレンスブルク北門)

外信用30ペニヒ往復葉書往信部

外信用30ペニヒ往復葉書返信部

 1966年から古い建造物を取り上げたシリーズの構図を一新して発行されました。同じ時期にベルリンでも似た図案の葉書を発行しています。こちらを参照してください。
 このシリーズの30ペニヒ往復葉書がドイツ最後の外信用往復葉書です。これは、UPUの決定により1971年6月末をもって外信往復葉書の取り扱いを中止することになったためです。これにより、1878年以来90年以上続いた外信用往復葉書の発行が終了することになりました。なお、外信用往復葉書のみの終了であって、外信用葉書の発行は、その後も続いています。
 国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ往復葉書にフランス語表記がある理由は、建造物1次のページで説明したとおりです。
 一番下の写真は、最後の外信用往復葉書である30ペニヒ往復葉書の返信部にオーストリーの2シリング切手を貼ってウィーンから航空便で戻ってきたものです。赤と青のコントラストが美しい使用例です。


2)第2次

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ葉書

 1969年から葉書の右側にある宛先の住所欄が5段から6段に変更されました。1段増えたことに伴い、「POSTKARTE」の文字が若干上に移動しています。第1次シリーズと比較してみてください。

 このシリーズの葉書は、ユーロ導入後の2002年6月30日まで有効でした。(ベルリンで発行された同じ図案の葉書は、ドイツ統一後の1991年12月31日まで有効でした。)


[ワンポイント]
 外信用30ペニヒ葉書の適正使用例、特に往復葉書の使用例に気をつけてください。ベルリン葉書の場合と違ってそれほど入手は難しくはありません。なお、この外信葉書は、1972年7月1日の料金値上げで国内葉書として使用されました。この場合の使用例は評価がかなり低くなりますので注意してください。

このページの先頭に戻ります。

西ドイツの先頭のページに戻ります。

トップページに戻ります。

Copyright © S.Stein 1997-2022