目 次
ドイツ・ステーツ
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地方発行
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西ドイツ
 概説
  建物 1950
  ポストホルン 1951
  ホイス1次 1954-1961
  ホイス2次 1959-1961
  著名人 1961-1963
  建造物1次 1965-1966
  建造物2次 1966-1969
  ハイネマン 1971-1973
  事故防止 1974-1976
  城 1977-1982
  名所 1989
  絵入り・記念 1949-1989
  ロト 1949-1997
ベルリン
東ドイツ
統一後のドイツ

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6.[建造物1次]

 建造物1次図案葉書は、全部で7種類あります。

1)第1次

国内用・CEPT加盟国用15ペニヒ葉書

国内用・CEPT加盟国用15ペニヒ往復葉書往信部

国内用・CEPT加盟国用15ペニヒ往復葉書返信部

外信用20ペニヒ葉書

 1965年から古い建造物を取り上げたシリーズが発行されました。同じ時期にベルリンでも似た図案の葉書を発行しています。こちらを参照してください。


2)第2次(料金改定)

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ葉書

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ往復葉書往信部

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ往復葉書返信部

 1966年4月1日(金)から料金値上げが行われて、それまで20ペニヒ=外信葉書料金が、20ペニヒ=国内葉書料金になったため、外信葉書と同じ図案で色違いの葉書が発行されました。

 上の一番下の写真は、国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ往復葉書の返信部にブランデンブルク門図案の10ペニヒ切手を貼った使用例で、消印はアメリカのものです。

 西ドイツでは1963年1月1日(火)から徐々にCEPT加盟国宛に国内料金を適用したため、国内用の往復葉書にはフランス語表記があります。この国内料金の適用は、最後は1989年4月1日に欧州の西側諸国全域に拡大されるまでになります。しかし、外国間の往復葉書は1971年6月末をもって取り扱い中止になりましたので、7月以後に発行された国内用・CEPT加盟国宛共用の往復葉書には、フランス語表記がありません。
 なお、このようなフランス語表記の入った国内料金の往復葉書は、1963年3月1日発行の著名人図案15ペニヒ(ルター図案)往復葉書が最初です。


3)第3次(POSTKARTE位置変更)

国内用・CEPT加盟国用20ペニヒ葉書

 外信葉書や往復葉書では、すでに「POSTKARTE」の文字が下に移動していましたが、1966年に国内用の通常の葉書も「POSTKARTE」の文字が下に移動されました。これで、全部統一された形式になりました。この方が、上の写真のように、印面の横に切手を貼っても、POSTKARTEの文字が隠されることはありません。この形式は、以後、西ドイツの葉書の基本となりました。

 このシリーズの葉書は、ユーロ導入後の2002年6月30日まで有効でした。(ベルリンで発行された同じ図案の葉書は、ドイツ統一後の1991年12月31日まで有効でした。)


[ワンポイント]
 最初の外信用20ペニヒ葉書(赤茶色)の適正使用例の入手に苦労します。この外信葉書の使用例の多くは、1966年4月1日の料金値上げで国内葉書として使用されたものです。国内での使用例は、評価がかなり低くなりますので注意してください。

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