13.[ロト]・はじめに
1)プレ発行 建物図案(1949年5月10日発行)表面 1949年5月10日(火)に「FunkLotterie」の応募用の専用葉書であるロト葉書が発行されました。売価は、賞金を含む経費50ペニヒ+葉書料金10ペニヒ+寄付金10ペニヒの合計70ペニヒでした。発行して約2週間後の5月23日(月)にボン基本法が公布され、西側占領地区を母体とするドイツ連邦共和国が発足することになりましたので、5月10日はまだハンブルクは連合軍占領下にありました。すなわち、厳密には、この葉書はプレ発行です。
上の写真は、ロト葉書の裏面です。初めて使う人もいるので、応募に関する注意書きが、以下のように事細かに書かれています。()は筆者の補足です。なお、この注意書きは、問い合わせや誤解が多かったのか、後で何回も改訂が行われました。
年齢と何回応募したかの記入は自由、と書かれていますが、実際は、ほとんどの葉書で記入されています。応募者は、正直に書かないと当落に影響する、と考えたのかもしれません。上の写真ではカットしていますが、これを投函した人は26歳の主婦で、45回応募したと書いています。いくら夢を買うとはいえ、葉書の7倍もの金額で買い求めるロト葉書は、大きな出費であったはずです。 2)建物図案 住所変更(1950年発行)表面 葉書の宛先の住所が、HAMBURG36番地からHAMBURG1番地に変更になり、裏面が一部改訂されたシリーズです。裏面の改訂は大きく分けて3種類あって、さらに、経費が50ペニヒから55ペニヒに値上げされ、逆に、1951年8月6日(月)から売価を65ペニヒに下げたため、手書きまたはハンドスタンプで売価を修正したりと複雑です。これらの組み合わせで、専門的には9種類に分類されます。(裏面の3種類 × 無修正/手書き修正/スタンプ修正の3種類=9種類。) 裏面 上の写真は、裏面の改訂の一例で、一番上に「活字体で記入してください!」の注意書きを追加し、中央右の「何回応募したか」の記入欄を削除しています。「活字体」といちいち断っている理由は、達筆な筆記体で書かれて読めないトラブルが多数あったからと思われます。また、注意書きに対して利用者から問い合わせが相次いだり、多数の意見があったのでしょう。注意書きの表現を変えたり、大幅にカットしたりしています。()は筆者の補足です。
3)ポストホルン図案(1952年発行)表面 1952年から、印面の図案がポストホルン図案に変更されました。左上に売価が65ペニヒと書かれ、郵便番号の枠(HAMBURG1の左)が大きな○に変更されています。さらにまた、裏面の一部が改訂されました。売価が65ペニヒになりましたが、経費はまた50ペニヒに下げられたので、葉書料金の10ペニヒを差し引いて、5ペニヒがドイツ救済団体に寄付されました。以後、この寄付金の額は5ペニヒ固定となります。 裏面 裏面は、今まで黒いインクで印刷されていましたが、表面に合わせて緑色に統一されました。結果的に、両面とも1色刷ということになります。そして、前シリーズで削除された「何回応募したか」の欄が復活しました。一人で大量に応募する人がいたからでしょうか? 一番上にあった「活字体で記入してください!」という文字が「活字体で記入するかタイプライターで記入してください!」に変わりました。タイプライターがかなり普及していた時代なので、手書きじゃなきゃだめなのか?という問い合わせが多かったのでしょう。そしてまた、注意書きも少し改訂しています。()は筆者の補足です。
上の写真では、左上に赤い枠のようなスタンプが見えます。これは、戦前に使用されていた鷲の図案のメータースタンプで、戦後、その図案が第三帝国を思い出させるため、鷲の頭の部分を削り取ったものです。ハンブルク1局がローカル発行(郵便局の独自発行)の葉書に使用していた(鷲の頭の部分を削り取った)メータスタンプと酷似しており、おそらくそれの流用ではないかと思われます。では、なぜ葉書の裏に押されているかですが、未納便でもなく、4の数字は郵便料金とは無関係なので、当選者であることの目印か何かではないかと推測しています。 ところで、この葉書の下に手書きで「STRAUß」(シュトラウス)と書かれています。この葉書以外にもしばしば、一番下に手書きで「STRAUß」とか「Ganz Berlin!」とか文字が書かれているケースがあります。表にまで書かれていることもあります。これは、スペシャルクイズの解答だったようで、表に書いてある例は別として、たいてい一番下に書いてあるので、番組の中でここに書くように指定があったのでしょう。後の改訂で、この位置に記入欄が設けられます。 4)ポストホルン図案 改訂(1952年10月12日発行)表面 1952年10月12日(日)から、葉書の周囲にある装飾が、一面の模様から、28個のパターンの羅列に変わりました。裏面も、問題の解答形式が変わったようで、それに合わせて大幅に改訂されました。 裏面 裏面は、まず、一番上にあった「活字体で記入するかタイプライターで記入してください!」の注意書きが削除されました。解答の記入が「×」なので、ABCと違って間違えることはない、という判断なのでしょう。次に、解答記入欄が6×6になっていて、Ja(はい)が5列で1〜5の番号があり、Nein(いいえ)が一番右に1列あります。おそらく、質問の答えが1〜5のどれかならばJa(はい)の5つの列から選択し、どれにも当てはまらないならばNein(いいえ)の列を選択する、というやり方だったと思われます。以後、1969年まで発行されるロト葉書は、すべてこの解答形式になります。注意書きも、当然、改訂が行われました。()は筆者の補足です。
この葉書には、実際に使用することを目的とした偽造品が存在します。紙の色が違っていて、印刷も不鮮明です。 5)ホイス1次図案(1954年発行)1954年から、印面の図案がホイス大統領の図案に変更されました。 6)ホイス1次図案 改訂(1957年発行)表面 1957年から、○枠の郵便番号欄から( )枠の郵便番号欄に変更されました。HAMBURGの左を見てください。裏面も同じ改訂が行われています。 裏面 7)ホイス2次図案(1959年発行)1959年から、印面の図案が小型のホイス大統領の図案に変更されました。 8)著名人図案(1961年発行)1961年から、印面の図案がデューラーの図案に変更されました。すぐ次のシリーズに変わったため、発行数が少ないシリーズです。 9)著名人図案 改訂(1962年発行)表面 1962年から、( )の郵便番号枠がなくなり、単に「2」の数字だけになりました。さらに、裏面の一番下に、スペシャルクイズの解答の記入欄が設けられました。 裏面 10)著名人図案 料金改訂(1963年発行)1963年3月1日(金)の郵便料金改定に伴い、10ペニヒから15ペニヒに値上げされ、印面の図案がルターの図案に変更されました。売価も65ペニヒから70ペニヒに値上げされています。 11)建造物1次図案(1965年発行)1965年から、印面の図案がテーゲル宮殿の図案に変更されました。 12)建造物1次図案 料金改定(1966年)1966年4月1日(金)の郵便料金改定に伴い、15ペニヒから20ペニヒに値上げされ、印面の図案がロルシュ王立修道院の図案に変更されました。売価も70ペニヒから75ペニヒに値上げされています。 13)建造物2次図案(1969年発行) 1969年から、印面の図案が変更されました。同じロルシュ王立修道院ですが、図案が異なります。 14)スポーツ振興 付加金付き(1997年11月6日発行)表面 ドイツ公共放送連盟(ARD、Arbeitsgemeinschaft der öffentlich-rechtlichen Rundfunkanstalten der Bundesrepublik Deutschland)が主催した祭典(ガラ、または、ガーラ)用に使われた、年間最優秀スポーツ選手の投票用葉書です。1等はポルシェ ボクスターが当たるというもので、分類上はロト葉書の一種と扱われています。投票結果は、1997年12月7日(日)の20時15分から放送されました。 裏面 上の写真は、裏面です。投票は3つのジャンルで行われ、上から「女性」、左下は「選手団」、右下は「男性」で、それぞれから1名あるいは1団体を選ぶやり方です。ただし、選択肢からどれも選びたくない投票者のために、黄色い長方形が並んでいる欄が設けられていて、ここに投票者が最優秀スポーツ選手だと思う別の人物やチームの名前を記入することができました。 葉書は、多数の投票者を想定して300万枚用意されましたが、実際に売れたのは38万5千枚でした。 [ワンポイント] 余談ですが、カタログでは、初期の葉書で諸経費が50ペニヒから55ペニヒになり、1952年から50ペニヒに戻った、とあります。一方で売価は1951年8月6日に70ペニヒから65ペニヒに値下がりした、とあります。すると、売価が65ペニヒで諸経費が55ペニヒの期間がわずかながらあって、その間は、葉書料金の10ペニヒを差し引くと寄付金が0だったことになります。実例がなかなか入手できないので不明点が多い葉書ですが、この辺の解明も興味あるところです。 |
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