目 次
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ドイツ 1873-1932
ドイツ 1933-1944
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東アフリカ Deutsch-Ostafrika German East Africa

[概説]

 東アフリカは、現在のタンザニア、ブルンジ、ルアンダです。タンザニアは、2000年前のエジプトでもすでに知られていて、フェニキア人やヘブライ人も、9世紀頃からアラビア人も訪れています。これ以後の詳細な歴史は、情報量が多いため、別ページになっています。こちらをご覧ください。

[郵便局の開設]

 東アフリカでは、以下の郵便局が開設されました。

開 局 日 局  名
1888年11月22日 ラム(在外局)
1890年8月27日 ザンジバル(在外局)
1890年10月4日 ダル・エス・サラーム(開局日は諸説有り)
1890年10月4日 バガモヨ(同上)
1891年5月5日 タンガ
1891年5月17日 リンジ
1892年4月14日 キルワ
1892年5月5日 サダニ
1892年6月15日 パンガニ
1894年2月1日 モホロ
1894年10月30日 ミキンダニ
1895年4月1日 キロサ
1895年4月15日 マジンデ
1895年4月16日 モシ
1895年4月20日 ムプワプワ
1895年4月29日 キサキ
1895年6月5日 ランゲンブルク(現ルムビラ。居住に適さず移転し、1908年7月2日からノイ ランゲンブルクに改称。後者は現ツクユ)
1895年6月29日 マラング
1895年7月15日 タボラ
1895年9月14日 ブコバ
1895年10月1日 ムワンザ
1896年1月10日 キリマチンデ
1898年4月8日 ウジジ
1898年5月24日 イリンガ
1899年4月30日 ヴィルヘルムスタール(現ルショト)
1899年5月13日 ソンゲア
1899年10月25日 ヴィートハーフェン(現マンダ)
1900年3月12日 ムヘザ
1901年8月19日 マヘンゲ
1901年9月26日 ビスマルクブルク(現カサンガ)
1902年6月1日 コログェ
1902年9月22日 ブジュンブラ
1903年5月25日 アマニ
1904年1月25日 モロゴロ
1904年9月13日 ウギリ
1905年5月20日 モムボ
1905年6月19日 シラチ
1906年12月1日 コンドア・イランギ(現コンドア)
1906年12月6日 アルーシャ
1907年11月1日 チョレ
1908年6月10日 ムクムバラ
1908年6月21日 ムアヤ
1908年10月26日 ルアンダ
1908年11月14日 ンゲレンゲレ
1909年12月1日 ブイコ
1910年5月15日 ムカラマ
1911年1月1日 ドドマ
1911年2月1日 レガンガ
1911年8月3日 サラレ
1911年8月31日 ソガ
1911年12月5日 ハンデニ
1911年12月20日 ギセニ
1913年2月11日 ンゴメニ
1913年3月25日 ウムブル
1913年5月9日 ムニュシ
1913年6月1日 ウルンジ(現ギテガ)
1913年9月1日 ウテテ
1913年9月2日 ムソマ
1914年4月18日 キゴマ(内陸横断鉄道の終着駅)


[葉書]

1)無加刷葉書(フォアランナー)

本国用・外信用10ペニヒ葉書

 1888年の開局当時はドイツ本国の外信用10ペニヒ葉書と往復葉書が用意されました。本国と同じ葉書なので、消印で区別します。これらの葉書は収集家の間では、フォアランナーとして扱われます。

 上の写真は、10ペニヒ葉書にダル・エス・サラーム局の消印が押された使用例です。消印に「KAISERL. DEUTSCHE POSTAGENTUR」という文字が見えますが、これは「帝国ドイツ郵便取扱所」という意味です。この消印は、1890年10月に取扱所として開局した当時のもので、1891年4月1日にダル・エス・サラーム取扱所が郵便局に格上げされたときも、1892年9月1日までこの昔の表示の印が使われ続けました。写真は、1892年6月2日の日付です。


2)1893年7月発行 PESA加刷葉書

領内用3ペサ葉書

領内用3ペサ往復葉書返信部

本国用・外信用5ペサ葉書

本国用・外信用5ペサ往復葉書往信部

本国用・外信用5ペサ往復葉書返信部

 現地通貨の下落による投機を防ぐため、ドイツ本国の数字・鷲図案 UPU色シリーズの葉書に現地の通貨単位であるPESA(ペサ)を加刷した葉書です。全部で4種類あります。3ペサ葉書は東アフリカ領内、5ペサ葉書は植民地を含むドイツ本国とその他の外国宛です。


3)1896年発行 加刷葉書

領内用3ペサ葉書

領内用3ペサ往復葉書返信部

本国用・外信用5ペサ葉書

本国用・外信用5ペサ往復葉書往信部

本国用・外信用5ペサ往復葉書返信部

 ドイツ本国の数字・鷲図案 UPU色シリーズの葉書に通貨を挟んで「Deutsch-Ostafrika」と斜めに加刷した葉書です。全部で8種類あります。3ペサ葉書は東アフリカ領内、5ペサ葉書は植民地を含むドイツ本国とその他の外国宛です。1899年5月1日(月)からは植民地もドイツ本国と同じ扱いになって、ドイツ本国宛も3ペサ葉書が使用されました。


4)1900年発行 カイザーヨット図案

国内用3ペサ葉書

国内用3ペサ往復葉書返信部

 皇帝の御用戦艦の図案で、全植民地共通図案の葉書です。違いは、船の上に扇形に配置された「DEUTSCH-OSTAFRIKA」の文字だけです。全部で4種類あります。1900年11月頃に本国から送られ、12月には配給されていたと考えられています。


5)1904年発行 改訂

国内用3ペサ葉書

外信用5ペサ葉書(不発行)

 3ペサ葉書と5ペサ葉書のPostkarteの文字が左に移動しました。なお、5ペサ葉書は、旧シリーズの在庫が残っていたため発行が遅れていましたが、翌年に通貨単位の改訂が行われたため、不発行となりました。


6)1905年発行 通貨単位改訂

国内用4ヘラー葉書

国内用4ヘラー往復葉書往信部

外信用7 1/2ヘラー葉書

 通貨単位がペサからヘラーに変わりました。1ルピー=64ペサが、1ルピー=100ヘラーになったため、3ペサ葉書が4ヘラー葉書に、5ペサ葉書が7 1/2ヘラー葉書に変わっています。


6)1909年発行 国内葉書改訂(Anなし)・すかし入り

国内用4ヘラー葉書

 国内用4ヘラー葉書のみ、菱形と数字とローマ字のすかしが入れられました。Anの文字も廃止されています。


7)1912年発行 国内葉書改訂(縦罫線入り)

国内用4ヘラー葉書

国内用4ヘラー往復葉書往信部

国内用4ヘラー往復葉書返信部

 国内用4ヘラー葉書と往復葉書に、縦罫線が入れられました。


8)不発行

国内用4ヘラー往復葉書往信部

国内用4ヘラー往復葉書返信部

外信用7 1/2ヘラー往復葉書往信部

外信用7 1/2ヘラー往復葉書返信部

 1917年に東アフリカのすべてのドイツ郵便局が閉鎖された後も、新しい形式の葉書が準備され、不発行となった葉書が3種類あります。敗戦後にベルリンの郵趣家窓口から収集家向けに販売されました。戦時中の物資不足のため、粗悪な用紙に印刷されています。

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