東アフリカ Deutsch-Ostafrika German East Africa[概説]東アフリカは、現在のタンザニア、ブルンジ、ルアンダです。タンザニアは、2000年前のエジプトでもすでに知られていて、フェニキア人やヘブライ人も、9世紀頃からアラビア人も訪れています。これ以後の詳細な歴史は、情報量が多いため、別ページになっています。こちらをご覧ください。 [郵便局の開設]東アフリカでは、以下の郵便局が開設されました。
[葉書]1)無加刷葉書(フォアランナー)本国用・外信用10ペニヒ葉書 1888年の開局当時はドイツ本国の外信用10ペニヒ葉書と往復葉書が用意されました。本国と同じ葉書なので、消印で区別します。これらの葉書は収集家の間では、フォアランナーとして扱われます。 上の写真は、10ペニヒ葉書にダル・エス・サラーム局の消印が押された使用例です。消印に「KAISERL. DEUTSCHE POSTAGENTUR」という文字が見えますが、これは「帝国ドイツ郵便取扱所」という意味です。この消印は、1890年10月に取扱所として開局した当時のもので、1891年4月1日にダル・エス・サラーム取扱所が郵便局に格上げされたときも、1892年9月1日までこの昔の表示の印が使われ続けました。写真は、1892年6月2日の日付です。 2)1893年7月発行 PESA加刷葉書領内用3ペサ葉書 領内用3ペサ往復葉書返信部 本国用・外信用5ペサ葉書 本国用・外信用5ペサ往復葉書往信部 本国用・外信用5ペサ往復葉書返信部 現地通貨の下落による投機を防ぐため、ドイツ本国の数字・鷲図案 UPU色シリーズの葉書に現地の通貨単位であるPESA(ペサ)を加刷した葉書です。全部で4種類あります。3ペサ葉書は東アフリカ領内、5ペサ葉書は植民地を含むドイツ本国とその他の外国宛です。 3)1896年発行 加刷葉書領内用3ペサ葉書 領内用3ペサ往復葉書返信部 本国用・外信用5ペサ葉書 本国用・外信用5ペサ往復葉書往信部 本国用・外信用5ペサ往復葉書返信部 ドイツ本国の数字・鷲図案 UPU色シリーズの葉書に通貨を挟んで「Deutsch-Ostafrika」と斜めに加刷した葉書です。全部で8種類あります。3ペサ葉書は東アフリカ領内、5ペサ葉書は植民地を含むドイツ本国とその他の外国宛です。1899年5月1日(月)からは植民地もドイツ本国と同じ扱いになって、ドイツ本国宛も3ペサ葉書が使用されました。 4)1900年発行 カイザーヨット図案国内用3ペサ葉書 国内用3ペサ往復葉書返信部 皇帝の御用戦艦の図案で、全植民地共通図案の葉書です。違いは、船の上に扇形に配置された「DEUTSCH-OSTAFRIKA」の文字だけです。全部で4種類あります。1900年11月頃に本国から送られ、12月には配給されていたと考えられています。 5)1904年発行 改訂国内用3ペサ葉書 外信用5ペサ葉書(不発行) 3ペサ葉書と5ペサ葉書のPostkarteの文字が左に移動しました。なお、5ペサ葉書は、旧シリーズの在庫が残っていたため発行が遅れていましたが、翌年に通貨単位の改訂が行われたため、不発行となりました。 6)1905年発行 通貨単位改訂国内用4ヘラー葉書 国内用4ヘラー往復葉書往信部 外信用7 1/2ヘラー葉書 通貨単位がペサからヘラーに変わりました。1ルピー=64ペサが、1ルピー=100ヘラーになったため、3ペサ葉書が4ヘラー葉書に、5ペサ葉書が7 1/2ヘラー葉書に変わっています。 6)1909年発行 国内葉書改訂(Anなし)・すかし入り国内用4ヘラー葉書 国内用4ヘラー葉書のみ、菱形と数字とローマ字のすかしが入れられました。Anの文字も廃止されています。 7)1912年発行 国内葉書改訂(縦罫線入り)国内用4ヘラー葉書 国内用4ヘラー往復葉書往信部 国内用4ヘラー往復葉書返信部 国内用4ヘラー葉書と往復葉書に、縦罫線が入れられました。 8)不発行国内用4ヘラー往復葉書往信部 国内用4ヘラー往復葉書返信部 外信用7 1/2ヘラー往復葉書往信部 外信用7 1/2ヘラー往復葉書返信部 1917年に東アフリカのすべてのドイツ郵便局が閉鎖された後も、新しい形式の葉書が準備され、不発行となった葉書が3種類あります。敗戦後にベルリンの郵趣家窓口から収集家向けに販売されました。戦時中の物資不足のため、粗悪な用紙に印刷されています。 |
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