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カロリン諸島 Karolinen Caroline Islands

[概説]

 カロリン諸島は、1525年から1529年の間にポルトガルとスペインの艦隊が現在の西カロリン諸島を発見してその存在が知れ渡るようになりました。1686年にこれらの諸島は、スペイン王の名前にちなんで「カロリン諸島」と命名されました。その後、スペインの宣教師たちが布教を行いましたが効果がなく、やがてスペインはこの地を統治する興味を失ってしまいました。

 1860年頃にハンブルクのゴーデフフロイ商会が東カロリン諸島から西カロリン諸島、パラオ諸島へと調査を拡大していましたが、やがてゴーデフフロイ商会が経営難に陥ると、ハンブルクのヤルート会社が引き継ぎました。その後1885年8月24日(月)に砲艦イルティスがヤップに寄港し、ドイツの旗を掲げ、カロリン諸島の領有を宣言しました。これに反発したスペインに対して、ビスマルクは教皇レオ13世に仲裁を依頼。その結果、スペインに対しては歴史的に見てスペインの植民地であること、ドイツに対してはドイツ人商人の通商の自由とポナペおよびヤップに船舶用の石炭補給基地を設置することが認められました。

 その後、1898年にスペインがアメリカとの戦争に敗北すると、ドイツはカロリン諸島をはじめとしてスペインの南洋諸島の権利を買い取るため1899年2月8日(水)にスペインと条約を結び、ドイツからスペインへ2500万ペセタ(1675万マルク)が支払われました。6月18日(日)にカロリン諸島がニューギニア保護領の一部として扱う法律がドイツで制定された後、10月12日(木)にポナペで、11月3日(金)にヤップでそれぞれドイツの旗が掲げられ、ここにドイツによるカロリン諸島の統治が始まりました。

 1914年8月第一次世界大戦勃発後、オーストラリア軍が9月26日(土)にアンガウルを攻撃、その後日本軍の侵攻により10月7日(水)にヤップとポナペ、8日にパラオ、11日にトラック、12日にアンガウルが占領され、ドイツはカロリン諸島を失います。

[郵便局の開設]

 カロリン諸島では、以下の郵便局が開設されました。

開 局 日 局  名
1899年10月12日 ポナペ(現ポンペイ)
1899年11月6日 ヤップ
1905年5月1日 トラック(現チュウック)
1907年10月4日 パラオ
1909年2月18日 アンガウル


[葉書]

1)無加刷葉書(ミットロイファー)

 開局当時から加刷葉書が用意されたので、葉書のフォアランナー(本国の葉書がそのまま現地の郵便局で売られて使用された例)は存在しません。しかし、当時の収集家が本国から持ち込んだ葉書で実際に使われたものがあり、これらは収集家の間でミットロイファーと呼ばれています。

2)1899年10月12日発行 加刷葉書

国内用5ペニヒ葉書

外信用10ペニヒ葉書

 ドイツ本国の数字・鷲図案 UPU色シリーズの葉書に「Karolinen」と斜めに加刷した葉書です。全部で6種類あります。5ペニヒ葉書はカロリン諸島等の植民地間およびドイツ本国宛、10ペニヒ葉書はその他の外国宛に使われました。

 上の写真で、外信用10ペニヒ葉書の方は、ポナペ局の使用例です。


3)1901年発行 カイザーヨット図案

国内用5ペニヒ葉書

外信用10ペニヒ葉書

外信用10ペニヒ往復葉書往信部

外信用10ペニヒ往復葉書返信部

 皇帝の御用戦艦の図案で、全植民地共通図案の葉書です。違いは、船の上に扇形に配置された「KAROLINEN」の文字だけです。全部で4種類あります。

 上の写真で、国内用5ペニヒ葉書はアンガウル局の使用例、外信用10ペニヒ葉書はパラオ局(ドイツ語の綴りはパラウ)の使用例、外信用10ペニヒ往復葉書往信部はポナペ局の使用例です。

 外信用10ペニヒ往復葉書往信部の使用例は、ポナペからイギリス領ローデシアのGwelo(現ジンバブエのグウェル、Gweru)に宛てたもので、往信部に押されたコロンボの中継印、返信部の裏面に押された香港、シンガポール、イーストロンドン(南アフリカ)の中継印とグウェルの到着印がにぎやかです。なお、南洋諸島からアフリカへ宛てた使用例は、ほとんど見かけません。


4)不発行

国内用5ペニヒ往復葉書往信部

国内用5ペニヒ往復葉書返信部

 1914年にカロリン諸島のすべてのドイツ郵便局が閉鎖された後も、新しい形式の葉書が準備され、不発行となった葉書が2種類あります。1917年頃に作られ、敗戦後ベルリンの郵趣家窓口から収集家向けに販売されました。戦時中の物資不足のため、粗悪な用紙に印刷されています。

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