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ドイツ・ニューギニア Deutsch-Neuguinea German New Guinea

[概説]

 ニューギニア島は、1511年にポルトガルの航海士ダブロがヨーロッパ人として最初に島の近海に達してからその存在が知れ渡り、1526年にはスペインの探検家メネゼスが最初に上陸しました。1546年になるとスペインが島の領有を主張し、島の住民が西アフリカのギニア部族と同じであると見なしたことからノボ・ギネア(ニューギニア)と命名しました。その後、多くの探検家が島を訪れ、1793年には島全体の領有をイギリスの東インド会社が主張。これに反対したオランダの東インド会社が、1828年に島の西半分を領有しました。

 1873年にハンブルクのゴーデフフロイ商会が島を訪れ、マトゥピ(Matupi)を拠点に交易を始めました。しかし、1879年からゴーデフフロイ商会が経営難に陥ると、1880年にベルリンの銀行家アドルフ・フォン・ハンゼマンが「南洋商事会社」を設立してゴーデフフロイ商会の経営権を引き継ぎました。

 南洋商事会社は、その後フィンシュ博士やダルマン艦長を派遣し、島の北東部の各部族と交渉して領有することに成功しました。1884年11月17日(水)には戦艦エリーザベトがマトゥピに寄港し、この地にドイツの旗が掲げられ、ここにドイツによる島の北東部の統治が始まりました。同じ時期に、イギリスは島の南東部の統治を開始し、1906年からはそれをパプアの一部としてオーストラリアに統治を移管しています。

 1914年8月第一次世界大戦勃発後、ドイツ領ニューギニアでは、8月5日(水)22時15分からラバウルでオーストラリア軍との戦闘が開始され、ヘルベルトヘーエが9月11日(金)、ラバウルが9月12日(土)に占領されました。これを皮切りに各地が次々と占領され、ドイツはニューギニアを失います。郵便局で最後まで残っていたのはモロベ局ですが、1915年1月11日(月)には閉局しています。

[郵便局の開設]

 ドイツ・ニューギニアでは、以下の郵便局が開設されました。ただし、マラリア等の伝染病の蔓延による入植者の激減で、閉局したものもあります。

開 局 日 局  名
1888年2月15日 フィンシュハーフェン
1888年4月1日 ハッツフェルトハーフェン
1888年4月4日 ケラワラ(ラバウルの東の島、ミオコ島の西)
1888年5月15日 コンスタンチンハーフェン
1889年12月14日 シュテファンスオルト
1890年6月?日 ヘルベルツヘーエ(ラバウルの南の対岸)
1892年3月1日 フリードリヒウィルヘルムスハーフェン
1894年11月1日 マトゥピ(ラバウルの南の島)
1898年5月22日 ベルリンハーフェン(後のアイタペ、西のオランダ領に最も近い局)
1904年1月1日 カビエン(ニューアイルランド島の北端)
1906年2月4日 シンプソンハーフェン(後のラバウル)
1907年4月25日 キエタ(ブーゲンビル島)
1910年10月1日 マロン(ヘルミート島、アドミラルティ諸島の北西)
1911年9月11日 ナマタナイ(ニューアイルランド島)
1912年12月6日 マヌス(後のロレンガウ、アドミラルティ諸島)
1913年1月20日 モロベ(南のオーストラリア領に最も近い局)
1913年6月26日 ブカ(ブカ島、ブーゲンビル島の北)
1914年1月1日 デウロン


[葉書]

1)無加刷葉書(フォアランナー)

 1888年2月の開局当時は、ドイツ本国の外信用10ペニヒ葉書が用意されました。外信用10ペニヒ往復葉書も後で追加されています。本国と同じ葉書なので、消印で区別します。これらの葉書は、収集家の間でフォアランナーとして扱われます。

2)1897年発行 加刷葉書

領内用5ペニヒ葉書

 ドイツ本国の数字・鷲図案 UPU色シリーズの葉書に「Deutsch-」「Neu-Guinea」と2行で斜めに加刷した葉書です。全部で7種類あります。5ペニヒ葉書はニューギニア領内、10ペニヒ葉書は植民地を含むドイツ本国とその他の外国宛に使われました。1899年5月1日(月)からは、植民地もドイツ本国と同じ扱いになり、植民地間とドイツ本国宛の葉書が5ペニヒに値下げされました。


3)1901年発行 カイザーヨット図案

外信用10ペニヒ葉書

 皇帝の御用戦艦の図案で、全植民地共通図案の葉書です。違いは、船の上に扇形に配置された「DEUTSCH-NEU-GUINEA」の文字だけです。全部で4種類あります。

 上の写真は、国内用5ペニヒ葉書のシンプソンハーフェン局の使用例です。この局は、1910年4月1日(金)からラバウル局に改称しました。

 上の写真は、外信用10ペニヒ葉書のマトゥピ局の使用例です。


4)1907年発行 外信往復葉書改訂

外信用10ペニヒ往復葉書往信部

外信用10ペニヒ往復葉書返信部

 外信用10ペニヒ往復葉書の周囲の枠線がはずされ、文字のレイアウトも変更されています。外信用葉書よりも需要が少ないはずの外信用往復葉書が、なぜ改訂されたかは不明ですが、ちょうど在庫がなくなって追加製造しようとしたときに、すでに原板が新しくなっていたのでしょう。ドイツ植民地の葉書は、地名以外はすべて共通のデザイン(共通の原板)なので、可能性としてはあり得ます。この改訂は、ドイツ領トーゴにもあります。


5)1912年発行 地名表記変更・縦罫線・すかし入り

国内用5ペニヒ葉書

 国内用5ペニヒ葉書のみの改訂です。植民地名の改訂として「DEUTSCH-NEUGUINEA」とハイフンが一つ減り、さらに、縦罫線の追加があります。すかしも入れられています。上の写真で、葉書の中央に、菱形と「DR」の文字がぼんやりと見えるかもしれませんが、それがすかしです。


6)不発行

国内用5ペニヒ葉書

 1915年1月にニューギニアのすべてのドイツ郵便局が閉鎖された後も、新しい形式の葉書が準備され、不発行となった葉書が3種類あります。これらは、敗戦後の1919年に、ベルリンの郵趣家窓口から収集家向けに販売されました。戦時中の物資不足のため、粗悪な用紙に印刷されています。

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