1.[BERLIN加刷]BERLIN加刷葉書は、2つのシリーズがあり、全部で3種類あります。 1)黒加刷市内用10ペニヒ葉書西ベルリン地区では、1948年9月3日(金)ソビエト占領地区側の通貨改革で新しく発行された通貨(Ostmark、いわゆる東側マルク)用にBERLIN黒加刷の切手が発行されましたが、BERLIN黒加刷葉書は、それより4ヶ月遅れた1949年1月に市内用10ペニヒ葉書と市外用12ペニヒ葉書の2種類が発行されました。 西ベルリン地区でも通用できた東側マルク通貨のための葉書ですが、ソビエトはBERLIN黒加刷切手も含めて「これは西側が勝手に発行したもの」として容認せず、他のソビエト占領地区への郵便はもちろん、東ベルリン地区宛の郵便にも使用することはできませんでした。これらの地域へ送る郵便には、ソビエト占領地区で発行された切手が必要だったのです。 つまり、西ベルリン地区では、西側マルクはもちろん東側マルクも通用して、このBERLIN黒加刷葉書もソビエト占領地区の葉書も(東側マルクで購入して)通用できたのですが、ソビエトは西ベルリン地区からの郵便にはソビエト占領地区で発行されている葉書のみを認めたのです。(切手も同様です。) BERLIN黒加刷切手の方は使用例が豊富に残っているのですが、BERLIN黒加刷葉書の方は、東側マルクが使われる機会が減った時期の発行だけに、使用済が大変少なく希少です。 BERLIN黒加刷葉書は、東側マルクが通用した1949年3月31日(木)まで有効でした。 市外用12ペニヒ葉書(消印の広告部分を抹消しています) 上の写真は、市外用すなわち西ドイツ宛の12ペニヒ葉書の使用例です。この葉書は専門的に言うと、黄色味を帯びた用紙の葉書で、一番よく見かける種類のものです。 なお、この葉書は、有効期限最終日の1949年3月31日に投函され、期限切れの翌朝4月1日に収集され消印が押されたものです。なぜ期限切れの葉書に消印が押せたのかというと、翌朝一番目の収集分の郵便物は、前日の(有効期限内の)夜に投函されたものを含んでいるので、便宜上「有効」とみなされたからです。 2)赤加刷市内用10ペニヒ葉書(消印の広告部分を抹消しています) 1949年1月20日(木)、英米仏占領地区側の通貨改革で新しく発行された通貨(Westmark、いわゆる西側マルク)用にBERLIN赤加刷の切手が発行されましたが、BERLIN赤加刷葉書は、それより3ヶ月遅れた1949年4月から市内用10ペニヒ葉書の1種類のみが発行されました。発行された当時はすでに東側マルク/西側マルクの混用はなく、西側マルクのみ通用していた時期ですので、もちろんBERLIN黒加刷切手との混用はありえません。 発行当初は市内用葉書でしたが、1949年6月1日(水)の料金改定に伴い、市外用葉書料金が12ペニヒから10ペニヒに値下げされたため、市外用葉書として通用しました。意外にこの事実が忘れ去られているようです。 この葉書は1950年1月31日(火)まで有効でしたが、1月20日(金)から西ドイツ国内でも使用できたので、わずか12日間ではありますが、西ドイツ局の消印が押された使用例が見られます。 上の写真は、市内用10ペニヒ葉書に同じ赤加刷の2ペニヒ切手を貼り足した西ドイツ宛の使用例です。西ドイツ宛は12ペニヒでしたので、これが市場で見かける典型的使用例ですが、よく見ると、料金改定後の6月3日に使用されており、実は料金過剰の誤用です。利用者が、1日からの料金値下げを知らなかったのかもしれません。 市内用10ペニヒ葉書(この時は、市外用) 上の写真は、市内用10ペニヒ葉書にベルリンの新しい建物図案の10ペニヒ切手を貼って外信用葉書料金の20ペニヒにした使用例です。赤加刷シリーズには外信用葉書がありませんので、このように切手を加貼して使用されました。消印は1949年7月28日で、この葉書が市外用葉書として通用していた時期の使用例です。 [ワンポイント] |
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