目 次
ドイツ・ステーツ
ドイツ 1872
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地方発行
連合軍占領地区
西ドイツ
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東ドイツ
 概説
  著名人 1950-1953
  ピーク1次 1950-1951
  ピーク2次 1953-1956
  ピーク3次 1956
  ウルブリヒト 1961-1972
  建造物1次 1973
  建造物2次 1982-1990
  記念建造物 1990
  絵入り・記念 1950-1990
統一後のドイツ

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5.[ウルブリヒト]

 ウルブリヒト図案葉書は、2つのシリーズがあり、全部で8種類あります。

1)差出人住所欄太線なし

国内・共産国用10ペニヒ往復葉書返信部

 1961年にウルブリヒト国家評議会議長(元首)図案の葉書が発行されました。最初のシリーズは、葉書の左上にある差出人住所欄の上から3番目の線が点線のものです。これは従来の様式を踏襲したものです。往復葉書は、国内料金と一部の共産国宛が同一料金であることから、外国宛にも使えるように、フランス語表記が追加されています。
 上の写真は、10ペニヒ往復葉書(ドイツ語・フランス語併記)の返信部に5ペニヒ切手を貼って1961年にキューバのハバナから返送されたものです。1960年1月1日(金)から共産国宛が国内料金になったのですが、一部の共産国宛はまだ外国料金扱いでした。キューバもその一つで、キューバ宛に国内料金が適用されるのは1966年2月1日(火)からです。

外信用15ペニヒ往復葉書返信部

 上の写真は、外信用15ペニヒ往復葉書の返信部です。写真中央部に見える赤い物は、速達用のシールです。「速達」を意味する文字が、ドイツ語(上)とフランス語(下)で書かれています。


2)差出人住所欄太線あり

西ドイツ・外信用25ペニヒ葉書

 1966年から、葉書の左上にある差出人住所欄の上から3番目の線に太線が入れられました。1971年7月1日(ちょうど外信往復葉書が廃止された日)から西側諸国宛が25ペニヒに値上げされましたが、ここでついに、西ドイツと西ベルリン地区まで「外国」扱いになってしまいました。この新しい額面の外信葉書は、やや遅れて1972年1月25日(火)に発行されています。


[ワンポイント]
 特に難しい葉書はありません。宛先で料金がいろいろ変わった時期だけに、料金の変遷に注目して集めるとおもしろいでしょう。また、ちょうど東西ドイツの緊張が高まった時期だけに、使用例を歴史の資料として見ると興味深いと思われます。なお、外信用25ペニヒ葉書の西ドイツ宛は多数残されていますので、評価が低くなります。

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