|
ベルギー占領地区1)第1次加刷第1次加刷葉書は、1914年10月から発行され、全部で5種類あります。 ベルギー用5サンチーム葉書 ベルギー用5サンチーム往復葉書往信部(1915年) ベルギー用5サンチーム往復葉書返信部(1915年) ドイツ・中立国宛外信用10サンチーム葉書 同往復葉書往信部(1915年) 同往復葉書返信部(1915年) 同往復葉書往信部(1916年) 同往復葉書返信部(1916年) 第1次加刷は、加刷の下の段にある額面の通貨単位が「Centimes」とフルスペルのものです。ベルギー領内は5サンチーム、ドイツと中立国宛は外国宛料金として10サンチームの葉書が使用されました。数字と通貨単位との間が狭い/広いというタイプ違いがありますので、専門的には7種類集めることになります。 10サンチーム葉書往復葉書は1915年と1916年に2種類ありますが、このどちらもが、ドイツ本国では不発行の外信往復葉書であることが注目されます。占領地用に過渡的に作られたもので、葉書の様式変遷の研究に役立ちます。 一番上の写真の5サンチーム葉書は、占領前のベルギーの消印(バイリンガル表示)が押されています。占領地ではこのように占領前の消印が使われたり、ドイツ風の消印に置き換えられたりしています。5サンチーム葉書の左側に見える楕円形のものは検閲印です。検閲印は、この楕円形の他に、2ないし3行印、丸印、波形を伴った機械印の形状など、多くのタイプが見られます。 上から4番目の10サンチーム葉書の消印は、第53予備師団の野戦局の郵便印です。この第53予備師団は、1914年9月にザクセン出身者で組織された15000名の師団で、10月18日から11月30日にかけてベルギーのイゼール(ユゼ、Yser)での戦闘に参加した後、第一次世界大戦でドイツ軍が広範囲に大量の毒ガスを使用したことで有名な第2次イープル(イーペル、Ypres)の戦闘(1915年4月22日〜5月25日)に投入され、イープルの北側にあるs' Gravenstafel 、Frezenberg、Wieltje等で参戦していました。消印が1915年6月6日なので、ドイツ軍がイープルを奪取した後です。 戦争による物資欠乏は、葉書の用紙にもよく現れています。上の写真は10サンチーム葉書で、ドイツ語とベルギー語でブリュッセルの地名が入った機械印が押されたものです。この葉書の用紙が、やけに薄汚れているように見えると思いますが、もともとがかなり粗悪な用紙で、木の皮?みたいな濃い茶色いものがたくさん混ざっています。これがあたかも大理石のつぶつぶが入っているように見えるので、この用紙のことを「大理石のような用紙」と呼ぶことがあります。この用紙は、本国の葉書でもたまに見かけますが、ベルギー占領地区の方が多く、材質が悪い用紙の葉書をベルギー用にまわして使わせたのでしょうか。 2)第2次加刷 旧料金 (1916年)第2次加刷葉書は、1916年5月から発行され、全部で10種類ありますが、4つのグループに分かれます。 ベルギー用5サンチーム葉書 同Postkarte中央 第2次加刷は、加刷の下の段にある額面の通貨単位が「Cent.」と略されたものです。10種類ありますが、数値と通貨単位との間が狭い/広いというタイプ違いがありますので、専門的には15種類集めることになります。 この第2次加刷は、次の4つのグループに分かれます。
1916年8月から料金値上げ(実際は戦争税の上乗せ)があったため、第2次加刷のベルギー用の5サンチーム葉書が出回ってからすぐに8サンチーム葉書に変わりました。それで5サンチームの適正使用期間が短く、切手を加貼りしていない使用例はあまり手に入りません。なお、ドイツや中立国宛の10サンチーム料金はそのまま終戦まで据え置かれました。 3)第2次加刷 料金改定 (1916年)ベルギー用8サンチーム葉書 ベルギー用8サンチーム往復葉書往信部 ベルギー用8サンチーム往復葉書返信部 1916年8月1日(火)の料金改定時に8サンチーム葉書、遅れて1917年に8サンチーム往復葉書が発行されました。 4)第2次加刷 追加発行 (1917年)ベルギー用5サンチーム往復葉書往信部 ベルギー用5サンチーム往復葉書返信部 ドイツ・中立国宛外信用10サンチーム葉書 同往復葉書往信部 同往復葉書返信部 1917年に追加発行されたのは、ベルギー用旧料金の5サンチーム往復葉書、ドイツや中立国宛の10サンチーム葉書と往復葉書です。ベルギー用旧料金の5サンチーム往復葉書は料金改定後の発行であるため、当然ですが、切手を貼った使用例しか存在しません。 上の写真は、10サンチーム葉書に書留料金に相当する25サンチーム分の切手を貼った使用例です。消印はドイツ語表示のものです。この切手や葉書を見ていると、5ペニヒが5サンチーム、10ペニヒが10サンチーム、15ペニヒが15サンチームなので、書留料金の25サンチームは25ペニヒか?と思われるでしょうが、実は、当時の交換比率は100サンチーム=80ペニヒだったので、本当は25サンチームは20ペニヒでした。なのに、25サンチーム分の切手が25ペニヒになるのはなぜでしょう? それは、低額面の数字を交換比率で換算すると非常に中途半端な額面になってしまい、ドイツではこれらの切手と葉書が使えないので投機目的に買われる心配もなく、きりのよい数字にした結果、合わなくなってしまったのです。参考までに、25サンチーム以上の加刷切手は、こちらをご覧ください。ちゃんと交換比率に合っていることがわかります。 5)第2次加刷 暫定改定 (1918年)1918年に、ベルギー・北フランス占領地区の8サンチーム葉書に「Belgien」の文字を加刷した葉書があります。一見すると、他のベルギー占領地区の葉書に見えますが、後から加刷した「Belgien」の文字がわずかにずれている、あるいは、その加刷のインクの艶がにぶいといった特徴で区別できます。 [ワンポイント] なお、この世界大戦という緊迫した状況でも、収集家が盛んに各地の使用例を残していました。たいてい消印目当てなので、葉書の裏面は空白あるいは簡単な挨拶であるのが普通です。ただし、逆は真ならず、です。いわゆるフィラテリックな使用例の裏面が空白なのに、ご丁寧に検閲印を押しているのが面白いです。 |
|||||||||||||||||||||||||||
Copyright © S.Stein 1997-2022 |