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東部占領地区
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通貨単位: | |
1Mark(マルク)=100Pfennig(ペニヒ) |
[概説]
1891年から計画されていたいわゆるシュリーフェン計画では、ロシア陸軍の動員と戦線配備が遅れることを念頭に置いていて、ドイツはフランスを6週間で攻略後にロシアを攻め込めむことになっていましたが、実際に第一次世界大戦が始まると、ロシアの準備は大方の予想を裏切るほど早く、8月にはドイツの東プロイセン地方と、オーストリー・ハンガリーのガリツィア地方に侵攻しました。
しかし、ドイツ軍の反撃も早く、ただちに東プロイセンのタンネンベルクでロシア軍を包囲・殲滅し、1915年5月から始まった中部ポーランドでの大攻勢でロシア軍を押し戻し、1916年には西部戦線へ兵員を割けるまでになります。
1917年3月(ロシア暦2月)にはロシアで二月革命が起こり、臨時政府が置かれましたが、臨時政府は戦争続行を宣言し、臨時政府軍は一時的にガリツィアで勝利を収めるものの、ドイツ軍はこれを撃退して10月にはラトビアの大半を占領します。
結局、12月に休戦交渉が行われ、ドイツなど同盟国側は1918年3月3日(日)のブレスト・リトフスク条約でエストニアやウクライナに至るまでの広大な占領地を得ることになります。
[東部占領地区の葉書]図版(一例) | |
東部占領地区の葉書 |
1918年3月3日のブレスト・リトフスク条約締結の2日後(3月5日)に、エストニアのDORPAT(現タルトゥ、TARTU)で、ロシアの葉書に20ペニヒを臨時に加刷した葉書が発行されました。発行枚数は25000枚ですが、実際に使われたのは、10421枚です。
この葉書をドイツに送る場合は、印面に「DORPAT」のゴム印が押されて、最寄りの町のリガまで運ばれ、そこで東部占領地区加刷の切手が貼られて、検閲印が押されました。手書きもあります。公式の有効期限は3月16日ですが、実際に22日に使われた例があります。