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H30.06.27 いつの間にか〜

また増えたミラーレスカメラ。マイクロフォーサーズのPanasonic Lumix DMC-GX1を入手。

Panasonicのミラーレスは、5年くらい前にDMC-G3を入手して依頼久しぶり。G3とほぼ同時期に出たGX1。G3は一眼タイプでGX1はコンデジタイプになるが、機能的にはGX1のほうが上位になる。

金属ボディでずっしりしており、プラボディのG3とはかなり違う。

先日入手したオリンパスのE-M5とペアで使っていこうと思っている。


マイクロフォーサーズのカメラ。自宅から持ってきていた、オリンパス E-P1と合わせて合計4台に。

レンズも、m.zuiko 12-50mm F3.5-6.3 EDと、G VARIO 45-200mm F4.0-5.6を追加。

先日、E-M5に45-200mmをつけて撮影テストしてきた。
大濠公園 福岡空港
鳩の方は200mm手持ち撮影だが、手ぶれ補正がよく効いており、恐ろしいほどシャープに写っている。
飛行機のほうは、たまたまSAMURAI BLUEに遭遇し慌ててシャッターを切ったもの。こちらは45mmで、空港の金網間から撮影したもの。

どちらも良く写っている。

マイクロフォーサーズは、センサーサイズがフルサイズの半分なので、200mmの焦点距離はフルサイズの400mmと同じ画角となる。400mm手持ちで、これだけブレなく撮影できる技術の進歩に感動。
H30.06.20 大阪北部地震
休み明けの19日朝、大阪北部を震源とするマグニチュード6.1の地震が発生。高槻市が震源で震度6弱を記録した。

我が家は高槻市にあるのでモロである。朝、長男から地震が起きて大変なことになったとLINEで一報が入った。

すぐにネットニュースで調べると、大変なことになっていることがわかった。

私は単身赴任で、この春から福岡県に住んでいるため、家族の安否が全くわからない状況となった。

我が家も長男しかおらず、嫁さんは仕事に出かけた直後。嫁さんの安否も全くわからなかったが、30分ほどしてLINEに写真が送られてきた。

道路が大きく破損して、水が吹き出している写真であった。市バスで、高槻駅方向に向かっているときに被災し、途中でバスから降りて歩いている最中に撮影したものである。

これは大変だと思い、すぐにこの写真をツイート。この写真はインパクトがあったようで、1万以上のリツイートと、200万回以上の閲覧、そしてテレ朝のニュース番組でも取り上げられたのである。

家のほうの状況は、台所の扉が全て開き、食器が床に散乱。2Fの部屋は棚が変形し、いろいろなものが落下していた。

幸いにも建物地震は被害がなく、屋根の上にのっている太陽光パネルも無事であった。

私と嫁さんの両親、妹が同じ地域にに住んでいるため、安否の確認を行おうとしたが、携帯電話は規制が入って不通。LINE電話がつながったので、妹の安全を確認。両親が連絡つかないので、家に見に行ってもらうよう依頼した。

あるいて数分の場所に住んでいるので、すぐに安全確認でき、親とも話すことができて一安心。

嫁さんの両親はしばらくして電話がかかってきて安全を確認できた。

被害は我が家と、妹のところがひどかったようで、他はほぼ問題なしであった。我が家には、私の母親が片付けにやって来てくれて、割れたガラスなどを掃除してくれた。

嫁さんも今日は休みになったということで、午後には帰宅し片付け。

ライフラインは、停電がしばらくあったが、水、ガス共問題ないという話だったので安心していたが、程なくして水がでなくなった。

あわてて、近所に買いに行くもすでに売り切れで水は全く手に入らない。給水車が来ているという情報は入ったが、家から歩いて20分もかかる小学校なので、とても取りには行けない。

妹とLINEで話をしたら、妹のところは水出ているという話。歩いて3分くらいのところなので、水をもらいに。

夜には水も復旧し、とりあえずひと安心である。

しかし、余震がまだまだ強く、夜中には震度4も記録。数日間は安心できない状況である。

阪神淡路大震災も経験しているが、今回の地震はその時よりもはるかに強烈であった。震源がなんと我が家から800mと非常に近かったこと、直下型の地震であったことも理由の一つである。

阪神淡路大震災以降の耐力壁による耐震設計の我が家だったので、この大きさの地震でも建物被害が全く無かったのは良かったと思っている。

生きている間に、こんなに何度も地震に合うとは思ってなかった。長男は阪神淡路大震災のとき生まれてなかったので今回の地震はかなり怖かったようだ。

このまま、余震が収まって普段の平穏な日々が戻ってくることを願うばかりである。
H30.06.11 約2ケ月ぶりの更新^^;
決して死んでたわけではなく、新天地での生活が新鮮で、ホームページを更新する時間がなかったため。

週末はあちこち散策し、充実した日々を過ごしている。

これから夏に向けて、遊びに行くことも増えるだろうと思い、久しぶりにカメラを購入した。
左は以前から所有している、LUMIX DMC-G3。右が今回オークションで入手したOLYMPUS E-M5エリートブラックである。

ミラーレスだが一眼レフっぽい外観でLUMIXも気にいっていたが、廉価版のカメラなのでなんちゃって感満載である。

今回購入した E-M5は発売は2012年と古いが、高級機なので質感、内容とも十分満足できるものである。

レンズは全部実家にあるので、とりあえずSIGMAの30mmF2.8を装着。

電源を入れて、シャッター数がどのくらいかチェックしてみたところビックリ(@_@)
一番上がシャッター数なのだが、たったの860ショットである。ほぼ新品と思っても大丈夫な状態であった。

E-M5はグリップが小さめなのでちょっと持ちにくい。E-M1がほしかったが、2倍以上するのでハンドリングだけでも、E-M1っぽくするため、バッテリーグリップも追加購入。
おーーーー、めっちゃかっこいい。

このボディなら、重量級レンズを装着しても大丈夫そう。マイクロフォーサーズのマウントアダプターも一通り所有しているので、フィルム時代のレンズをつけて撮影してみたい。

実家から、レンズとマウントアダプタ持ってこないと。。。。
H30.04.19 テレビを買った〜
広島での単身赴任ではテレビがない生活をしていたが、九州転勤に合わせてテレビを購入した。
中国のHisenseというメーカ製で32インチ(HJ32K3121)のものを激安\26,000で購入。

激安だが3波ダブルチューナ内蔵で裏番組がUSB接続したHDDに録画できる。14年前に引っ越しに合わせて購入したビクターの32インチテレビより優れている(14万もしたのに。。。)

画質、音質、操作レスポンスなど全く問題なく激安品でも充分である。

液晶パネルは1920x1080のフルHDではなく、1366x768のものが使用されている。直下型LEDバックライトとIPS液晶で非常に見やすい。
パソコンをHDMI接続したときにどうなるか試してみたところ、1920x1080で接続できた。画質はアップコンバートされているので、ボヤッとしているが映像を見る分には問題なし。

残念なのはリモコン。あまり使いやすくなく、デザインも悪い。また、テレビしか操作できないので、HDDレコーダと併用しようとすると、リモコンが2個必要となる。

Hisenseのリモコンコードが使えるマルチリモコンは無いので、今回学習リモコンを購入してみた。
SONYのRM-PLZ430Dである。このリモコンにHisenseのリモコンコードをすべて学習させて無事使用できるようになった。

照明やエアコンもコントロールできるので、これ一台で全部まかなえて便利。

2018年4月20日追加
HUAWEIのスマートホン用アプリの”スマートコントローラ”でHisenseのテレビが操作できることを発見。
H30.04.16 4月になって約2週間
3月末で広島での単身赴任生活から開放され、大阪に戻るはずだった。















が、しか〜し










なぜか、九州に。。。。。(;_;)










大阪に帰るどころか、さらに遠く西へ転勤となってしまったのである。
今年の1月までは大阪に戻る予定で、プロジェクトがすすんでいたのだが、2月に突然の大幅組織変更。それに伴い、広島から九州へ急遽転勤となってしまったのである。

最初の広島転勤の時は唖然としてお先真っ暗となったが、今回はそんなに驚きもない。

単身赴任生活も3ケ月を過ぎたあたりからすっかり慣れてしまい、何の不自由もなくすごせるようになっていたのである。

広島も一通り観光したし、また新しいところで生活できるので、新たな発見もありそうで逆にワクワク。

会社命令には従わなくてはいけないのが会社員の宿命。しかし必要と言われての転勤なので光栄なことである。いらないからどっかに行ってって言われたわけではないので、うれしい転勤である。

新生活に関してのネタはまた追々書いていくことに。。。。

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