古い話で恐縮です。
当時大学生の私は、友人と二人で東北地方へ、1981年11月9日(月)から16日(月)にかけて、5泊8日(夜行車中で2泊)のドライブ旅行へ出かけました。
愛車のコロナで強行日程、神戸を夜に出発、運転を交代しながら走り続け、翌日夕方には蔵王温泉に到着し、そこで一泊、それから鳴子温泉で一泊、宮古で一泊、龍泉閣(龍泉洞前の旅館)で二泊し、蔵王、鳴子温泉、鬼首間欠泉、鬼首地熱発電所、遠野五百羅漢、滝観洞、龍泉洞、龍泉新洞、安家洞、安家渓流、陸中海岸各名所等を訪問、安家渓流沿いの地道ではタイヤのパンクもありました。
安家洞はその数年前に入洞済でしたが、再訪問予定だった今回は残念ながら冬季休業中、一方、初訪問の滝観洞で事件は起きました。
細い山道を延々と走って、国鉄上有住駅前に着いたのは午後2時半。
滝観洞はこの駅の下にありました。管理人を探しましたが、どこにもおらず、入洞料は後払いでいいだろうと思い、まず入洞しました。
洞内散策中、一度ゴォーという音がしましたが、真上を走る列車の音だったのでしょう、後に経験する阪神大震災の時の地鳴りのようでした。
この洞穴は、鍾乳石や石灰華等の二次生成物については目立つものが少ないのですが、観光ルートの折り返し地点に洞内瀑布があり、水音は洞内に響き渡って、結構な迫力でした。
この滝だな、国鉄住吉駅(神戸の自宅の最寄り駅)に貼ってある滝観洞のポスターの写真は、と納得です。
この鍾乳洞は駅のすぐ近くにあるからでしょう、当時の国鉄各駅に広告のポスターが貼ってありました。
さて、滝を撮影をしたり鑑賞していたその時、突然明かりが消えました。
完全な暗闇です。何が起こったのか呆然でしたが、戻ってきた管理人が入洞者なしと読んで消灯して帰ったのだ、とすぐに想像がつきました。
どうしよう、最悪ここで一泊するか、旅館では心配するだろうな、真っ暗な中で友人と相談です。
入洞時にはいつも携帯していた、単一電池6個入りの大型懐中電灯も、この時に限ってコロナに残して来ました。
消灯後しばらくするとコウモリの気配がし始め、すぐ近くで羽音がします。
イエコウモリとキクガシラコウモリ以外には、野生のコウモリを見たことがなかったので、こんな状況下ですが、何コウモリかな?と思ったり。
しばらくすると人声が近づいてきました。一組の家族連れの人が私達のすぐ後に入洞していたのです。
かれらはライターの明かりで最奥部の滝まで何とかやって来たのでした。
“あれっ、出口じゃないの?” そう、滝観洞は“貫通型”の洞穴ではなくて、“折り返し型”です。
何とかしなければ。 そこで、近くにあった“岩屋観音”(たしかこんな名前でしたか)の説明板を外し、持っていたチリ紙をその板の上で燃やすことを思いつきました。
実際にやってみると、暗順応した眼にはチリ紙の炎はまぶしいくらいで、あたりが明るく照らし出されます。
この手製ランタンのすぐ近くまでコウモリが飛んできて、風圧で火が消えるという、アクシデントもありました。
チリ紙が燃え続けるのは10秒足らず、その間に5人揃って早足で前進します。
消えたら次のチリ紙に点火、その繰り返しで、行きは30分ほどで来た道を帰りは倍以上かかったでしょう、やっとのことで洞口にたどり着きました。
鉄格子は施錠されておらず、地上に出ることが出来ました。
時刻は、まだ午後4時過ぎでしたが、晩秋の山間でもあり、日はすでに山影に
入って、景色はすっかり夕暮れです。私たち5人は怒りに燃えて管理人を探し回り
ましたが、来た時同様、人の気配はありません。やむなく旅館に向かいましたが、
明朝に管理人は洞口にある焦げたプレートを見て事件を察してくれたでしょうか。
この事件に関して、私たちの反省点
・決して無断で観光洞に入ってはならない。 もし管理人が不在なら、メモを残しておく等、“入洞中”を知らせる。
・必ず自前の照明を持参する、小さなペンライトでも無いより良い。 今回のような事故でなくても停電は起こりうるのだから。
管理者側の反省点
・自分で決めた営業時間内はしっかり営業する。
・洞口の切符売り場をみだりに留守にしない。
・入洞者がいないことを確認するまで決して消灯しない。
・洞内に非常時用の照明器具を設置しておく。
以上、教訓いっぱいの滝観洞消灯事件簿です。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
添付写真は、この1981年11月に撮影した、入り口付近の看板、洞内滝、洞内水流、上有住(かみありす)駅舎です。
写っている車は、奥のコロナが私の愛車、神戸からはるばる走って来ました。
[2018.2.4 太田さんより]
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