|
・第二次世界大戦占領地区で発行されたドイツの葉書 データ一覧こちらでは、第二次世界大戦直前の1938年から1945年まで、ドイツが各地で発行した葉書を中心に、年代順に紹介します。1938年 ・オーストリー1938年3月13日にドイツへ併合後、4月1日からドイツの通貨が流通し始め、4月4日からドイツの切手と葉書が使用されました。10月末までオーストリーの葉書、オーストリーの葉書の印面に鉄十字とドイツ通貨を加刷したもの、ドイツの葉書が混用され、多彩な使用例が存在します。オーストリーでの葉書料金 3月13日〜4月3日(オーストリー葉書使用時期)
4月4日〜7月31日(オーストリー・ドイツ葉書混用時期。ドイツ国内の料金を適用)
8月1日〜10月31日(オーストリー・ドイツ葉書混用時期。一部料金値下げ)
11月1日〜(ドイツ葉書使用時期。オーストリー通貨使用禁止)
・ズデーテン地方チェコスロバキアのドイツ人居住地域であるズデーテン地方は、1938年10月1日から7日にかけて、協定に定められた4つの地域にドイツ軍が進軍していますが、これに合わせて、チェコスロバキア葉書への鉄十字加刷が発行されました。・カールスバート:8種類 ・ライヒェンベルク=マッフェルスドルフ:6種類以上 ・ルムベルク:12種類以上 1939年 ・ボヘミア・モラビア1939年3月15日にドイツの保護領になってから11月30日までは、チェコスロバキアの葉書が郵便局で販売されましたが、1939年8月上旬から保護領専用の菩提樹図案の葉書が発行され、徐々にこちらの葉書に切り替えられていきました。(その後、チェコスロバキアの葉書は1940年5月19日から使用禁止になります。)菩提樹図案の葉書は1941年まで13種類発行され、1942年から1944年にかけて総統図案の葉書が5種類発行されました。全部で18種類ありますが、絵入り葉書の図案違いを入れると、29種類になります。 ・ポーランド1939年9月1日ドイツのポーランド侵攻後、ポーランドではドイツ国内の葉書も使用されていましたが、1939年12月からドイツの葉書への加刷が2種類、1940年2月からポーランド葉書への加刷が5種類、10月から建造物図案の葉書が5種類、1944年から総統図案の葉書が1種類発行されました。全部で13種類の葉書があります。(加刷葉書に、台葉書の違いなどにより多くのバラエティがありますが、ここでは省略します。)なお、ポーランド葉書の印面が抹消され、葉書の台紙として使用された例もあります。1940年 ・ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ダンケルクこれら占領地区での葉書の発行はありません。・チャンネル諸島(チャネル)1940年6月のドイツ軍による占領後、ジョージ6世図案の1ペニー葉書に1ペニー分の切手を貼った使用例が知られています。(葉書料金は2ペンス)・アルザス1940年6月22日ドイツとフランスとの休戦協定締結後、アルザス(ドイツ名はエルザス)地方では、8月15日からヒンデンブルク図案葉書への加刷葉書が発行されました。全部で5種類の葉書があります。(切手の日葉書の絵の違いを入れると19種類あります。)フランス切手が8月17日まで有効だったので、混用があります。1941年7月15日からは、ドイツ本国の切手と葉書、およびロレーヌ加刷、ルクセンブルク加刷の切手と葉書が使用され、1942年1月1日からはドイツ本国の切手と葉書のみが使用されました。・ロレーヌ同じくロレーヌ(ドイツ名はロートリンゲン)地方では、1940年8月21日からヒンデンブルク図案葉書への加刷葉書が発行されました。全部で5種類の葉書があります。(切手の日葉書の絵の違いを入れると19種類あります。)フランス切手が8月25日まで有効だったので、混用があります。1941年7月15日からは、ドイツ本国の切手と葉書、およびアルザス加刷、ルクセンブルク加刷の切手と葉書が使用され、1942年1月1日からはドイツ本国の切手と葉書のみが使用されました。・ルクセンブルク1940年10月1日から、ヒンデンブルク図案葉書への加刷葉書が発行されました。ルクセンブルクの切手は9月末まで有効であったため混用は本来ありませんが、混乱からか、10月2日まで混用された例があります。その後、ドイツの葉書へ加刷したものが6種類、ルクセンブルク葉書へ加刷したものが3種類発行されました。1941年4月1日からは、ドイツ本国の切手と葉書、およびアルザス加刷、ロレーヌ加刷の切手と葉書が使用され、1942年1月1日からはドイツ本国の切手と葉書のみが使用されました。1941年 ・セルビア1941年3月ドイツ軍の侵攻後、6月から1942年にかけてユーゴスラビアの葉書へ加刷したものが4種類が発行されました。その後1943年から1944年にかけて人物図案の葉書が2種類発行されました。・ソビエト各地1941年6月22日ドイツ軍のソビエトへ侵攻後、7月頃から、エストニア、ラトビア、プスコフ、アレクサンドロフカなどでソビエトの葉書に加刷したものが発行されています。(エストニアは4種類、ラトビアは2種類、プスコフは14種類以上、アレクサンドロフカは12月に8種類。)エストニアやアレクサンドロフカの加刷葉書は、第二次世界大戦占領地区の葉書の中で最難関の一つです。・東部地区(OSTLAND)1941年11月から、エストニア、リトアニア、ラトビア、白ロシアの地域で、総統図案葉書への加刷葉書が発行されました。全部で3種類の葉書があります。加刷の文字は、これらの地域の総称である「OSTLAND」です。・ウクライナ1941年11月から、ウクライナの地域で、総統図案葉書への加刷葉書が発行されました。全部で4種類の葉書があります。このうち、6ペニヒ往復葉書が難関です。(使用済は現存3点程度と言われています。)・ベルギーブリュッセルの航空分遣隊に従事するベルギーまたはオランダの労働者用にヒンデンブルク図案の専用往復葉書が発行されました。体裁は黒枠葉書ですが、色がワインレッドのため、そのようには見えません。1944年にこの残りを裁断して加刷し、普通葉書としたものがドイツ国内で発行されました。1943年 ・アルバニア1943年9月頃、アルバニア葉書への加刷葉書が発行されました。全部で6種類の葉書があります。市場では、未使用と、記念押印と思われる使用済が見られます。・ザラ1943年9月と11月にザラ(現在クロアチアのザダル)では、イタリアの葉書に加刷したものが計2種類発行されました。使用済は、第二次世界大戦占領地区の葉書の中で最難関の一つです。・モンテネグロ1943年11月頃、モンテネグロでユーゴスラビア葉書への加刷葉書が1種類発行されました。しかし、現在市場にある物は未使用のみで、使用済は確認されていません。・ロードス島1943年から44年にかけて4種類(そのうち3種類は往復葉書)の葉書が発行されました。図案は鹿とハイビスカスの2つの紋章です。1944年 ・コトル(モンテネグロ)1944年1月、イタリア葉書への加刷葉書が2種類発行されました。しかし、現在市場にある物は未使用のみで、使用済は確認されていません。・リュブリャナ(スロベニア)1944年1月、イタリア葉書への加刷葉書が発行されました。全部で6種類の葉書があります。1945年 ・クールランドクールランドは、ラトビアのバルト海沿岸、エストニアのリガ湾、フィンランド湾周辺地域を指します。この地域では1945年1月、軍事郵便葉書に似た葉書が1種類(プロパガンダの種類で分けると2種類)発行されました。未使用のみ知られています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright © S.Stein 1997-2022 |