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ザールラント Saarland Saar
通貨単位: |
1935年3月1日から
1947年11月19日まで |
1Reichsmark(ライヒスマルク)=100Pfennig
1Saarmark(ザールマルク)=100Pfennig 1947年11月のみ |
1947年11月20日から
1959年7月5日まで |
1Franc(フラン)=100Centimes(サンチーム) |
[概説]
第二次世界大戦後、フランス占領地区と呼ばれる地域の一つにザールが含まれていました。このフランス占領地区では、残品処理のように旧葉書に加刷をして大量に使用しましたが、1946年8月からしばらくは新しい葉書を発行しませんでした。新図案で葉書が発行されたのは1949年からで、ザールも同じ時期に発行を開始しています。
ザールは、フランスにとって歴史的に見てドイツとの紛争の種であり、今度こそドイツから奪い返そうとして、1946年には早くもドイツのフランス占領地区の中から分離された地区として宣言しました。その後、ドイツからの分離を世界に認めさせようと画策を続けますが、連合軍であるアメリカ・イギリス側はそれを認めず、1956年にザールラントが西ドイツへの早期編入を求めたことからこれを断念。1957年1月1日には西ドイツの1つの州として編入されました。
葉書の料金から見ると、1955年7月14日(木)まではザールとフランスが同一料金(12フラン)で、ドイツが外国宛の料金(15フラン、後に18フラン)でした。ここからも、フランスがザールをドイツから切り離したい意図が伺えます。しかし、7月15日からドイツがザール・フランスと同一料金になると、今度は1957年7月8日(月)からフランスが特別料金として15フラン(当時の外国宛は18フランなので間をとった料金)、1959年1月13日(火)からは20フラン(他の外国宛も20フラン)になり、フランスがザールから見て外国の料金になりました。
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