ザール Saar Saar
通貨単位: |
1921年4月30日まで |
1Mark(マルク)=100Pfennig(ペニヒ) |
1921年5月1日から
1935年2月28日まで |
1Franc(フラン)=100Centimes(サンチーム) |
1935年3月1日から
1947年11月19日まで |
1Reichsmark(ライヒスマルク)=100Pfennig
1Saarmark(ザールマルク)=100Pfennig 1947年11月のみ |
1947年11月20日から
1959年7月5日まで |
1Franc(フラン)=100Centimes(サンチーム) |
1959年7月6日から |
1Deutsche Mark(ドイツマルク)=100Pfennig(ペニヒ) |
[概説]
ザールの歴史は古く、すでに紀元前1世紀にはローマ帝国に編入されていました。この地方はフランスの統治と放棄が繰り返され、1815年からはドイツ(当時はプロイセン)のラインラント地方の一部になりました。第一次世界大戦後、ベルサイユ条約に基づき、ドイツのフランス鉱山破壊の賠償として1919年から15年間、ザール地方の鉱山をフランスが独占使用することが認められましたが、これは、フランスによるザール地方の事実上の占領と言えます。期限切れ後の1935年1月13日(日)に行われた住民投票の結果、90.5%の賛成を持ってザール地方は再びドイツに帰属が決定しました。第二次世界大戦後はフランス占領地区となりましたが、ザールを分離国家にするフランスの意図に反して、1957年1月1日(火)に西ドイツの一州として編入されました。しかし、すぐに西ドイツの切手や葉書を導入したわけではなく、1959年7月5日(日)まで西ドイツと同じ図案で異なる通貨単位(Franc
フラン)の切手と葉書を発行しました。これらを発行した州都ザールブリュッケンの逓信局の発行時期を含めて、「ザール」として扱われます。
[ザール地区で発行された葉書の解説]
ザールの葉書は、切手の場合と同じく、大きく次の3つの時代で分類します。下記の文字、または画像をクリックすると、各時代の葉書の解説ページへジャンプします。
消印に標語や広告がある場合や、プライバシーに関わる書き込みがある場合は、それらを画像から削除しています。
トップページに戻ります。
|