目 次
ドイツ・ステーツ
ドイツ 1872
ドイツ 1873-1932
ドイツ 1933-1944
ドイツ在外局
 概説
  在トルコ局
  在中国局
  在モロッコ局
ドイツ植民地
ドイツ海軍艦船郵便
第一次世界大戦占領地区
ベルギー軍占領地区
ドイツ住民投票地区
ダンチヒ
メーメル
ザール
第二次世界大戦占領地区
地方発行
連合軍占領地区
西ドイツ
ベルリン
東ドイツ
統一後のドイツ

[ワンポイント]

在中国局 Deutsche Post in China German Post Offices in China

 1886年8月16日(月)、ドイツは中国の上海(シャンハイ)に最初の郵便局を開設しました。郵便局とはいっても領事館の中に置かれた郵便取扱所のようなもので、16日の開局も受付を始めただけで、実際に郵便印を押したのは28日(土)が最初です。これは、17日に上海に寄港した郵便船Oder(オーデル)号が29日に出航するため、それに積み込む郵便物にまとめて押印したからと思われます。

[郵便局の開設]

 中国では、以下の郵便局が開設されました。

開 局 日 局  名
1886年8月16日 上海(以下ドイツ語表記 Shanghai、1905年からSchanghai)(押印は8月28日から)
1889年10月1日 天津(Tientsin)(押印は1893年4月1日から)
1892年6月1日 芝罘(Tschifu、現 煙台)(押印は1900年1月1日から)
1900年4月1日 漢口(Hankau、現 武漢)
1900年6月18日 福州(Futschau)
1900年9月11日 北京(Peking)
1900年11月1日 塘沽(Tongku)
1901年9月1日 山海関(Shanhaikuan、1902年からSchanhaikwan)
1901年10月28日 鎮江(Tschinkiang)
1901年12月1日 秦皇島(Chinwangtao、1902年からTschinwangtau)
1901年12月14日 丈嶺(Tschiangling)
1902年3月22日 南龍(Nanliu)
1902年6月1日 ●(さんずいに維)坊(Weihsien)
1902年6月2日 広東(Canton、1913年からKanton)
1902年6月12日 廈門(Amoy、1913年からAmoi)
1903年1月1日 南京(Nanking)
1903年2月21日 宜昌(Itschang)
1903年6月15日 青州(Tschingtschoufu)
1903年11月15日 周村(Tschoutsun)
1904年4月1日 済南(Tsinanfu) (3月16日とする文献あり)
1904年5月17日 汕頭(Swatau)


1)数字・鷲図案無加刷葉書(フォアランナー)

ドイツ・外信用10ペニヒ葉書

 最初は本国の数字・鷲図案葉書がそのまま使用されましたので、消印以外は区別が付きません。上の写真は、1897年7月2日に上海局で使用された例です。


2)数字・鷲図案China加刷葉書

ドイツ・外信用10ペニヒChina加刷葉書

 数字・鷲図案China加刷葉書は1898年から発行され、8種類あります。昔からカタログではChinaの文字の傾きに2種類あって、合計16種類あるように採録されていますが、これは単純に切手の分類にあわせたもので、実際はこう簡単には分類できません。

 その理由は、機械を使ったとはいえ、裁断された葉書の1枚1枚に手作業で加刷したので、加刷文字の角度が正確に反映されなかったためです。集めてみるとわかりますが、かなりばらつきがあり、中間的なものもあり迷います。よって、葉書の加刷を切手と同じく2種類に分類することは、類似的なものでまとめることはできますが、一方であまり意味がないとも感じられます。

 上の写真は、10ペニヒChina加刷葉書で、いわゆる45度加刷のものです。

中国用5ペニヒChina加刷往復葉書返信部

 上の写真は、5ペニヒChina加刷往復葉書の返信部で、いわゆる56度加刷のものです。消印は天津にあった在中国日本局の消印(紫印)で、1902年11月10日のものです。葉書の文面によると、「この返信部を日本の天津局からドイツ宛に送ろうとしたところ、日本の役人(局員)が『万国郵便連合葉書ではない』という理由で引き受けを断られたので、仕方なく、記念押印だけして封書でこれを送る」と書かれており、収集家が記念押印したものであることがわかります。

 往復葉書の返信であり、(写真ではカットされていますが)宛名も書かれていますので、本当に日本の天津局から送ろうとしたのでしょう。しかし、5ペニヒ葉書は宛先が中国国内用なので、日本の局員の説明は正しく、断られても仕方ありません。日本の切手を買って貼れば別だったのでしょうが。100年以上も前の収集家が、何とかこれを送ろうと日本の郵便局員相手に身振り手振りで説明している姿が目に浮かびます。消印が上下逆に押されているのは、あまりにうるさい外国人(ドイツ人)に腹を立てた日本人局員が、これでどうだと逆さに押したのでしょうか。


3)ゲルマニア図案China加刷葉書

中国用5ペニヒChina加刷

 ゲルマニア図案China加刷葉書は1900年から発行され、手押し加刷が1種類、機械加刷が5種類あります。手押し加刷の葉書は、義和団事件の際に臨時で発行されたもので、通常、「China加刷」という場合は後者を指します。

 上の写真は、5ペニヒChina加刷葉書の汕頭(スワトウ)局の使用例で、消印は1905年10月19日のものです。左側に同じ加刷の5ペニヒ切手が貼られています。

中国用5ペニヒChina加刷葉書

 上の写真は、同じく5ペニヒChina加刷葉書の芝罘(チーフー、現 煙台 イエンタイ)局の使用例で、消印は1902年9月29日のものです。左側に同じ加刷の3ペニヒ切手が貼られていますが、写真でカットした部分にもう1枚3ペニヒ切手が貼られていて、ドイツ宛にしています。ドイツ宛は10ペニヒなので、1ペニヒ過剰です。


4)ゲルマニア図案Cent(セント)加刷葉書

中国用2セント加刷葉書

ドイツ・外信用4セント加刷葉書

 ゲルマニア図案Cent(セント)加刷葉書は1905年から発行され、不発行を含めて7種類あります。実際は通貨単位であるCentよりも大きくChinaの文字が入った加刷ですが、前のシリーズと区別するためにCent加刷と呼ばれることが多いようです。

 上の写真は、2セント加刷葉書に2セント切手を貼った使用例と、4セント加刷葉書の使用例です。どちらも上海局の消印が押されています。

中国・ドイツ用2セント加刷葉書

 上の写真は、縦罫線入り2セント加刷葉書の上海局の使用例で、、消印は1914年2月11日のものです。葉書の上に手書きで「シベリア経由ドイツ宛」と書かれていますが、当時は船よりも速いシベリア鉄道での輸送が行われていましたので、このような配達方法の指定が記入されました。


[ワンポイント]
 数字・鷲図案China加刷葉書からゲルマニア図案China加刷にかけて、ちょうど義和団事件勃発の時期でもあり、興味ある使用例をよく見かけます。ゲルマニア図案葉書のChina手押し加刷は偽物が多く、本物であってもフィラテリックなものばかりで、正規に使われたものは大変貴重です。

 ゲルマニア図案Cent加刷葉書は、1908年7月1日(水)からドイツ宛が国内料金になっているので、使用例に注意してください。中国局に限らず植民地も含めてそうですが、収集家が料金に関係なくドイツ本国宛の使用例をたくさん作成しているので、正規の使用例にこだわる場合は使用時期と料金に注目する必要があります。

 なお、第一次世界大戦中も、途中までアメリカ等の中立国経由でドイツに郵便が送られました。このあたりの使用例は数も少なく希少です。

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