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毎日新聞 2002年11月1日
大阪市住之江区の社会体育団体「住之江区体育厚生協会」が3日、阪神大震災被災地のモニュメントを巡るスタンプラリーを実施する。「8年目の被災地を肌で知ろう」と企画した。震災を語り継ぐNPO法人で、仲介役をした「阪神淡路大震災1.17『希望の灯り』」のメンバーは、「モニュメントのこんな利用は初めてだが、被災地外の人が震災に関心を持ってくれるのはうれしい」と話している。

協会は大阪市の委嘱を受け区民体育大会などを定期開催。4年前から近畿の名所巡りのスタンプラリーを開いてきた。今年はレクリエーションに終わらせず、「被災地が今どんな状況なのかを、じかに見たい」と声が上がり、点在する慰霊碑やモニュメントを巡る事にした。同区内では震災直後、大阪南港の施設が避難所として開放され、住民らが炊き出し支援をした。

今回、巡るのは、神戸市中央区の生田神社や、相楽園、神戸港の被災状況を保存している震災メモリアルパークなど6か所で、約10キロの行程。「希望の灯り」のメンバーが同行してモニュメントの説明をする。
毎日新聞 2001年6月18日
01年6月17日集合写真阪神大震災の慰霊碑などを訪ねる第14回「震災モニュメント交流ウオーク」が17日、明石市から初めて淡路島に渡るルートであり、約100人が参加した。妻が明石出身で縁の深いプロレスラー・故ジャイアント馬場さんが明石公園に建立した詩碑▽明石銀座商店街の「偲(しの)ぶ碑」▽野島断層を保存した北淡町震災記念公園を訪問した。

詩碑は、馬場さんの身長と同じ高さ2メートル9センチ。神戸市長田区の詩人、安水稔和さんの詩「これは」が綴られている。「偲ぶ碑」は市高年クラブ連合会が寄贈。震災当時の写真や新聞記事を収めたタイムカプセルがあり、45年に開封される。

明石市の河合敏子さん(72)は孫の旺暢君(9)と参加。「小さかった旺暢を自転車のかごに乗せて、仮設住宅へ移った日が忘れられません。そろそろ震災の意味を教えようと連れてきました」と、熱心に説明していた。

西宮市の切畑輝子さん(61)は「ここには、震災の体験を次世代に伝えようとの共通した思いがあるのがいい。地震そのものの野島断層は見たくなかったけど、みんなと一緒だから」と話し、震災によるけがで不自由になった左足を踏みしめながら歩いた。
神戸新聞 2001年1月17日

阪神・淡路大震災の被災地に、鎮魂と希望を込めてともり続ける「1・17希望の灯(あか)り」。その火を受け継ぎ、各地へと届ける人の列が16日、灯りのある神戸・三宮の東遊園地に続いた。昨年、遺族らが震災6年の思いを込め、手を携えてともした灯り。今年、その火を市民に届ける側に2人の女性がいた。ともに長男を亡くした神戸市東灘区の藤本東美子さん(56)、豊岡市の足立朝子さん(64)。寒風の中で、2人は息子のセーターに身を包み、灯りにのせた「心」を手渡した。きょう17日、震災から6年を迎える。

 午後2時。各地で追悼行事を開く市民ら24人が集まり、「分灯式」が始まった。

 2人もその輪の中にいた。昨年1月17日、ともにこの「希望の灯り」に、最初の火をともした。灯りを提案したボランティア団体「がんばろう!!神戸」の堀内正美代表(50)との出会いが、互いを結びつけた。

 昨年、藤本さんの心はまだ沈んでいた。震災4年までは、自宅で静かに迎えた17日の朝。5度目の震災忌、勇気を出して他の遺族やボランティアの中に飛び込んでいった。

 自分と同じように子供を失った遺族との出会い。数カ月に1度、被災地の慰霊碑を訪ね歩く行事にも参加し、交流は広がった。

 今年の1月14日、7回忌法要で、亡くなった長男・直人さん=当時(23)=の親友に言われた一言がうれしかった。 「お母さんが頑張ってるの分かってるから、ナオもきっと喜んでるよ」 この一年の自分の心の変化を、じっと見つめてくれていたことに感謝した。

 足立さんもまた、遺族との出会いで癒(いや)されてきた。被災地から離れた豊岡。「いつまで震災のことを」という周囲の空気を敏感に感じる。が、神戸に来て「灯り」を見ると心が温かくなる。「自分が励まされ、助けられたぶん、できることでお返ししたい」。そう思い続けてきた。

 昨年点灯式に参加した遺族らは月1回、「希望の灯り」の清掃を続けてきた。昨年末も、2人はガス灯のすすをぬぐい、ガラスをふき、周囲の石を磨いた。

 そして迎えたこの日。2人は、被災地に立つ慰霊碑の地図「震災モニュメントマップ」を、笑顔で一人ひとりに手渡していった。

 「こんなにたくさんの人が来てくれてうれしい」と藤本さん。「震災が忘れられることが一番つらい。体が続く限り、自分も毎年ここに来たい」と足立さん。

 遺族と被災地の心を結びつけた「灯り」の前で、2人はともに17日の夜明けを迎える。

神戸新聞 2001年1月16日

 「1・17」を前に、神戸にともる「希望の灯り」の分灯が16日朝始まった。昨年、阪神・淡路大震災の犠牲者への祈りを込め、被災地だけでなく全国から集まってきた「灯り」。今年は、小さなランタンに収められ、各地域で執り行われる鎮魂の集いへと広がる。17日、被災地は7回忌を迎える。ほのかな火がさまざまな場所で、人々の心にそっと寄り添う。

神戸市中央区の東遊園地に灯りはともり続ける。「あなたの地域でも『希望の灯り』をともしませんか」。市民でつくる実行委員会の呼び掛けに、多くの賛同が寄せられた。地域はもちろん、仲間、家族、個人。祈りの火を求めて、人々はやって来た。

この日朝、富山県の五箇山(ごかやま)から50トンの雪が届いた。同県小矢部市のボランティア「小矢部市民の会」のメンバー18人が、11時間かけて運び込んだ。さっそく雪地蔵の制作が始まった。子どもたちに楽しんでもらおうと、滑り台やかまくらもつくる。

 「市民の会」代表の辻義夫さん(52)は「北陸の地から参加し続けることで、震災の記憶を地元に語り継いでいきたい」。帰路、灯りを携える。

 分灯一番乗りは、神戸市東灘区の「命の碑を守る会」の山縣雅巳さん(27)。同会は地元でろうそくを使って「命」の文字をつくる。「1年前、火とともにここまで歩いたことを思い出す。全国の人の気持ちのこもった灯り。その思いを命という字に託す」と山縣さん。

 あす17日、小さな灯りが各地でともる。

毎日新聞 2001年1月16日
阪神大震災で被災した市民や遺族らの思いをつなぎ、昨年1月17日、神戸市中央区の公園「東遊園地」に点灯された震災モニュメント「1・17希望の灯り」の炎を取り分ける分灯が16日午前、始まった。

被災各地から集められた灯りを再び地域に持ち帰り、犠牲者を追悼する初めての試みで市民団体が実行委員会を組織して実施。分灯は夜まで続き、17日には大阪、京都なども含めた約60か所で慰霊の灯りがともる。

「希望の灯り」は、被災者や遺族、全国のボランティアらが持ち寄った灯りを一つに集めたガス灯で昼夜ともり続けている。

この灯、同市東灘区の自宅近くの公園にランタンで明かりを持ち帰った運送業、山縣雅巳さん(27)も1年前に灯りを届けた1人。一時は24世帯128人が避難したこの公園で約半年間、初代自治会長を務めた。
⇒この公園は中野南公園のことです。
元住民らと1996年春、公園に慰霊碑「命」を建立。17日には、碑の前に「命」の形に並べた300本のろうそくに分灯した灯りをつけ、午前5時46分に犠牲者に黙とうをささげる。

山縣さんは「この灯りを使うことで、すべての被災者と思いを共有できる」と話した。
毎日新聞 2001年1月10日
震災7回忌 鎮魂の巡礼

阪神大震災の犠牲者を慰霊しようと、高野山真言宗青年教師会(藤原栄善会長)の約30人が10日朝、被災地に向けて和歌山県高野町を出発した。15日に神戸市や淡路島などの被災地に建てられた震災モニュメント120か所を巡る。

震災では同宗の青年僧らもボランティアとして全国から被災地に駆けつけた。7回忌の今年、震災モニュメントを巡礼、犠牲者の供養をすることになった。

この日午前8時から、高野山奥の院・燈篭堂で、1000年の間灯しつづけている「貧女の一燈」で採火した後、藤原会長らが徒歩で出発。沿道の青年僧らがリレーし、神戸市の同宗寺院まで約100キロを3日がかりで運ぶ。

15日午前8時、全国の青年僧約150人や一般参加者らが同市中央区加納町にある震災モニュメントの一つ「希望の灯り」に集合。犠牲者の冥福を祈った後、12班に分かれてモニュメントを巡礼する。
神戸新聞、毎日新聞 2000年11月20日

<神戸新聞>
阪神・淡路大震災の慰霊碑などを訪ね歩く「震災モニュメント交流ウオーク」が十九日、神戸市兵庫区内で開かれ、県内外からの参加者約百五十人が被災地に残る震災の傷跡をたどった。被災地に立つモニュメントは約百六十カ所に増え、来年一月十七日には、その場所を網羅した地図も発行される。

市民団体「震災モニュメントマップ作成委員会」の主催。空襲と震災をくぐり抜けた大輪田橋の石柱が保存されている薬仙寺、地震で折れた鳥居の一部が残る御崎八幡神社、慰霊碑が立つ久遠寺など八カ所を訪ねた。

薬仙寺では、空襲で焼けこげ、震災で壊れた石柱のモニュメントに、参加者が花を手向けた。初めて参加した同市須磨区の会社員安田仁子さん(45)は「今まで自分の住む地域以外を巡る機会がなかった。歩いてみると、あらためて多くの犠牲者が出たことが胸に迫ってきた」という。

久遠寺の慰霊碑には、近くに住む自営業松浦潔さん(47)の長男誠君=当時(16)=の名が刻まれている。松浦さんは散歩の途中、毎日のように同寺に立ち寄るという。  「これほど大勢の人と一緒に来るのは初めて。何年たっても、ここに慰霊碑があるということを多くの人に忘れずにいてほしい」と話した。

<毎日新聞>
阪神大震災の被災地に建つ慰霊碑を巡る「震災モニュメント交流ウオーク」(震災モニュメントマップ作成委員会主催)が19日、神戸市兵庫区であった。遺族など約150人が同区内の神社や寺など8カ所を歩き、慰霊碑に花を手向けた。今回は約60人が初参加し、震災で受けた苦しみや悲しみを語り合った。

25人の犠牲者を鎮魂する慰霊碑がある久遠寺(同区門口町4)。大石博子さん(51)=同区三川口町2=は一番遅くまで残り、慰霊碑に花を供え、水を取り換えた。二女朝美さん(当時16歳)は震災で亡くなり、墓も同寺にある。

大石さんがウオークに参加するのは3回目。昨年、初参加した時、初めて自分から娘を亡くした悲しみを他人に語った。「それまでは、なんでうちだけこんなことに、と泣いてばかりでした。今でも17日と聞くと涙が出ますが、前向きに生活していこうという気持ちが強くなりました」と振り返る。

次回は震災丸6年の来年1月17日。問い合わせは同マップ作成委(078・595・1500)。

史跡や文化財の多い神戸市兵庫区南部で19日、約150人が8カ所にある阪神大震災の慰霊碑を巡った「震災モニュメント交流ウオーク」。由緒ある寺社仏閣の敷地内に設立された慰霊碑が多く、「語り部」として参加した神戸深江生活文化史料館の研究員、道谷卓さんが解説した、幾度もの戦火や震災を乗り越えて慰霊碑が設立されるまでの歴史に、参加者は熱心に耳を傾けた。

鳥居に「復興奉納」などの文字を刻んでいる同区和田宮通3の三石神社で、道谷さんは「約400年前にこの地で大地震があったことは知っていたが、まさか、自分が生きている間に再び起こるとは思っていなかった。歴史を教訓にして、震災に備えよう」と呼び掛けた。

震災モニュメントをテーマに卒論を書こうと、初参加した大阪府大東市、大阪産業大4年、中村好伸さん(21)は「実家は神戸市灘区にあり、震災では家が全壊、友人2人が亡くなった。ウオークは多くの人が熱心に参加していて驚いた。しかし年配の人が多いので、若者がもっと参加しなければ、と思った」と話した。  

今回は約60人が初参加。ウオーク後の交流会では、震災で家がつぶれた経験などを互いに話し合い、「今後も参加したい」という声が相次いだ。

毎日新聞
今年1月17日、被災者や全国のボランティアがそれぞれの思いを込めて持ち寄った灯(あか)りを一つにして、神戸市中央区の東遊園地内に 震災モニュメント「1・17希望の灯り」がともった。ちょうど1年後の来年1月17日、今度はこの「希望の灯り」の火を全国に届けようという計画がスタートする。

震災での支援に感謝し、新しい神戸の姿を全国に伝える試みで、市民ら約60人が「感謝のランナー」となり、約90日かけて計約6500キロをリレーして被災地から全国に火を届ける。  

震災で校舎の一部が壊れるなどの被害を受けた甲南大(神戸市東灘区)の陸上部からは、3人がランナーとして参加する。2年生の北茂人さん(20)=兵庫県西宮市=もその1人。

長距離ランナーの北さんは、部内で感謝のランナー募集の話が出た時、「ぜひ走らせてほしい」と名乗り出た。
震災時、北さんの実家は倒壊はしなかったものの、電気、ガス、水道が止まり、約1カ月間、不自由な生活を強いられた。この時、地域やボランティアの人たちに助けてもらったという思いから、「元気に走る姿で恩返ししたい」と手を挙げたのだ。

陸上部として感謝のランナー参加を決めたのは横部弘監督(44)だった。横部監督には、二人三脚で陸上部を指導してくれ、今年7月に43歳で急死したコーチの門前守さんへの思いがあった。

門前さんは会社勤めの傍ら、「感謝の手紙」の構成団体の一つ「がんばろう!神戸」設立に参加、被災地復興に懸命に取り組んでいた。 横部監督は「彼の思いを受け継ぎたいと思い、参加を申し出た。部員たちには、神戸の元気のよさが伝わる走りをしてほしい」と話している。

◇感謝のランナー 来年1月17日午後5時46分に採火し、神戸市中央区のメリケンパークで、市民ランナーに引き継ぐ。ランナーは同市内在住・在勤・在学の18歳以上の男女約60人。3人が1チームとなり、1時間約10キロのペースで1日約60キロを6日間走り、次のチームにリレーしていく。神戸から四国、九州へと南下し、沖縄で折り返して北海道まで北上し、4月中旬に神戸に戻る予定。
神戸新聞2000年9月17日
鎮魂の思い新た 遺族ら「震災モニュメント」訪ね 県内外の100人参加
震災ウオーク9月の写真阪神・淡路大震災の被災地に立つ慰霊碑などを訪ね歩く「震災モニュメントウオーク」が16日、神戸市灘区で開かれ、県内外から約100人が参加した。震災から5年8カ月。遺族らはモニュメントを前にそれぞれの思いを語った。

 市民団体の「震災モニュメントマップ作成委員会」が企画し昨年4月から続けている。8回目を迎えた今回は、39人の学生が犠牲になった神戸大の鎮魂碑、石屋川公園に植樹されたサクラなど、4カ所を訪ねた。
 
 神戸大では、亡くなった学生と教職員の名前が刻まれた銅板に、参加者が花を手向けた=写真は神戸大学で。法学部の大学院生だった工藤純さん(当時23歳)を亡くした母の延子さん(53)は愛媛県から訪れ、「震災後、大学に来るのは29回目。碑ができる前は、大学が広すぎてどこへ行けばいいか迷ったけれど、今は必ずこの場所に来ます」と話した。

 また石屋川公園のサクラは、新婚4カ月で亡くなった足立伸也さん(当時27歳)と富子さん(当時25歳)の「生きた証」として父の足立悦夫さん(68)=豊岡市=が植樹。悦夫さんは「来年の春もこの花の下で花見を」と参加者に呼びかけた。

 神戸の会社に勤務していた娘の恵さん(当時24歳)の亡くした千正秀さん(62)は今回が初参加。「時間がたつほど、悲しみは大きくなる。同じ立場の人と出会うことができ、本当に来てよかった」と話し、恵さんの写真を手に歩いた。
毎日新聞2000年9月17日
第10回震災ウオーlクに約100人
 阪神大震災の被災地に建つ慰霊碑などを訪ねる「震災モニュメント交流ウォーク」が16日、神戸市灘区内であり、約100人が参加。神戸大学内の慰霊碑など4カ所のモニュメントを巡って花束や千羽ヅルをささげた。

 続いて同区内の集会場で開かれた交流会では、参加者たちが、火山活動が続く伊豆諸島・三宅島の住民への励ましのメッセージを書き、カンパをした。

 参加者で、神戸市東灘区の主婦、足立若子さん(73)は「震災後は多くのボランティアに助けられたので、出来る限り恩返ししたい」と話した。メッセージとカンパは神戸市の市民団体に託され、近く住民に届けられる予定。 
毎日新聞2000年7月17日
切り絵で震災モニュメントウオークを伝える
 7月16日で9回目となった「震災モニュメント交流ウオーク」。被災地の震災モニュメントを巡り歩き、“あの日”を語り継ぐウオークの参加者は、延べ1000人を超えた。その中の一人、とみさわかよのさん(36)=本名・富沢かよ子、神戸市北区=は、歩いた時の様子を、黒い紙を切り抜いて作る切り絵の一種の剪画(せんが)で残そうとしている。

 初めて参加したのは、昨年7月の4回目だった。遺族らと神戸市内のモニュメントを巡った。以後、毎回参加している。今年1月には「希望の灯(あかり)ウオーク」で兵庫県西宮市から神戸市中央区まで歩いた。
 剪画作りに取り組んでいるのは、そのうちの10シーン。遺族らが西灘公園(同市灘区)の慰霊碑の前で手を合わせる姿や、須磨寺(同市須磨区)で住職の話を聞く様子、希望の灯ウオークで灯火を手に歩く場面などを描こうとしている。下絵は間もなく完成し、切り抜き作業に入る。

 とみさわさんは神戸市東灘区出身。震災時は群馬県内に住んでおり、実家のある神戸との間を何度も往復して傷跡と復興の歩みを作品にしてきた。ただ、「直接の被災者ではない」との気持ちから、被災者や遺族らとの間に「壁」を感じていた。

 「その壁を取り払ってくれたのがウオークでした」。東灘区の弓弦羽(ゆづるは)神社の慰霊碑で、刻まれた家族の名前を前に遺族が手を合わせると、他の遺族も一緒になって涙を流した。その様子を見ていて、自分も同じように自然に涙が出た。気持ちが一つになり、遺族の人たちと語り合うことができた。「この気持ちのつながりを描き残したい」と剪画作りを決めた。

 モニュメントに対する考え方も変わった。「造って置きっぱなしでは、ただの石になってしまう。巡る人たちがいて、刻まれた名前に触れ、手を合わせる瞬間があるから、ただの石ではなくなる。モニュメントを生き生きとしたまま残すために、ウオークと剪画作りを続けます」。剪画は来年1月、兵庫県姫路市立美術館で開かれる美術展に出展する。
毎日新聞2000年4月17日
第8回震災モニュメントウオーク 参加から参画へ
阪神大震災の被災地に建つ慰霊碑などを訪ねて震災の教訓を語り継ぐ「震災モニュメント交流ウォーク」が4月16日あり、約100人の参加者が尼崎市武庫之荘周辺の5カ所のモニュメントを巡って千羽ヅルや花束をささげた。「参加から参画へ」――。一参加者だった震災遺族が、回を追うごとにコース設定などを主体的に企画するようになった。

市民団体「がんばろう!神戸」などでつくる震災モニュメントマップ作成委員会主催。昨年再建されたマンション・フォルザ武庫之荘や立花中学校を巡る今回のコースを企画した一人、白木利周さん(57)=伊丹市南町=は震災で神戸市東灘区にあった自宅が全壊し、長男(当時21歳)を亡くした。昨年初めて交流ウォークに参加した時、涙が止まらなかった。「震災の話をするのは今もきつい。でも、この集まりは堂々と泣くこともできる。遺族が心を開くきっかけになれば」                      

被災地外からの参加者も増えている。高松市から参加した理容師、笠井隆宏さん(32)は「人間とはこんなにも優しいものか」という作文碑のある市立尼崎高校で、「母の同級生だった女性が神戸で亡くなった。被災地のことがずっと気になっている」と話した。

児童の合作詩を刻んだ碑がある立花西小学校では、北海道・有珠山の噴火災害被災者を励ます寄せ書きをした。宮井真佐子さん(68)=堺市土師町=は「早く家に戻れるよう祈っています」とつづった。

参加者の交流会が開かれた北雁替公園。「武庫之荘は東灘区で被災した私が避難した思い出深い場所。震災体験を語り継ぐことを大切にする人々と出会えて、新たな創作意欲がわいた」。震災をテーマにした公演を続ける劇団・青い森代表の細見圭さん(47)=神戸市東灘区=は、笑顔で話した。

次回は7月16日に開かれる。問い合わせは同マップ作成委(078・595・1500)。
WAC「ふれあい」2000年3月号
忘れない1.17 震災モニュメントめぐり
阪神・淡路大震災から5年。仮設住宅もすべて解消され、神戸の街はかつての姿を取り戻しつつあります。一瞬にして6400人余の命を奪った大震災。その中で市民たちは多くの困難を乗り越えながら、助け合って生きてきました。

本書は、そのような「心」「思い」を忘れないために、そして大震災から得た多くの教訓を次代に伝えるために被災地の各地に作られた120カ所のモニュメントを紹介しています。「毎日新聞(大阪本社版)」で連載中の「1.17を歩く」に加筆し単行本化したものです。

各モニュメントの写真と記事、歩いてめぐるコースなどの情報が掲載されています。震災モニュメントを訪ね歩く「交流ウオーク」も行われています。新しいマップもできました。

*交流ウオークの日程は http://www1.plala.or.jp/monument/index.html
でご覧下さい。
葉文館出版(1429年+税)
毎日新聞 2000年1月20日
震災モニュメントの訴えかけるもの
阪神大震災被災地に建つ慰霊碑などを通じて、現代社会におけるパブリックアートの現状と意義を考えようと19日、「野外彫刻の現場検証〜震災モニュメントを訪ねて」(県立近代美術館友の会主催)が、芦屋市と神戸市中央区で開かれた。参加者は、モニュメントの“訴えかけるもの”に静かに耳を傾けた。  

震災をテーマにした絵画、写真など100点を超える芸術作品を集め、県立近代美術館(神戸市灘区)で開催中の「震災と美術―1・17から生まれたもの」に合わせ、同美術館学芸員の江上ゆかさんらが企画。芦屋公園の句碑精道小学校の石碑「祈」(芦屋市)のほか、慰霊と復興のモニュメント神戸港・震災メモリアルパークの崩れ落ちた岸壁(神戸市中央区)――など7カ所を訪問した。

このうち、「こわかったね いたかったね さむかったね」で始まる精道保育所の詩碑「祈」の前では、佐藤うめ子所長が「碑に刻まれた、震災で犠牲になった6人の子供たちの中には母親、兄弟とともに亡くなり、父親だけが残された2家族も含まれています。『あの日』の悲しい記憶が消えることはありませんが、モニュメントを訪ねてくれる多くの人たちとの出会いは、子供たちの死が決してむだになっていないことを教えてくれます」などと、参加者に語りかけた。

参加した伊藤信子さん(72)=神戸市東灘区=は、「犠牲になった子供たちが石碑を通じて私たちに多くのことを訴えかけてくる。美術は、人間が生きる原点だということを教えてもらった気がする」と話していた。「震災と美術」展は3月20日まで開催中。問い合わせは同美術館(078・801・1591)。
毎日新聞 2000年1月17日
淡路島の「希望の灯り」
阪神大震災の犠牲者を追悼するため、全国から灯(あか)りをリレーで集め、神戸市中央区の東遊園地でともす「1・17希望の灯り」に参加しようと、淡路島内の住民有志でつくる「『1・17希望の灯り』点灯事業淡路実行委員会」(凪保憲代表)のメンバーが8日、リレー用の横断幕を作り、当日のスケジュールについて打ち合わせをした。16日、1市10町を回り、被災者や住民らから託された灯りを神戸に届けることにしており、参加を呼びかけている。

北淡町社会福祉協議会職員の凪代表(29)らが中心となり、今月5日に実行委が発足。16日はメンバー約10人が車3台で南淡町役場を皮切りに各市町を回り、被災者や住民らから、希望を託す灯りをランタンのローソクにともしてもらい、同日夕、犠牲者をいたわり復興を願う「慰霊と復興のモニュメント」がある東遊園地に届ける。

メンバーは、「神戸の壁」が移設された津名町志筑新島のしづかホール広場で、リレーの車に取り付ける「1・17希望の灯り リレー実施中」と書かれた横断幕を作製するなど、準備を進めた。凪代表は「淡路島も大きな被害を受けた。被災者や遺族の心のいやしになれば」と話している。      
毎日新聞 2000年1月15日
「忘れない1.17 震災モニュメントめぐり」発行
震災5年を前に被災地にある120カ所のモニュメントの建立の「こころ」を書いた「忘れない1・17 震災モニュメントめぐり」(毎日新聞震災取材班など編著)=写真=が発行され、京阪神の書店に並び始めた。取材班には、さまざまな感想が寄せられている。

大阪の40代の会社員は「私の生まれ育った神戸の町が、震災からの復興にいろいろな形でがんばってきたことが伝わり、読んだのが職場でしたが、思わず涙が流れました。はるか昔の思い出がよみがえり、改めて当時の友人・知人に思いをはせました」と寄せた

関東に住む女性は「胸が詰まる思いです。生まれたのも、学校も関西。特に西宮、宝塚、神戸は私の青春時代そのものです。昔の思い出のままで記憶の中に留(とど)まり、震災後は足を運ぶ勇気が出ません。でも、いつかきっと行かなければならないと思っています」と記した。

関西のある老人関連施設の図書コーナーには、次のような紹介とともに収められた。
「あの阪神淡路大震災で、子どもや親族、友や同僚、隣人など大切な人を亡くした人々の声が聞こえてくるようです。『忘れる』ことによって救われることも多々ありますが、『忘れてはいけない』震災の事実をきちんと確認する意味でも一読をお勧めします」  

この紹介文を書いた人は「年に何回かは私も神戸に行く機会があります。この本を持っていくつかの碑を訪れてみようと思っています」と話した。

「めぐり」は、共編著者の震災モニュメントマップ作成委が作った「2000年版震災モニュメントマップ」と同じ120のモニュメントの詳細な地図、沿線ガイド、代表的なコースの紹介も載せている。震災を伝える物語であり、ガイドブックでもある。A5判240ページ(うちカラー8ページ)。定価1500円。問い合わせは葉文館出版(06・6634・5548)。

注:出版元の「葉文館出版」が6月、破産を申し立てました。同書については震災モニュメントマップ作成委員会(078・595・1500)に問い合わせてください。

◇阿倍野区であすからフェアとイベント           
大阪では、阿倍野区の「あべの喜久屋書店」(地下鉄天王寺駅、近鉄あべの橋駅すぐアポロビル2階)で16日から1月末まで「震災関連書籍フェアとイベント」が行われる。

「震災モニュメントめぐり」など約70点の震災本が展示販売されるほか「2000年震災モニュメントマップ」の配布、モニュメントのパネル写真展、神戸の「がんばろう!神戸」のボランティアが作ったステッチフラワーの販売が行われる。また16日と23日午後3時と5時に震災をテーマにした「手紙 めぐり来る春に」を作者の舞台女優、前田伊都子さんらが朗読する。

あべの喜久屋書店は先月20日開店したばかり。ジュンク堂などと同じグループ企業の一つ。「本が読めるカフェ」スタイルの書店。
◇神戸・元町でも                     
神戸では、元町商店街の海文堂書店前で16日に「モニュメントめぐり」の出版元、葉文館出版がフェアをする。
毎日新聞 2000年1月5日
2回目の震災モニュメントマップ作成委員会開く
阪神大震災被災地に建つ慰霊碑などを示した「震災モニュメントマップ」の活用法などについて話し合う同マップ作成委員会が、99年12月28日、神戸市役所で開かれ、委員18人と市民が活発に意見を交換した。

マップは99年1月、慰霊碑など55カ所を収録して10万部作成。これを機に、被災地を巡りながら震災の記憶や教訓を語り継ぐ「震災モニュメント交流ウオーク」が7回開催され、延べ約1000人が参加するなど大きなうねりになった。その後、ウオークに参加した遺族、市民らが編集に協力し、新たに建立、判明したモニュメントを加え120カ所を網羅した「2000年版 震災モニュメントマップ」(20万部)がこのほど完成した。

各モニュメントの由来などを紹介したガイドブック「忘れない1・17 震災モニュメントめぐり」(毎日新聞震災取材班など編著)も4日、葉文館出版(06・6634・5548)から出版。各書店に並び始めた。

さらに、同委員会の提案で震災丸5年の2000年1月17日、神戸市中央区の東遊園地に、市民や遺族の“思い”を一つにし半永久的にともり続けるモニュメント「1・17希望の灯(あか)り」が建立されることが決まった。

マップ作成委員会事務局では、16日夕から実施する「『希望の灯り』ウオーク」の参加者と、県外からの火を募集している。
マップは1月8日から、神戸市中央区のフェニックスプラザなどでも配布される。問い合わせは同事務局(078・595・1500)。

委員会での主な意見は次の通り。(順不同)         
◇下河辺淳さん(東京海上研究所理事長) モニュメントやマップは「神戸のお地蔵さん」となり、100年後の神戸市民に大きな感動を呼ぶはずだ。「希望の灯り」点灯事業に参加し、歴史的瞬間を見届けたい。

◇陳舜臣さん(作家) 震災を語り継ぎ、忘れないために、モニュメントは重要な役割を果たす。私たち一人一人が「語り部」になることが大切。

◇栗原高志さん(兵庫県芸術文化協会理事長) 交流ウオークで、命を亡くした人々に祈りをささげ、震災の原点に立ち返った。その感動を持ち続けながら、5年を機に何が出来るかを考えたい。

◇白木利周さん(震災で長男を亡くした会社員) マップを通じて「犠牲になったのは息子だけではない」ことに気づき、ウオークに参加して「生き残った者が震災体験を伝えていかねばならない」ことを強く感じている。

◇大河原徳三さん(神戸国際観光コンベンション協会専務理事) (復興資金になる)ルミナリエ宝くじが完売したように、神戸の人々の根っこには震災への強い思いがある。マップを通じて、震災を観光にどう位置づけていくかを考えたい。

◇堀内正美さん(がんばろう!!神戸代表) 「死者は、その死によって、生き残った者に力を与える」の言葉通り、6430人の尊い命が新たな交流を生んでいることを実感している。モニュメントの前に立って、震災を語り継いでいくことが私たちの務めだ。
 Wisメールマガジン 1999年12月27日号
▼ 震災の思いは永遠に
神戸の12月の風物詩となった「神戸ルミナリエ」。今年も光の感動を残して幕を閉じました。あの光には、多くの犠牲者への追悼と復興への思いが詰まっているのです。

今年ももうすぐ終わり、そして迎える2000年1月17日……あの阪神・淡路大震災から早、5年。失ったものを決して忘れることもなく、人々の心の中の奥深くにしまわれています。また、被災地のあちらこちらには、犠牲となった人達を追悼するための慰霊碑や追悼碑、地蔵も建立され、その慰霊碑の多くは公園や学校にあり、犠牲者の名前が刻まれていたり、当時の様子が書かれていたり、祈念の言葉が書かれているので訪れては手を合わせる姿も見受けられるようです。
◇ 震災モニュメントマップ
  http://www1.plala.or.jp/monument

各市・区にあるモニュメントの場所が詳しく掲載されている、こちらの Webサイト。モニュメントの数は 120に達したそうです。私がいつか参加したいと思っているモニュメントを歩きながら辿る「モニュメントウォーク」の、今までの開催の様子や情報も見ることができますよ。そして、寄せられたモニュメントをめぐる思いや震災体験のコーナーをぜひ、読んでみてください。また、120の モニュメントを掲載したガイドブック「忘れない1.17震災モニュメントめぐり」(葉文館出版、1500円)が、震災モニュメントマップ作成委員会、毎日新聞震災取材班編著で2000年1月初めに 出版されます。

被災地以外では風化しつつある震災を改めて感じてもらえること、これが被災地の願いでもあるのです。そして、2000年1月17日 神戸市中央区の東遊園地に震災モニュメント「1・17希望の灯り」が 建立され、この灯りは半永久的に灯り続けていきます。
こと <koto@wis.vitalbit.com>