音符のライン
阪神大震災モニュメントマップ
121から130
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震災5年(2000年1月)以降に新しく情報が寄せられたり、除幕された「震災モニュメント」のうち、121から130のモニュメントです。見学する際、建立者の了解が必要なものもあります。番号は「2001年版震災モニュメントマップ」の番号になります。

121 福島天満宮/再建鳥居の碑
大阪市福島区福島2−8−1
福島天満宮のモニュメント
122 阪急伊丹駅前/記念碑「復興に寄せて」
兵庫県伊丹市
伊丹市昆陽池公園の南東約2キロにある阪急伊丹駅は震災で倒壊、多くの人の人生を変えた。構内の交番で勤務していた警察官は命を落とした。96年1月17日、まだ更地だった駅の跡地で、伊丹署の故・辻恭孝警部補(当時50歳)の追悼式が営まれた。市内の障害者らも「新駅を夢の駅に」を合言葉に駅再建の協議に加わり、全国的にも珍しい利用者参加型の「福祉駅」として98年11月、再出発した。
伊丹市は「福祉駅」に対応する段差の少ない駅前広場を現在整備している。2000年末の駅前広場完成にあわせ記念の碑を建立した。
123 西宮市立樋ノ口小学校/りんごの石のモニュメント・りんごの植樹
西宮市樋之口町2−3−32
樋ノ口小学校のモニュメント
124 神明緑地/石碑「阪神大震災」
西宮市神明町2
神明緑地のモニュメント
125 甲陽学院中学校/時計「あの時を刻む」
西宮市中蕨原町2の15
甲陽学院中学校のモニュメント西宮市中葭原町の私立甲陽学院中学校(中村泰三校長、495人)で2000年1月14日、阪神大震災で止まった掛け時計に解説のパネル板(縦45センチ、横80センチ)「あの時を刻む」が取り付けられた=写真。震災モニュメントに生まれ変わった時計は、5年前の「あの時」を刻み続ける。
 時計は校舎内の玄関にあり、午前5時46分を指したまま。正確には8秒後に止まった。校舎は木造平屋建てで築60年だが、震災にも耐えた。同中学校では、当時1年生だった奥野正弘君が両親とともに死亡、体育館には近隣の約260人が避難した。
 震災5年にあたり、震災の記憶を伝えるために設けた。パネル板は「あの時を刻む」と題し、震災の規模などの説明書きがあり、この日、職員らが見守るなか、設置された。
126 打出天神社/再建鳥居
芦屋市春日町1−28
打出天神社
127 竹園町国道43号線/北向子供地蔵尊
芦屋市竹園町1−17
北向子供地蔵尊
128 日吉神社北西角/お地蔵さん(再建)
芦屋市津知町4−1
津知地蔵講のお地蔵さん
129 三王神社/再建鳥居
神戸市東灘区田中町2−2−1
三王神社の再建鳥居
130 神戸市立本山第2小学校/ログハウス「命の大切さコーナー」
神戸市東灘区西岡本1−3−1
本山第2小学校のログハウス
  1〜120
131〜140
141〜150
151〜158
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