音符のライン
阪神大震災モニュメントマップ
151から158
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震災5年(2000年1月)以降に新しく情報が寄せられたり、除幕された「震災モニュメント」のうち、151から158のモニュメントです。見学する際、建立者の了解が必要なものもあります。番号は「2001年版震災モニュメントマップ」の番号になります。

151 味彩館sugahara(旧菅原市場)/記念碑「寅さん」
神戸市長田区菅原通4−5
寅さんプレート








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152 明照寺跡/「諸精霊碑」
神戸市長田区西代通2−4
月照寺跡の碑
153 海運双子池公園/石碑「潤」
神戸市長田区海運町3−7
海運双子池公園の碑
154 信行寺/全犠牲者之碑「涙を越えて」
神戸市須磨区戎町1−2−3
信行寺の碑浄土真宗西本願寺派の寺は震災で倒壊し、付近から出火のため類焼して焼失した。寺の檀家ら28人も犠牲になった。
本堂や庫裏が再建され、親鸞聖人像も修復されたのを機に、1999年1月、寺が建立した。
黒御影石の碑の正面に「涙を越えて」と刻まれ側面に檀家犠牲者の氏名を刻み、このほか6400人の犠牲者があった、と刻まれている。すぐそばのステンレス製プレートには「信行寺復興の記」を住職の米田睦雄さんが書いている。その「記」には「親鸞聖人御像を修復し、追悼の碑を建てる」とあり、左手に数珠と竹の杖を持ち、笠に手をかざし遙か遠くを眺めている。
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155 お大師広場/三人童像「なかよし」
神戸市須磨区須磨寺町1−8−23
二人童像商店街の北端に台石上に3人の童が寄り添った像を刻んだ石碑が建っている。台石に「なかよし」の銅板、左右に銘板が取りつけられている。
銘文には
「私たちは忘れません 1995年1月17日を 阪神大震災を
でもその中で私たちは助け合うことの美しさ
人の優しさ あたたかさを知りました
そんな思いのこもる童の像を
ここに須磨寺と福岡南像院さんのご好意で建てることができました」と寄贈した福岡の石仏師、国広秀峯さんが記している。
156 北須磨文化センター北珈琲館前/やすらぎ地蔵尊
神戸市須磨区北落合2−1−1
やすらぎ地蔵
157 舞子墓園/平和観音像
神戸市垂水区舞子陵
舞子墓園の平和観音像
158 明石市大蔵海岸/モニュメント「明日(あした)」
明石市大蔵海岸町2
大蔵海岸のモニュメント「明日」明石市が2000年1月17日、モニュメント「明日」を除幕した。亡くなった市民26人の名前を刻んだ銅板などをタイムカプセルに入れ、小学生らが銘板の下に埋めた。
銘板には「兵庫県南部地震の犠牲となった市民の御霊を慰めるとともに震災の貴重な教訓を後世に伝え、安心して暮らせるまちづくりを進めることを誓い、ここにモニュメント『明日』を設置します」という岡田進裕市長名の碑文が刻まれた。
 同市在住の彫刻家、竹内巌さん(55)が制作。白御影(みかげ)石を高さ3メートル、長さ3メートルのL字形に組み合わせ、ひしゃげた連結部で地震の力を、直立する角柱で被害にめげず伸びていく力を表している。横にした角柱は震源地の淡路島北部を指している。竹内さんは「立ち直って伸びていく力を感じてもらえたら」と話している。 
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最寄り駅JR明石駅から直行バスが運行。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
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