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阪神大震災モニュメントマップ
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淡路島(兵庫県)
(番号は「2000年版震災モニュメントマップ」と同じ番号です)
116 淡路ハイウェイオアシス/ブロンズ像 津名郡淡路町岩屋大林 淡路SAそば
ブラックスワン 西豪州豪日協会が、復興過程で兵庫県民が示した勇気、強調、闘志、寛容、忍耐を表現した。海外からの支援は人々の記憶にとどまる半面、具体的な形を残すものは少ないが、淡路町には兵庫県とオーストラリア・西オーストラリア州とのきずながこうして震災モニュメントとして残った。
 ブロンズ像は同州の州鳥・ブラックスワン(黒鳥)5羽が大空に向かって飛翔(ひしょう)する姿。台座を入れて高さ3・3メートル。神戸淡路鳴門自動車道の淡路サービスエリアと専用道でつながる淡路ハイウェイオアシスのオアシス館1階にある。
 作者は彫刻家のチャーリー・スミスさん夫妻。西豪州豪日協会などの依頼で制作した。「スワンは再生のシンボル。フェニックスのように再び飛び立つことをイメージした」。スミスさんは、こう語ったという。
 西オーストラリア州と兵庫県は姉妹県(州)。1995年11月、カウエン州副首相が県を慰問時にモニュメント寄贈を申し出て、明石海峡大橋の開通に合わせて設置することになった。除幕式は大橋開通の98年4月5日。リチャード・コート同州首相は「羽ばたく姿が県民(被災者)の励みになることを願う」と述べた。
 オアシス館は館内に木々や草花がいっぱい植わる。太陽光を取り込むため1階北側は総ガラス張りになっており、ブラックスワンの手前に立つと、5羽が明石海峡大橋の上空を羽ばたいているように見える。

最寄り駅JR明石駅から直行バスが運行。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
117 北淡町震災記念公園/モニュメント「べっちゃないロック」 津名郡北淡町小倉
べっちゃないロック「べっちゃない」は、「なんてことない」の意味で、地震にめげない町民の心意気を表現したものだ。「べっちゃないロック」は人工池の中に石舞台と御影石を「のづら積み」にした3基のピラミッドを配してある。設計は香川県在住の彫刻家流政之さん。伝統工法を生かし「石塚」をイメージしたという。前庭に震災で亡くなった40人の慰霊碑もある。北海道南西沖地震と被災地、奥尻町と北淡町の交流からモニュメント建設のアイデアが生まれた。奥尻町にも流さんが制作した犠牲者・行方不明者198人を追悼するモニュメント「サキモリ」がある。
公園は、地震で現れた国指定天然記念物の野島断層をありのまま展示している野島断層記念館を中心にした公園。断層はたてずれと横ずれを同時に起こした。住宅造成地でもあったため、約140メートルにわたる展示と道路側溝の曲がり具合で横ずれが分かり、地盤を掘り下げたトレンチ保存で地中の様子も分かる。地下深くに噴砂現象の起きた跡も残っており、野島断層は、昔も活動していたことが分かる。ミニシアターなどもあり、2000年には、防災についても学べる「地震科学館」も新しくオープンした。レストラン、物産館もある。
北淡町震災記念公園のWEBは、http://www.town.hokudan.hyogo.jp/jisin/jisin05.html/
淡路交通のWEBから行ける
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最寄り駅淡路交通バスなら小倉橋下車。水曜日休み。0799・82・3020。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
118 一宮町拠点ゾーンコミュニティ住宅/メモリアル「め」 津名郡一宮町郡家
一宮復興住宅のモニュメント町内にある国生み神話で有名な伊弉諾(いざなぎ)神社(浦上邦男宮司)の正面大鳥居(高さ7・3メートル)と西鳥居(高さ6・7メートル)が震災で倒壊した。神社から「お宮のシンボルを有効活用してもらいたい」と依頼を受けた町が、郡家地区まちづくり委員会(伊藤勇次会長)などと協議し「震災の記憶を後世に伝える記念碑に、と町内3カ所の復興住宅に設置された。
浜北住宅(18戸)では、高さ1〜3メートルの石柱4本がコンクリート製の台座に埋め込まれ、中央に鳥居の「笠石」が横たわっているモニュメント近くにはベンチが設置され、入居者らの憩いの場になっている。
浜南住宅(12戸)には石柱のみ設置された。
また1998年10月に完成した拠点ゾーン住宅(51戸)にある石柱は、淡路島・緑町の彫刻家、大上喜弘さんのデザインで
「め」をテーマにしたステンレス製の造形が施されている。ステンレス球は街の姿を見つめる「目」、そこから空に伸びる線は町内の特産物・線香をイメージし、生命の「芽」生えを意味しているという。
プレートの碑文には「『め』は、『芽』、『目』。そしてメモリアルの『メ』。球が見つめるその時々にまちの姿、そこに集まる復興と未来にむかう人々の目の輝きが、『国生み』と『香り』をテーマに次世代にむけたまちづくりの新しい芽吹きの源となることを願って・・・」と記されている。
最寄り駅淡路交通バス郡家停留所。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
119 熊田処分場跡/日時計「時のしらべ」 洲本市由良町熊田
時のしらべ 洲本市街地から南へ約15キロ。紀伊水道に面した由良町熊田の海岸近くの谷あいに、震災で解体撤去された家屋などのガレキを埋め立てた市の熊田処分場跡がある。
 震災の翌年の1996年、公園に整備されその中ほどに震災のツメ跡を後世に伝えようと、ガレキの石材で造ったこのモニュメントが設置され、静かに時間を刻んでいる。
 半径3メートルの半円形の周りに、20センチ角、長さ0・5〜2メートルの御影石の柱約30基を並べ、中央に石製の日時計の針を配した。そばには
「1995年1月17日午前5時46分 平和な日々をくつがえした阪神大震災。よもやと思いつつ、現実なんだと思い返す今、日常の大切さを感じる。ここにその記念としてモニュメントを建造する」と記されている。公園には敷石などで造ったベンチや石柱を敷きつめた舞台、廃材のテーブル、いすも置かれている。モニュメントを設計したのは、兵庫県彫刻家連盟会員の市職員、久保拓也さん。
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最寄り駅淡路交通バス由良線越田停留所。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
120 津名町しづかホール/移築された「神戸の壁」 津名郡津名町志筑新島5の4
神戸の壁の除幕 「神戸の壁」は1927年(昭和2年)公営市場の防火壁として設置された。
高さ約10メートル、幅約17メートルある。戦災も阪神大震災の大火もくぐり抜けた。
しかし長田区の区画整理に伴って置き場所に困り、結局、淡路島・津名町に移されることになった。
99年2月11日、移設の式が行われた。壁の上部に刻まれていたコンクリートのプレートが津名町の町長、柏木和三郎さんに渡された。
壁は、14のブロックに分けて運ばれ、2000年1月に「町立しづかホール」野外ステージに設置、除幕=右上の写真=された。
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最寄り駅バス津名港で下車。海岸沿いを南へ徒歩。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
                   
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