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シュレスヴィヒ Schleswig(Nordschleswig) Schleswig

通貨単位:
1Mark(マルク)=100Pfennig(ペニヒ)
1Krone(デンマーククローネ)=100Øre(エーレ) 1920年5月20日から第1地区のみ

[概説]
 シュレスヴィヒ(シュレスウィヒ)はデンマーク国境に接する地方で、現在は、デンマーク側のセナーユラン地方、ドイツ側のシュレスヴィヒ・ホルスタイン州の一部に当たります。古くからシュレスヴィヒはデンマークの影響下にあった公国ですが、1848年デンマークのフリードリヒ7世がシュレスヴィヒ公国の併合を表明すると、それに反対する住民が蜂起し、プロイセンに援助を求めました。プロイセン・シュレスヴィヒ・ホルスタイン連合軍がデンマーク軍を排除すると、イギリス・フランス・ロシアと同盟したデンマークが圧力をかけたため、プロイセンはいったん撤退します。1864年、今度はプロイセン・オーストリー連合軍がシュレスヴィヒを制圧して共同管理下におきますが、その後のプロイセンとオーストリーの戦争により、最終的にはプロイセンがシュレスヴィヒを併合してしまいます。
 第一次世界大戦後、このシュレスヴィヒの北部にデンマーク人が多く住んでいたことから、ベルサイユ条約に基づき、住民投票で帰属先を決定することになりました。国際監視委員会が1920年1月20日(火)にフレンスブルクに着くと、ただちに新図案の切手と葉書の準備が行われ、1月25日(日)に発行されるという早さでした。ドイツ切手は翌26日から使用禁止になりました。(ただし、ポストの開函の関係から、午前中は使用OKでした。)投票は2月10日(火)に北側の第1地区で、3月14日(日)に南側の第2地区で行われ、第1地区はデンマーク、第2地区はドイツに帰属が決定されました。国際監視委員会が6月16日(水)に現地を去ると、第2地区ではただちにドイツ本国の切手と葉書が使用されました。

[シュレスヴィヒの葉書]
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分類名 図版(一例)
シュレスヴィヒの葉書

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