|
上部シレジア Oberschlesien Upper Silesia
通貨単位: |
1Mark(マルク)=100Pfennig(ペニヒ) |
[概説]
シレジア(ポーランド名はシロンスク、ドイツ名はシュレジエン、チェコ名はスレスコ)は、ヨーロッパ中央部に位置し、ポーランドのシロンスク地方、チェコのセベルノモラフスキー地方(北モラビア地方)、ドイツ東部のブランデンブルク、ザクセン両州の一部にまたがった地域でした。中世からドイツ人とポーランド人が混在している地域で、11世紀にはポーランド、14世紀にはボヘミア、1526年からオーストリー、そして1742年からプロイセンと統治者がかわり、それがかえって地域を複雑にしてしまいました。
第一次世界大戦後、ベルサイユ条約に基づいて、住民投票で帰属先が決定されることになり、国際監視委員会が1920年2月12日(木)から入りましたが、住民間の争乱が起こっていたため、実際の投票は遅れて1921年3月20日(日)に行われました。最終的には同年10月に東側がポーランド、西側がドイツに分割されることで決着がつきました。決着したものの、まだ争乱が続いていたので、国際監視委員会は、1922年7月14日(金)までこの地で監視を行っていました。
第二次世界大戦後、ドイツに属していた西側の地域がポーランドに返還されて約700万人のドイツ人が追放されましたが、代わりにソビエトに東側の領土を奪われた約400万人のポーランド人がここに移住した、と言われています。
[上部シレジアの葉書]
詳細な解説や他の図版は、別のページになっておりますので、下記の分類名の文字、または画像をクリックしてください。
ドイツ住民投票地区の先頭のページに戻ります。
トップページに戻ります。
|