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イギリス旅行記・5日目

今日は半分ほどが移動というなかなかハードなスケジュールになっている。

基本的に徐々に難易度が上がる行程に組んであるのだが、ようやくそれにも慣れてきたようだ。最初の夜にいきなりホテルが見つからずに苦労したときには不安がかなりあったのだが。

日の長いこの季節のイギリスであるが、朝は遅めである。今日は6時過ぎに起床したのだが、窓から外を見るとまだ暗い。日本の冬のようである。

考えてみると、10月はまだサマータイムであるからある意味仕方ないのかもしれない。

朝食は7時からなので、すぐに食べに行きそのままチェックアウト。

マンチェスターの駅へ向かい、そこからエジンバラ行きの列車に乗る。

バーミンガム発の列車は、ここマンチェスターでかなりの客を降ろしたが、それと同じくらいの客を乗せてほぼ満員で出発する。

イギリスは意外に電化されていない区間が多く、長距離の特急的な列車でも気動車で運転されているものが多い。

都市部を抜けるとまた牧場の広がる風景になるが、さすがにもう見慣れてきたようだ。

エジンバラまでは3時間半ほどの道中だが、ぼんやり外を眺めながら過ごしていると時々眠くなってきてしまう。

途中のどこかでスコットランドに入り、エジンバラ駅へ到着。

スコット・モニュメントここからスターリング行きに乗り換えになるのだが、待ち時間の間に立体的な造りの駅を歩いて外に出てみると、大聖堂やエジンバラ城がよく見える。

エジンバラ城は世界遺産にも指定されている有名な城なので、本当はここも見に行きたかったのだが今回の旅では残念ながら諦めることにした。

その代わりに向かう、今日のメインのスターリング城は、エジンバラから更に列車で1時間弱行った町にある。

到着!中世の面影をよく残している町自体も見て歩く価値があるのだが、中世にイングランド軍を撃退したスコットランドの英雄になじみのあるこの城はやはり必見であると思った。

坂の多い町例によって駅や町のインフォメーションにロッカーがないので、坂道を苦労して荷物引きずって登っていく。

インフォメーションを経由して30分ほどで丘の上の城に到着。

入場券と日本語のガイドブックがあったのでそれを購入し、入り口の門番に言って荷物を預かってもらう。

スターリング城は13世紀頃から建築が始まり、スコットランドが独立していた時代からその後イングランドに併合された時代を経て現在に至るのだが、16世紀頃に整備された城の状態がよく残っているという。

城の姿 城門

城は先に書いたように町の高台に築かれ、敷地は城壁で囲われているが、その中にいくつかの建物がある。基本的にそれらを見学することが出来るようになっている。大広間、チャペル、城主の館、宮殿、大キッチンなどである。

城の一角に綺麗な芝生があったので最初にそれを見たのだが、これはボーリング場だという。今のボーリングに近い、玉を転がす競技をこの芝生の庭でやったのだそうだ。

次に見たのは宮殿。しかし、ここは今、発掘と当時の姿の再現を行うプロジェクトが進行中で、工事中のようになっている。それでも、石壁や暖炉などを見ることが出来た。

内側の城門を見ながら中庭に入る。特に順路が決められているわけではなく、好きな順序で見て回ることが出来る。

そこで、チャペル、大広間と見た後、城主の館へ向かった。

ここはスコットランド出身の連隊に関する資料館になっており、騎兵の時代に始まり、植民地時代、第一次大戦、第二次大戦、その後の活躍ぶりが武器などの装備品、地図、勲章などの文物と共に展示されている。第二次大戦ではマレー半島で日本軍とも戦ったらしく、日の丸の旗(武運長久と書いてあった)も展示されているのには驚いた。

大キッチンの様子最後に見たのが大キッチンである。

先の大広間は暖炉5つで暖めたというほどの広さを持っているのだが、そこに集まった人々に食事を供するためのキッチンが併設されている。その人数に食事を出せるほどの規模のキッチンということで、城の建物の1つを構成するほどのものであり、中ではパンを焼いたり、動物を屠殺して料理にするまでの一連の作業を行ったりしていた。その様子が人形と(食べ物の)模型でディスプレイされている。

貴族に出された食べ物は、余ったら従者→召使い→ペットという風に「払い下げられて」いくという絵入りの説明がなかなか面白い。

さて、建物の見学はこれでほぼ終了だが、せっかくの高台の城、周囲の景色を見ずにはおけない。

城主の館のある方角は崖になっており、絵はがきの写真もこちらをとらえたものが多いのだが、こちらからは真下の庭園、遠くの領土や山々を望むことが出来る。

Me163逆側には向かいの高台にスコットランドの戦勝を記念した塔が建っており、川に架かるアーチ方の石橋などとともに町やその郊外の風景が美しく見える。

今日の天気がよかったのは幸いである。

城の見学が終了して、その隣にある侯爵の屋敷を見ようかとも思ったのだが、時間が中途半端になってしまったので諦めることにする。荷物があるので疲れているというのもあったのだが……。

町中に戻って友人への絵はがきを出し、食事をしてから駅に戻る。

ちょうどインバネス行きの列車にさほど待たずに乗れそうで、それに乗って北へ向かう。

一般型気動車の3両編成なのだが、乗客はかなり多く立ち客も出た。かくいう私も途中の駅までは座れず、やっと座れたのもドアの脇にある補助席であった。

それでもまあ何とか座席を確保し、外の景色を眺める。

これまでの乗ってきた鉄道路線は非電化であってもほぼ例外なく複線だったのだが、スターリングからインバネスに向かう路線はそれらよりローカルのようで、山の中に入ると単線になった。

これまでは牧草地帯を主に進んできたが、ここにきて時々山岳路線の様相を呈し、川と併走しながら進んでいく。

やがて開けた土地に出るが、遠くには雄大なスコットランドの台地が望める。このスケールは今までに経験したことがないものである。

よく、ヨーロッパの車窓風景を「北海道に似ている」と表現されることがあるが、ここの景色は北海道でも見られないものである。

単に山がちの地形であれば日本にならいくらでもあるような気がするのだが、そういうものとは違う「雄大さ」を感じる。

何故かと思ってふと思い当たったのは、この目の前の山は牧草地でも森林でもなく荒れ地のようになっているからだと気付いた。夏は緑に覆われているのかもしれないが、今は茶色の殺風景な山が広がっていて、これが見たことのない「雄大さ」を感じさせているのだ。夕日が緩い角度でそれらの山々を照らしているのもスケール感をもたらす効果があるのかもしれない。

その列車でスターリングから約2時間。

行程の都合でインバネスまでは行かず、その手前にあるアヴィモアという町で下車する。ここから今度は上りの夜行列車に乗って一気にロンドンまで向かうのだ。

イギリスの列車が確実にダイヤ通りに走るとは限らないと聞いているのと、もし上りを捕まえ損ねたら大変なことになるということで、インバネスまでは行かずにここでの折り返しにしたのだ。

だが、このアヴィモア駅が思っていたよりも小さい駅だったのは誤算だった。

待ち時間が2時間ほどあるのだが、駅の待合室は夜になると閉まって無人になってしまうのだ。

少しの時間は、スーパーに買い物に行ったりしてつぶせたのだが、後の時間はホームのベンチで待つことになった。

昼間は寒くなく、軽く汗ばむほどであったのだが、夜になると結構、冷え込んでくる。最大の厚着をして(さすがにコートは持ってきていない)、膝には替えのズボンを毛布代わりに乗せていたら何とかなったが、もし平年より寒くなっていたらと思うとちょっと怖い。

ちなみに、イギリスの鉄道は割とダイヤ通りに動き、5分や10分程度の遅れは何度もあったが、致命的になるような1時間単位の遅れには結局遭遇はしなかった。たまたまなのかどうかは分からないが……。

スーパーで買ってきたワインが軽い気付けのようになったこともあって、なんとか待ち時間は本を読んで耐えきった。

そして21時23分、臨時の豪華列車がやってきたことによって急にホームが変更になったりしたが、無事に列車に乗り込む。出発前に予約してあった寝台車である。

2等の寝台はJRの寝台特急でいえば2人用の個室のような感じである。1部屋に2段のベッドが備えてあり、同室の人は他人である。一応、男性と女性は分けて売っているそうであるが(残念)。

寝台の幅はB寝台よりは広くゆったりしているが、カーテンが付いていない。代わりと言っては何だが、軽い朝食のサービスが付いているようで、切符をチェックするときに「飲み物は何か」と聞かれた。

ちなみに、翌朝7時前に車掌がジュースとパンの入った軽食を持ってきてくれた。

この列車はインバネス発であるが、他にアバディーンから来る別の列車と途中で併合してロンドンに向かうダイヤになっているようだ。

私の寝台は「M号車」で、この列車はP号車まであったから、ロンドンへは堂々16両で向かうことになるようだ。

車内に入るとやっと落ち着き、いつの間にか眠っていた。

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