今回の旅行記、行き先はドイツとベルギーです。ベルギーは古城巡りとビール、ドイツは二回の大戦に関連したスポットがメインです。
ドイツはだいぶ慣れてきましたが、ベルギーは初なのでどうなることかと。言葉以外はそれほど困難はありませんでしたが。
いつものように夏の飛行機はなかなか取れないのでチケットを押さえたのは2月頃。例年休みを取っている9月上旬ということにしたのですが、まさかの異動があったり、出発前日に研修に出ることになったりと慌ただしい旅立ちになりました。
今回も羽田発のフランクフルト行きですが、午前中発ですとフランクフルト夕方着で、結局1日目は移動だけで終わってしまうので、「金曜日夜中発」の便を使ってみることにしました。
羽田0:50発でフランクフルト6:00着で、時差を上手く利用して初日がまる一日使えます。
尚、この旅行記中、1ユーロは140円で換算してください。
飛行機の中では、軽食の後はワインを飲んで寝るだけで過ごしました。10時間ほど寝て朝が来るという何とも都合のよい感じです。
フランクフルト空港は慣れたもので、特に問題もなく入国手続きも済ませました。
初日はワインの産地として有名なモーゼル川沿いの町に行くのですが、計画より時間に余裕があったので空港駅から直接行く代わりに、一度中央駅に出て大きな荷物をコインロッカーに預けてからの出発にしました。
少し時間があったので、駅の中にドイツテレコムのホットスポット を見つけて、wifiを繋いでみます。ここでテレコムのサイトに接続して、1週間で約20ユーロというプランを契約。決済もクレジットなので簡単です。以後はログイン画面から契約時のメールアドレスと同時に設定したパスワードで繋ぐだけです。
今回もジャーマンレイルパスというドイツの鉄道乗り放題の切符を使うのですが、少し上乗せして一等車用を買いました。座席指定を取ると5ユーロほどかかるのですが、一等車なら満席ということもほぼないですし、そういうことを除いてもちょっとした贅沢(5日用のパスでプラス1万円くらい)ということで。
さて、フランクフルトを出発してマインツを過ぎた列車はライン川沿いを走ります。川や両岸の山の上にある古城などがよく見えて景色も上々。この列車には軽食堂車がついているので、マインツを出たあたりで行ってみます。
一昔前のドイツの列車であればほぼ例外なく食堂車がついていたのですが、最近はカフェや簡易的な食堂になった列車も多くなっています。このあたりは昔の日本の事情と同じでしょうか。特に「特急」というべきICからは同等の国際列車であるECを除くとほとんど食堂車はなく、ICEも食堂車のある列車とビュッフェのみの列車が半々くらい(路線にもよる)という感じです。
この軽食堂車では、レンジで温めた簡単な食事をカウンターで買い、6テーブルほどある席で食べるというスタイルです。
飛行機で朝食が出たものの、小腹が空いていたのでブルスト(ソーセージ)を頼みました。7ユーロはちょっと高めですが、まあ場所代ということで……。付け合わせのポテトはピクルスとあえてあって少し変わった味でしたがこれはこれで悪くありませんでした。
天気予報では今日は雨ということでしたが、曇り空から時々晴れ間も見える感じで、何とかなりそうです。
定刻に乗り換えのコブレンツに着き、ここから支線に乗り換えます。
コブレンツはライン川とモーゼル川の合流する地点にある町で、乗り換えたローカル線はモーゼル川沿いを西へ進む形になります。
川やブドウ畑を見ながら進んでいくと天候は更に回復傾向です。
景色を堪能しつつ一時間ほどでブライ(Bullay)という駅で乗り換え、更にローカルな列車で18分ほど進むと終着のトラーベン・トラバッハ(Traben-Trabach)、今回の目的地に着きます。
モーゼル川沿いは斜面にブドウ畑の広がるワインの産地ですが、川沿いに点在するそうした町の一つです。鉄道駅のある側がトラーベン、川を渡った向こう岸がトラバッハということです。
駅は駅舎もない簡素な作りなのですが、どうも手前に少し移転したようです。駅を出て少し(線路方向からみて)直進したところに古い建物があり「Alte Bahnhof」とあるので、観光案内所になっているこの建物が昔の駅だったということかもしれません。
まずはこのトラーベン側を少し歩き、旧市庁舎などを見た後、橋を渡って対岸のトラバッハに向かいます。こちらは山の上に昔の城の跡(廃墟になっているようです)があるのが目を引きます。
レストランやカフェのある市街地を歩き、教会などを見つつ河岸まで歩いてみます。天気はすっかり晴れ、念のため用意した薄手のセーターも不要です。
列車の中でもらった町の地図を見ながら歩きますが、その中に何故か「Budda Museum」なるものが。少し気になりましたが時間の都合で断念。Mittel Mosel Museumの方を見ることにします。
ここは中世以降の文物を展示してある博物館で、展示は割と充実していました。18〜19世紀の生活を再現した部屋や、モーゼル地方のワイン作り関連の道具の展示などがありました。
クリノリンや「おまる」といった今ではなかなか目にすることのないものも新鮮でした。
列車が1時間に1本しかないことと、町中にあるのがしっかりしたレストランばかりなのとで、ワインを飲んで一休みとする代わりに、店でご当地産のワインを買って済ませる(後で飲む)ことにしました。店の人が気前よく、7ユーロ程度のワインだったのにボールペンを何故かおまけにプレゼントしてくれました。
駅に戻り、少し時間に余裕があったのでスマホでネット接続。
docomoの海外プランは1日あたり2〜3千円近くするので、先ほどのドイツテレコムのホットスポットを使います。ドイツテレコムはいわばドイツのNTTのようなもので、町中の主な場所(公衆電話のことが多い)にこのホットスポットがあってWIFIが使えます。ドイツ鉄道(DB)とも積極的に提携しているようで、主な駅や一部の列車でも使えるようです。
トラーベン・トラバッハの駅は小さな無人駅ですが、駅の近くに公衆電話があり、そこがホットスポットになっていたのです。
軽くつないだ後、来た道を列車で戻り、途中のコッヘム(Cochem)で降ります。
ここもモーゼル川のワインの産地ですが、城が残っていて見学することが出来るのです。
旧市街ではちょうどワイン祭りが開かれており、土曜日ということもあって賑やかでしたが、そこを抜けて坂を登り、お城へ。元々は紀元1000年くらいに作られて所有者が何度も変わり、現在はコッヘム市のものになっているということです。
入場券を買い、ガイドツアーで中を見ていきます。
若いカップルから老夫婦、家族連れ(幼女付き)と全部で15人くらいのグループで、説明スタッフのおばさんの引率で進んでいきます。解説はドイツ語なので(ゆっくりしゃべってくれるので聞き取りやすい)それでも3割くらいしか分からないのですが、日本語のメモを貸してくれたので何とかなりました。
狩猟の「戦利品」の飾ってある間や、豪華な謁見の間、町への隠し通路のある部屋、景色が一望出来るバルコニー(解説には、「この景色を見れば何故ここに城を建てたのかがすぐに分かると思います」とありました)を見て30分ほどで見学終了しました。
列車の時間を気にしつつ駅に戻る途中で、コッヘムのワインをグラスで飲ませてくれる店に立ち寄り、一杯いただいてきました。民族衣装を売っている店が気になりつつも駅に戻り、次の列車でコブレンツに戻ります。トラーベン・トラバッハへの列車内でこの地域の簡単な接続時刻表をもらっていましたが、このように予定変更があるとこういう情報が大事になります。勿論、トーマスクックの時刻表も持ち歩いていますが、たまに最新の情報でなかったりすることもありますし……。、
コブレンツではあまり接続がよくなく、1時間弱の待ち時間がありましたがその列車が更に40分も遅れてしまいました。今回のように特に急ぐ必要のないところなのでよかったのですが……。
再びライン川の景色を楽しみつつ、フランクフルト中央駅まで戻り、軽く食事をしてホテルにチェックイン。トラーベン・トラバッハで買ったワインを飲みつつ、この旅行記のこの日分を書いています。宿は、フランクフルトでは概ねここという駅前のホテル(http://www.hotelexcelsior-frankfurt.de/cms/index.php/en/)です。駅から近く設備も悪くない割に値段も(ドイツにしては)手頃というお気に入りです。
この日は朝早く出発して、フランクフルトからブリュッセルへ向かいます。
ホテルの朝食は難しいかと思っていたのですが、朝5時からやっているということで無事に確保。
バイキング形式なのですが、ソーセージやチーズが豊富でつい食べ過ぎました。
さて、列車は新型のICE。食堂車がないのは残念ですが、しっかり朝食を取ったのでまあよしとしましょう。
空港駅からケルンまでは昨日のライン川沿いでなく内陸部(?)の新線を通ります。あまり景色はよくないのですが、ケルンまで1時間ほどで到着できます。
ケルンからはアーヘンを経てベルギー国内に入ります。といっても同じユーロ圏内、パスポートのチェックもないですし、景色も特に変わるわけでもないのでいつの間にか入り、途中で見える駅名票のデザインが違うことくらいでしか意識できない感じです。
車中では景色を見ながらブリュッセル到着後の行動計画。ICEの中ではドイツテレコムのインターネットが繋がるので助かります。
そして9時半頃にブリュッセル北駅へ到着。大きな駅なのですが作りが少し古いという印象です。
大きな荷物をコインロッカーに預け、市内交通の一日券を買おうと思ったのですが、窓口が日曜日は10時にならないと開かないようなのでしばし待機。切符の自動販売機は何故かコインのみで紙幣が使えない模様。
10時になって、ICカード型の一日券を買いました(正確には新しいカードを買って一日券の情報をチャージしてもらう)
ベルギーに来て感じたのは、前のポーランドやチェコの時と同じく町中の言葉が分からないこと。土地柄、フランス語オランダ語の併記ですがどちらも分からないので……。時々、ドイツ語も記載されていますが英語まで記載されていることはあまりありません。
最初に向かったのは市の中心部であるグラン・プラスです。ここに行くのに乗ったのはトラム(路面電車)なのですが、この区間は地下を走っていて少し変わった感じです。
グラン・プラスは市庁舎や公爵の館、市立博物館などの綺麗な建物に囲まれています。名物のチョコを売る店もたくさん並んでおり、土産物に苦労することはなさそうです。
このグラン・プラスの近くにある衣装とレースの博物館が最初の目的地です。17世紀から現在までのファッションや服飾品の展示があり、特にレースが見物です。普通の展示だと出せる数が少なくなってしまうからか、棚に引き出しをいう形でたくさんのレースを見ることが出来ます。今回はクリノリンの特別展も開かれているようで、あの独特の広がりを持つ数々のスカートのシルエットが印象的でした。前も膨らませる前期型と、前はあまり膨らませず後ろを強調する後期型があるというのは初めて知りました。
ここからは中央駅を経由して王宮の方へ歩いてみます。ロワイヤル広場の騎士像とその向かいの教会を見つつ、王宮へ。これから軍事博物館に向かう予定なので中は見学せずに外見を観察してからブリュッセル公園を歩いて地下鉄の駅へ向かいます。
地下鉄で3駅ほど進み、Schumanという駅で降りて、公園の奥にある博物館へ向かいました。駅から地上へ出たところにはEUの本部があります。
前日にチェックした天気予報では、今日は雨だったはずなのですが、まったくその気配はない晴天で暑いくらいです。公園では水着姿で日光浴する人の姿がいくつも見られました。
軍事博物館には中世の武器や鎧から近世の砲、植民地時代の帆船の模型などベルギーやこの地方に関わるものが多く展示されています。残念なのは一部改装中なのか、大きな目的であった第二次大戦中の飛行機や戦車が見られなかったことです。
代わりに今は2つの特別展をやっており、それらを見ることが出来ました。一つは戦後300年を記念した「ワーテルロー展」でフランスのものを中心に各国の軍服などが展示されており、ブリュッセル郊外のワーテルローの当時と今の風景の比較なども興味深いものでした。
もう一つは「14-18」という第一次大戦の展示で、こちらは有料(しかも12ユーロと結構いい値段)なのですが、それだけのことはあって手の込んだ展示になっていました。サラエボでの皇太子暗殺から始まった戦争ですが、泥沼化して多大な犠牲を生んだこの戦いを、戦場などをジオラマ風に再現して臨場感のある展示になっていました。武器だけでなく当時の糧食や日用品(私物?)なども展示されています。
第一次大戦は「全ての戦争を終わらせるための戦争」ということで始まりましたが結果はご存じの通り。出口の直前のスクリーンには、終戦後、大恐慌、ナチスの台頭、第二次大戦を経て、冷戦、そして現在に至るまでの主立った出来事が次々と映され、いろいろと考えさせられます。
博物館を見た後は思いの外時間があったので王宮の方へ戻りその隣にあるベルビュー博物館を見学することにしました。
最初にクーデンベルク遺跡として、この場所に12世紀に建てられた城の基礎が残っているのを中から見学します。地下なので涼しいというのが一番大きな印象でしたが……。ドレスデンでも見たような町中の遺跡というのが新線です。最後の方は中近世の医学に関する展示がありましたが、展示物が生々しすぎるのでその手のものが苦手な人にはちょっとお勧め出来ません……。女性の陰部と中にいる胎児の模型とか、足を切断するノコギリを使うシーンの模型などというのもありますので。
また、郊外の王立博物館が改装工事中だからなのか、本来はそちらにあるアフリカのコンゴのお面などが展示されていました。コンゴはベルギーの植民地だった地域です。
その後は上にあるベルビュー邸を見学します。こちらは邸宅の内装と、部屋に1830年から時代ごとに割り当てられた各テーマの文物の展示があります。1830年は武具、1831から1884年は産業革命、1885〜1914年まではその後の繁栄、や労働者の台頭、そして1914〜1918年は軍事博物館でも見たように第一次世界大戦、その後も戦間期、第二次大戦、冷戦、そして現在と続きます。各時代の特徴的なものだけでなく豊富な写真、ポスターなど興味を引きます。
さすがに歩き疲れたので、ここで駅に戻り荷物を引き上げて投宿します。
ホテルは北駅まで歩ける距離ですが、地下鉄やトラムだと更に近くまで来ることが出来て便利でした。
少し休んだ後、夕食がてらグラン・プラス方面へ向かい、マリニエールというムール貝と香草の白ワイン蒸しで夕食にします。かなりのボリュームですが、これだけの量のムール貝を一度に食べたのは初めてですね。
食後に近くの店で土産用のチョコを買い、地下鉄駅近くのレストランでベルギービールを飲み、ホテルに戻りました。
市内交通は地下鉄、トラムをうまく使いこなせば便利に動けそうです。
途中のスーパーでルクセンブルクのワインという、なかなか日本では見かけないものを見つけたので、買って帰って飲んでみました。辛口のなかなか口当たりのよいワインでした。あと、ちょっと面白いTシャツがあったのでそれも購入。
今日はブリュッセルを離れ、日帰りで地方へ出掛けます。
北の方にもアントワープなどの魅力的な町はあるのですが、今回の旅行で選んだのは南のワロン地方、城塞のある町です。
最初に向かったのがディナン(Dinant)です。ブリュッセル市内で一度乗り換えて1時間半ほどの道中ですが、その乗り換えへの一駅の列車が遅れる始末。危うく乗り損ねるところでした。しかし、ドアを閉めて発車しないのに5分以上そのままドアを再解放しない(しかも隣のホームに後から来た列車が先に出発する)のは勘弁して欲しいところ。
道中は牧草地や麦畑などのありふれた風景で特に感動もなく途中のナミュール(Namur)まで来ましたが、そこからはミューズ川沿いの景色のよい車窓になります。一昨日のモーゼル川に少し似た感じです。
無事に到着したデュナン駅は、跨線橋もない小さな駅でした。町の中心は川の向こう側にあり、駅からすぐの所に橋が架かっているのでそこを渡ります。向かいには町のシンボルともいえるノートルダム教会、その上に今回の主な目的である城塞があります。
町を軽く歩いた後、城塞を登ることにします。城門など、町に残るいくつかの史跡に付いている案内板には、なんと日本語もありました。
城塞にはロープウェイが付いており、これを使って上まで登ります。入場料はこのロープウェイ込みで8ユーロ。一応、ロープウェイが出来る前の階段もありましたが、わざわざ使うことはないと思います。
登り切ると町が一望出来る素晴らしい風景。この日も天気に恵まれて、町や周囲の山の様子を堪能します。城の敷地は特に順路もなく自由に歩くことが出来ますが、立ち入り禁止になっているエリアも多いのが残念。元は1050年に建てられた城ですが、改装されたりして今見ることが出来るのは16世紀以降の姿です。
城壁の中には特別展の会場になっているところもあり、そこではまた、第一次大戦について展示されていました。この城塞は第一次大戦の時にフランスが進駐し、ドイツに攻められたという経緯があるので、ある意味、戦争遺跡といえるかもしれません。
町を占領したドイツ軍が、市民に紛れ込んだ暗殺兵に狙撃されたことをきっかけに虐殺が起こったということで、それに関する展示がありました。町の模型に時系列的にドイツ軍、フランス軍、市民の配置状況を示す解説コーナーもあり、なかなか本格的です。
昨日の軍事博物館もそうでしたが、もう少し第一次大戦について予習しておけばよかったと若干の後悔です。ベルギーという国はドイツとフランスに挟まれて、ここデュナンに限らずいろいろ悲劇が起きているようです。
その後も敷地を回りましたが、右手の公園になっている区画には何故か飛行機が展示されていました。ジェットの爆撃機なので戦後のもののようですが、案内板の文字が消えかけていてよく分かりませんでした……。
ロープウェイで下に戻り、隣の教会に入ってみます。教会は当然ですが宗教施設なので、外観を見るのはともかく、あまり積極的に中に入らないようにしたいところなのですが、ここは観光地であるからまあいいかと。この町は中世、銅細工で栄えた町ということで、町の規模の割には大きな教会になっています。中でもステンドグラスが見事でした。元々は1240年に建てられたのですが、先の第一次大戦でのドイツの攻撃によるものを始め、何度も破壊され、そのたびに再建されたそうです。再建は元に忠実にということで、日本でもそういうところは見習って欲しいものです。
教会の右側に続く通りはアドルフ・サックス通りというそうで、由来となったこの町出身の人物はそのまま楽器のサックスの由来でもあるそうです。
町中でいくつもサックスのモニュメントを見ると思ったらそういうことだったようです。通りの中程には、サックスをもったおじさんの座ったベンチがあり、そこがサックス資料館になっています。
その後、川沿いを歩いて河畔のレストランで昼食とビール。その後、次の目的地のナミュールに向かいます。
ナミュールはこの地方の中心地といえる町で、サンブル川とミューズ川の合流する昔からの要衝です。要衝ということで古くに城が建てられ、城塞の遺構が高台に残っています。
駅の隣にある観光案内所で地図をもらって歩き始めます。
市の中心部までは歩いても15分程度。平日の割には人で賑わっています。子供の姿も多いので、まだ夏休み中なのかもしれません。
デュナンを歩いた後なので少し疲労気味ですが(しかも天気がよいので暑い)何とか頑張り、川の合流地点、アーチの綺麗なジャンブ橋まで行き、その後、城塞の上まで登ってみました。途中で通りかかった食品店でカマンベールチーズを買ってそれをかじりながら……。乳製品に関しては、ドイツやベルギーは日本と比べると破格の安価で売っていますね。このチーズも3ユーロほどでした。
石の城壁のよく残る城塞は外側から見ると圧巻ですが、登ってみると今度は町の景色が一望出来てそれも圧巻です。途中に何故か亀に乗った兵士(?)の黄金像がありましたが、これは一体何なのか……。
体力と時間の都合で一番奥にある博物館は見に行きませんでしたが、公園になっている敷地を歩くとあちこちに遺構が残っており、城を十分に堪能出来ました。中に入れるところもありますが、一方で修復工事が行われている場所もあり、仕方ないとはいえ興を削いでしまいます。
下の町に戻り、駅まで更に戻る途中で一休みしてカフェでビール。歩いた後のビールは気持ちいいですね。そしてうまい時間のブリュッセル行きに乗ろうとしたのですが、切符売り場が行列で間に合いませんでした。ナミュールからブリュッセルまでは1時間に3本あるので致命的なことにはなりませんでしたが、やたら買うのに時間が掛かっている客がいたりして、リスクになりますね。
今回、ベルギーでは使いませんでしたが、鉄道パスの利点は値段が割安である他に、切符を買うために並ばなくてよいというのも大きなところです。ドイツの他にベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)でも使えるフリーパスもあるのですが、値段を比較検討したところ、それを使うよりジャーマンレイルパス+ベルギー国内での移動は別途にした方が安いことが分かったためです。
ブリュッセルでは、今度の列車は直接中央駅まで入るので、そこから歩いて少しのグラン・プラスへ向かい、チョコを買いつつ夕食にします。急に雨が降り出して、チョコは緊急避難した(一応、傘は持っていましたが)ギャルリー・サン・デュベールという由緒あるアーケードにあるお店で購入しました。
夕食はグラン・プラスに面した郷土料理の店でベルギー風のクリームシチュー、ワーテルゾーイおいただきました。鶏肉とジャガイモがたくさん入っていましたが、意外とあっさりした味でした。勿論、ビールも。
食事をしている間に雨も止んだので、小便小僧、グラン・サブロン、プチ・サブロンと近くのスポットを最後に見学しました。プチ・サブロンは小さな公園なのですが、ギルドを表現した青銅のが周りの柵にあったり、地図で有名なメルカトルを始め、学者の像などもあって上品な雰囲気で気に入りました。
公園のすぐ近くにトラムの停留所があり、ここからホテルの最寄りまで一本で行けるのでこれで戻ってきました。この日もなんだかんだとかなり歩きました。
ようやく、ホテル付近をメインにブリュッセル中心部の地理が頭の中に入ってきた感じです(もう翌日は出発ですが)
この日はほとんど移動日なので手短になります。
最初の予定では午前中は市内観光をして、14時の列車でブリュッセルを離れる予定でしたが、だいたい見たいところは見てしまったので一つ早い10時の列車に乗ることにしました。後から思うと、サンミッシェル大聖堂を見に行けばよかったとも思いましたが。
ベルギーからケルンへは2時間おきに列車が走っていますが、タリスとICEが交互に走るので、ICEは4時間おきということになります。最近のルール改正で、ジャーマンレールパスでブリュッセルまで乗れるようになったのですが、別料金制のタリスは利用できません。
時間に少し余裕があるので、ホテルをチェックアウトして地下鉄駅から近くの北駅でなく始発の南駅へ向かいました。
ブリュッセル南駅はブリュッセルの中心駅のようで、構内に店もたくさんあり賑やかです。これまでに見た北駅や中央駅とはだいぶ違う感じです。
1時間ほど時間がありましたが駅の様子を観察していたり、早めにホームに出て出入りする列車を眺めていたりすると意外に早く乗る時間になりました。
フランクフルトからの折り返しの列車に乗り、今回はケルンに向かいます。出てしばらくすると雨が降り始めてきました。昨日までは30℃近くあった気温も今日は19℃程度で肌寒いです。
そして、これまでにも「おや?」と思っていたのですが、ベルギーの鉄道(市内の地下鉄やトラムは除く)は左側通行のよだということがわかりました。イギリスの影響なのでしょうか。
ドイツは右なのでいつ入れ替わるのだろうと思っていたら、国境を越えてすぐのアーヘンを出た後は何事もなかったかのように右側に戻っていました。
ケルンではひと月ほど前に出張で来た上司が盗難に遭っているので若干警戒気味に乗り換え時間を過ごします。駅前にある大聖堂くらいは見てもよかったのですが、初めてというわけでもなく、雨の中見に行く気にもならなかったのでそのまま駅で待機。
今度はベルリン行きのICEに乗り換えます。中国人らしい男性に「この列車はフランクフルト空港へ行くか?」と聞かれたので「いや、これはベルリン行きだから違う」と説明してもどうも先入観があるらしくなかなか通じず困りました。教えた列車はマインツで乗り換えないといけないのですが、果たしてちゃんと伝わったかどうか。まあ、空港駅までの切符は持っていましたし、検察があるから大丈夫でしょう。
ベルリン行きは20分ほど遅れてやってきましたが、ちょうど昼食時ということもあって乗ったらすぐに食堂車へ向かいます。ワインと肉料理を注文しました。
ちょうどケルンから大勢、同じように食堂車にやってきた客が多かったので結構時間がかかりましたが、今回は食堂車自体が目的のようなものなのでよいでしょう。考えてみれば日本ではもう食堂車で食事することは基本的に出来なくなってしまいました……。
途中、遅れが10分くらいまでに回復したと思ったのですが、その後、逆に遅れがかさみ、ハノーファーには30分くらいの遅れで到着しました。
これから乗り換えてフランクフルトへ向かうのですが、予定を繰り上げたのでハノーファーで3時間ちょっと(本当は4時間くらいだったのですが列車が遅れたので)の余裕があります。天気がよければ郊外にあるヘレンハウゼン庭園に行こうと思っていたのですが、やめておくことにしました。
代わりに駅前の観光案内所でパンフレットをもらったあと、駅近くの店をぶらぶら歩いてみることにします。もしよいものがあれば買い物を、と。
百貨店を中心にボードゲームやディアンドルを探してみました。ボードゲームはいくつか気になるのがありましたが英語のルールがなかったり、箱が大きすぎたりと諦めざるをえない状況でした。ディアンドルはオクトーバーフェストの中心地であるミュンヘンと違うのか、それともまだ少しシーズンには早いためかあまりなかったのですが、3軒ほど置いていた店の中から一つを選んで購入。当初の予定にはなかったのでカード決済で。候補が2着あって悩むところでしたが、片方はちょうどよいサイズがなくてあきらめがつきました。
駅に戻ると、乗るべきフランクフルト経由シュトゥットガルト行きの列車も10分の遅れという表示が……。だが災い転じて何とやら、ホームに上がると先発のICEも遅れていてホームにおり、ちょうど2編成の連結シーンを見ることが出来ました。福島や盛岡で見られるような新幹線同士の連結に似た感じです。
その後にやってきたICは意外と混雑しており、席をギリギリで確保出来ました。ICEではないので車内wifiとテーブルサービス(食堂車の軽食や飲み物メニューを席まで持ってきてくれる)がないのですが、珍しい(?)車内販売が通りかかったのでビールを買いました。
ICはICEと比較すると新幹線に対する「特急」のようなものですが、この列車は停車駅も少なく、高速新線に入るので時間もさほど変わりません。高速新線はトンネルが多く景色が見えないのが難点といいたいところですが、逆に山と山の間を高架で突っ切るときには高所からの景色がよいのでそれほど悪くもありません。
フランクフルト駅に到着してしばらく時間をつぶし、ハンブルク行きの夜行列車に乗ります。フランクフルトを23時過ぎの発車、終点のハンブルク到着は7時過ぎということで、供食設備や寝台もないシンプルな6両編成の列車で、あらかじめ座席指定としておいたものの一等車だったこともあり問題なく「ねぐら」を確保できました。
やはり少し遅れ、15分くらいの延着でハンブルク中央駅に到着しました。
この夜行列車、夜中もかなり多くの駅に細かく止まる、特急というよりは急行列車のような感じです。
荷物を足元に置いて盗難などに備えつつ、あまり深く眠れない(眠らない)ようにしていましたが、途中で記憶のない駅も結構あるので、それなりに寝ていたようです。
ハンブルクではコインロッカーに荷物を預けて身軽になり、ICに乗ってウェルツェン(Uelzen)というところへ向かいます。近郊列車でもよいのですが、うまい時間のICがあるのでそれに乗りました。早朝の列車ということもあってかすいており、ここからは更にローカル線に乗り換えてムンスター(Munster)へ向かいます。非電化単線の、今回の旅の中では一番のローカル線になります。それでも意外に客が乗っていました。
トーマスクックの地図にも出ていない路線なので私鉄でパスの対象外かと思いましたが、駅で聞いてみると使えるとのこと。
乗り換えてから30分ほど、農村風景の中を走ってムンスター(Munster)に到着しました。ドイツには他に「ミュンスター」というもっと大きい町もあるので間違えないように注意です。
こんなところまで来たのは、この町にドイツ戦車博物館があるからです。私はあまり戦車には詳しくないのですが、船、飛行機と第二次大戦の兵器を見てきたからには戦車も見ておこうと。某アニメの影響ですけれど。
今回の旅行の一番大きな目的といってよい場所で、事前にオンラインチケットを買っておくという気合いの入れようです。ちなみにオンラインチケットの利点は、購入と同時にその日に入れることが保証されるというところで、閉館日や臨時休館などに遭うことを防げます。
駅から少し歩き、ちょうど10時の開館時間に到着。外には戦後の何輌かの戦車と、戦車を貨車に乗せた状態の展示がありました。意外に見学客が多くて入るのに少し並びました。さて、中の展示ですがかなりのものでした。事前に見たサイトではいまひとつ内容が分からなかったのですが、実物を見ればそんなことも吹き飛びます。
展示は主に第二次大戦まで、冷戦期、それ以降の現代兵器(さすがに最新兵器はないと思いますが)に分かれ、それと別に軍装品などを展示した部屋があります。
最初に見るのは第二次大戦までのコーナーで、一次大戦で使われた初歩的な戦車から、名前を聞いたことのあるタイガー、ヤークトパンターなどが所狭しと並んでいます。実物の残っていない戦車については模型も置いてあったりしました。ドイツの戦車はとにかく大きく、サイパンの戦績で見た旧日本軍の戦車と比べるとまるで別の兵器のようです。一角にはソ連、アメリカ、イギリスの戦車も置いてありました。
見学中に大きなエンジン音が聞こえてきたので何かと思って行ってみると、外から見学路を通って戦車が入ってくる(動かしている)ところでした。それがなんと第二次大戦中のヘッツァーで、「動態保存」されて動かせるようになっているのですね。チェコの軍事博物館でも可動な戦車を動かすイベントをやっているようですし、飛行機に比べれば可動状態を維持するのは難しくないのでしょう。
そのまま見学路の奥まで行って展示されています。
ざっと戦況の説明があった後に次の部屋に移り、冷戦期の戦車の展示になります。ここは西側のアメリカからの技術を受けた西ドイツの戦車と、ソ連製の東ドイツの戦車が並んでいます。この時代になると戦闘車両は広義の戦車だけでなくミサイルを積んだものや戦闘支援車両などもあります。車体も大型化しています。
ちなみに、東西に分裂していたこの時代の象徴として、ベルリンの壁の一部が展示してあります。
その先の近代戦車(など)も見学し、軍装品のコーナーも見ました。軍服や銃、勲章や階級章などが主な展示ですが、変わったところでは軍事関係のおもちゃなども置いてあります。戦車の模型から子供服にアレンジした迷彩服、ボードゲーム(シミュレーション)もありました。
十分満足いく見学が出来て、帰りの列車の時間を窺いつつ駅に戻ります。
途中のスーパーでワインとジュースを買い、余った時間で駅のホットスポットでネット接続します。
帰りは来たルートをそのままハンブルクまで戻り、荷物を取り出して次のICEでベルリンへ向かいます。
昨日の夜はあまり食欲がなかったので駅でパン(ソーセージ)だけで済ませ、今日も朝昼と食べる時間がなかったので、早めの夕食になりますが食堂車へ向かいます。列車の入る8番線を、前の列車が遅れてふさいでしまったこともあり、こちらもとばっちりを受けて遅れました。
今回は盛況で相席になりました(といっても食事している人は少なく、コーヒーやビールといった飲み物だけ、ケーキで軽食という人が多いようでした)。私はというと、ミートボールのクリームソースにワインを注文。ワインは白赤3種類ずつ、スパークリングも2種類とさすがの充実ぶりです。
前回食堂車の肉のデミグラスソースよりは今回の方が味が好みでした。付け合わせにバターライスがついていましたが、やはり米は日本のものの方がよいですね。まあ、こちらはあくまでも「付け合わせ」ですが……。
ハンブルク〜ベルリン間はこれまでの旅行でもよく乗ったルートです。途中で通過する旧東ドイツの小さな駅は煉瓦造りのレトロな感じで駅名も中世風のフォント(こういうの?)が使われていたりして雰囲気はよいのですが、ほとんど人がいないこともあって廃墟然としています。ともあれ列車はベルリン中央駅に15分遅れで到着しました。前回ベルリンに滞在したときと同じホテルを取っているのでSバーンに乗り換えて最寄りのZoologischer Garten駅まで向かいます。ベルリン中央駅から西に向かう中距離列車は、線路工事のためZoo駅で折り返しになっていることが分かりました。ドイツ鉄道(DB)のサイトで経路検索をするとそうしたことを反映してルートを出してくれるので助かりますね。
余談になりますが、今回の旅行ではこの経路検索が大きな味方になりました。出発前の事前情報収集でもそうですが、現地で気が変わったときにもすぐに確認出来るのが大いに役立ちます。日本の乗り換え案内のように日付と時間、出発駅と到着駅を入力すればルートを表示してくれます。乗換駅でのホーム(何番線)、乗り換える列車の行き先(何行きに乗ればいいか)も表示されるので親切です。今回はパスがあるので使いませんでしたが(昨日の夜行列車の座席指定以外)、オンラインでそのまま切符も購入出来ます。
帰りの空港行きのバス乗り場を確認してから投宿。昨日は車中泊だったので、投宿してからは荷物整理や明日明後日の作戦会議に専念することにします。あと、この旅行記を書く時間に。
部屋には前の宿泊客の忘れ物が残っていてびっくりしました(ベッドメイクの人は連泊の客かと思ったんでしょうか)。と思いきや、先客はまだ泊まっているようで、夜中にフロントからの電話でたたき起こされたと思ったら、クローゼットの中に彼の荷物があって、別の部屋に移っていたのでしょう、そこに移動させることになりました。
ベルリンは2度目で、主な見所は既に行ってしまったというわけでもないのですが、今回は第二次大戦がらみでもう一つの場所へ行ってみることにしました。
ベルリンの東、ポーランドとの国境に近いゼーロウ高地というところで、西進するソ連軍を最後に食い止めようと戦いを挑んだ場所です。既に数では圧倒的に有利なソ連軍でしたが、ぬかるみに足を取られたのと、大軍勢ゆえ統率が取りにくく苦戦したようです。日米戦でいえば硫黄島に当たるといいたいところですが、ドイツ軍は善戦したものの数日しかもたず、4月の降伏に至るわけです。
その高地に、旧東ドイツ時代にソ連のモニュメントが作られ、その後、ゼーロウの戦いについての博物館になりました。
市内のリヒテンベルクでローカル列車に乗り換え、ゼーロウ・グゾウ(Seelow-Gusow)駅で接続のバスに乗り換え、ゼーロウ市街地へ。そこから徒歩20分ほど、もう一つのゼーロウ駅の近くにある資料館までやってきました。
まずは敷地内にある記念碑を見ます。またこの一体は戦死者の慰霊施設にもなっておりお墓が並んでいます。生没年の中には「1929-45」などというのも結構ありますので、しんみりします。ここは高台なので、東の方、ソ連が攻めてきた方を一望することが出来ます。
博物館の前にはソ連の兵器が置いてあり、昨日の戦車博物館で見たT-35/84もありました。後部両側に付いている筒状の燃料タンク(?)が特徴的です。
資料館は割と小規模で、思ったほど時間がかからずに見終えてしまいました。展示物は当時の軍装や兵器、装備品など。ソ連崩壊後に改装しているので、展示はゼーロウ戦に関するものと、その後のこの施設のモニュメントとしての歴史に分かれています。冷戦期にはここで慰霊祭などが行われ、ソ連兵が参列したりしていたようで、ソ連(東ドイツ)時代がもう「歴史」になっているところがまたしんみりします。
この後は近くのゼーロウ駅から行きとは別ルートでベルリンへ戻る予定でしたが、思いの外早く見学が終わってしまい、列車まで1時間半近くあるようです。特に時間を過ごせるものも近所になく、少し迷ったうえでゼーロウ市街まで戻ってみることにしました。
行きと同じルートの方は時間を調べていないのですが、バスターミナルに戻ると運良くゼーロウ・グゾウ行きのバスが来ていて待たずに乗れました。
結局、このルートでリヒテンベルクまで戻りました。
ここからは市内の一日乗車券で乗れるバスを使い、カールホルスト(Karlshorst)にあるドイツ・ロシア博物館へ。ここは、ドイツが連合国に降伏する文書に調印した場所で、これまた日米戦で例えると戦艦ミズーリということになるでしょうか。
調印式の時の姿が室内のホールに再現されています。イギリス、アメリカ、ソ連、フランスという戦勝国の国旗が並んでおり、部屋の中では当時の映像が映し出されています。
その先は第二次大戦を振り返る博物館になっており、開戦から独ソ不可侵条約締結、その破棄、東西戦線の推移、ドイツの敗勢、降伏までヨーロッパ戦線が詳しく解説されています。内容や展示物はゼーロウと比べてこちらの方が断然充実しており、独ソ戦について見たければここに来れば十分だと思います。しかもこの博物館は入場無料です。
展示の中は戦争中の両軍の姿にはじまり、捕虜の扱い(結構、残虐なシーンもある)、軍政下のキエフ、ユダヤ人の「移送」など様々な写真もあります。ヨーロッパ戦線のものが勿論メインですが、時系列的に並んでいるので日本の真珠湾奇襲の写真もありました。
ゼーロウと違い、こちらでは逆に見込みより時間が取られましたが、予定が繰り上がっていたためまだ少し時間があります。そこでもう一つ、予定にはなかったペルガモン博物館へ行ってみることにします。
ベルリンの中心部、いわゆる博物館島にあるペルガモン博物館は、第一次大戦前のドイツがオスマントルコと友好的だった関係で発掘、収集された中東の文物が展示されています。ローマやヘレニズム・ギリシャのものもあるのですが、そちら半分は現在改装中なので公開されていません。
入ってまず見ることが出来るのはバビロニアのイシュタール門です。青の煉瓦が印象的です。これを始め、メソポタミア地域の遺跡に浸った後は、二階へ移ってイスラム文化の展示を見ることになります。こちらもヒッタイト朝時代の(未完成の)城壁や、裕福な商人の屋敷の内装、様々な模様のペルシャ絨毯などを見ることが出来ます。
半分しか見られなかったのは残念でしたが、急遽追加で見に来た時間と体力を考えればこれで十分だったかもしれません。それにしても、これに限らず痛感するのは自分の歴史に関する知識と教養の少なさ。これらがあれば展示品ももっと違った気持ちで見ることが出来たのにと思います。
この後は食事をするために、前回来て料理の美味しかったベルリン郷土料理のレストランへ行ってみましたが、なんとこちらは改装中でやっていませんでした……。
代わりにポツダマー広場のソニーセンターにあるレストランに行き、ようやくビールと豚肉のロースという夕食にありつきました。豚肉は不味くはなかったのですが、量が多すぎるのと大味なので途中で飽きてきてしまう感じです……。この店は写真付きの日本語の記載もあるメニューがあって助かりました。
ホテルに戻る前に隣の駅の前にあるブランデンブルク門を見て、いつものようにツォー駅の下のスーパーで飲み物を買って戻りました。ヨーグルトドリンクが安くてなかなか美味しかった。
明日の朝の飛行機で帰国するので、今日が実質的な最終日になります。
今日は日帰りでハルツ地方の観光地、ヴェルニゲローデ(Wernigerode)へ行きます。
朝7時に出発して、ポツダム駅で乗り換え、ICでマグデブルクに行き更にローカル線に乗り換えと3時間ほどの行程です。
時間に余裕を見て少し早めに出たのに、ポツダム駅までのSバーンが何故かノロノロ運転、更にICも微妙に遅れてマグデブルクの乗り換えがギリギリという困った行程になりました。
天気の方は朝方曇っていましたが晴れてきて心配なさそう。
この地域には風力発電の羽根が多いですね。沿線の町の教会の向こうに風力発電の羽根という時代を超えた風景が見えます。
ローカル線も列車は新しい高性能の車両で快調に進み、定刻にヴェルニゲローデに到着しました。隣接する山地鉄道の駅にはちょうど出発するところだったSL観光列車が止まっていたので写真に収め、歩いて1キロほどの町の中心部に向かいます。
その中心部、マルクト広場ではその名の通り野菜や肉を売る店が出ており、その向こうに有名な木組みの市庁舎の建物があります。この町は戦災を免れたこともあって中世の木組みの家がよく残っており、広場まで行く通りの両側にある店や、広場の周囲の店、ホテルなども木組みの建物です。
隣接するインフォメーションで地図を仕入れ、山の上にある城へ向かうミニSL(といっても実際には道を走るトロッコのような車です)までの時間にマルクト広場でソーセージを買って食べました。焼きたてで美味しい。
平日の昼というのに観光客が多く(老人が多いですが)、乗り込んだミニSLはほぼ満席でした。ドイツ語の案内(私は理解出来ませんが)を聞きながら斜面を登っていき、町を見下ろす山の上にあるヴェルニゲローデ城に到着。
城の中は主に19世紀の様子を再現した博物館になっており、城内に入るのは有料ですが、城壁から景色を見るだけならばお金は掛からないようです。一つの塔は小部屋を使って昔の時代の衣装を着て写真を撮れるコーナー(ただし結構いい値段)になっていました。
城の中は2つのコースに分かれており、最初のコースでは城内の教会から始まり、大きなホールや居室であろう小部屋などを順に見ていくことになります。
2つめのコースは、壺や皿などの陶磁器の展示されている部屋の後に、この城に縁のあると思われるプロイセンのビスマルク宰相をメインとした展示になっており、軍服や肖像、彫像などがいくつも並んでいます。何故か最後には中世の騎士と狩りの獲物であるイノシシの剥製(?)の部屋で終わっていました。特にガイドツアーなどはなく、自分のペースで見ることが出来ます。
中を見学した後は城の周囲を簡単に見て回り、再びミニSLで広場へ戻ります。行きとは違うルートを通り、相変わらず説明のドイツ語は分かりませんが、山上の城がよく見える場所を通っていました。体力と時間に余裕があれば片道は歩いてみてもよかったのですが。
広場に戻った後は列車の時間を測りつつ、市内を少し歩きながら駅に戻ることにします。
見所はさきほどのSLから当たりを付けていた、城がよく見えるところ、町の南東部に残る中世の城壁です。城壁には二ヶ所、塔が残っているところもありましたが、何故か半分に割られた形になっています。内側は取り壊されてしまったのでしょうか。
歩きながらあちこちにある木組みの家も見ることが出来ます。
比較的時間を残してヴェルニゲローデの観光を終えたので、このままベルリンに戻るのでは芸がないと、少し遠回りしてライプツィヒで途中下車してみることにします。
あまり時間はないのですが、ピンポイントで市庁舎の建物と、その近くにあるバッハの記念館、そこに隣接するゆかりのトーマス教会を見ることにします。
バッハはこのライプツィヒでトーマス教会の教会音楽を作曲していた時期があるそうで、深いつながりがあります。資料館には使っていたオルガンをはじめ、楽譜の生原稿や肖像画などが展示されています。こうした貴重な資料をどのように保存、修復するのかというのも展示内容にありました。また、バッハ本人をはじめとする一族の音楽を聴くことも出来ます。長居しようと思えばいくらでも出来る感じです。18世紀のライプチヒはこの地方で文化的経済的ともに重要な町であったということです。そうした環境がバッハの才能を咲かせたのではないでしょうか。
教会も見ようと思ったところ、ちょうど団体客が入るようで長蛇の列が。ここは素直に諦めて、近くのレストランで食事をしました。
頼んだのは「ブラウマイスターステーキ」という、ポークカツレツにベーコンとチーズが挟んであるもの。これがなかなか美味でした。黒ビールと一緒にいただき、満足して駅に戻ります。
駅では乗る列車のホームが急に変更になったりして、今日は鉄道移動に関しては細かいトラブル続きでしたが、無事にベルリンまで戻ってきました。
これで旅はほとんど終了。
翌土曜日は朝の飛行機でベルリンのテーゲル空港からルフトハンザのコードシェア便でフランクフルトへ飛び、乗り継ぎで羽田へ。今度は7時間進む時差があるので、ほぼ一日かけて日本に到着しました。
乗り継ぎの際に出国審査がありますが、チェックインも含めていつも行列のフランクフルト空港でするよりはずっと楽。それに、航空会社の搭乗ゲートで日本語が通じると気分が一気に楽になりますね。
持ち込み荷物には液体はNGですが、その後なら買えるので、最後にワインを二本買って乗り込みました。