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台湾旅行記・6日目

旅も6日目になりました。

今日は昨日よりも更にマニアックな行程になります。一応、昨日が表の前半メインイベントならば、今日は裏の前半メインイベントとなるでしょう。

今回の宿には朝食などという気の利いたものは付いていないので(というか、レストラン自体がない)、さっさとチェックアウトして駅に向かい、待ち時間の間に食事を済ませることにしました。

といっても、駅から離れて食べに行くわけにもいかないので、コンビニにあった駅弁風のを買うことにしました。

ここ嘉義からは、有名な阿里山鉄道という森林鉄道が出ているのですが(結局、これは一度も見ませんでしたが)、それにちなんだ弁当60元を買いました。といっても、中は鶏の骨付き肉がメインにのった、他の弁当とあまり変わらないものだったりするのですが。あと、水分補給ということで紙パック版のパパイヤミルクを。

弁当はすぐに食べ終えて、リョ光号で台中まで移動します。高雄、台南、嘉義ときた移動と比べると今回は少し距離が長く、2時間弱の行程です。

それでも、物珍しそうに景色を見ながら過ごしているとそんなに長い気もしないで台中に到着しました。

台中車站ここで乗り換えなのですが、時間が2時間弱あるので、荷物を引きずって市街地を少々歩くことにしました。コインロッカーはまた、時間当たりいくらとなっていたので、せこくちょっとでも節約しようという魂胆です。そんなに遠くまで行くつもりもありませんし。

まずは、台中名物という太陽餅を買うことにしました。着替えの現地破棄モードで少し荷物に余裕が出来たので、少しずつ買い物のことも考えていくことにします。

太陽餅は、白い蜜をパイ生地で包んだもので、日持ちもするそうなのでまずはお土産の第一として。

台中土産といえばこれらしく、駅周辺のあちこちに店がありましたが、その中で日本語の通じる店があったのでそこで買いました。パインケーキも割と日持ちすると教えてもらったので、(どのみち買うつもりだったので)こちらもひと箱買うことにしました。

そこから更に歩いて、台中の中学校の前を通りかかりました。当たり前ですが今日は平日なので、中から授業らしい声が聞こえてきます。

台湾の中学校や高校にも制服はあるようですが、場所柄か(暑いですから)、開襟のシンプルなもののようです。萌え度は足らないかもしれません。

それはともかく、学校の脇を先に進むと、ガイドブックで事前情報を手に入れていた茶房に到着しました。

あからさまに日本風の建物だと思ったら、やはり当時からあったもののようです。

中庭もあって、池に鯉が泳いでいたりします。

ちょうど、私が店に入ったときはガラス戸を閉め切って冷房モードに変わるところのようでした。台湾は全般的にこの時期でも暑いのですが、日本と違って湿気は少ないので日陰ならば割と過ごしやすかったりもします。ですが、暑い中を歩いてきた身としては、やはり冷房の効いた茶房の方が助かります。

で、これまではその熱さの故に冷たい飲み物しか飲んできませんでしたが、今回はメニューの中からあえて熱いミルクティを選びます。店のお姉さんが「熱いので本当にいいのか」と聞いてきましたから、珍しいのかもしれません。

ちなみに、ようやく気が付いたのですが[女乃]という時が「ミルク」を意味するらしく、今回注文した黒いタピオカっぽい粒の入っている紅茶は「珍珠[女乃]茶」となります。ついでにおつまみ(?)として、よく分からないまま「四季豆」なるものと注文。これはインゲンっぽい野菜のニンニク唐辛子炒めでした。これはこれで美味しかったのですが。

台中は台湾の中でも更に有数のお茶の町だそうで、こうした茶房があちこちにあります。

時間に少し余裕があったのでもう一軒くらい行きたかったのですが、水分の取りすぎでお腹がたぷたぷになっていたので断念し、駅前の本屋で時間つぶし(情報集め)をすることにしました。どんな本があるのか見るのは楽しいですし、何より冷房が効いていて涼しいのが助かります。

店内をうろついていると、地図コーナーを発見。せっかくなので、これから行く泰安駅付近の地図を調べることにしました。

次の目的地は、台中から少し北に行った山間にある泰安というローカルです。なぜこのようなところに行くのかというと、実はその区間の現在の線路は複線化の時に新しく高架で敷設されたもので、昔の線路と駅の跡がまだそれとは別に残っているのです。いわば、台湾版廃線跡です。

ところが、事前情報では「現在の泰安駅から1キロほど」という情報しかなかったので、実は結構心配だったりしていました。

ですが、ここで運良く地図を発見して、この問題は解決しました。道順が複雑だと困るところでしたが、そうでもないようです。

そして、程良い時間になったので駅に戻り、今度は荷物をロッカーに入れて出発しました。

しばらく補給が途絶えることがよそうされたので、持っていく用のペットボトルのお茶と、すぐ飲む用のアップルミルクというのを買いました。それにしても、台湾ではフルーツ牛乳が一般的ですね。日本のとくらべるとそんなに甘さがしつこくもなく。ひょっとすると、果物の甘さが残るのを牛乳で中和するという暑い地方の生活の知恵なのかもしれません(本当か?)

泰安駅がローカル過ぎて、自動販売機に運賃が出ていないので、窓口で買おうとしたのですがずいぶんと列が出来ていたので諦めて、一つ先の駅まで買ってしまうことにしました。

後から気付いたのですが、台中付近には自動改札が導入されているようです。いつも使っていた普通の改札口の隣に自動改札がありました。よく見ると切符の裏が黒かったり‥‥。

普通列車で20分ほど行くと、泰安駅に到着しました。確かに、車窓に山が近づいてきましたが、新線は新線らしく、トンネルを抜けると川向こうの別の山まで一気に高架線で駆け抜けていきます。これまで見てきた台湾の鉄道線路と比べるといきなり近代的でびっくりします。その車窓からよく気を付けて見ると、確かに東側の山沿いに廃線跡っぽいものが見えます。

泰安駅の少し先で大安渓という大きな川を越えるのですが、建物の5階に相当する高架駅から眺めると、遠くに10連のトラス橋が見えます。実はこれが廃線跡だということがすぐに分かるのですが、かなりよい眺めです。

田園風景目指す線路跡と駅跡は、地元で保存することが決まっているそうで、新線の駅を降りると駅跡までの丁寧な地図が出ていました。台中での情報集めは必要なかったかもしれません。
お茶をお供に田園地帯を旧駅跡まで向かいます。このお茶、少し糖分が入ってる‥‥。

小学校の脇から集落の方へ向かうとほどなく、旧泰安駅跡に到着しました。

毎度のことながら、この駅舎も日本統治時代に作られたもので、線路が駅前の道路から一段高いところを通っているので、ホームまでは駅舎の高さからの地下道をくぐって上がることになります。こういう構造の駅は当時は珍しかったのだそうです。

ホーム(1)ホーム(2)

駅は島式ホームが一つだけのシンプルなものですが、有効長さはかなりあり、整備されたホームには駅名標も、花壇の草花も綺麗に残っています。架線が外された以外は、たぶん、現役当時とほとんど変わっていないと思います。

構内は他にも何本か線路があり、駅舎を見たときに想像したものよりはかなり広く取られています。

廃線跡がしっかりと線路も駅の前後にしっかり残されており、まずは南方(高雄方面)を歩いてみることにします。
いくつかのポイントで線路が1つにまとまると、緩やかにカーブしていき、やがて用水路のガーター橋が見えてきます。そして、その先にトンネルがあり、向こう側の光も見えるのですがガーター橋から先は立ち入り禁止となっているので歩くのはここまでです。勾配標や100メートルおきの距離標などの小物もしっかり残っており、雰囲気はかなりよいです。日本の廃線跡と大きく違うのは、線路脇に生えているのが椰子とかソテツだったりすることでしょうか。

そんな感じで、まずは南側の探索を終えて駅に戻ります。

駅に人の気配がするので何事だろうと思っていると、結婚衣裳を着た男女を含む一団がいて、何やら撮影会のようなものをやっているようです。カメラマンや機材を見ているとプロのようでポスターか何かに使う撮影をしているのでしょうか?こんな場所でやるのはやはり珍しいらしく、地元の人が物珍しそうに見ていましたが‥‥。

もう一度駅跡そんなちょっとした騒ぎをやりすごし、駅の北側(台北方面)に移動してみます。
こちらには保線小屋や駅事務室などが残っており、駅を保存することにした際に観光の目玉とするためのミニSLが止まっていたりしました。また、構内の一角は小さな公園になっており、そこに震災復興記念碑があります。

台湾に鉄道を建設したのは日本の統治下になってからでしたが、その後、昭和10年に大きな地震があり、この地方も大きな打撃を受けました。鉄道も大きな被害を受けて、復興に3年以上かかりましたが、復活した記念にこの記念碑が建てられたとのことです。記念碑にしては珍しい形をしていますが、これは砲弾をかたどったものらしいです。当時、既に日華事変が起きて日本は戦争状態でしたから、そんな時代背景が投影されているのかもしれません。

記念碑から更に進み、こちらも線路がまとまって一本になった先は、築堤上を延びていきます。やがて、カーブした先に道路を跨ぐガーター橋があり、その先に例の大安渓を越える10連トラス橋が見えてきます。

鉄橋寸前までトラス橋は目の前なのですが、こちらもガーター橋が立入禁止になっているので探索はここで終わりです。
何とかトラス橋に近づけないかと、下の道からアプローチを試みましたが失敗に終わりました。辛うじて、1枚だけ側面から写真が撮れましたが‥‥。

駅に戻り、新駅からの帰りの電車まで少し時間があるので、ホームのベンチで少しのんびりしました。廃線跡に佇むのは気持ちいいものですね。

そのまま根付きそうになりましたが、少し余裕を持って新駅に戻ります。

駅で切符を買おうとしましたが、駅員がいないので、しばらく困り(今まで、窓口で筆談か自動販売機でしか買ったことない)ましたが、どうしようもないので階段を登ってホームへ。

日が傾き始める中、普通列車で台中へ戻ります。待っている間に、予めシミュレーションして書いておいた胡散臭い中国語で「泰安駅には駅員がいなかったので、切符が買えませんでした。台中まで行きたいのですが、いくらですか?」と書いたのを見せたらちゃんと通じたようで、車内で36元の切符を発行してもらいました。ちなみに、書いたのは「泰安車站、係員不在。不可買車票。我要去台中。多少銭?」でした。意外に何とかなるものですね。ちなみに発音は半分くらいしか出来ません‥‥。

さて、こうして無事に廃線跡を訪問して台中まで戻ってきました。

当初(出発前の粗いスケジュール)では、ここから北上して新竹あたりに宿を取り、明日の朝に台北入りという予定にしていたのですが、気が変わって今回の上陸地である高雄まで南下することにしました。

そして、高雄から夜行列車で北上、台北入りという、宿代節約プランです。といいつつ、その足代を考えると、今日のような安宿よりは高くなったりするのですが‥‥。それでも、貴重な夜行列車が体験できるのでよしとしましょう。

高雄までは、実は未だ乗っていなかった自強号(特急列車)を利用します。

待ち時間が1時間ほどあるので、駅の近くで軽く食事をしておきます。そんなに駅から遠くないところに、鶏肉麺の店を見つけたのでこれで食事を。骨があって食べにくいのですが味の方は上々です。今までは塩味のスープが多かったので、醤油(こちらのですが)での味付けが新鮮だったかも。

自強号は、前後に動力車の着いたTGVやICEのようなシステムで、乗り心地は上々です。座席の広さにも余裕があり、足置きもついているのでJRでいうとグリーン車のような感じです。結構な角度までリクライニングもしますし。

切符を買うときに、小さな札もおまけで付けてくれます。これを座席の前に差し込んでおけば、寝ていても検札で起こされなくてもすむというからくりです。でも、使っている人はほとんどいなかったような‥‥。

もうすっかり日が暮れて夜になっていたので景色を楽しむということもなく、単なる移動になってしまいました。隣が実は日本人だったらしく、ハリー・ポッターの日本語の本を読んでいたのと、途中の彰化まで乗っていた近くの席のおっさんのいびきがうるさくてその隣の軍人さん(迷彩服を着ていた、今回以外にも何度か同じ姿を見たので、単なるファッションというのではなさそう)も苦笑していたくらいが特筆すべきことでしょうか。

そうして、21時ちょっと過ぎに夜も更けた高雄に到着。

折り返せなくなると洒落にならないので時間に余裕を見てあったのですが、そのために台北行きの夜行まで1時間ちょっとの余裕が。折角なので再び、1日目に行った夜市へ行ってみることにしました。

荷物を持って歩いていると、ホテルの客引きらしいおじさんが登場して、日本語で「今夜のホテルは決まってるか?」と話しかけてきました。

「夜行列車に乗るから宿はいらない」というと「ああ、10時40分のだろう?それならまだ少し時間があるから、女の子はどうだ」と思い切り売春を斡旋されました。おいおい、いいのか‥‥。

「台北より安いよ」ってそういう問題でもないのですが‥‥。「夜市にいくから」と振り切ってきました。そんなにしつこくなくて助かりましたが。

夜市では、小腹が空いていたのでまた麺を食べました。何故か夕方の台中とかぶるような鶏肉の麺を。今回はガチョウの肉で、麺もビーフンでしたが。「鵝肉米粉」とかいうメニューでしたでしょうか。それを食べた後、すっかりはまったスイカミルクを飲みました。

駅に戻り、車内用のお茶を購入してリョ光号の夜行に乗り込みました。

22時52分発で、台北には翌朝の5時44分着。およそ7時間の旅です。

そういえば、国内も含めて座席の夜行に乗るのはずいぶんと久しぶりの気がします。海外での夜行列車は初めてではないのですが(ドイツで2度経験あり)。

この列車で、今まで持ってきたのを後悔していたジャケットが(おそらく唯一の機会)役に立ちました。冷房がきついのです。

ガイドブックに「台湾では冷房をガンガン効かせる傾向にあるので、羽織るものを1枚持っていった方がいい」とあったので信用していたのですが、そこまで寒かったことはなくジャケットは「持ってきて損したもの筆頭候補」になっていました。

たぶん、あのまま寝ていたら風邪引いていた可能性が高いので、これはこれでよかったのだと思うことにしましょう。

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