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台湾旅行記・5日目

本日の大まかな予定は、烏山頭水庫を訪問して、林鳳営駅へ。そこから嘉義へと移動して宿泊、といった感じです。メインが前から行きたかった烏山頭水庫にあるので、スケジュールには余裕を持ってあります。

その余裕の対価として、朝はそれなりに早起きでした。

ホテルの朝食が6時40分からという話だったのですが、それとほぼ同時に起きて食事を済ませ、7時半頃にはホテルを出て駅前まで向かいました。

バス乗り場の光景ですが、今日の最初の移動は鉄道ではなくバスで。烏山頭水庫行きのバスが駅前から出ているのを調べておいたので(バス停の場所も)、そこへ行って切符を購入。バス乗り場はかなり狭い場所で、しかもほとんど目の前のコンビニに存在感を奪われているので、昨日のうちに調べておいて正解でした。

8時15分発のバスで烏山頭水庫まで向かいます。乗客は他に4人ほどで、それが何度か入れ替わるという感じでした。基本的にお客さんと運転手は顔見知りらしく、なじみのおばちゃんとひたすらしゃべっている運転手の姿が‥‥。

途中、安定という町と、善化という町を過ぎましたが、どちらもなかなか活気のある町で、日本の地方都市を思うとちょっとうらやましかったりもします。安定というと、どうしても大陸の西方にある馬騰領の寂れた田舎を思い出してしまいますが。

途中の車窓からは、建設中の新幹線の線路が見えました。高雄のあたりではまだ工事中でしたが。こちらはもうしっかり出来上がっており、架線も張られていました。

更に先に進み、高速道路を越えるあたりから、車窓の前方に広大なダムらしいものが見えてきます。用水路に道が並行するようになってしばらくすると、大きな敷地が見えてきて無事に烏山頭水庫に到着しました。ここでは既に客は私だけでした‥‥。

烏山頭水庫は大正時代から昭和にかけて、台湾の南部を灌漑して農業生産力を上げるために日本人技師の八田與一によって築かれました。それまでのこの地域は、川は流れていても水量が不安定で、収穫は完全に天候任せという土地だったそうです。そこに膨大な資金と労力をかけて作ったのがこのダムで、その恩恵は現在にも続いています。

日本ではいろいろ理由があってあまりその名を知られていませんが、台湾ではとても有名な人物だそうです。ダムの近くには記念館と銅像が設けられ、技師の命日にはご当地の人によって祭祀が行われているほどの慕われぶりです。

現在は一帯は公園として整備されだいぶ賑やかになっていますが、ダム自体はまだまだ現役であり、その姿もそのまま残されています。

烏山頭水庫の入り口はまず広大な駐車場になっていました。私はバスで来たので入り口で入場料だけ払ってとぼとぼと中へ入ります。パンフレットに載っている地図がわかりにくいので、見当を付けながら歩いていくとまず最初に珊瑚瀧というところへ着きました。滝とはいっても、実際には取水口からの水が出てくる場所なのですが‥‥。建物は結構年季が入っており、おそらく当時のものがまだ現役で使われているのでしょう。何故「珊瑚」かというと、烏山頭水庫の別名「珊瑚潭」から取ったのでしょう。山間にこうして設けられたダム湖は複雑な形をしており、その形からそう別名が付けられたそうです。

そこから階段があったので上がっていくと、今度は小さな建物に出ました「八田技師記念室」とあり、前にネットで調べている時に見た技師の功績の展示館のようです。

中に係員が二人ほど暇そうにしていましたので、遠慮がちに入って見学しました。今回は充分に予習をしてあったので、ダムの沿革や技師の年譜はだいたい知っていましたが、工事現場の写真や肉筆の手紙、出身地である金沢の高校からのメッセージなどは、やはり実物でないと感激の度も薄れるというものです。

放水路涼しい記念室を出て、堤防の方へ道なりに歩いていきました。堤の下の方を通る道から見上げる形になりましたが、下から見るとまたずいぶんな迫力です。
そのまま、階段を上って、今度は上に行くことが出来ます。


珊瑚潭日を遮るものはなく、暑いことこの上ないですが、風が通るとそれなりに涼しく気持ちよいです。


もうひとつ半ば霞んで見える湖が美しく、山と水面が入り組んでいるので「珊瑚」の一端を見ることが出来たような気がします。湖側の柵はおそらく当時のものなのでしょう。堤は緩やかにカーブしているので、その姿もなかなか綺麗です。


嘉南の沃野一方、西側(湖とは逆)に目を向けると、こちらもまた絶景です。高速道路や市街地などがありますので、一面、田圃というわけにはいきませんが、烏山頭水庫の恩恵を受けた肥沃な台地が広がっているのは見ていて気持ちよいものがあります。

堤防を歩ききり、公園を少しのぞいてみました。バーベキューをやっている家族の姿があったり、隣接するキャンプ場で遊んでいる子供の姿もありましたが、公園の奥までは行かず、烏山頭水庫関係の施設を見るにとどめておきます。

余水路こちらに残っているのは2つで、あふれた水を排出する設備である(たぶん)余水路、それとなんとなく和風な作りの管理事務所です。今は水の少ない時期だからか、余水路の出番はなさそうでしたが‥‥。

木陰で一休みしたあと、もう一度堤防を歩いて逆側へ向かいます。

こちらには八田技師の銅像とお墓、そして烏山頭水庫の建設に使われた蒸気機関車があるのです。

先に見つかったのは蒸気機関車で、これの写真を取って少し歩くと、木陰になった一角に銅像とお墓がありました。

技師の銅像日本が戦争に負けた後、台湾は大陸で毛沢東の共産党に負けた蒋介石に支配されるところとなりましたが、その時に今でもやっているどこぞの国のように、日本に関係するものは相当に否定された時期がありました。八田技師の像も、それによって没収されることを恐れ、地元の人たちによって隠されていたらしいのですが、長い国民党支配の時代が終わって自由が戻ってくると、ようやく出せるようになったそうです。

片膝を付いてそちら側の手を耳に当てるという独特のポーズは、考え事をするときの技師のクセだったそうです。

誰もいないので一休みしつつセルフタイマーを使って記念撮影していると、老夫婦が通りかかりました。「日本から来た」とあんちょこ本を指し示しながら話すと、日本語で答えてくれました。写真も撮ってくれるということなのでお言葉に甘えてしまいました。

その後、ここの係員と思われるお姉さんが来て、墓にお花を供えてお祈りしていきました。技師の墓は純日本式に作られています。このお姉さんは残念ながら日本が話せないようなので、英語で少しお話ししました。「台湾は2度目ですが、前回は台北だけだったので、今回はここまで来ました」と言ったら、ずいぶんと嬉しく思ってくれたようでした。

これで一通り見学は完了です。時間に余裕を持っていたのですが、お昼ちょっと前になりました。

予定では次の目的地である林鳳営駅を「出る」のが夕方になっても充分なくらいなので、問題なしです。

寧ろ問題なのは、林鳳営までの交通手段で、バスなどはないと知っていたのですが、タクシーを適当に拾えば‥‥という考えが甘いことに気付きました。

基本的に自家用車で来る観光地なので、待機しているタクシーなどは見あたりません。

まあ、最悪、バスで台南に戻ればいいやとおもいつつ、入り口の係員に「ここでタクシーは拾えますか?」と尋ねると「どこへ行きたいの?」と聞き返されたので、紙を見せて「林鳳営火車站」と答えると、少し考えた後に「NT$200」(NT$というのは「ニュー台湾ドル」のことで要するに「元」)という答えが返ってきて、奥の車を指差しました。

「これに乗せてくれる?」と聞くと「そうだ」と言われたので、この臨時タクシーを利用することになりました。事前情報によると、ここから林鳳営の隣の新営までのタクシーは250元くらいということなので寧ろ好条件です。

しかも「日本人?」と聞かれて「はい」と答えると、何やら嬉しそうにしてサービス(?)に果物を1つくれました。「韓国人」と言ったらずいぶん扱いが違うのかなと危ないことを考えてみたり‥‥。

車は道をいい感じに飛ばして、途中で廃線跡なんかも見えて萌えだったのですが、20分ほどで林鳳営駅へ到着。

林鳳営駅舎典型的な田舎駅ですが、小さな駅前広場でお礼を言って降ろしてもらうと、車は颯爽と戻っていきました。
さて、この林鳳営駅なのですが、なぜわざわざこんな小さな駅に来たのかといいますと、烏山頭水庫から近いということもあるのですが、昔の日本風の駅舎が残っていていい雰囲気だと聞いたからです。


駅舎内外観からしてもう日本にはほとんど残っていない懐かしい造りの駅舎で、改札口や切符売り場、隣にある待合室などは始めてきた場所なのに高度なノスタルジーを感じさせてくれます。
駅の中も、同じように懐かしい雰囲気で、美凪が今にも出てきそうです。


下り普通電車ここから嘉義へ向かうわけですが、次の列車はその懐かしさを浴びるのに充分な40分後。一度下りの列車が来ましたが、その他は時々急行(リョ光号)や特急(自強号)が通過するくらいでのんびりムードです。

で、待っている間に、さっきもらった果物を食べることにしました。これがお昼ご飯その1です。

何のフルーツかと思ったら、グレープフルーツの亜種みたいでした。冷えていないのは仕方ないところであり、かなり皮が厚いのですが味の方はなかなかでした。

そして、予定の時間の少し前になって嘉義行きの列車が到着。駅舎の向かいが上りのホームなので安心していたのですが、どうやらこの駅で特急に抜かれるらしく、跨線橋を渡った向こう側のホームに到着しました。

なので、慌てて移動‥‥。

特急が少々遅れているらしく、この列車も少し遅れて出発しました。

新幹線工事中嘉義までの間に、後壁、南靖というこちらも美凪の出そうな駅を通過して、水上の先の車窓に北回帰線の碑を見ました。また、現在急ピッチで建設中の新幹線(台北から高雄までを80分で結ぶそうです)の高架橋も見えました。

そして、列車は嘉義へ到着。時刻は14時くらいです。ここもひと昔前のターミナル駅の雰囲気を残していていい感じです。

これからの予定として、バスで1時間ほどのところにある関子嶺温泉へ行くという選択肢もあったのですが、それだと慌ただしすぎるうえに、向こうの名所である「水火同源」という水と火が同じところから吹き出ているところまでは行けなさそうなので、これは捨てることにしました。

その時間は、市内観光に充てることとし、まずは本日の宿を確保。

駅前に「白宮大飯店」というこれまた大仰な名前のホテルがあり、そこに部屋があったのであっさり決めました。値段はぐっとお得に750元。

でも、昨日までの宿と比べたらやはりその差は歴然としていました。設備が古くて薄暗い部屋なのですが、汚くはないのでまあよいでしょう。

少し休んだ後、市内観光へ出発しました。

まずは市の中心にある噴水広場の近くにある「噴水鶏飯店」で腹ごしらえ(お昼ご飯その2)。嘉義の名物にこの鶏飯があります。七面鳥の細切り肉をご飯にのせただけというシンプルな料理なのですが、素朴で美味しかったりするのです。やっぱり、肉が違うんでしょうかね。値段は少々小振りながらも1椀40元。のどが渇いていたので、隣の店ですっかり気に入った「西瓜牛乳」を飲みました。

栄養補給を済ませた後、市街地の外れにある嘉義公園まで歩きました。途中、明らかに日本家屋という家が残っていたりしましたが‥‥。

片道2.5キロほどの道のりは、烏山頭水庫を歩いた身にはちょっときつかったかも(結局、帰りも歩きましたが)。

そうしてやってきた嘉義公園の奥には、忠烈祠(中華民国に殉じた(台湾の)英霊を祀る祠)があるのですが、その敷地は日本統治時代には神社があった場所だというので見に行くことにしました。

明治時代のSL 参道

奥まったところにあるのでわかりにくかったのですが(その代わり、途中で静態保存のSLを見つけたりしましたが)、近くまで行くと、確かに神社の雰囲気です。参道っぽいものがありますし、何しろ狛犬と石灯籠が残っています。石灯籠には「大正十年建立」の文字が。

社務所奥に進むと、両脇に社務所と手水場が残っていました。ここまでくると、正面の祠(ここに本殿があったそうです)以外は神社そのものです。社務所は当時のままで、今は資料館になっているそうです。
と、そんな神社っぽいものを写真に収めていると、散歩をしていたおじさんに話しかけられました。「日本人か?」と聞くので「はい」と答えるとこれまた嬉しそうになって、この辺りのことを教えてくれました(本殿の話もこの人に聞きました)。日本語は少ししか使えないようなので、英語で話したのですが。

その他にも神社時代の祠の土台だけが残っていたり、和風の蔵らしい建物があったりと、わざわざ長躯してきただけの価値がある場所でした。

忠烈祠のも少しだけお参りし、公園のベンチで「ひと黒松」しながら休息。何かの撮影会をしている人がいるらしく、ピンク色の派手なドレスを着たお姉さんが通りかかりました。隣には野球場もあるようです。

駅に戻る途中、立ち寄った本屋で台湾版モノポリーとマンガ数冊(日本のですが)を購入。ちょっと早い気もしましたが、自分の暇潰しにもなりますし、今日から衣服の「現地破棄モード」が始まるので何とかなるでしょう。

一度宿に戻った後、夕食を食べに19時頃に再び外出。元気ならばまた歩いて夜市まで行ってもよかったのですが、近場でもいろいろ食べられそうなのでそこで済ますことにしました。

といっても、結局ハシゴはせずに、ふらっと立ち寄った店で再び鶏飯と白湯(スープ)を注文しました。鶏飯は先の店とはまた違った味で、メンマも付いていました。で値段は安めの30元。スープは苦瓜のを注文しようとしたのですが品切れらしく、強引にタケノコスープに変えさせられました。合わせて45元の夕食です。

そして、帰りにコンビニでいつものワインとお茶を買ってホテルに撤退しました。

烏山頭水庫さえ行けばあとは楽な一日になるかと思いましたが、また結構アクティブに動いてしまいました。

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