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台湾旅行記・4日目

旅行の4日目、台湾に入って2日目です。

高雄駅今日は、早々に高雄に別れを告げ、列車で台南へ向かいます。


列車ホテルからとぼとぼと歩いて駅へ向かい、昨日のうちに座席を確保して置いたリョ光号で台南へ。

高雄と台南の中間くらいに岡山があるので、半分くらいは既に経験した道ですが‥‥。

岡山の先は田舎チックな風景が広がっていますが、日本と違うと感じたのは、周りの平地が全て水田(または畑)になているのではなく、原生地のままになっているところが結構あるということです。今は輪作をやっているのかどうかは分かりませんが。あと、沿線の木が椰子だったりするのは当然でしょうけど、陸軍基地なんかがあるあたりはこれまた日本とは違うところですね。

田園(?)風景の向こうに高層ビルが見えてくると台南の市内です。

台南駅も一昔前の日本のターミナルという雰囲気でなかなかよいのですが、高雄よりはこぢんまりとしている感じでしょうか。

駅の片隅にコインロッカーを見つけたので、荷物を入れます。今度は僅か10元でした。ですが、それは罠だったところに後で気付くことに。

まず最初は、市の中心から少し離れたところにある安平古堡というところへ向かいました。

言葉が分からないので乗るのが難儀なのですが、値段が安いので路線バスに挑戦。まあ、行く先が終点なので大丈夫だとは思いますが。10分ほど待つと乗るべき2番のバスが到着。安平古堡までは18元(市内料金)です。町の中をグネグネ寄り道してから向かうので少々時間がかかりますが、地理を確認出来るともいえるのでよしとしましょう。

中心街を出ると運河の脇を走るようになり、海に近い安平古堡に到着します。

目的地はバスを降りたところからすぐです。

安平古堡安平古堡は17世紀にオランダ人が植民地化をもくろんで台湾にやってきたときに作った城塞跡で、別名ゼーランジャともいいます。5層に積み上がった土塁の上に館と塔が建てられています。今まで見た日本式や中国式の建造物とは一線を画した(当たり前ですが)西洋式の建物です。

明末にオランダと戦った鄭成功も、(たぶんここを接収して)居を構えていたといわれており、公園に整備された敷地の中には鄭成功の銅像も置いてあったりします。館の中は簡単な資料館になっており、鄭成功に関する展示があります(もっと詳しく書ければいいのですが、あまり詳しくなくて‥‥)。

公園の片隅には煉瓦造りの城壁も残っており、なかなかエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。

天后宮さて、この安平古堡に隣接して天后宮があります。ここは道教の神様で、航海を司る媽祖を祀る寺院です。道教はかなり神様を認定することにおおらかなようで、人間(偉人)も神に列せられていたりします。その中の一人が関羽(関帝)だったりしますが。

主に祀られているのが媽祖ということであり、他のいろいろな神も祀られています。中央の祭壇には大きな媽祖像がありますが、その両隣には小さな祠があり、右側には禹帝を中心に楚王(項羽のことらしい)、夏王(船を発明したという説があるらしい)の「二王」、伍子胥、屈原の「二大夫」が、左側には東西南北の4つの「龍王」が祀られていました。

後に見た市内の天后宮でも同じだったので、様式があるのかもしれません。

他にも学問の神である文昌帝君が祀られていたり、道教の知識があると感激が増すかもしれません(当たり前)。

中には、実際にお祈りをしている人もいて、お香が焚かれているので荘厳な雰囲気ですが、これらの神様や周囲の彫刻、建物の荘厳さは目を見張るものがあります。日本での重要な仏教寺院に似た感覚ともいえるでしょう。

参拝を終えた後は、次の目的地である億載金城へ向かうのですが、お腹が減ってきたので途中で食事を。

通りかかったお店で「菜肉絲麺」という「たぶんこんなものが出てくるだろう」と予想できるものを頼んでみました。値段は確か40元だったかと。

しばらく待っていると、美味しそうな麺が出てきました。挽肉と野菜数種類(レタスのような菜と、ザーサイ、もやし)を白いスープで煮込んだ麺で、あっさりして軽く頂いてしまいました。

店のおばちゃんにお礼を言って出て、億載金城へ歩き始めます。

運河の向こうにあるので、橋を渡っていくのですが、橋の先からは案内標識がないので適当に歩くことに‥‥。

カメラぶら下げているので完全に地元民ではないと分かるはずなのに、歩いていると通りがかった車に呼び止められました。

道を教えてくれるのかと期待していたら、なんと逆で道を聞かれました。目的地は同じようなので、自分の進むのと同じ方角を指差すと、何だか満足して行ってしまいました。た、たぶん大丈夫でしょう‥‥。

やがて、人の少ない閑散とした公園に到着しましたが、方向は合っているはずと強引に進んでみると、側面から目的地の億載金城に出ました。どうやら裏から来てしまったようです。車では来られないルートなので、さっきの台北からの人(ナンバープレートで判断)は大丈夫でしょう。

砲億載金城は清が列強からの防衛のためにフランス人に作られた城塞で、日本で言えば五稜郭のような存在でしょうか。星形(五角形)ではなく、四角形の構造ですが‥‥。砲台を使って防衛する、近世に入った大砲登場後の建築様式で、その砲は当然、海に向けられています。


億載金城周囲は堀になっており、今は白鳥ならぬ黒鳥がのんびり泳いでいたりしますが、陸地側にある橋を渡って中華っぽい外見の門から入ると、四角形の防塁の内側は案に相違してただの広場になっています。解説によるとここは練兵場だったそうで、今は単なる公園の広場になってしまっていますが‥‥。

砲台はレプリカらしいのですが、もともとあった場所は特定できるので(塁の構造がそうなっている)、そこに置いてあります。上から見ることが出来ればよいのでしょうが、辛うじてそのレプリカの砲の先に目標である海を見ることが出来ます。

億載金城の見学が終了して、再び駅前まで戻ることにします。

バス路線があったはずなので、バス停を探して入り口の近くをさまよっていると、他ならぬそのバスがやってきました。

「Train station,OK?」と極めて胡散臭い英語で訪ねると運転手は頷いたのでそのまま乗り込みました。

客は他にもう一人だけだったのですが、次のバス停で降りてしまい、運転手とサシになりました。

すると、運転手がニコニコしながら「Are you Japanese man?」と私並の英語で(失礼)聞いてくるので、「Yes」と答えると、親日家なのか、さらにニコニコしていろいろ話しかけてきました。どうやら日本語にも興味があるようで。

身の回りのもの(団扇とかボールペン、櫛、扇風機)を指差して、しきりに「これは日本語でなんと呼ぶのか」と聞いてきます。バスの中で即席日本語教室が始まってしまいました。私は中国語は分からず、運転手も日本語は分からないので、会話は英語でということになり、微妙な雰囲気に。しかし、私の答えを団扇に書き込むのはよいのですが、その間運転がお留守になるのはちょっと危ないかと。おかげで駅まで退屈はしませんでしたが。

駅で友好的にバスを降りると、目の前に高雄銀行があったのでそこで補給を受けることにしました。日本円2万円を台湾元へ両替。これでたぶん(最後の買い物にもよりますが)保つはずです。

そして、これからは市の中心にある様々な建物や史跡を巡ります。

まず最初は、中心にあるロータリーを囲むように建っている、2つの日本統治時代の建物を見学(といっても中には入れないので外観だけ)しました。

消防署一つが、写真だけなら日本の風景といって騙せそうな消防署。白い建物に物見塔が建ち、正面には大きく「119」の文字が。台湾の消防も119番なのでしょうか?

道を挟んでその向かいにあるのが国家台湾文学館という建物で、どことなく東京駅にも似ている建物は、今では博物館になっているそうです。消防署はさすがにちょっと古さは否めませんでしたが、こちらはまだまだ綺麗なものです。

孔子廟そこから孔子廟に向かって少し歩くと、今度は台湾警察局があります。これも少々古いながらもまだまだ立派な煉瓦造りの建物、その隣には嘉南農田水利会という農協みたいな(本当か?)の建物がありました。

そして、昨日(高雄)は祭りの準備中で中に入れなかった孔子廟へ。こちらは、明日が誕生日というのに普段通り解放されていました。

公園を兼ねているのか、木陰が涼しくのんびりした雰囲気の境内には「全台首学(実際は繁字)」と書かれた門から入ります。その中の大成門で拝観料を払い、中の大成殿へ向かいます。

先ほどの天后宮が道教なら、こちらは儒教。儒教では神様とは言わず「聖人」ということになるのですが、歴史上の聖人の位牌が左右に並べられています。ほとんどが知らない名前なのですが(ダメですね‥‥)、中には「諸葛亮」「文天祥」などのメジャーな名前も。

明日は盛大な祭典が行われるのは確からしく、準備がされていました。入り口の係員(?)も日本語で「明日は孔子様の誕生日で、朝4時からお祭りがあります。よかったら来てください」と言っておりました。でも、朝4時は厳しそうです‥‥。

孔子廟参拝後は、奥にある延平群王祠という、鄭成功を祀ったほこらへ向かうのですが、その前に通りかかったお店で休憩してパパイヤミルクを飲みました。とにかく、歩き回ると汗をかくので水分が欲しくなるのです。

25元のこのパパイヤミルク、甘さもしつこくなくて美味しかったです。量も充分ありましたし。

で、肝心の延平群王祠は改装中とかで公開休止‥‥。どっと疲れが出たので、駅に戻って宿探しに入ることにしました。

ロッカーで荷物を出そうとすると、「料金不足」の表示が。最初の「10元」というのが罠で、実際は「1時間で10元」ということらしいです。というわけで、50元ほど追加で取られてしまいました。まあ仕方のないところではありますが。

ガイドブックで当たりを付けておいた、首相大飯店というところに行き、「今日のお部屋はありますか?」と尋ねてあっさりと確保できたので、即決定。値段も当日というせいか少々割引で1700元が1530元になりました。建物は少々古いですが、割と高級感もあって部屋も広いなかなかよいホテルです。

赤嵌楼部屋に入り、少し休んだ後、追加の観光で赤嵌楼へ向かいます。ここは先ほどの安平古堡と同じくオランダ人の作った建物ですが、作りにはどこか中国的な雰囲気も‥‥。というのは、後にかの鄭成功がやはり接収して使っていたためのようです。その後、中国(明)は清へと移り、日本統治時代を経て台湾(中華民国)になりますから、歴史の生き証人と言えるかもしれません。

中の建物では、主に明清時代の遺構や文物が展示されています。各時代に貿易で使われた船の紹介やら、科挙制度の紹介やらが印象に残りました。やはりちょっと勉強不足かも‥‥。

見学後は、そのすぐ隣にある店で担[イ子]麺を食べました。台湾ではポピュラーな(去年の出張の時にも台北のホテルで食べた)挽肉入りの麺で、量が少な目なので数杯のハシゴは出来ます。

とりあえず1杯食べて満足したところで、近くにある天后宮と祠典武廟(関帝廟)へ向かいます。

夕方になって少し暗くなっているのと、雰囲気が観光地然としていないのとで、ほとんど写真も取らずに、ざっと拝観するだけで出てきてしまいました。

そこから次の食べ歩き目的地までは裏路地のようなところを歩いていったのですが、それもなかなか雰囲気がよくて萌えました。

そして、次にやってきたのは担[イ子]麺ではなく、ちまきの店でした。ここに「八宝肉粽」という具のいろいろ入ったのがあると聞いてやってきました。

出てきたのは思ったよりも大きなちまきで、崩しながら食べていくと、餅米というためもあってか充分にお腹がふくれていきます。鶏肉や豚肉というメインの具の他に、椎茸がまるごととか、栗(たぶん)なども入っていて充分なボリュームでした。飽きが来ないように、香菜が添えられているのもいい感じです。

その後、頑張ってもう1軒くらい担[イ子]麺を食べようかとも思いましたが、途中でかき氷の店を見つけたのでそこに寝返りました。

「杏仁豆腐氷」というのがあったのでそれを注文してみると、かき氷の上に杏仁豆腐の乗った代物でした。色が少し黒っぽいと思ったら、どうやらシロップが黒糖で出来ているようです。ですが、それはそれで美味でありました。

ただ、氷が冷たくて杏仁豆腐の味がわかりにくいという難点もありましたが‥‥。

ホテルに戻ると、結構疲れていたのであとは中で過ごすことにしました。

幸か不幸か、部屋にADSLが引かれていてネットも出来てしまったりします。ひとまず、たまった日記を3日分、更新しておきました。

それと、チェックインするときに飲み物のサービス券をもらったので、せっかくだからと飲みに行きました。100元以内だけどアルコールは不可という条件で、バナナジュースを飲みました。そういえば、まだ今回の旅行でバナナは口にしていなかったような‥‥。

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