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パラオ旅行記・3日目

三日目。この日はツアーに参加せずに動き回る予定だったので、朝の時間に少し余裕があった。

今までのパラオ滞在は比較的順調であったが、今日はいくつかの不運に見舞われることになった。

まず最初に、ダウンタウンの中央にある郵便局へ向かう。昨日書いた絵はがきを出すつもりだったのだが、行ってみると入り口にシャッターが降りている。

調べてみると、今日はパラオの祝日であって休みということらしい。明日は平日なのでやっているだろうが、またツアーに参加してしまうと郵便局の開いている時間に来ることが出来ない。

とはいえ、開いていないものは仕方ないので、次の目的地であるナショナル・ミュージアムへと向かうことにする。

表通りから少し入った奧にあるのだが、こちらも祝日は休館日ということで見ることが出来なかった。

やむを得ないので、再び町中に戻り、少し離れているのだが東側にあるもう一つのミュージアムに向かうことにする。エビソン・ミュージアムというこちらの博物館は、スペイン時代から始まる島の歴史や、貝殻、カヌーなどのパラオ特有の産品の展示などが行われている。さほど規模の大きな博物館ではないのだが、意外にいろいろな資料があって面白い。何よりも冷房が効いて涼しいのが助かる。

もともと行くつもりだったナショナル・ミュージアムの方には、日本統治時代関係の資料が残されているときいていたのだが、こちらは残念ながらそれは少な目であった。それでも、当時の写真や日本の統治下に入るに至った経緯の説明など(英語だが)があった。逆に、日本統治時代以前の、スペインやドイツの影響下にあった頃の資料は新鮮だった。戦後、日本の後は独立までアメリカの統治下にあったので、そのあたりのいきさつなども書かれている。

2フロアある博物館の、1フロアは、半分がこのようなパラオを含むミクロネシアの歴史を、残り半分が海洋生物のサンプル(美しい貝殻など)や生態の展示になっていた。

もう1つのフロアの方へいくべく、階段を下りていくと、こちらには近代化するまでパラオなどで使われていたカヌーやストーリーボードという民芸品が展示されていた。

カヌーは、構造を説明する模型の他に実物も1つ置いてあり、存在感はなかなかである。木をくり抜いた本体に、浮力を高める「足」が両側に付いているのだが、左右非対称でサイドカーを付けたバイクをイメージさせるのが面白い。

ストーリーボードは、木の板に島の歴史や風俗などを浮き彫りで表現した木工品で、数少ないパラオの伝統工芸でもある。

一通り見学した後、2階にあるミュージアムショップを勧められ、少し覗いてみることにする。

Tシャツやキーホルダーなどのありきたりの土産物はともかくとして、いろいろ見てみると興味深いものを2つばかり発見した。両方とも本なのだが、タイトルは「KB Bridge」と「Peleliu Remembered」である。前者は、例の崩落した韓国製の橋を追いかけた写真集で、建設開始から、開通時のお祭り、数年後の大修復とそれからすぐに起こった崩壊が写真入りで詳しく解説されている。後者は米兵の書いたドキュメンタリーで写真も入っているが文章中心の本、内容は昨日見てきたペリリュー島での戦いである。全部読むには苦労しそうであるが……。

ここまで来て時間は11時を少し過ぎたくらい。これからの予定では、自転車を借りて動くことになっているのだが、その店の営業が昼の2時からなので、昼食までは一度ホテルの部屋に戻って休むことにする。

これまで、昼間は町の外に出ていてあまり気にならなかったのだが、やはり日が出ている時間はかなり暑く、歩いているだけでも結構、体力を消耗する。

部屋に戻って荷物整理などをしながら、午後の活動に向けて少し休憩をした。

れすとらそ余談だが、町中には日本語の看板も結構、見受けられる。しかしながら愛嬌のある誤記もあり、たとえばこんな2ちゃんねるチックなものも‥‥。

しばらくのんびり休んだ後、昼食がてら再出発する。

ホテルのフロントで明日の帰りの空港までの送迎(帰りだから「送」だけか)と、出し損ねてしまった絵はがきの投函(切手代を渡して)を頼む。

結局は(町中のスーパーならどこででも買えるので)あまり意味がなかったのだが、念のためと日本から持ってきた水と烏龍茶のペットボトルを装備して出陣。

お昼は、そこそこ有名な富士レストランという日本料理屋でいただくことにする。祝日の昼間だからだろうか、客の姿はほとんどない。定食などもあったのだが、今回は折角だからとお寿司を注文。それだけだと少々物足りないので、追加の一品料理でシャコ貝のココナツミルク煮込みを注文する。どちらもなかなか美味しかった。寿司は、日本で食べるものと比べると多少の差があるのは仕方ないところだったが、魚は新鮮で、ちゃんとサビも聞いているがよい。但し、お茶はないので、ジュースでというところが少々……。

昼食後は、少し時間をつぶしながら、近くにあるレンタサイクルの店の開店を待ったのだが、2時開店のこの店が2時を過ぎてもなかなか開く様子がない。一応、今日が定休日でないことは確認しているのだが、ひょっとするとまた祝日だから……ということかと少々、不安になる。

他に日本人の二人組が同じように待っていたので、もうしばらく付き合うかと、辛抱強く木陰で待機すること約30分、ようやく店が開いた。出かけに飼い犬が行方不明になってしまったから遅れたという、のんきな話であった。

15ドルを支払い、マウンテンバイクを借りる。軽く乗り心地を試し、早速、こぎ始めることにする。

コロールの道は、舗装されているとはいえあちこちに穴が開いていたりして、自動車にとって走りやすいものとはいえない。であるから、車もさほどスピードを出していない。その脇を自転車でそれなりに颯爽と駆け抜ける。だが、市街地を出るとすぐに道は上り坂になるので、マウンテンバイクといえどもなかなかつらいところではある。

下り坂になればなったで、今度は帰りのことを考えると憂鬱になってくる。

ともあれ、コロールから空港方面へ自転車を進め、途中、見晴らしのよい坂の上から脇道に入る。

こちらは車の往来もほとんどない田舎の風景になっているのだが、この高台から見える海と緑の小さな島々の景色はなかなかよい。

この奧には昔、日航系列のホテルがあったそうだが、それも納得の見晴らしである。「パラオの松島」と呼ばれることもあるらしい。

灯籠その日航ホテルの敷地付近が南洋神社の跡だったそうで、敷地に入っていく砂利道は、片側に石垣が造られており、何となく参道の雰囲気が残っていた。砂利道への角のあたりに、神社の微かな痕跡があった。二つの白い石灯籠と、カーブを描く石橋が残っている。その他のものはなくなってしまっているが、角地の一部がこうして打ち捨てられたように残っているのがもの悲しい。

砂利道の奧に神社の本殿があったそうだが、現在はもう残っていないようであり、私有地になっているようなのでそちらへ進むことはやめておく。


来た道を引き返し、再び空港方面へ向かう。

長い下り坂を降り、海面とほぼ同じ高さまで降りてくると、初日にも見たKBブリッジへ到着する。車ならば問題ない橋もそれなりの高低差があるので自転車ではなかなかやっかいである。橋の真ん中(一番高い場所)で気持ちよい風に吹かれながら一休みする。車の場合は、橋の途中で停車することは禁止されているので、僅かな自転車の特権であろうか。

再び、自転車を進め、バベルダオブ島に突入する。現在、こちらの島の環状道路の建設が進められており、島に入ってすぐのガソリンスタンドの近くには規模の大きい資材置き場などもあった。

商店や民家なども点在するくねくねした道を、上り下りしながら進んでいく。基本的に原生林を切り開いて地形に素直に従って作った道らしい。

2キロほどそうして進んでいくと、交差点に出る。空港は左手の丘の上にあるのだが、私の目的地は更に奧にあるので右手に進んでいく。

林の中でどこか薄暗かった景色は一変し、日差しのきつい道となる。曲がりくねっているのは相変わらずだったが、道は若干、走りやすくなっている。

それでも、曇っている時はともかく、日が差すと暑くて大変なので、途中で何度か休んで水分補給しながら進んでいく。持っている2つの500mlペットボトルは半分くらいが既になくなっている。汗もなかなか難儀だ。

だが、こうして地道に3キロほど進んでいくと、アイライ州にある戦跡にようやくたどり着いた。

ガイドブックにも一応出ているのだが、わざわざこんなところまで足を運ぶ人はいないようだ。

集落の中央に、芝生に囲まれた割と立派な集会所があるのだが、その隣にひっそりと朽ちかけた建物がある。これが、日本軍が使っていたという通信施設の跡である。

廃墟1集落の中央に、芝生に囲まれた割と立派な集会所があるのだが、その隣にひっそりと朽ちかけた建物がある。これが、日本軍が使っていたという通信施設の跡である。

ペリリュー島で見た司令部や燃料庫(戦争博物館)よりもやや大きめの規模である。壁面に植物が自生し、崩れた壁から鉄骨がのぞいているのは他の二つの遺構と同様である。

奥の方は薄暗く、人気もないのでなかなか進みにくいところがあったが、更には使われなくなった自動車が捨てられている廃棄所のようになっている。

戦車と砲なので、そちらを進むのは避けて表から回り込むようにして奧に進んでいくと、建物の脇に戦車と高射砲が2つずつ放置されているのが目に入った。

雨ざらしになっているため完全にさび付いてはいたのだが、高射砲の方はほぼ原形を留め、戦車も砲身こそ失われていたが砲塔やキャタピラもしっかりと残っていた。

廃墟2その奧にはもう一つ、廃墟らしい建物が残っていた。アイライ州の所有だという看板があったが、実際のところは何かに使われている様子もなさそうである。

しばらく、廃墟の雰囲気に浸りながら休んでいたが、時間もそろそろいい感じになってきたので戻ることにする。

帰りは行きと同じように坂道に苦労した。上り下り共にあって、どちらか一方というのでないのがまだ救いだったが、一度来た道だからだろうか、帰りはさほど長い距離には感じられなかった。

井戸?途中、水道センターの近くに日本式の井戸らしいものを発見したが、果たしてそうなのかは確信できなかった。

コロールに戻り、自転車を返した後、レンタサイクル店の隣にあるスタンドでアイスクリーム(フラッペ)を食べた。たっぷり汗をかいた後だったので、このパパイヤ・シェイクは体に染み渡るような美味しさだったが、Mサイズなのにかなりの量であった。暑かったのでSでは物足りないと思ったのだが、Lにしたら果たしてどうなっていたことか……。

ウマーこの日の夕食は、ホテルの近くに来ているハンバーガーの移動販売の店が美味しいと聞いたので、そこで買うことにした。煙を出しながら一枚ずつ注文のたびに焼いているというハンバーグを挟んだそれは、その評判通り美味しかった。ポテトとドリンクを付けて5ドル。夕食としては安く上がったというべきだろう。先ほどのシェイクを含めて、水分の取りすぎであまり空腹でなかったというのもあるのだが……。

明日はツアーに出た後、夜に帰国の途に就くため、この晩のうちにおおよその荷物整理を済ませておいた。

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