さて、旅行も後半、5日目になった。
この日は列車で3時間ほどのアイゼナハという町を訪れることになっている。
最初の予定では、午前中に着いたらすぐにインフォメーションに行って宿探しとなる予定だったのだが、昨日のうちに電話で予約しておいたので安心である。
昨日、フランクフルトから乗ってきた道のりをそのまま戻る形でアイゼナハ中央駅に到着する。ホテルのチェックインの時間までにはまだ少しあるので、まずは荷物をコインロッカーに預けてから市内観光へと入ることにする。
駅を出て右手に歩いていき、ほどなく見えてくるのがこの町で最も古い建造物の一つであるニコライ門とニコライ教会である。門は現役の道路でもあり、車が行き交っているのだが、よく見ると門からその先のカール広場に向かって石畳に埋まった線路の跡が残っていた。昔はこの町にも路面電車が走っていたのだろうか。広場の花壇に咲いている花も含めて、絵になるよい光景である。
カール広場にはこの町と縁の深いルターの像がある。そこから歩行者専用の商店街を通り抜けて歩いていく。アイゼナハは人口はせいぜい1万から数万くらいの小都市だが、平日の昼間の商店街は人通りも多く活気に満ちあふれている。「シャッター通り」となってしまった日本の地方都市とは雲泥の差である。日本とドイツでは国の成立過程が違う(ドイツは小都市の連合国家という成り立ちに近い)のもあるが、何か日本の地域経済も学べるところがあるのではないかと考えてしまう。
そんな商店街の中、本屋を見つけて、ヴァルトブルクの解説本、アイゼナハの小ガイドブックを購入する。
中心部のマルクト広場に到着する。城は改装中でその姿を見ることは出来なかったが、市庁舎やランドマークであるゲオルク教会を見ながら向こう側へ抜け、坂道を山上のヴァルトブルク城へと向かっていく。
ここで絵はがき用に切手を買ったのであるが、郵便局の建物もそんな広場に面した他の堂々たる建物に見劣りしない造りのものであった。裏に回ると黄色い郵便局の車とこの古風な局舎がミスマッチでなかなか面白かったのであるが。
その郵便局の脇から頑張って上り坂を歩き、20分ほどで城に到着した。12世紀に領主が気に入って築城した(自分の土地であると宣言する前に、自領から土を持ち込んでその上に建て「ここは俺の土地の城だ」と言ったらしいのだが、そんなことが認められたのだろうか?)というこの城は、若干の手直しや修復がされているが基本的に当時のままの姿を残している。中世の様式の城は見ていてやはり迫るものがある。
周囲の景色も素晴らしい。
さて、この城もガイドツアーでの見学となる。20人ほどのグループになって最初の部屋に入る。
この部屋は「騎士の間」と呼ばれ、城の居住空間であるという。装飾の少ない無骨な感じの部屋で、大きな暖炉が目立つがそれだけこの地方の(特に冬の)寒さが厳しかったということなのであろう。
ガイドはドイツ語なのでこれまでと同じように数字と固有名詞しか分からないのであったが、次の部屋に移るときにガイドが声を掛けてくれて日本語のパンフレットを渡してくれた。内容はガイドの要約なので、これでずいぶんと助かった。
次に入ったのは「エリザベトの暖炉のある居間」だそうである。アーチ形の屋根に石造りの壁という構造は先ほどの騎士の間と変わらないのだが、こちらは華美な装飾が施されている。モチーフは、この城に縁の深いエリザベトという姫の人生である。ハンガリーの王女であったエリザベトは4歳でこの城にやってきて、14歳で領主のルードヴィヒ4世と結婚した。しかし、ルードヴィヒ4世は十字軍の遠征で戦死しエリザベトは未亡人となったが、残りの人生を貧しい人の救済に捧げ、24歳の若さで逝去、後に聖人に列せられたという。その人生をモチーフにした絵が壁に描かれている。
その隣は礼拝堂である。オルガンや十字架が目立つが、基本的に中世の山城らしい質素な作りになっていた。
そこからエリザベトの絵が並ぶ回廊を過ぎてやってきたのが「歌の間」という広間である。この部屋で吟遊詩人による領主を湛える歌を競わせたという。敗者は絞首刑になることもあったというから歌合戦といっても過酷なものであったのかもしれない。この歌合戦はワーグナーのオペラ「タンホイザー」の内容にも使われているという。
領主の居室を過ぎ、最後にやってきたのが「祝宴の間」である。手狭な山城にかかわらず、この部屋は広々としており、これまでの部屋と違った開放感がある。現在もコンサートが行われたりするそうである。
その後は自由行動になって隣接の資料館やルターの居室を見学した。
最後に敷地内の塔に登って景色を堪能し、このヴァルトブルク城を辞した。
いい感じの時間になっていたので、行きとは違う遊歩道を歩いて下に降りていった。
途中でワーグナーの関連資料が展示されているというロイター・ヴィラを見学する。楽譜などが展示されているが、基本的に説明文が分からないのでやむを得ず軽く流すことにする。二階はロイターというこの町出身の詩人ゆかりの展示があるのだが、それよりも洋館の構造やその内装がいろいろと参考になった。
ロイター・ヴィラの見学後は通りを歩いて一度駅まで戻り、荷物を取りだしてホテルにチェックインした。
今日のホテルはマルクト広場の近くにあるシュロス・ホテルというところなのだが、静かで落ち着いたところで感じがよい。内装は少し古さを否めないが広さは充分で快適である。
フロントのお姉さんの応対も丁寧だった。シュロス(城=この場合は山の上にある城塞ではなく、町の中にある行政施設としての城)の名前が示すように、昔の構造物をそのままホテルに使っているらしく、レストランの地下は石壁であったし、建物の中も廊下が複雑に通じているのが特徴的であった。
荷物を整理して、もう一度観光に出かけることにする。
16時を過ぎていたので、早めに閉まる場所を優先的にということで、ルターハウス、バッハハウスという順番で回った。
宗教改革で有名なルターが学生時代に下宿していたというルターハウスはホテルからすぐの場所にあった。木組みの白壁の家が印象的である。
見学料を払って中に入ると、居室などが再現されていた。上の階には中世からのこの町での生活を説明している資料館もあって、これも割といい感じであった。
宗教改革で有名なルターが学生時代に下宿していたというルターハウスはホテルからすぐの場所にあった。木組みの白壁の家が印象的である。
見学料を払って中に入ると、居室などが再現されていた。上の階には中世からのこの町での生活を説明している資料館もあって、これも割といい感じであった。当時のメイドの服を着せた人形や、農作業や農家、工房の暮らしを再現したミニチュアなどが置かれている。最後はナチスの第三帝国を経て現在の東西ドイツ統合まで結びついていくわけであるが……。
次に行ったバッハハウスは、外観は残念ながら改装中のため幕に覆われて満足に見ることが出来なかった。正面の右には花に囲まれたバッハの像があるのだが、本家のバッハハウスの隣に新しく資料館の建物を建てようとしているようである。
しかしながら、中の展示には影響なく、見学料を払って中に入った。バッハの方はここが生家ということで、居間から寝室まで木の内装の歴史ある家の様子が分かりやすく展示されていた。
そこからバッハ関係の資料を展示しているスペースを過ぎ、最後に楽器を展示している部屋に来たのだが、ちょうどその時に両側のドアが閉じられてしまう。
「何事か」と思っていると、係員の人当たりの良さそうな男性が入ってきて挨拶を始めた。そして展示物の簡単な解説の後、部屋にある古い(18世紀のが多い)楽器のいくつかを実際に演奏してくれたのである。古式のパイプオルガン、にピアノのような鍵盤のある楽器、こちらは音は弦楽器のそれに似ていた。普段聞いているのとは違う、深みのある音を堪能することが出来た。
主な観光名所を抑えた後は、適当に町中を歩くことにする。古めかしい教会や、噴水などを眺めた後、スーパーでジュースとワインを買い込み、広場の近くのレストランに向かうことにした。観光地らしく、町のあちこちに案内板があるのだが、あまり日本人の来ないこの町で、ドイツ語と日本語の併表記になっていたものがあるのに少し驚いた。たまたま私が日本人に会わなかっただけで、本当はそれなりに来るのかもしれないが(観光案内所には日本語のパンフレットもあったし)。また石畳の上でたたずんでいる猫にも遭遇した。首輪を付けていたから飼い猫であろうが、かなり人なつっこく、こっちがちょっかいかけるまでもなく向こうからすり寄ってきた。前回のドイツ旅行でもネルトリンゲンの町で同じように猫に懐かれたことがあったが、こちらの猫は割と警戒心が薄いのかもしれない。
レストランではメニューをじっくり見て(英語も書かれていて助かった)、バターとハーブで味付けしたポークソテーというのを注文してみた。後はここアイゼナハの地ビールである。
歩き回ったあとなのでビールが美味い。
そして出てきた料理であるが、これはとても美味しかった。今回の旅行のこれまでの食事で一番美味しかったと言っていいだろう。ソテーには小さなポテトコロッケと野菜サラダが添えられているのだが、このサラダのドレッシングも美味しい。同じく付け合わせのザワークラウト(と人参の同種)も酸味が強すぎない。
ウェイターの若いお兄さんもなかなかかっこ良く、勘定の時に「美味しかった」と伝えると喜んで何度も「Danke!」と言ってくれた。
これで今日の行動は終了。宿に戻って休むことにする。