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ドイツ旅行記・3日目

検札を済ませ、荷物を整理して落ち着いたところで、早々に休むことにする。

列車はミュンヘンが23時発、ベルリンが7時過ぎ着と、夜行列車としては効率的であるが、それでも食堂車がついているところが立派である。食堂車は日本ではほぼ絶滅してしまったので、ドイツの鉄道旅行での大きな楽しみである。しかしながら、ドイツでもICEの新型車両には食堂車はないなど、徐々に縮小の方向にあるようであるが……。

夜中に何度か目を覚ましながらも、それなりに休んで6時半頃に起きることにする。窓の外を見ると、白樺の目立つ北の森という雰囲気の中を走っている。

ここで、支度をしながら今日の行動予定を確認していたのであるがそこで大きな問題があることに気がついた。

今日の予定は、ベルリン郊外のポツダムに行きサンスーシ宮殿を見学してから市内で買い物などをしようと持っていたのであるが、肝心のサンスーシ宮殿が今日(月曜)は休みだということに気がついたのだった。

急遽、代わりのプランを立てる必要が生じ、「宮殿は休みでも公園自体は歩けるはずなのでそのまま強行」「ベルリンの別の場所を見学する」「別の目的地に行く」という案が出来たのだが、1つめは折角ここまできてメインの宮殿を見ないのは勿体ない、2つ目もめぼしい観光地(博物館など)も軒並み月曜が休みということで消えてしまった。

長躯、これまでの行程案にも入れたかった、バルト海岸のロストックに行くということも考えたのだが、こちらも見てみたかった海洋博物館が月曜日休みだったりしてうまくいかない。

そこで出てきたのが「一日前倒しでドレスデンに行ってしまう」ということだった。

ドレスデンの見どころにも、月曜休業のものがあったが、そうでないところも残っており、翌日(火曜日)と合わせれば充実した観光が出来ると思ったのである。

そうと決まれば話は早く、この列車からドレスデン行きに接続する列車を調べてみることにする。

すると、ベルリン中央駅から20分ほどの接続でブダペスト行きの国際列車に乗り換えることが出来ることが分かった。これでドレスデンまでは約2時間である。

 

ベルリンに到着 ベルリンの手前、ヴァンゼー駅で20分ほど停車していたが、これはおそらく車を降ろす作業をしていたのであろう。

そしてベルリン中央駅に到着した。

上下二層になっている駅はかなり近代的な印象であった。

ドレスデン行きの列車の出発ホームを調べ、そちらに向かうことにした。

ベルリン始発のこの列車は、ドレスデンから更にチェコのプラハを経由し、終点はハンガリーのブダペストというヨーロッパならではの国際列車である。ブダペストに着くのは実に10時間後であるが、乗り通す人は果たしてどのくらいいるのだろうか。

列車は運良く空いていて、コンパートメントに席を確保したが、他に二人やってきただけであった。

動き始めた列車は郊外で地下から地上に出て、近郊電車のSバーンをしばらく並行していたがそれもやがて終わって田園地帯を快走していく。

ちょうど朝食の時間になったので、今回の旅行でまだ行っていなかった食堂車に向かうことにした。

食堂車はテーブルがおおむね埋まるほどの入りで、コーヒーだけでテーブルを机代わりに使っている人もいる。

食堂車の朝食 メニューを見て、朝からそう重いものが食べられるわけでもなく、ハンガリー風のオムレツというものを注文してみた。

どのあたりがハンガリー風なのかというと、結果からいえばオムレツの中に豚肉(ひょっとしたら鹿かもしれない)の刻んだソテーが入っているあたりが特徴であった。紅茶も同時に頼んだのだが、こちらは思い切りティーパックであった。

今までの旅行では経験がなかった旧東ドイツ地域だが、そう意識して景色を眺めてみると少し特徴があることに気がつく。森と牧草地(または畑)、家々の屋根にある程度の町にはある教会の尖塔という風景は同じなのだが、通過するローカル駅の駅舎が煉瓦造りの年代物であることが多いのだ。それから、貨物用の引き込み線も含めてところどころ支線が出ているのだが、明らかにもう使われていない廃線であることも多く、廃墟好きの私としては心が誘われることが多い。このような駅舎や廃線を求めて途中下車して写真を撮ってみたりしたいとも思ったが、実現はほぼ無理であろう。交通手段がないし、仮にあったとしても妖しい東洋人が妙な場所をうろついているとしか見えないうえに、言葉が通じないとあっては危険そのものである。

そうして、列車はドレスデン(中央駅)に到着した。ドレスデンには主要駅として新市街を意味するノイシュタット(NEUSTADT)駅と中央駅があるが、一応、中央駅まで行くことにした私に対して、同じコンパートメントの二人はノイシュタットで降りていった。

さっきの食堂車 中央駅はその名の通り町の中心にあるわけだが、ドレスデンの場合は歴史的建造物のある広場は鉄道からは少し離れたところにある。

結局、それらの観光地へ行くにはノイシュタットからの方が便利であり、宿もこちらの近くに確保しようと思っていたので、普通列車で戻ってこちらでコインロッカーに荷物を預けることにした。


ノイシュタット駅前は工事中で慌ただしい様子であったが、そこから地図を頼りに観光スポットの多い町の中心へ向かっていく。

10分ほど歩くとエルベ川の近くまで到着し、明日泊まる予定のホテルの脇を通りながら川原の方へ向かっていく。

エルベ川はドレスデンの街中の観光スポットであると同時に、周辺の各地へ川下りを楽しむことの出来る遊覧船も運行している。

川原は緑の芝生が広がって気持ちよく、犬の散歩をさせている老人や、カメラを持った観光客の姿などがぼちぼち見受けられる。涼しい風を浴び、奥の方の橋をゆっくり渡っている列車の姿などを見ながら、川向こうの中心地へ向かうアウグスト大橋へと向かっていく。

大聖堂 観光パンフレットや絵はがきなどに必ず登場する、宮殿やレジデンツ、大聖堂、オペラ劇場などはこの川を渡った向こう側に集中的に建っており、それらの建物の姿を見ながら橋を渡っていく。

路面電車もこの橋を渡るのだが、正面には大聖堂があるので渡ると同時に右の方へ曲がっていく。その一帯がちょっとした広場のようになっており、左手に進むと川を長めながら飲食の出来るテラスに行くことが出来る。私はそのまま広場を正面に向かい、有名な騎士の壁画を見てみることにする。これは選帝侯の厩という建物の壁を使って、100メートルもの長さに渡って描かれた騎士の行列の壁画である。なかなか写真に納めるのも難しい。

その脇、工事中でなかなか落ち着かない一帯を歩いていくと、レジデンツ宮殿の展示館に行くことが出来る。ここの展示館は月曜日が休みではないので見学できる。

内部は緑色を基調とした華麗な装飾が施されていたそうだが、現在は改装中のようである。

ドレスデンにはこのレジデンツも含めて古風な威厳を備えた建物が多く建っているのだが、実はこれらは近年に再興されたものなのである。というのは、ドイツの主要都市であったドレスデンは第二次大戦で連合国の大規模な爆撃を受け、中心地は灰燼に帰してしまった。その後、残っていた資料などを元に再建されたのが現在の町の姿である。しかしそこは伝統的なものを重んじる価値観のドイツ人、なるべく原状に忠実に立て直したということである。

展示館にある中世の様々な物品は戦時中に郊外に「疎開」されていて無事だったという。

翌日の宮殿の展示見学の方でも触れるが、ザクセン地方の中心地であるドレスデンを発展させたアウグスト強王の収集した、または作らせた様々な芸術品が展示されている。君主の威厳を示す装飾品も数多くあるが、この展示館での白眉はやはり「インド、デリーの王国」という宮殿のミニチュア、そして黄金のコーヒーセットだろう。前者は、インドの宮殿を表現した金色の台座に、宝石をちりばめたインド人、中国人、象などの陶製の人形が配置されているものである。後者は台座や皿の部分に金や象牙を惜しげ無く用いた逸品で、美しい磁器のコーヒーカップと組み合わせれるとまさに華麗の極みといえるだろう。

一通り見学を終えた後、ミュージアムショップで写真を撮ることの出来なかったこれらのものが出ている日本語版のガイドブックを買った。

ツヴィンガー宮殿の中庭 次に向かったのはツヴィンガー宮殿である。ここに併設されている3つの資料館は今日が休みであるため入ることは出来ないのだが、宮殿とその中庭は開放されているので歩くことが出来る。よく考えられてデザインされている中庭は、中央に噴水を配して緑地や通路が対象形に設けられている。日もよく照っており、多くの人が散策を楽しんでいる。

宮殿の南門から入り、東門から出るような感じで進むと、出た先は劇場広場になっている。今年はドレスデンが歴史上に現れてちょうど800年(1206年に初めてドレスデンの名が古文書に現れたそうである)イベントが行われるようなのだが(いろいろと改装工事をしているのもその影響か)この広場の中心にある大きなアウグスト王の騎馬像の近くにテントやミニトレイン(太陽電池で動くらしい)があったりした。

広場の騎士像とオペラ劇場 騎馬像の奥にはこれまた立派な石造りの建物がある。これはオペラ劇場で、元は1678年にこの場所に建てられたらしい。アルプス以北では唯一の本格的劇場であったそうで、ドイツ初のオペラ作品「ダフネ」がここで上演されるなど、ドイツでのオペラを語るに当たっては欠かすことの出来ない存在である。

ガイドツアーでの見学も出来るのだが、ちょうど今は昼休みの時間帯らしく、次のツアーまで1時間半ほどある。そのため、後にまたくることにして食事に向かうことにする。


レジデンツを挟む向こう側、立派に再建された聖フラウエン教会のある広場にテラスが多く出ており、ここで小休止する。といってもそれほど空腹だったわけではないので、ビールと野菜スープを頼むことにした。まあ、野菜スープもそれはそれで結構、ボリュームがあったりするのだが‥‥。根菜の多く入った素朴な味であった。

目の前にあるこの聖フラウエン教会も、最近になって再建されたものである。ドレスデンの建物が徐々に復活していく中、この教会は「戦争の爪痕を残しておく」という意味合いもあって、1993年ころまで廃墟のまま放置されていたのだが、復建が決まって今の姿に戻った。ただ、一角に瓦礫が保存してあり、モニュメントのようになっている。

次のオペラ劇場のガイドツアーを目指して再び歩き始めることにする。やや時間に余裕があったので川沿いのテラスの方へ回ってみたのだが、その途中に、ガイドブックにも特に触れられていない「FESTUNG DRESDEN」という看板があったので引かれて入ってみることにする。「ドレスデン要塞」である。

ドレスデンは中世を経てきた年であるから、現在はテラスになっているエルベ川の河畔は当時は城壁になっており、重要な町の防衛施設であった。その遺構が今でも残っており、ドレスデンの華美なイメージと裏腹にこうしてひっそり残っている施設を見学出来るのである。

要塞内部 入り口で入場料を払うと、なんと日本語の解説レシーバー(それぞれの場所でボタンを押すと音声解説が流れる)を貸してくれた。観光客の歩く城壁の地下をこっそり見て回るような感じで、兵士の駐屯していた防壁内の詰め所、武器庫や食料庫、銃眼などを見て回る。川の景色もこの銃眼から見るとまた別の見え方がして面白い。

思わぬ施設を見ることが出来たことに満足しつつ、当初の目的であったオペラ劇場の見学へ向かう。要塞を見てしまったので、最初の目標の次の回になってしまった。

時間の10分ほど前になると、大行列が出来ていたのでそれに並ぶ。こうなるともはや30分ごとのツアー開始というのではなく、20人くらいをひとかたまりにして逐次ツアーが始まるような感じになっていた。

オペラ劇場は、劇場そのものも壮大であるのだが、通路(廊下)や待合室などにも壁画やシャンデリアなどの豪華な装飾が施されている。

オペラ劇場の観覧席 ドイツ語のガイドツアーはそれらの天使の絵などについてや、この劇場で開催された「ダフネ」について説明しているようであったが、残念ながら分からない。

割と長い説明で、歩き回った後だったので疲れを感じてきたころ、最後の観客席へやってきた。これがまた豪華で、階上の正面席などからはさぞかしよく鑑賞出来るのだろうと感心した。

さて、ここまで歩いて今日の分の観光は終了とした。当初の予定では先に書いたとおりベルリンの方をメインにしようとしていたので、ここドレスデンはほとんど立ち寄るだけ、時間に余裕があればどこか一箇所くらい見ていこうという感じのプランだった。だが、こうして見てみるとドレスデンに来てみてよかったと思う。昨日も含めてかなり歩き回っているので、そろそろホテルを探して休もうと思い、駅に戻ったのだった。


しかし、ここからが今回の旅行最大のピンチが待っていたのである。

これまでの経験では、当日にホテルを探しても全く見つからないということはなかったのだが、荷物を引っ張りながらガイドブックに出ているホテルを全部回ってもどこも満室で泊まる場所が見つからないのだ。

前日は夜行列車泊で、今日も市内観光で歩き回った身にはかなりの疲れがたまっており、多少の焦りを感じるが無い袖は触れられない。やむを得ず駅に戻ってきて考えたのは、ベルリンかライプチヒまで移動してそちらで宿を探すというものと、今日の宿は諦めて夜行列車に乗るというものだった。

体力的には前者の方がよいのだが、移動先で必ずしも宿が見つかるとは限らないので(これまでの結果からやや不安が増しているのもあった)、後者の夜行列車を選ぶことにする。鉄道パスがあるのでお金がかからないという理由もある。

となると、急遽調べなくてはならないのは、具体的にどの夜行列車に乗るかである。今日は泊まるところを確保できなかったのだが、明日はドレスデンにホテルを確保済みであるので、もう一日観光したりということも考えて出来れば朝、そうでなくても午前中にはドレスデンに戻ってきたい。

時刻表を駈って調べ上げたところ、次の二つのプランが可能なようだった。

どちらも一長一短ある。前者は早くドレスデンに戻れるが、真夜中に折り返しの乗り換えをしなくてはならない。

後者は少し遅めで、何らかの原因で列車が遅れたら乗り継げない恐れがある。

始めは前者を採用しようかと思ったのだが、やはり真夜中に駅の中で待つのは少し怖いということで止め、後者を採用することにした。遅れについてはもうどうしようもないので、ベルリンを出る時点で遅れが生じるようなら中止するつもりで乗った。結果的には時刻通りに動いてくれたのでハンブルクでの乗り換えも首尾よく行われた。

話を戻し、ノイシュタット駅18時12分発の特急列車に乗り込んだ。これも行きと同じく国際列車で、オーストリアのウィーンからの列車である。行きの客車はハンガリーの車両だったが、今度は白地に赤帯のドイツのものである。

幸い、列車は空いていてすぐに席を確保できた。

結局、夜行連泊になってしまったので一つだけしておかねばならないことがあった。まずは荷物を持ってトイレへ向かう。幸い、この車両には車いす用の広いトイレがあったのでそこを駆り、日本出発の時から着たままである服(特に下着)を替える。町歩きで結構、汗をかいていたので、携帯の汗ふきお手ふきを使って体も軽く拭き、暫定的であるがさっぱりすることにする。

席に戻り、期せずして出来た時間(移動時間)でこの旅行記の原稿を進めることにする。周囲は行きと同じ田舎の風景で、今度は夕日が掛かっていて美しい。どうやら風の強い地域らしく、風力発電の白い風車が林立している。

夕刻の東ドイツ田園風景 ドイツの客車には、コンパートメントの他に普通の開放式座席(日本の特急と同じようなもの)があるのだが、座席は広々としているので2等でもそれなりに快適である。

しかし、日本と違うのは座席の向きが固定になっていることで、車両のおよそ半分は逆向きに座ることになる。だが、基本的にドイツの人たちは逆向きでも気にしないようである。

また、一両に数ヶ所ある、向かい合わせになった席にはやや大きめのテーブルが設置されており、壁にはコンセントが設けられている。これを使ってノートパソコンで映画を見る人を多く見かけた。

今回の乗車では、この向かい合わせ席は女性二人組に使われていたのだが、そのすぐ後ろが空席だったのでそこに陣取り直し、一言ことわってコンセントを使わせてもらうことにする。

そして、景色を見ながらこの旅行記の原稿を進めておくことにする。

とはいえ、やはり肉体的な疲れがあるので、書きながら売店で買ったスパークリングワインを飲むと眠くなってきたので、1時間ほどで切り上げてあとは休むことにした。

ベルリンに到着する頃にはもうすっかり夜の帳も降り、あとは景色も楽しめずにそのままハンブルクまで移動する。

幸い、列車が遅れることはなく無事にハンブルク中央駅に到着した。

今回は来る予定の無かったこの駅であるが、もう三度目である。とはいっても、実はこの駅は移動時(夜行列車の出発)で使うことが専らで、ハンブルク市内は観光したことはなかったりする。

ちなみに、ドイツもこちらのような北部まで来ると夜は寒い。後に知ったことによれば、この日のハンブルクの最低気温は8度だったそうだから、この時間の気温は10度くらいだったかもしれない。ジャケットを上に着ていても寒く、ここで実はこれから乗り継ぐ予定の列車より後に出て先にフランクフルトに着く列車に気がついたのだが、そこまで待つ気も起こらないほどだった。

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