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ドイツ旅行記・2日目

さて、二日目。

昨晩はドイツ時間では早かったものの、日本時間ではかなり遅い時間にベッドに入ったため、いつもの寝酒がなくても眠ることが出来た。

ついでに、時差ボケもこれでほぼ無効化出来たような気もする。

ともあれ、7時少し前に起床し、1階のレストランで朝食を取る。ドイツ式のバイキング形式で、数種類のパンに同じく数種類のチーズやハムが置いてあるのがメインである。

朝からそれほど食欲もりもりというわけではないので、クロワッサンとブロートヒェン(ロールパンよりやや大きめで、フランスパンのように外側が堅い、ドイツの基本的なパン)とチーズ、ハムを1,2枚ほどもらってきた。

その間にホテルの人がコーヒーを入れてくれたのでその席に着いていただく。食べ終わった後にヨーグルトを軽く一皿追加して、腹具合がいい感じになったところで終了。

部屋の荷物を手早くまとめて出発することにする。

フロントでタクシーを呼んでもらったのだが、10分ほどで来るはずが、車が途中でガソリンを入れてくるとかでやや遅れて20分くらい待たされる。

今日の行動は時間に余裕があるのでさほど気にならなかったが、乗ってからは順調でシュトゥットガルト中央駅までスムーズにやってきた。しかし、タクシーは思ったよりも高く、30ユーロもかかってしまった。

ある程度地理に詳しければ、近くのSバーンの駅まで行ってそこから列車ということにするのだが、まあ旅行の最初からリスクを負うのは危険なので、やむを得ないところであろう。

 

シュトゥットガルトといえばベンツが有名で、ダイムラーの本社もある。中央駅の尖塔には目立つようにベンツのマークが掲げられている。時間があれば、工場の敷地内にあるというベンツ博物館なども見学してみたかったのだが、まあ仕方ないだろう。

日曜の朝ということでまだ人は少なく、閑散とした駅の構内でコインロッカーを見つけてそこに大きな荷物は預けておくことにした。ロッカーは2ユーロなのでいいだろう。

ローカル列車 ホームに出て、目的地であるヘッヒンゲン方面への列車の出るホームを調べ、そちらへ移動した。

列車は既に入っており、非電化区間のヘッヒンゲンへ直通するため、気動車の列車で、5年前にゴースラーへ行ったときに乗ったのと似た車両が待っていた。

赤と白の気動車は、定刻通りに駅を出発した。

さて、ここで少し今後のプランについて書いておこう。

今日の主目的は、ヘッヒンゲンの郊外にあるホーエンツォレルン城の見学である。もともとこの南ドイツ、シュバーベン方の領主から始まり、中世の選帝侯、後にプロイセンのフリードリヒ大王を輩出したこの地方の名門ホーエンツォレルン家の居城で、現在も同家が持ち主であるという。現在建っているのは有名なノイシュヴァンシュタイン城と同時代の18世紀の建築だが、元は12世紀にこの地に築城されたものだという。

南ドイツの城というとそのノイシュヴァンシュタイン城がやはり有名であるがあえてそこは外してこっちへ行くことにした。

しかしながら、個人旅行で行くにはやや不便なところにあり、ガイドブックによるとチュービンゲンの南にあるヘッヒンゲンというところまで列車で行き、そこからタクシーで10分とあった。

トーマスクックの時刻表で調べたところ、確かにヘッヒンゲンに行けるローカル線があったのでそれを利用することにした。鉄道パスを買ったときにもらった路線図によると、途中のチュービンゲンまでは電化されているが、そこからは非電化となっている。私は気動車が好きなので楽しみにしていたのであるが、予想通り気動車に乗ることが出来て気分は上々である。


列車は、エンジン音を響かせながら快調に走っていく。車内はかなり空いている。

この列車は急行のような位置づけになっているためか、停車駅は少なく、途中まではウルム、ミュンヘンに向かう幹線を走っていくのだがその分岐駅も通過していく。

分岐駅のプロヒンゲンを過ぎると列車はネッカー川沿いの丘陵部に入っていく。緑の畑に町の家々の赤い屋根が印象的な牧歌的な風景で、駅もどこか古めかしくていい感じのものが多い。

規模の大きいチュービンゲンを過ぎると、列車は左に曲がり、単線のローカル線へと入っていく。それを更に20分ほど走り、車窓からも山の上に目指す城が見えてくるとヘッヒンゲンへ到着である。

乗降客とも数名で、ドイツもローカル線は経営が厳しそうだと心配しながら降りるが、駅前は閑散としていて人の姿もほとんど無い。

さて、城までのタクシーはどうやって手配しようと思ったところで、運良く駅に入ってきたタクシーがあったのでそれを捕まえることにする。

運転手が、ここまで乗ってきた客の老人が列車の切符を買うのを手伝うということで、少し待つことになったが無事にタクシーを確保して城へと向かう。

城は駅(町)から車で10分ほど離れたところにある山上にあるのだが、環境に配慮してか、車(自家用車)では山腹にある駐車場までしか入ることが出来ず、そこからはシャトルバスの利用となる。

タクシーをそこで降りて、すぐ側で待っているシャトルバスに乗るが、他に客はおらず私一人だけを乗せて出発した。

曲がりくねった道を上り、城の入り口までやってきた。見たところ大した距離ではないので帰りは歩いて帰ろうなどと考えつつ、城門にある切符売り場で入場券を買う。城の入場券と、内部のガイドツアー付きで5ユーロである。

石造りの雰囲気ある城壁を見ながら上に歩いていく。地形的な制約からか、防衛上の理由からか、通路は螺旋状になっており、何周かしながら上にある城まで進んでいく。

ホーエンツォレルン城朝は曇り空だったのだが、少し天候が回復して日が差すようになった。しかし、山の上は風が強く、上にジャケットを着ていてちょうどよいくらいであった。城壁からは周囲の景色が一望でき、先に書いたように回りながら上っていくのでほぼ全ての方向の眺望を楽しむことが出来る。

そして頂上の本丸の敷地内にたどりついた。コの字型に城の建造物が建っておりその内部が石畳の中庭のようになっている。その中心に大砲が置かれているのが印象的だが、ガイドツアーの時間になるまでの間にここを見て回ることにした。

左手には教会があり、荘厳な雰囲気に包まれた礼拝堂と、騎士像があった。逆側はレストランとミュージアムショップになっている。

そうしている間に、日本人のツアーの一団がやってきた。写真を撮ったりしていたが、話を聞いていると専門の案内人が到着するまで少し時間があるとかで、その間に私の参加するガイドツアーの時間になったので行くことにした。

この班の人数は約10人。ガイドはドイツ語と英語があるようだったが、私の他はおそらく全てドイツ人であったためか、問答無用でドイツ語のみのガイドになった。

当然、説明を聞いても人名と数字以外はほとんどわからないのだが、ガイド無しで見て回るよりはマシだと割り切ることにする。

ちなみにガイドツアーによる内部の見学は写真撮影禁止なので、ここからしばらくの間については写真がないことはご容赦願いたい。

最初に入った部屋には樹形図が描かれていた。窓のある一方向を除いた全ての面に木を模した絵が描かれており、その幹に色の付いた丸と人名が記されている。木の枝のように途中で分かれた場合、家系図も分化したということになるのだろう。

最初は1200年代から、プロイセンの19世紀にいたるまで綿々と繋がれたその系図は、やはり格式を感じさせるものであった。

ここからスリッパを履き(靴の上に履くのが微妙なところ)、奧の部屋へ入っていく。

最初がおそらくホールとして使われていた部屋で、両側にテーブルが並んでいる。装飾はどちらかというとシンプルなものであるが、天井から下がっているシャンデリアを見るとやはり手が込んでいるのが分かる。

その次に案内されたのは王の執務室であった。緑色の布が張られた椅子を基調とした、割合に落ち着いた感じの部屋であり、広さはさほどでもない。隣にはその王の寝室があり、暖炉に肖像画というこちらも割合にシンプルな内装で、奧に天蓋付きのベッドがあった。こちらもさほど広くないのは山の上という地形の制約であろうか。

このあたりが、コの字型の真ん中(縦棒)に相当する場所になるのだろう。その先の部屋には肖像画や宗教画がかざされている。昔に見たミュンヘンのレジデンツのような壮大な装飾こそないものの、壁の模様などにはやはり気品が感じられる。そこから先の数部屋にはこのように肖像が並べられている。勿論、メインになるのはプロイセンの強王、フリードリヒ大王である。

中世を過ぎて近世に入っているためか、軍服姿の肖像も多く見られる。

肖像の最後の部屋にはそれとは代わって王女の絵がメインであった。一通りの見学を終えて最後に見るのは階下にある展示室であった。

一度建物を出てから隣の部屋に入るのだが、こちらは入り口に武具があり、その奥の展示室にはプロイセンゆかりの様々な品物が置かれていた。メインは宝石で飾られた王冠、そしてフリードリヒ大王の軍装であったが、その他にも各種の勲章、王女の衣裳や、宮中で使われた(と思われる)食器、銀製の騎馬の置物などがあった。王冠はさすがに圧巻で、その下に置かれている宝石箱もかなり手の込んだ逸品であった。

城からの眺めこうして見学が終了し、ミュージアムショップで絵はがきとパンフレットを買って、城を後にする。

ちょうど先の日本人ツアーの人たちも出てきたところで、帰りのシャトルバスの乗り場でその中の一人と少し話を交わすが、私は先に思ったように帰りは歩いて戻ることにした。

日陰であるのもあり、特に汗ばむこともなく歩いて15分ほどで駐車場まで戻ってきた。

ガイドツアーを終えて城を出てきたときに、次のツアーを待つ人が列になっていたことからも想像が付いたが、私が来た頃にはまだ閑散としていた城も人が増えていたようで、同じくタクシーで到着したときにはがらんとしていた駐車場も今は多くの車で埋め尽くされていた。

徒歩で来ると駐車場の奧に入り込むことになるが、ここには土産物と軽食を出す店があり、土産物屋の方を覗いてみると先ほどの日本人ツアーのグループがいた。しかし、程なくそちらはバスの集合時間になってしまったようで姿を消し、私の方は少し空腹を覚えたのでここで軽く食事することにした。

昼食メニューが写真付きで助かった。ポテトサラダ付きのソーセージとピルスビールを注文した。

ポテトサラダは付け合わせというよりは半分、主食に近いようなボリュームで、味も悪くなかったのだが、酸味が利いているので好みが分かれるところかもしれない。ビールの方は、この地域のもので、ドイツ旅行ではこうしてそれぞれ土地のビールを味わうのが楽しみの一つである。ドイツではこのように各地に土地固有のビールがあり、日本にも入ってくるような特別に有名な銘柄以外では、ドイツ国内でも他地域にはあまり流通していない。そのため、多くの土地にこうした正真正銘の「地ビール」が存在している。中世から守られているビル醸造法(麦芽とホップ以外の材料を使ったビールは認めない)も影響しているだろう。ともあれ、このビールは口当たりがよく、さくっと飲んでしまったのだが、旅の疲れがあるせいか、0.3リットルほどだけであったのだが、少し酔いが回っていた。

食事を終えた後、タクシーを呼んでもらった。

到着するまでにはやや時間かかかったが、待っている間に豪勢な、クラシックカーに似たオープンカーがやってきて、貴族のような感じの人が山上へ向けてフリーパスで通っていくという、おそらく珍しい光景を見ることが出来た。

しばらくしてタクシーがやってきて、駅まで連れて行ってもらう。行きは自動車道を通って来たのだが帰りは町中を通るルートで、行きよりもやや安い値段で駅まで到着した。

駅に着いたのが13時過ぎであったが、列車までは1時間ほどの待ち時間があるので、近くを少しうろつきまわることにした。時間があれば町の中心部にある市庁舎や教会を見に行ったのだが、そこまでの時間はない。

駅まず、DBの駅の一段下にあるローカル駅を眺めることにする。レールが錆びていないので廃線になったというわけでもなさそうなのだが、入り口にもホームにも切符売り場や案内板のようなものもない。

とりあえずドイツのローカル駅の雰囲気だけ味わったあと、近くにある郵便局で切手を買うことにした。日曜日なので窓口は開いていなかったが、切手の自動販売機があるのでそれを使って国際郵便に必要な1ユーロの切手を買った。

その後、同じく駅の近くにある教会をざっと眺めた後、、駅に戻って列車を待つことにした。

今度の列車はチュービンゲン行きの普通列車で、行きは軽やかに通過してきた駅にも丁寧に止まっていく。

30分弱でチュービンゲンに到着し、隣に止まっているシュトゥットガルト行きの快速列車に乗り換える。プッシュプル方式の列車で、客車は二階建てになっているので、せっかくだからと二階に座ることにした。

行きに見た景色を再び眺めながら、今度もやはり行きより多くの駅に停車しつつ、1時間ほどでシュトゥットガルト中央駅に戻ってきた。


手早くロッカーの荷物を取りだして、次に乗るミュンヘン経由のザルツブルク行きIC(特急列車)を待つ。

5分ほど遅れて到着した列車はかなりの混雑で、残念ながら座ることは出来なかった。諦めて次のICEまで待つという手もあったのだが、通路が混雑していて再び扉まで行くことが出来ないうちに列車は出発してしまった。

どうせ座れないのならと、ビュッフェ車両に向かってみた。あわよくばこっちで少し座れるかと期待したのだが、ビュッフェの方も盛況で立ち席しか残っていなかった。ビールを飲もうとも思ったのだが、ここは我慢してホットコーヒーを頼む。景色を眺めながらの喫茶も悪くないが、やはり少し疲れるのも否めない。

コーヒー1杯であまり粘るのもよくないと思い、飲み終えて隣の車両のデッキに移った。この混雑の中でわざわざミュンヘンまで行くこともあるまいと考え、次の停車駅のウルムで列車を一度降りることにした。

ICはICEより廉価だからなのだろうか、若い人を中心にかなりの混雑だったのだが、私の方はパスを持っているので別にICEを利用しても負担があるわけではない。

ウルムではおよそ10分待ちで次のミュンヘン行きICEに乗り換えることが出来るのだが、運良く同じホームからの発車であった。

目論見通り、後続のICEはさほどの混雑ではなく、首尾よく席を確保することが出来た。

日本の特急車両と違うのは、座席の向きが基本的に固定であることである。この場合、進行方向と逆向きになる席もあるのだが、ドイツではあまり気にする人はいないようである。また、向かい合わせの配置になった席には大きめのテーブルが間に設置されており、この席には電源が供給されているらしく、ノートパソコンを広げている客を多く見かけた。といっても、多くはビジネスマン風ではなく、ノートパソコンを使ってやっているのは、映画を見ることであることが専らであった。

私の席は電源がない場所であったが、移動中の時間を有効利用するために、外の景色を見ながらこの旅行記の原稿を書いたりして過ごした。

ミュンヘン中央駅の様子ミュンヘン中央駅に到着したのは19時の少し前であった。ドイツ旅行は今回が三度目になるのだが、旅程の巡り合わせでここにやってくるのも3度目になった。

次は23時発の夜行列車でベルリンへ向かうことになるのだが、時間に余裕があるので夕食も含めて町中を少し歩くことにした。


まず、最初に行ってみたのは、何故か事前に情報を得ていた、駅構内にあるマンガ専門の書店である。

台湾に行ったときに、ご当地でも日本のマンガが親しく読まれていること、中国語版のマンガが多く売られていることに驚いたのであるが、ここヨーロッパでも最近は日本の「MANGA」という文化が流行りだしているのだそうである。特にその中でもドイツは顕著だと聞いていたので、早速、その店に行ってみることにしたのだった。

店に入ると店員もマンガを読んでいるファンであるようで、中を見てみるとかなりの種類のマンガがあって驚く。しかし、値段は6ユーロと結構高く、購買層が中高生であることを思うと気軽な趣味とはいかないような気もした。

とりあえず、話のネタに自分の知っているマンガ(具体的にはBASTARD)を一冊買ってみた。鋼の錬金術師あたりがあるとよかったのだが残念ながら見つからなかった。

そうして一段落ついたところで、夕方から夜にかけてのミュンヘンの町を軽く歩いてみることにする。

夕日のミュンヘン市街とはいえ、今日は日曜日なので店は軒並み閉店(ドイツでは駅構内や観光地、レストランなどの例外を除いてほとんどの店が日曜日は休業である)であるので、雰囲気を味わうのと食事をするのだけである。

中央駅から町の中心であるマリエン広場までぶらぶらと歩き、空腹感も覚えたところで広場にテラスのように出ているレストランで食事を取ることにする。

メニューが読めずに難儀していたところ(最悪、電子辞書を出して調べればいいとは思っていたが)思わぬ助け船が入った。

座ってすぐに四人組の新しい客が来たので隣で相席することになったのだが、その向かいの男性が英語でメニューの解説をしてくれたのである。

拙いドイツ語で頑張るよりも、私も英語の方がまだマシなのでここからの会話が英語になった。

結局。シンプルな鳥料理とビールを注文した。

向かいのこの男性は既に食べ終わったところだったのだが、追加でビールを注文して私に少しの間付き合ってくれた。

日本から来たというと更に少し友好的になり、思わぬ相席を楽しむことが出来た。正直、それほど言葉が出来るわけではないので場合によっては相席はさほど快適にはならないのだが……。

結局、男性は先にビールを飲み終えて帰って行った。鳥料理の方はというと、シンプルな塩味なのだが皮がぱりっとしていて美味しい。付け合わせのフライドポテトの量がやや多い気がしたが、主食の代わりだと思えば悪くないだろう。

そんな感じで適度に時間をつぶし、中央駅まで戻ってきた。

ここから乗るのはDB-NACHTZUGといい、個室寝台、クシェット、座席と一通りそろった本格的な夜行列車である。日本でも一昔前にあったカートレインも兼ねているらしく、中央駅にやってきた列車の先頭には自動車を積んだ貨車も連結されていた。

私は今回、事前にクシェットを予約しておいたのであるが、車両は24号車という日本では考えにくい数字であった。しかし、この列車の車両は通常のものの半分くらいであるので納得である。

クシェットは、一昔前まではコンパートメントごとにカーテンのない三段寝台が並んでいるというものだったそうだが、今では新しくなっているようで、カーテンが上下で共用の、幅の少し狭いA寝台といった感じで乗り心地も悪くはなかった。

自分の入るはずの下段に人がいたので心配になったが、「ここか?」と聞かれたので「はい」と答えると上に移ってくれて一安心。

座席を引っ張り出して寝台を作り、シーツを敷いたころには列車も出発した。

隣のホームにはハンブルク行きが止まっていたが、こちらは一足先に出発していったようである。

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