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 ここでは、前回を受けて、より具体的な戦術について述べた行軍篇第九から九地篇第十一について解説します。

行軍篇第九

 ここでは戦場における行軍について述べられている。このあたりから孫子の記述は戦場の具体的な状況を想定した内容となっており、「孫子」が単に戦略レベルでの概論を述べているのではないということが分かる。だが、これらの技術は国を全うするための戦いにおける手段としての軍の運用法であるという踏まえておかなくてはならない。なお、この篇でいう「行軍」は軍の進め方の他に軍の意図の見抜き方をも含んだ、戦場での軍の用い方(動かし方)といった意味合いである。

 始めに、軍を置く場所と敵情との関係について述べられている。勿論これは原則であるが、次のようにまとめられている。

1.山にいる軍隊について

 行軍中は疲労の重なりやすい険しい地形を避けて進むようにし、高地という有利な場所にいる敵に手を出してはならない。高地の方が有利というのは、物質の位置エネルギーからも明らかである。弓矢を使うにも打ち下ろす方が有利であるし、情報より岩などを落とすこともできる。

2.川にいる軍隊について

 川の近くは足場もよくないので基本的には戦うには不利である。また、背後がふさがれる形になるので軍の展開が限られることになる。逆に敵が渡河してきた場合は、わざわざ足場の悪いなかに自軍が入っていくことをせず、半ばを渡らせてから攻撃すればよいということである。基本的に渡河中の敵は戦力にならず、こちらの多で相手の少を撃つという基本原則が実行できるからである。川においても上流の方が位置的に有利であるので、これに向かっていくことは避けた方がよい。水を使った計略の可能性も考えられる。

3.沼地にいる軍隊について

 これも川と同様で足場の困難さのためである。

4.平地にいる軍隊について

 足場についてはこれまで通りであるが、高地とは敵の進出できない地形という意味であり、手薄になりやすい背後と右手(右利きの兵が右手に武器を持つときは自分の左側の方が攻撃しやすい)を補うということである。

 こうして地形をうまく利用して日当たりのよい(言い換えれば足場のよい)地で疫病の起こらない態勢で戦うのが必勝の方法である。

 また、地形には「六害」という近づいてはならないものがあると言っている。自らはそこに近寄らず、敵をそこに近づくようにし向ける。味方はそれに向かって攻める形となり、敵はそれが背後になる(ので逃げられない)形とするのがよい。それはどのようなものかというと次のようになる。

 次に地形を利用した敵情の見極め方についても述べられている。まずは険しい地形や草木の密集した場所を警戒することを言っている。これらの地形は身を隠しやすいので伏兵や斥候を置くのに適しているからである。

 そして次のように状況とそれについて考えられる事態を並べている。

 このように戦場に見えるわずかな変化をとらえることによって、敵の意図を見抜いて主導権を握ることが大事であるといえよう。

 同様に、敵の目に見える行動からも、その中に隠された意図を感じ取ることが出来るとしている。それについては以下のようになる。

 また兵の振るまいや周囲の状況などからも敵軍の状況をつかむことが出来、賞罰の実行状態からも実状をつかむことが出来る。このようにしてある程度のことが分かるが、進んできても攻め立てもせず、退却もしない敵軍については、その意図が分かるまでは慎重に相手する必要があるのである。

 最後に、兵は多ければそれでよいというものではないと言っている。勿論、統率されていることが最も重要なことである。冒頭の事項のような様々な要因で軍隊の実力は決まるといい、そのためには適正な賞罰が必要であるとしている。兵家といわれる孫子ではあるが、その中には法家的な思想も含まれているといえよう。  

地形篇第十

 行軍篇第九では表題の通り、行軍(接敵するまでの行動)について述べられていたが、ここではそれを受けて、実際に戦う時の事項を地形と軍隊の状況の二つに大きく分けて述べている。実際の戦いに置いてはこの二つの要素が重大であり、それぞれについて六つの状況を解説している。

 まずは土地の形状についてであり、列挙すると次のようになる。

 このように、地形を利用して有利な体勢を保持するのが大切であるが、その背景にはこれまでに述べたような駆け引きや主導権が重要になってくることは言うまでもないだろう。戦う前に決めておかなくてはならない勝利を確実化させる手段ともいえる。

 一方、軍の状態には次のようなものがある。これらはいわば敗軍の陥る状態であるが、その原因は全てそれを率いる将軍にあるといい、軍を統率する将軍の地位や責任を重要視していることがわかる。

 ここでの役人とは将軍の下にある中隊長レベルの人間と思われる。このような敗北要因は、将軍が常に考えて避けなくてはならないことである。

 このように、土地と軍の態勢という二つのことについて述べられたが、この二つが戦場レベルで将軍の押さえておくべき重要な事柄である。つまり、敵情をみて勝算を計り、土地の状態を見極めてふさわしい運用を行えば必ず勝てるのである。そして、その見極めがついたなら、主君が戦うなというときでもあえて戦い(そして勝ち)、勝ち目のない時は主君が進めといっても退くべきであるとしている。これまでにも出ている様に、孫子の戦場での将軍の重要性が現れている。将軍は戦場では全権を手にする(君主の意向を越えてでも)と同時に地形や敵情をはじめ全ての戦況を分析し勝利をもたらす役割を持っているのである。このような将軍は(戦場で君主の意向に逆らったとしても)最終的に君主に利益をもたらすので、国の宝であるといえよう。

 さらに、兵を統率するために、常日頃から愛情を持って接するのがよいとしている。これは九変篇第八の「愛民は煩さる」と矛盾するようにも思われるが、程度の問題であり、その方法の問題である。ここでは同時に単に甘やかしただけでは軍は驕った子供のようになってしまうとも言っている。

 謀攻篇第三の繰り返しになっているが、「彼を知り己を知れば勝、殆からず」といっている。敵情を知り、味方の状態をも知ること、そして地形について知り、自然のめぐりを知ること、このことは戦略戦術の両面で結局、必勝の法となるのである。

九地篇第十一

 地形篇第十に続き、戦場となる土地の分析と兵の使い方について述べられている。こちらの方では戦いそのものに対する有利不利についてよりも、兵の士気を維持する方法に重点を置いて解説されている。地形篇第十が地形そのものとその活用法について述べられているのに対し、こちらは戦略上の要素を考えている。

 まず、篇の名にもなっている「九地」の内容は次の通りである。

 このように、ここでは具体的な地勢ではなく、軍の置かれる状況によって九種に分類し、採るべき方策を述べている。

 これらの原則を踏まえた上で、戦いの上手な将軍のとる手段を「敵軍の上下を連携されないようにする」として、有利な状況を作り出すことにあるとしている。大きくは前軍と後軍の、小さくは兵卒の身分の上と下で連携を取れないようにして、虚実篇第六にあるように実を以て虚を撃つ戦い方を目指すのである。これについては次に一問一答のような形でも語られている。

「敵が秩序だった大軍でこちらを攻めようとする時はどうしたらよいか」

「相手に先んじて敵にとって重要視しているものを奪ってしまえばよい」

 そうすれば敵はこちらの想定した対処をせざるを得ず、これまでの議論でも何度も強調されてきた「主導権の確保」が実現出来るのである。

 次に、敵地に入った場合の戦い方について述べられている。これはおそらく、自国での防衛戦の対比としての議論であろうが、これまでの地形や状況に対する考察は、不慣れな土地となる敵地での戦いを進める上での前提知識であるといえるだろう。このことからも「孫子」が単なる非戦の書ではないことが分かる。

 その原則としては、兵の士気の維持、もしくは兵の力をどれだけ発揮させるかということに尽きるであろう。前に述べた九地での採るべき方策も、この実現のための議論ということになる。例えば、敵地に奥深く入り込み重地を占めれば味方は団結する、そして確保した物資によって兵を充分に養えば高い士気を維持できるといっていR。また、兵を行き場のない状況に追い込めば死力を尽くして戦わざるを得ず、結果として勝利がもたらされる。いわば極限状況での力の発揮の期待であり、これは戦車という職業軍人のみで戦った戦争から、徴兵による歩兵を中心としたものに戦争そのものが移っていることの証明といえる。十分に訓練されていないこともある兵を戦わせるための方法の一つである。

 戦術上の運用の理想的な形は率然のようなものであるといっている。率然とは蛇の一種で、頭、尾、胴の何れを攻撃されても助けがもたらされるといい、つまるところは軍の各部隊による連携である。この連携は指揮を執る将軍の重要な役割の一つだが、兵をそのように思い通りに動かすためにはいる土地の状況を踏まえて戦うに充分な条件におくことによりもたらされるといっている。有名な「呉越同舟」の寓話を例に出し(呉と越の国は仲が悪いが、乗っている船が大風にあった場合には互いに力を合わせて切り抜ける)、説明している。

 戦場での将軍の役割はこの兵士の統率にある。言い換えれば、高いところに登らせて梯子を外してしまうように、敵地に奥深く進行して、兵に死にものぐるいの力を発揮させるというものである。勿論、その前提として主導権を握り、有利な状況を作り出しておくことも重要である。そのためには土地の持つ性質、人の心の道理についてよく知っておかなくてはならないのである。兵法が多分に心理学的な要素をもつのはこの点でもよく分かるといえよう。

 そして、最後にまとめとして「兵を為すの事は、敵の意を順詳するに在り」としている。戦争を行う上での大切なことは敵の心を把握することであるということである。ここでは主に戦場での戦術的なことを意味しているが、より高いレベルでの戦略でも成り立つであろう。味方を団結させ、深く敵地で将軍を打ち破るというのが巧妙な戦争の方法である。敵情を読み、それに応じた行動をとりながら、機会を見て一気に勝敗を決するのである。「始めは処女の如く、後には脱兎の如し」にいうような敵には見破られない柔軟かつ迅速な行動が原則なのである。


 このように、ここでの三篇は主に戦場での運用の基礎をかなり具体的に説明している。展開としてはこれまでの戦略的もしくは心理的なな検討事項から発展したものとなっているが、根では前の議論が踏襲されていることがわかる。

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