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 ここでは、戦争の概略について述べられている計篇第一から謀攻篇第三までを解説します。

計篇第一

 「計」とは計り考えることである。この篇の内容は、戦争を始める前に全ての前提として考えなければならないことである。

 孫子最初の言葉は、有名な言葉であるが、これが以後十三篇の中で語られる戦争に対する思想の根本である。つまり「戦争を行うということは、国家にとっての大事であり、国民の生死、国の存亡の分かれ道であるので、よくよく考えて行わなくてはならない」としている。そして、そのためには、次の五つの要素について(相手国と)比較検討してみることが必要であるという。

 列挙したこれらの要素は将軍ならば誰でも知っていることではあるが、その内容を理解し、互いに関連しあう以下の七つの要素を検討して勝敗の帰趨を予測する必要がある。

 この七つの要素とは、

である。

 そして、これらの重要事項を熟知した将軍を用い、そうでない将軍は罷免すべきであるとしている。こうして戦いを始められる状況を整えた上で「勢」すなわち主導権を握ることへとつないでいく。

 そこで「勢」についての概論が披露されている。この篇は全体の総論でもあるのだが、戦いを始める前に自分と相手の力について比較検討し、それが完備されていたならば行動を起こすという考え方は、後に述べられている有名な一節「戦わずして勝つ(謀攻篇第三)」状況を作り出すことが出来、「彼を知り己を知れば百戦して危うからず(同)」ことになるのである。

 さらに、孫子は戦争とは詭道(騙し合い、駆け引き)であると言っている。手法としては自軍の状態を敵に誤って知らせ、また体制の整った敵に付け入る隙を作り出すようにする方法がある。弱く見せたり、遠くにいるように見せるのは敵の油断を誘うためであり、敵を疲労、分裂させるのは、無防備な状態を作り出してそこを攻めるためである。これらが先に述べた主導権を握る「勢」であり、その性格上(臨機応変の処置であると共に軍の運用上の機密でもあるので)、予め伝えておくことの出来ない性質のものである。

 勢については勢篇第五でも詳しく述べられるので、ここでは概略にとどめているが、およそ半分を用いて最初に触れられていることからも分かるように、戦争における最重要項目である。

 最後にまとめとして、戦う前の検討について述べている。廟算(開戦前に祖先の霊廟で行う儀式)の段階で勝ちが決まっているいうのは、この勝算が整っているからである。この思想で戦いを始めれば「勝ち易きに勝つ(形篇第四)」ことになるし「戦わずして勝つ」ことが出来る。同時に多大な軍費を消費する大事である戦争を無益なものにしないですむようになる。

作戦篇第二

 この篇では戦争を行うにおいては、迅速さが何よりも重要であるとしている。勿論、それは計篇第一で述べられた勝算を吟味して勝ち目のある戦いを始めたという前提の下である。言い換えれば、戦争に勝っても費用がかさみ国を疲弊させてはいけないということであり、そうしなくては戦えない戦争は勝算のあるものではないということである。

 孫子は、戦争というものは装備、食料、その運搬手段の運営などに大金を費やし、一日に千金を費やしてはじめて大軍を動員できるとしている。つまり、戦争の遂行は国の経済力に大きな負担を与えるのである。であるから、戦争が長引くということで軍が疲弊し、鋭気がくじかれれば敵の城に攻めかかっても力つきることになり、動員が長くなれば(維持費で)経済が破壊される。その結果、自国が弱体化すれば他の諸侯の標的となり、その時にはどんな智将がいても劣勢を覆すことは出来ない。ここでの主題は「兵は拙速を聞くも巧久なるをみず」つまり、多少まずくても素早く執り行うことはあっても、うまいが長々とやるということはない、ということである。戦争が長引いて国に利益があった試しはなく(仮に勝ったとしてもそうである)、その害について知らないものは戦争の利益も理解することは出来ないという。

 そして、具体的手段を述べている。兵役は二度も課すことなく、食料も何度も本国から輸送させることもない。そして必要な食料は敵地で調達するというのである。孫子は基本的に春秋時代の中国といういわば同民族同士の戦いの中で著された書であるから、その前提が反映されている。実際は他文化や他民族との戦いでは敵地での食料調達はうまく行かないこともあろう。その意味でここで述べられている事項に関しては疑問を挟む余地はあるが、考え方としては納得できるものである。尚、ここでの「敵地での調達」は掠奪を意味しないと思われる。敵軍の食料の奪取や現地での購入を意味するものであろう。それはこの篇の記述の中の「近くでの戦争では物価が上昇する」や「敵の物資を奪うのは利益のため」というところに現れている。

 ともあれ、敵の食料を奪うことは味方のを増やすと同時に敵のを減らすことになり、また同じ量を本国から輸送する手間と経費(そして危険)を考えると、敵から得た食料の一は本国からの二十に相当するというのもあながち誇大ではない。

 よって、敵の食料を奪うことは、単に敵に勝ったということだけでなく、その恩賞(食料を捕獲した兵には充分な恩賞を与えるべきと言っている)を通じて味方を強くすることにもなる。

 そして、まとめとして、戦争は勝利を第一とするのは当然であるが、長引くのはよくないとする。こうした戦争に関する利害をよく知った将軍は国民の生死と国家の存否を決する存在となるといっている。

謀攻篇第三

 この篇で述べられている「謀攻」とは、謀略によって勝つことである。これまでにも経済的、その他の軍を動かすことの弊害が述べられている。戦いに敗れたり、そうでなくても長引いたりすれば自軍にも大きな損失があるので、あたりまえのことではあるが、実際に兵を交えずに戦いに勝つことが出来れば最もよいとしている。たとえ優勢にもとで戦ったとしても、まるで無傷というわけにもいかないだろうから、その考え方は当然である。

 「討ち破らずに降伏させるのが上策である」とし、あらゆる対象(国・軍団・旅団・大隊・小隊)に対してこの原則が成り立つとしている。

 そして「伐つ」対象の優先順位を示すことによって、その具体的なその手法を示唆している。つまり、有効な、言い換えると自軍の損害を少なくできる順に、「謀」(陰謀、計略)を伐つ。

としている。上の二つは敵に主導権を与える可能性を排除することであり、その結果、これまでに述べてきたように交戦する前に勝敗を決めることが出来る。それは即ち、敵に勝ち目のないことを知らしめることによって屈服させるという(戦わずして勝つ)ということである。やむを得ない場合は兵を交えて戦うことになるが、城攻めはそのなかでも最も下策であるといっている。城は防御施設であり、地の利からしても敵軍優位の条件で戦わなくてはならないためである。

 謀りごとで攻める(謀攻)によって、戦闘によらず敵を屈服させ、城を落とす。そうすれば自軍を疲弊させずに勝利が得られることになる。

 また、兵を動かすときの原則として次をあげている。これは指針であると同時に、出来るだけ有利な状況を作り出すことの必要性を説いているとも考えられる。(味方が敵の)十倍であれば(わざわざ攻撃するまでもなく降伏を誘うために)包囲する。

 これは基本的には兵の数の比較であるが、もちろん実際には一番最初に述べられている比較事項を検討した総合的な彼我の力の差を意味するであろう。現実の戦史でも、兵数の少ない方が多い方を討ち破った例は幾つもあるが、必ず「優位」に立っているという根拠があったためである。逆にこれを見誤ると、兵の数が多くても敗れる。その評価は難しいものであるが、戦いにおいてはこれが原則となっている。

 また、後半では孫子は戦場における将軍の裁量権についても述べている。孫子の立場は「一旦君命を受けたなら、戦場ではその名に従うことの出来ないこともある」というものである。つまり、君主による将軍の作戦展開への干渉を忌むべきものとしている。その背景には、将軍は戦場における最高責任者であるという考え方がある。その任免は君主の重要な仕事であるが、一旦任命した以上は専門家である将軍に任せるべきであるとしている。戦場での兵卒は将軍の指示に従って動くものであり、そこに君主が介入すると、二重命令系統となり混乱をきたすためもあろうし、君主は必ずしも軍事の専門家ではないということもある。ともあれ、ここでは軍隊を引き留めたり、兵士を迷わせたり、兵士に疑いをもたせることによって軍が混乱し、敵に付け入る隙を与える結果になるだけだと述べ、君主の介入を否定している。

 そして最後に、戦いに勝つための五つの事項をまとめている。つまり、

  1. 戦ってよいときといけないときをわきまえているか
  2. 大軍・小勢それぞれの使い方を知っているか
  3. 上下の人心がまとまっているか
  4. 準備を整え油断なく戦いに臨んでいるか
  5. 将軍が有能で君主が干渉しないでいるか

である。これらのことは計篇第一で述べられている比較検討事項とも通じるものがあり、それ故「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」ということになる。自分だけしか知らないと、絶対的な実力は分かっても相対的には分からないので一勝一敗の展開となり、敵も自分も知らずに戦えばそれは博打のようなものであるので極めて危うく、国家の大事を賭けて行うにはふさわしくないのである。


 このように、計篇第一から形篇第四まででは、概論的な展開ながら、戦略戦術両面で有効な「戦争の遂行と勝利に必要な基本的な条件」について解説している。表面上は簡単なことではあるが、実際に行うことは難しい。だから逆にその基本をふまえていかなくてはならないのである。

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