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創作メイド小説「春秋のかけ橋」

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第1章 ある春の出来事

通勤電車がゆっくりとホームに滑り込んだ。

都心の勤務先からおよそ四十分、この日も普段と同じような時間になって住んでいる家の最寄り駅まで戻ってきた。

典型的な若手サラリーマンである遠藤政康は、やはり典型的といってよいスーツ姿でホームに降り立った。

朝と変わらぬ服装であるにもかかわらず、帰りにはそのスーツも少しくたびれて見えるのは、それを着ている政康自身の精神状態を表しているからなのであろうか。

ようやくコートを手放すことが出来る季節になった。代わりに、町中では花粉を防ぐためのマスクを身につけている人を多く見るようになった。政康は幸いなことに花粉症とは縁がなかった。この季節は定例的に忙しく、ほとんど一日中、会社の中にいるために花粉を吸うような機会もないということもあるだろう。

夜も十一時を回ると、楽になってきたとはいえまだ寒さが感じられる。温められた電車の中との気温変化に身体が反応し、政康は思わずくしゃみをすることになった。

「ふぅ……」

ポケットの中にあるハンカチを取り出し、口を抑えていた手を軽く拭く。それを再びポケットに戻すと同時に、定期券を取り出す。

改札口に急いだ政康は、文字通り機械的な動作でそこを通り抜けると、駅から少し離れた我が家に向かって歩き始めた。

既に結婚している学生時代の友人からの紹介で勧められたマンションを、政康はおよそ一年前に購入していた。まだ独身で特に恋人といえるような女性もおらず、それ以前に日々の仕事をこなしていくだけで精一杯だった政康にとっては、いわゆるマイホームなどというものはずっと先にある別世界に存在するようなものであったのだが、経済的な環境も後押しして、思い切って購入に踏み切ることになったのである。

その新しい家は、建物を造った不動産屋が強く勧めていただけはあって快適なものであった。しかし、この不況下、政康も忙しく働かねばならないのは例外ではなく、特にこの時期はほとんどその家には寝に帰るだけというのが実際のところであった。

会社はリストラといいながら人を減らすが、だからといって仕事の総量そのものは減るわけでない。そうなれば自然、残った人間にそれがのしかかってくるのである。再就職先を探さねばならない人と比べたら恵まれているのではあろうが、だからといって会社に残った人間が幸せであるかと言えば、必ずしもそうはならないだろう。

ここに引っ越してきたとき、友人や親戚、会社の人間などがそろってお祝いの言葉をくれたが、同時にほぼ例外なく「今度は一緒に住む人を見つけないとね」という言葉が後に続いた。政康は苦笑しながら「そうですけどね」と答えざるを得なかった。決して異性や結婚に興味がないわけではなかったが、そちらに向けている余裕がないというのが現状だった。何か日常をうち破るような出来事でもあれば心構えが変わってくるのであろうが、冷酷にも日常というのものはあまり変化なく続いていくものであった。

ともあれ、家路を急ぐ政康は、途中にあるコンビニに立ち寄っておにぎりとインスタントの味噌汁を買った。帰ったら風呂に入って寝るだけなので、量の多い弁当などは欲していなかった。それに、総じてコンビニで売っている弁当などは値段の割に美味しくないものなのだ。

おそらくは徹夜番なのであろう、これからが仕事の本番になろうかというアルバイトの店員の「ありがとうございました」という声を背に、政康は小さなビニール袋を手にして我が家へと急いだ。

今週は土曜日は休めるといいんだけどな……。そんなことを考えながら空を仰ぎ見る。

通りから一つ入った道は、この時間になると割と静かで、政康と同じように駅から歩いてきたらしい人間が数人いるのが見える。僅かながら星空を見ることも出来るが、以前旅先で見た満天のそれにはとうてい敵うものではない。都会の便利さというものはそういったものを代償に要求しているのだろう。今日は、星の代わりに明るい月が姿をよく見せていた。月明かりが夜道を照らすというような時代ではないが、それでも月が見えているとどこか安心するものだ。

駅から十分と少しほど歩いて、政康は自宅まで帰ってきた。

エントランスの郵便受けに、いくつか郵便物が入っていた。どこから来たものかは部屋で確認することにして、それらを無造作につかみ取ると、政康はエレベーターへ急いだ。

そして、鍵を開けて家に入り、返答がないのを知りながらも「ただいま」と呟く。それでも、明かりのスイッチを入れると、少しは落ち着いた気分になれるのだった。

電気ポットで沸かしたお湯を味噌汁のカップに注ぎ、具がふやけるのを待っている間に慣れた手つきでおにぎりの包装フィルムを外して海苔を巻く。

そして、その極めて簡素な夕食を口に運びながら、持ってきた郵便物をチェックする。三通あるうちの一通は、定期的に送られてくるダイレクトメールだった。一度、この会社の通信販売を利用してから、新しい商品が出るごとに送られてくるものである。一応、中身は見てみるが特に興味を誘われる品物でもないのでそのまま屑籠に直行ということになる。

もう一通は銀行の定期預金の満期通知だった。特に使い道のなかった時のボーナスをそのまま預けていたものだが、今の時代、定期預金にしておいても利息などは満足につかない。百円にもならない利息の数字だけを確認して、こちらはさすがに捨てるわけにもいかないのでメールボックスにしまうことにする。

そして、最後の一通の差出人は政康には見慣れない会社の名前だった。表書きに「親展」とあるので、とりあえずは開封してみた。おそらくはまたさっきと同じようなダイレクトメールの類だと思っていたのだが、中から出てきたのはそれとは一線を画したものであった。

「春のビッグプレゼント・当選のお知らせ」

送付状にはそう書かれていた。

日頃は週刊『モルゲン』誌をご愛読頂きましてありがとうございます。先日は弊誌の創刊二十周年プレゼントに応募いただきまして、誠にありがとうございました。厳選なる抽選の結果、貴殿が当選を致しましたのでひとまずはご通知致します。詳細につきましては、同封いたしました書面をご覧下さい。ご不明の点がございましたら、下記の連絡先までお申し付け下さい。

文章はそんなありきたりのものだった。確かに政康はそのマンガ雑誌を読んでいた。数ある週刊マンガ雑誌の中で、割と面白いマンガの揃っているこの「モルゲン」を、週に一度の会社帰りのささやかな楽しみとしているのである。普通は読み終わったら駅のゴミ箱に捨ててしまうのだが、何回か読み終わる前に駅に着いてしまい、そのまま持って帰ってきたことがある。今までずっと忘れていたが、思い出してみると確かに一度だけ、懸賞が付いていたので応募してみた記憶がある。二十周年と大々的に銘打っているだけあって、賞品は豪華だったような印象はあるが、どうせ当たるものでもないと思っていた政康は、自分が何を希望したのかも覚えていなかった。

そんな送付状の挨拶文と、一番下に書かれている連絡先、担当者の間に、そこだけ個別に書かれているのであろう、手書きの文字が付け加えられていた。

賞品名を示すその文字は、明らかに男のものとわかる無骨なものであった。だが、そんな文字で書かれている単語は、そういう無骨さとは対極にあるものであった。

メイド派遣契約、一年間

一瞬、読み間違いかと思った政康だったが、再び確認してみてもそこにある文字は同じだった。そもそも、もしそんな賞品を選んでいたら記憶の片隅にでも残っているであろうが、政康には全く覚えはなかった。ひょっとすると応募はがきに書き込む賞品の番号を間違えたのではないかと考えて、この懸賞のあった週のモルゲン誌を探して確かめてみようと思ったが、少し前に古紙回収に出してしまったことを思い出して、立ち上がりかけた体を椅子に戻した。

そして、改めて同封されていた書類というものを取りだしてみたが、その書類もそれが誤りなどではないということを証明している。

送付状、添付された書類、同じく同封されていたパンフレット、そこから導き出されてくるのは紛うことなきメイドだった。洋画であるとか、金持ちの住む屋敷であるとか、そういった別世界の中に出てくるようなメイドである。落ち着きのある衣裳にエプロンを纏い、優雅に紅茶を注いでくれるような、そういうメイドのことである。

政康は思わず部屋を見渡した。何もないようなこの家に、そんなメイドがやってくるというのだろうか。極めて現実味に乏しいことであったが、改めて手元にある書類を眺めると、現実としてそれが認識される。

独りで住むには広すぎるような家ではあったから、確かに現実として住み込みでメイドが一人住むことくらいは出来るだろう。

あさっての方向のどこかにあったものが、徐々に近づいてくるような感覚を得た。

体が宙に浮いたような感覚から戻った政康は、手元の書類を熟読することにしたのだった。

見慣れない単語が多いその説明書類は、一方で目の前にあるものが確かな現実であるということも示していた。一度、勧められるままに加入した生命保険の約款という冊子を読んでみようと、休みの日に挑戦したこともあったが、一時間ほどで挫折して投げ出した記憶がある。

そこまで大変な書類ではなかったが、自らはお金を出さないとはいえ、一人の人間を雇うという立場になることにはそれなりの緊張を伴うのも事実だった。

しかもメイドという、今までの自分から思えば相当に非現実的な職の人であって、しかもこの家に住み込みであるということになれば、別の緊張感も漂ってくる。

政康は改めて自分の家の中を見渡した。

男の一人住まいであるということもあり、家の中には必要最低限の調度しか揃えられていない。それを少し気恥ずかしく思いながらも、あくまでも自分は雇い主になるのだという強引な自信や開き直りのようなものを絞り出す。

仮に来てくれるメイドが妙齢の女性だとして、いや、そうでないとしても、そのためには彼女のいるための部屋を用意しなければならない。その点に関しては大きな問題はなかった。ほとんど使うこともない半ば物置と化した部屋が一つあったからである。

そんなことを考え始める余裕が出来たことを自覚した政康は、説明書類をテーブルの上に置くと、代わりに契約関係の用紙を取り出す。途中だった食事を終えた後、部屋に戻ってその書類に記入を始めた。

政康の生活はこれを機に大きく変わることになる。


書類を整え、同封されていた専用封筒に収めて投函した政康であったが、それ以降の生活はしばらくそれまでと同じままだった。

会社に行けば日々の業務に追われ、決算期末を迎えたこの時期は特に忙しく、当選通知の来た日と同じように夜遅い帰宅となることが多かった。

それ故、夕食も毎日がコンビニで買ってきたおにぎりやカップ麺などにならざるを得ず、朝の面倒くささのためにあまり頻繁にゴミを出すということもなく、部屋が荒れ果てかけてきていた。

書類を送っておよそ一週間後、仕事中の政康のもとに一本の電話が入った。

聞き慣れぬ社名に、最初は面倒くさいセールスの類かと思った政康だったが、この場に似つかわしくない「メイド」という言葉に対して意識を急変させた。

別に後ろめたいことをしているというのでないのは百も承知なのだが、ある種私用であることもあって、その電話に対する受け答えも若干緊張したものとなった。

相手方の担当者は、問題なく書類が受理されたということ、雑誌社の担当部から代金については既に受領しているということ、派遣日が次の日曜日であるということ、そして実際に来てくれるメイドの名前などの連絡事項を淡々と述べていった。

この日は、仕事の手際もどこか浮き足だったものとなり、なんとかミスは犯さずに業務を終えたものの、心の動揺は隠せないものとなっていた。

そんな政康の心情とは裏腹に、次の日以降の業務も多忙を極め、結局は落ち着かない状態の中で週末を迎えることとなった。

なんとか土曜日のうちに仕事に区切りをつけ、日曜日も出勤という憂き目は避けることが出来た。

休日のささやかな贅沢としての朝寝坊を堪能した政康は、自分の家の様子をひと眺めするとさすがに恥ずかしさを覚えた。今後、家のことについて面倒を見てくれるようなメイドが来てくれるとはいえ、人を上げるにふさわしい状態ではないといえたからである。

はっきり言って、掃除や洗濯といった家事の嫌いな政康であったが、さすがにそうもいってはおられず、やはりある程度は綺麗にしておく必要を感じた。物置から掃除機を取り出すと、久しぶりにそのスイッチを入れてリビングを中心に清掃を開始する。

明日からは来てくれるメイドさんがこういったことをやってくれるのだろうか、そんなことを思いながら、今日に限ってはこうして掃除をすることがそれほど嫌なことだとは感じていない自分に気が付いた。

しかし、だからといって掃除の腕前がにわかに上がるわけではない。おそらく家事のプロである当のメイドからすれば児戯に相当するような結果を残したままで、政康は掃除を終了する。

そして、台所の棚に残っていた特売のカップうどんにお湯を注ぎ、名実ともに簡素な昼食を終える。

何度か時計に目を向けて、予定の時刻まで読みかけだった本を手に取りながら、さすがに緊張を隠せずにメイドの到着を待つ。

先日の連絡で、そのメイドは高山真理子という名前であること、年齢が二十三歳で三年ほどの経験があるということ、ここに来る前は都内にある資産家の家でやはり住み込みで働いていたことを伝えられていた。

小一時間が経過したころに、玄関のチャイムの音が鳴り響いた。

政康は平静を保ちながら、玄関の扉を開けて、そのメイドを出迎えた。

「はじめまして。わたくし、高山真理子と申します」

ごく自然な、柔らかく丁寧な物腰で目の前の女性はお辞儀をした。手に荷物を持っているにもかかわらず、その仕草には一片の齟齬もなく、初めて会った自分に対して柔らかい敬愛の感情を向けてくれているのがはっきりと伝わってきた。

僅かにほころんだ笑顔の美しさ、そして可愛らしさが、政康にとっての真理子の第一印象となった。

流れるような柔らかい髪は、肩の少し下あたりで綺麗に切りそろえられている。まだ若干の肌寒さは否めなくはなかったが、薄いグリーンの春らしいワンピースに、白いカーディガンをまとっている。持っている荷物は海外への旅行者がよく持っているような若干大きめの鞄である。

挿絵1 その姿に、政康は一瞬、嫁入りの娘を想像してしまい、そういった妄想を慌てて頭の中から消し去った。

「こんにちは。お疲れですよね。まずは上がってください」

「はい、これからお世話になります」

「おじゃまします」という表現でないことが、真理子にとってのこの家の意味を感じさせる。

「大変だったでしょう」

「いいえ、素敵なおうちですね」

「ありがとう」

政康はそんな真理子の言葉に答えながら、その大きな荷物を手に取った。「自分で運びますから」と固辞する真理子を遮って、まずはリビングの方にそれを持っていく。申し訳なさそうにその後ろを歩く真理子から、柔らかく心地よい香りが微かに伝わってくるのを感じた。

滅多に使わない来客用の椅子を引き、真理子を座らせる。足を揃えて、手を膝の上に置いている真理子に対して、自身も若干の緊張を持ちながらも、政康は自己紹介を始める。

「あまりきれいな家でなくて失望させてしまったかもしれないけど、今日からお世話になる遠藤政康といいます」

「そんな、とんでもないです。こちらこそ、今日からお世話になりますので、未熟なところもあるかもしれませんが、宜しくお願いします」

真理子は一度立ち上がり、先ほどと同じように丁寧にお辞儀をした。

「細かいことはよくわからないんだけど、真理子さんは住み込みでいてくれると聞いていたから、部屋を用意させてもらいました。まずはご案内しますね」

「はい、ありがとうございます」

そうして政康は真理子を部屋に案内する。さすがの政康も、辛うじてこの部屋だけはきれいに整えていた。実際は、ほとんど使っていなかった部屋なので散らかりもしていなかったというのが事実ではあったが。他の部屋に比べても更に無機質である言い訳も、政康は既に考えていた。

「もとは空き部屋みたいなものだったんです。独りで住むには広い家でしたから。今日からこの部屋は真理子さんの専用ですから、真理子さんに好きなように使ってもらっていいですよ。女の子らしく飾ってしまっても構わないです」

「そ、そんな……。でもありがとうございます」

「これがこの部屋の鍵ですから。それと、こっちが家の方の、玄関の鍵です」

「お預かりします。政康さんのお役に立てるように頑張ります」

その言葉が、政康にとっては嬉しかった。自分で想定していたよりも楽に真理子と話すことが出来て、政康は安堵していた。

「早速、お茶でもお入れしたいと思います。着替えてからお仕事始めますので、政康さんはリビングで待っていてもらえますか?」

「はい、わかりました」

「それと、政康さんは私には丁寧な言葉をお使いになる必要はありませんよ」

「あっ。でもまあ、それに関しては徐々に慣れさせてもらいますよ」

「そうですね。ではちょっと失礼します」

そう言って、真理子は一度新しい部屋に入っていった。少しの時間をぼんやりしながら政康はリビングで待つことになる。

自分のために用意された部屋を、真理子は簡単に見回した。

新しく勤めに上がる家がマンションだと聞いて、真理子は少なからず驚いたものだった。しかも、主はまだ若い単身者だと聞く。

実際、この家に来るまでにいろいろと考えを巡らせたものであったが、先ほど政康と話をした感触では、ほっとしたというのが正直なところであった。メイドとして余計な詮索は禁物であるとはいえ、政康がどういった人物であるのかということを心の中ではいろいろ考えていたのだ。

予想に反して、政康は普通の独身サラリーマンであるように見えた。それ以上のことは勤めをしていくうちに徐々に明らかになると思っていたが、これから始まる、ある意味では「同じ屋根の下で暮らす」という状況の下で、それを厭うように感情が起きなかったのは幸いであった。

政康の説明したとおり、この部屋はこれまであまり使われてはいないようだった。未だ何も入っていない収納棚の脇に、真理子は荷物を置いた。そして、政康なりに気を遣ってくれたのだろうか、新調されたと思われるベッドの枕元には小さな造花が置かれている。

これまでにやはり住み込みで勤めていた屋敷で与えられていた部屋に比べると、一回り以上狭いところではあったが、子供の頃は手狭な家に住んでいた真理子にとってはこちらのほうが落ち着けるように思えるのも事実だった。

荷物を開けて、ここでの「制服」でもあるメイド服を取りだした真理子は、収納棚にハンガーが掛かっているのを確認すると、まずはカーディガンを脱いだ。

そして、着慣れたともいえるメイド服へと着替え始める。

スカートは膝まで充分に隠れる丈のある黒のワンピース。そしてそれに対して対照性を誇示するかのような白のエプロン。ちょうど腰の高さにポケットが付いているなどの機能性を持ちながらも、背中で結ぶ紐や裾、襟元などにはレースの適度な装飾が施されて華を添えている。

鏡で自分の姿を確認した真理子は、最後に胸元にえんじ色のリボンを付ける。そして、歪みがないかをもう一度確認した後、映っている自分の姿に対して、軽く笑顔を見せた。

笑顔というものは人の心を落ち着ける。多少は恥ずかしいとしても、それが自分の笑顔であっても例外ではない。これまで勤めてきた屋敷でも、自分や周りの人たちの笑顔が心の支えになってきた。そんな真理子にとって、近くにあってほしいのが笑顔であるのだ。

これからの仕事に対して、漠然とした不安や希望はあったが、まずはそれを別の場所に置いておき、初めての仕事をこなすために真理子は部屋を出た。

「おつかれさま。あ、その服、よく似合ってますね」

メイド服姿の真理子を見た政康が、顔をほころばせながら言った。政康にとっては、照れくささを隠すような感覚だったかもしれない。そして、自分には縁がないと考えていたメイドが目の前にいることに対する感動のようなものでもあった。

「ありがとうございます」

正直に言って、真理子はこの服を着るのが好きだった。自分ではあまり服装やおしゃれに対するセンスがないと思っている真理子だったが、メイド服を着ているときは、こう、しっくりくるというような、安心できるというような、そんな気持ちが感じられるのだった。それなので、政康に自分の格好を誉められた真理子は、心から嬉しくなって、にこやかに笑顔で答えた。

「早速ですが、台所をお借りしますね」

何人ものメイドが勤めていて、担当が細かく決められている屋敷とはまた違う仕事ぶりが必要とされていた。同時にそれだけの能力が要求されているのだということを改めて実感して、真理子は気を引き締める。どういったレベルの家事を政康が要求しているのかはまだわからないが、ある意味で試されているのだと考えることにした。

政康の方は独身男性らしく、真理子が過大に見積もっているような水準のものは想定していなかった。実際、台所もさすがに今は多少きれいにしておいたが、少し前まではあまり人様に見せられるような有様ではなかったというのが実際のところである。そして、若干の緊張を持ちながらも、真理子のいれてくれるというお茶を楽しみにしていた。

「使い方はわかりますよね?」

念のためにそう声をかけた政康だったが、やはりそういった心配は無用であったようだ。

「はい、これでも私はプロですから。お任せ下さい」

「そうですよね」

「あ、でも、お茶の葉のあるところだけ教えてください」

「あっ。食器棚の二番目の引き出しに入ってます」

「これですね。わかりました」

水を入れたやかんを火に掛ける。そして、湯が沸くまでの間に、手際よく葉を取りだして、目で適量を量って取り出す。一方で湯飲みを用意する。

「あの、湯飲みが三つ置いてありますけど、どれが政康さんのでしょうか?」

「茶色の渋めのがあるでしょう。それが僕のです。隣にある小さいのは、真理子さんが使ってください。せっかくなのでご一緒しましょう」

「ですが、私は……」

「まあ、そう言わずに。一人で飲むというのも何だし、これからどんな風にお仕事をしてもらうのかなどをお話ししないとならないでしょう」

「それでしたら、ありがたく頂戴いたします」

「うん」

直接に顔を合わせない会話であったが、それが逆に話し易さを生み出していた。

お湯が用意できたので、真理子はそれを一度湯飲みに注いで温める。それがお茶の適温になるように温度を下げる効果にもなり、充分に温まった後に手際よく急須の方へと移す。

急須の中で茶葉が開いていく様子を想像しながら、真理子は優しい眼差しでそれを眺めていた。よい頃合いになったと判断し、お茶を湯飲みへ注いでいく。

「お待たせしました」

政康の待つリビングに、二つのお茶を運ぶ。

「真理子さんはこっちに座ってください」

「はい、ありがとうございます」

「早速、頂くことにしますね。うん、美味しいです。当たり前だけど、僕が自分でいれるのよりもずっと」

「ちょっとしたコツがあるんですよ。でも、喜んでもらえて嬉しいです。それで、これからのお仕事についてっていうお話しですけど……」

「そうですね。実はあまり細かいことまでは考えていないんだけど……。食事を作ったり、洗濯やお風呂の支度とか、今まで会社から帰って自分でしていたことをやってもらえるんですよね」

「はい、そういったことはもちろんです」

「お休みなんかはどうやって決めるんですか」

「そのあたりのことは、ある程度は決まっているんですよ。政康さんがお持ちの書類に書かれているんですが、実際はお勤め先……、私の場合はこのおうちですけど、ごとにやりやすいように決めて構わない、という感じなんです」

「そうですか。では、何日かお手伝いしてもらって、少し慣れてきてから決めましょうか」

「はい、それで構いません。それと……」

後日トラブルなどが起きないようにということも念頭に置いて、真理子は少し詳しい目に話をした。政康にとってもその方がありがたいといえた。

明日からの仕事のことを考えると多少気が滅入るところもあったが、新しく来てくれた真理子という人に対してまずは好感を持つことが出来た。

真理子の方も、最初に持っていた心配の相当部分が消え去った。だが、慣れない環境での仕事というものに、真理子はすぐに直面することになるのだった。


翌朝、政康が目を覚ますと、台所の方から物音が聞こえてくるのに気が付いた。

寝てしまった後はいつもと変わらない夜であったのが、こうして目を覚まして現実に戻ると、それが先週までのものとは違っているのだということを改めて教えられることになった。

「そうか、今日からは真理子さんが……」

パジャマ姿というのにはさすがに気恥ずかしさを感じた政康は、部屋に置きっぱなしになっていたカーディガンを羽織って、リビングの方に向かった。

ドアを開ける音に気が付いて、真理子が政康の方に顔を向ける。

「おはようございます。よくお休みになれましたか」

「うん、割とね。ありがとう」

「政康さんはどんな朝食を取られているのか、昨日少しお話をうかがいましたが、このような感じで如何でしょうか?気に入ってもらえるとよいのですが」

メイド服姿の真理子は、そう言いながら出来上がったばかりのプレーンオムレツを運んできた。奥の方からはコーヒーのよい香りが漂ってくる。それに混じって、パンの焼ける香ばしい匂いも伝わってきた。

「うん、朝から食欲をそそられるね。でも、僕は朝はそんなにたくさん食べる方じゃないから」

「はい、あまり政康さんの負担にはならないように気を付けてみたのですが……」

「これくらいでちょうどいいよ。しかし、こういうのは嬉しいね」

「はいっ、私も嬉しいです。最初なので、ちょっと心配でしたし」

「これからは朝ご飯が楽しみになりそうだよ」

「それは大事ですよ。朝はしっかり食べてくださいね」

「そうだね。真理子さん次第かな」

「はいっ」

これまでの味気ない食卓からは想像も出来ない光景だった。そもそも、政康はほとんど朝食を家で取ってから出ることはなかった。会社に行く途中の喫茶店でパンを買うか、朝食抜きということが多い。たまに家で取る時も、時間のかからないインスタント食品であることがほとんどだった。

今日の政康は、例えば旅行先の宿では普段とは違ってしっかり食べたくなるような、そんな気分であったといえるだろう。

そんな食事を終えたあと、いつも通りに顔を洗ってスーツに着替えた政康は、慣れずに普段より少し遅くなった時間に家を出た。「いってらっしゃいませ」という真理子の声を心地よく感じながら、その遅れを取り戻すために駅までの足を速める。

通い慣れた駅から会社までには、もはやこれまでと同じ日常に戻っていた。

混雑した電車に辟易しながら、二回の乗り換えを経て会社に到着する。

いつも通り、九時十分前に自分のフロアに到着した政康は、周りの同僚に声をかけながら上着を椅子に掛ける。

息が落ち着いたころになると、もう始業の時間である。いつもぎりぎりにやってくる課長に挨拶をして、新しい一週間が始まる。この日常の中に吸い込まれると、今朝の少し甘い出来事も溶けて消えてしまう。この時期、政康の部署だけでなく、会社全体が忙しく立ち回っている。

「遠藤さん、営業から電話が入ってます。三番を取ってください!」

早速、政康は隣に座っている後輩の社員から声をかけられた。

「はい、三番だね……。お電話代わりました、遠藤です」

政康も、すぐに自分の処理すべき仕事に埋もれていくことになる。今日も、帰りは遅くなりそうだった。

一方の真理子は、政康を見送った後から、この新しい家での仕事に取りかかった。まずは自分も軽い朝食を取り、政康のものと併せてその後かたづけをするところから始まった。

割と新しいマンションであるようで、台所まわりは機能的で使いやすいものになっていた。多少手狭であることは否めなかったが、今の住宅事情は総じてこういうものなのであろう。

前に勤めに上がっていた屋敷は、さすがに広い台所を持っていた。そちらでの仕事は、台所周りを任されるようになってからでもそれなりに長いものであって、そんな環境に慣れてしまっていた自分を戒める。

広い屋敷であり、周りでは他のメイドが働いている。そうしたメイドたちを総括する執事のような人物もいるようなところと比べると、環境の激変を真理子も悟らざるをえなかった。決してそれは不快というのではなかったが、これまでは決められた担当の範囲で仕事をこなしていればよかったことを思うと、格式張らずに済む一方で、家事全般を任されているのだという緊張感もこみ上がってくる。もともと、家事の類が好きでもあり、家庭の事情もあって子供の頃から家の仕事をやってきた真理子にとっては困難なものではなかったが、お金をもらって仕事としてやることに関しては、やはりしっかりと向き合う意識というものを持っていた。

実質的に最初の仕事であった朝食は、幸いにも政康に気に入ってもらえたようであった。その笑顔を忘れぬようにしながら、真理子は次の仕事に取りかかった。

本人もそう言っていたが、まずは散らかり気味になっている部屋の掃除であった。台所とリビング、そして二つの洋室、こぢんまりとした和室があった。幸い、時間には余裕がありそうだったし、多少、埃が多いとはいえども深刻な汚れも見られないようなので、焦らずにゆっくりと取りかかることが出来た。掃除をしていくと同時に、ある程度、どんなものが部屋のどこにあるのかを記憶に刻んでいく。一人暮らしの男性らしく、あまり飾り気のない部屋が多かった。絵や写真のようなものもほとんどなく、辛うじてどこかへの旅行で買ってきたのか、それともお土産でもらったのかの小さな置物が和室の台の上に置いてあっただけであった。それを慎重に手に取って、埃を丁寧に払っていく。自分はこの家で政康が暮らしやすいように生活する手助けをするのが仕事である。そのために、真理子が気を遣わねばならないことがこれから多く出てくるのであろうが、少しずつ政康という人間を知って、そのひととなりを掴んでいくことも重要になる。そのためにはちょっとした会話から入っていくことも必要になろう。

ここで見つけた小さな置物を優しく眺めながら、真理子は今晩、この話題を出してみようと考えたのだった。

おおよその仕事は昼過ぎ頃までには終えることが出来た。家の中でまだわからないことはいくつもあり、それに関しては棚上げ状態であったが、まずは部屋はこれまでよりもずっときれいになった。

昨日のうちに政康に聞いていたスーパーマーケットを目指して、真理子は買い物に出かけることにした。冷蔵庫の中には、あまり食材は豊富に入っていなかった。政康の好みに関してはこれから徐々に掴んでいくにしても、まずはまともな料理が揃えられる程度には買い物をしてこなくてはならない。政康は特に具体的に食費に充てる額というものを指示してはいなかったが、出来るだけ安くなるように済ませながら買い物かごにいろいろな食材を選び取っていった。

夕方になって、食事の支度を始めようと思った頃、真理子は大事なことを聞き忘れていることに気が付いた。最初に政康から「今の時期は仕事が忙しいので帰りは遅くなることが多い」とは聞いていたのだが、具体的に何時頃になるのかということを聞き逃していたのだ。

食事は出来るだけ温かい出来たてのものを食べさせてあげたい。真理子が昔からずっと思っていることだった。一日の疲れを癒す役割もある夕食ならば尚更であった。しかし、政康の帰宅時間がわからなければ、それは難しい。

少しの間だけ考え込んでいた真理子であったが、そうしていても仕方ないので、政康の「遅くなる」を九時頃と考えて、それに合わせて夕食の準備を始めることにした。エプロンを新しいきれいなものに替えて、八時過ぎに台所に立つ。

もともと料理は得意で手際もよい真理子であったが、最初ということで失敗することのないメニューを選んでいた。味付けも万人が満足するような無難なものとしている。そのため、程なく夕食の支度は終わってしまったのだが、まだ政康の帰ってくる様子はない。

真理子は、徐々に冷めていく料理を見ながら、少し残念に思った。政康の帰る頃合いを勝手に決めていたのは仕方のないことであったが、やはり出来たてを食べて欲しいという気持ちがあった。だが、現実には抗うことは出来ず、やむを得ず、料理をラップで覆って、政康の帰りを待つことにした。あとで温め直せば味の方はほとんど損なわれることのないメニューにしたのは正解だったかもしれない。

リビングの椅子に座った真理子は、急に寂しさのようなものがこみ上げてきたのを感じた。これまでは夢中で仕事をしてきたので気付く余裕もなかったが、思えば政康を見送ってからはこの家に一人でいたのだ。比較することは好ましくないと知りつつも、これまでいた屋敷のことを思い出す。この家よりもずっと広いし、仕事も気を遣うものであったが、周りには誰かがいるような環境だった気もする。

妙な意味でなく、真理子は政康の帰りを強く求める気持ちになった。だが、時間はゆっくりと過ぎていく。

結局、政康が帰宅したのは十一時を少し回ったころだった。

「おかえりなさいませ。お疲れさまでした」

もともと、事務的に話しかけるつもりなどなかったが、政康の姿を見たときには、いいようもない安心を真理子は感じて、嬉しそうにそう声をかけた。

「うん、ありがとう」

若干、疲れたような声で答える政康だった。だが、その声には確かに感謝の気持ちがあるのが分かり、真理子はほっとしたのだった。

「お食事、すぐに用意できますが、召し上がりますか?」

真理子が若干の期待を籠めて尋ねる。一方で、この時間であれば既に済ませてしまっていても仕方ないとも思っていた。

「そうですね、でも軽くにしておきたいかな」

「わかりました。政康さんは着替えて待っていてください。すぐに整えます」

部屋に着替えに戻った政康を見送って、真理子はリビングへと向かった。そして、皿に盛られていた料理のラップを外し、台所で温め直す。味噌汁は多少煮詰まってしまうのもやむを得なかったが、他の料理は温めるだけで味を取り戻すことが出来る。

手早く再調理を済ませた真理子が、皿に盛りつけ直しているときに、ちょうど政康がリビングに入ってきた。

「帰って夕食があるというのはいいよね」

「お疲れさまでした。ゆっくり召し上がってくださいね」

「うん。明日もあるから、そうそうゆっくりというわけにはいかないけど」

「ご、ごめんなさい……。そうですよね」

「いや、真理子さんの気遣いを悪く思ってるなんてことはないよ。ただ、この時期は忙しくて帰りが遅くなっちゃうから」

「はい……」

「でも、こうして食事出来るだけでもずいぶん違いますね」

「ありがとうございます」

メイドという立場からすれば、あまり多くのことを求めてはいけないと知りつつも、真理子は政康が自分の料理をどう評価してくれるのか、その言葉を期待していた。しかし、政康は結局、黙々と目の前の食事に手を伸ばすだけで、美味しいとも不味いとも言わなかった。ご飯をおかわりすることもなく、皿には少し料理が残った状態で、政康は「ごちそうさま」と言って席を立った。

単に、遅い時間だから、もしくはもともと食が細いからという理由で残したのだろうか、それとも、真理子の料理が口に合わなかったからなのか、そのどれであるかを知ることは出来なかった。聞いてみたい気持ちはあったが、それはあまり好ましいことではないと知っている。これまでは食べる人の表情や言葉から、それとなく察することが出来たのであるが、今日は残念ながらそうはいかなかったようである。

「お風呂に入らせてもらいますね。真理子さんには片づけまでさせてしまって悪いけど、お湯はずっと適温になるようにセットされてるから、あとで真理子さんも入ってください」

「ありがとうございます。でも、片づけをするのはお仕事ですから」

「ははっ、そうだったね。でもありがとう」

「はい」

そう言って、政康は自分の部屋に戻っていった。真理子が台所で皿を洗っていると、政康が風呂場の方へ向かうのが一瞬だけ見えた。そしてそのまま、短い入浴を終えた政康が再び部屋に戻る。既に日付は変わり、時計は一時近くまで回っていた。

既に寝てしまったであろう政康を起こしたりしないように気を付けながら、真理子も手早く入浴をすませてベッドに入った。翌朝も朝食の支度で、早めに起きなくてはならない。

次の朝、政康は昨日とほとんど同じようにパンとコーヒーの軽い食事を取って家を出た。

残った真理子は、食器を洗い終えて、もはやさほどは汚れていない部屋を軽く掃除した。この日は天気が良かったので、政康の部屋から布団を運び、ベランダで日に当ててやることにした。

だが、その他は昨日の仕事とほとんど変わることなく、既に少し慣れてしまったせいか、時間もそれほどかからずに終えてしまうことになった。

そして、政康の帰りの時間のことを考える。昨日の政康の口振りからすれば、おそらくは同じような時間になるのではないかと思われる。いざというときは手早く作ることの出来るメニューを考えて、昨日よりは遅くまで待つことにした。

結局、政康の帰宅は昨日とほぼ同じ頃だった。少し量を減らしたためであろうか、今日は政康は残さず食べてくれた。しかし、真理子とはあまり会話を交わすこともなく、手早く入浴を済ませると早々に部屋に戻ってしまった。

「おやすみなさい」と声をかける真理子に「うん、おやすみ」と答えてくれた政康だったが、どこか寂しさのような気持ちがこみ上がってくるのを否めなかった。ひょっとして、自分の働きは政康に満足してもらえていないのではないかとさえ思えてしまう。まだ働き始めて二日であるにもかかわらず、心配性なところのある真理子はそんなことを考える。メイドとして、尽くすべき人に心から満足して欲しい、家族ではないとしても、一つの「家」にいる人に心温まる場所を与えたいと、真理子はいつもそう思っていたからである。

そんなある日、真理子はベッドの中で寝付けぬままに目を閉じながら考えていた。政康はすぐ隣の部屋で寝ているにもかかわらず、自分とは遠い距離があるのではないだろうか。したいことが出来ていないという気持ち、それが真理子にはつらく思われた。

最初にこの家にやってきた日には、政康はいろいろと真理子に優しい言葉をかけてくれた。それが単なる社交辞令の類ではなさそうだということがわかって、真理子はほっとして仕事に取りかかったのだが、その第一印象は間違っていたのだろうか。だが、これまでに政康が真理子に対して否定的な言葉を口にしたことはなかった。それが自分のことを無意味な存在だと考えられているからではなければよいのに、とそんなことも考えていた。端的にいえば、真理子がイメージしていたこの家での仕事と現実との間に違いがあることにより、戸惑っていたのだ。政康がメイドというものをスマートに「使いこなす」ような人間ではなかったというのもあるのかもしれない。

ややもすればメイドという仕事にすら自信をなくしてしまいそうな心を、自ら励ます。つい考えが悲観的な方向に向かってしまう自分に、そうではないと言い聞かせる。目に涙が浮かびそうになることすらもあったが、それでも、真理子は政康という人間に満足してもらいたいという心だけを持っていた。

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