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第5章 三者三様の思い

 この日の最後の客も帰り、店の中はがらんとしていて寂しげであった。

 店の営業時間は夜の十時までとなっていたが、それを十分ほど残した今になって新しい客が来るとも思えない。

 ようやく慣れてきた寂しさを心の奥に感じて、エプロン姿の玲子がそんな店内を見回した。

 かつて、ある常連客がよく座っていた席に、今になっても無意識に目が向いてしまう。

 玲子はその中にある気持ちを無理に振り払って、カウンターにいる父親に声を掛ける。

「お父さん、もう今日は終わりにしちゃってもいいよね?」

「ああ、そうだな。もうボードも引っ込めてしまっていいぞ」

 東京の喫茶店「ベル」のマスターである父親の慶幸が答える。

「うん、そうするね」

 店の外に出しているおすすめメニューを書いた小さな黒板を取りに、玲子が外に出る。

 夏を過ぎて肌寒さも感じさせるようになってきた夜の空気が、一日立ちずくめだった玲子の体にひんやりと心地よくも感じられる。

 木の椅子の上に乗せられている黒板を店のレジの側に戻し、続いてその椅子も中に収める。念のため道に出て左右を見渡し、店にやってくる客がいないかを確認した後、入り口のドアの鍵を掛けてこの日の営業は終わりということになる。

 洗い物を終えた慶幸がレジの売り上げのチェックをしている。

「今日はどうだった?」

 そんな父親を覗き込むようにして玲子が側にやってくる。一種の挨拶のような言葉であるので、慶幸も決まった答え方をする。

「まあ、いつも通りだね。そういえば、玲子は飯がまだだっただろう。お母さんが用意してくれているはずだから、早く食べてきなさい」

「うんっ」

 器用に歩きながらエプロンの後ろの結び目を解いて玲子が奥へ戻っていく。

「そんなに急ぐことはない。店が終わったからといって、そんなに落ち着きのないことをするんじゃない」

「はーい」

 とはいいながら、再び結び直すようなものでもなく、結び目だけ解いたまま歩くわけにもいかず、手早くエプロンを脱いでたたみながら家に上がっていく。

 そんな娘の後ろ姿を、苦々しい表情で慶幸が見送る。

 食事が終わった後の玲子は、お腹が少し落ち着くまでの間ということで自分の部屋に戻って休んでいた。

 飛び込むようにしてベッドに体を投げ出すとスカートがふわっと広がって落ち着き、柔らかい布団に今日の疲れが吸い込まれていくようにも感じられる。

「やっぱり、今日も来なかったな……」

 天井を見つめながら玲子が考えていたのは、言うまでもなく髣艪フことだった。今年の始めに突然、九州へ引っ越してしまうことを知らされて、どうすることも出来ずにそのまま見送ってしまった。

 その時には、「川辺さん」の引っ越し先を聞くことが出来ず、髣艪ェもう店に来ないという現実を突きつけられて初めてそんな自分の勇気のなさを後悔することになった。

 その後悔を忘れようとすればするほど逆に髣艪意識する気持ちは強くなる。時々、こうして自分一人の時間になると彼のことが思い出される。

 その人がいなくなることによって自分の気持ちに気付き、その気持ちが大きく育っていく。そんなやるせなさの中に玲子はいた。

 結局、今の玲子には、髣艪フ「近くに来ることがあれば、必ず寄るよ」という言葉に縋ることしか出来ない。玲子の方からは髣艪ノ会いに行く手がかりを持っていないのである。

「でも、ここで悩んでいても仕方ないよね。そうだ、お風呂に入らなくっちゃ」

 クローゼットの引き出しから着替えを取りだし、一階へ下りていく。その時、掛けられているメイド服に気が付いて少しだけ切ない気持ちになった。

「あら、何やってたの?玲子が遅いからって、お父さんが先に入っちゃってるわよ」

「ごめん、部屋に戻ったらちょっと眠くなっちゃったみたい」

 下に降りてきたところに母親が告げたが、玲子はそう言って誤魔化した。それほど長い時間、部屋で休んだつもりはないのだったが……。

「お父さんならそんなに時間がかからないでしょうから、お茶でも飲んで待ってなさい」

「はーい」

 後片づけのついでにいれてくれたお茶を受け取って、玲子がリビングにやってくる。

 そのリビングのテーブルの上に読みかけの雑誌が開いたまま置いてあることに気が付いた。

「あれ、お父さんの?紅茶のカタログでも見ていたのかな」

 そのページにはいくつかの業務用の紅茶の説明と値段が書かれていたので、玲子がそう思ったのは無理もない。

「お父さんが出てくるまで、ちょっと見せてもらっちゃおうかな……」

 そんな軽い気持ちで玲子は雑誌を手に取った。中途半端な時間だったので、テレビのドラマには食指が動かなかったし、この時間のニュース番組はキャスターやコメンテイターが玲子の好きではない人物だったのでそちらも見る気が起きなかった。

「あ、カタログじゃないんだ」

 玲子好みの紅茶があったら、「新メニューにどう?」と言って父に勧めようなどと思って目を向けた玲子だったが、カタログではなくお茶の雑誌であることに気が付いた。

 雑誌や新聞というのは意外に多彩なものであり、どのような業界業種にでもその専門の雑誌や新聞というものが存在している。長い間、喫茶店の経営を続けてきた慶幸も、そんな中でこの雑誌を購読しているのだろう。言われてみると、これまでにもそんなお茶の出ている雑誌を読んでいる父の姿を見かけたことがあるかもしれない。

「お茶の雑誌、かぁ。どんなのが出てるのかな」

 上品なティールームを表紙にした雑誌を改めて手に取って、一枚めくってその目次を見る。

 お茶の生産から流通、小売りや喫茶店まで幅広く取り扱っており、中には外国の生産現場の紹介記事などもあった。

 そんな中、何気なく記事のタイトルを追っていた玲子は、

「洋館のある風景」

という記事に添えられている「川辺」という文字に気付いて目を留めた。

「川辺さん?でも、たまたまだよね」

 髣艪フことを思い出した玲子だったが、最初はそう感じただけだった。だが、そんな僅かな共通点でも玲子の興味を引くには充分であり、数ある記事の中からそれを読んでみることにした。

「えっと、三十二ページっと……」

 左隅の数字を見ながら目的の記事を探していく。全面広告があるとページ数が記載されていなかったりして、雑誌は意外に検索性に欠ける。そんなちょっとした不満を感じながら、目的のページにたどり着いた玲子が雑誌を広げてみる。

 英国の郊外にあるような立派な石造りの洋館の写真に重ねて、記事の概要が書かれている。

「静岡に続く茶の主要な産地である九州地方。その南部に明治時代からの洋館を要として当時から茶の栽培と研究に取り組んでいる場所があると聞き、取材した。館の主は、最近、他業種から転職したという異色の存在である。川辺茶園の川辺髣芬≠ニの対談を紹介する」

 ページをめくったところで、玲子はないはずの期待に応えられたような奇跡を感じて驚いた。

 しばらくの間、そのページに載っている一人の男の写真を見て思考が止まったままになる。

 玲子にとっては忘れられない、そして、もう二度と会うことが出来ないのではないかとすら思っていた人の姿がそこに出ていたからである。

「ひょっとして、川辺さんの九州への引っ越しって……」

 玲子の知る「川辺さん」はこの洋館に住んで茶園の経営とお茶に関する研究に従事していると書かれていた。多忙なサラリーマンであると聞いている、玲子の知る髣艪ニは違った環境にいることに驚いたが、隣にいる紅茶色のメイド服のような制服を着た女性に指示を出している髣艪フスーツ姿は確かに玲子のよく知っているものである。ネクタイの柄まで、玲子の記憶の中にあるものと同じである。

「川辺さん、こんな素敵なところにいるんだ……」

 記事には、茶に関することは素人から始まった故の苦労話、また逆に先入観がないことによって得られる仕事上の利点、この業界に関する今後の展望などが書かれていた。

「あ、フェアトレードってわたしも聞いたことがある」

 インタビューの締めに書かれていたその言葉に、玲子は顔をほころばせる。自分の仕事はお茶に関わるものであったとしてもその極めて末端にしかすぎないのであるが、髣艪ニそういった共通点が存在していることだけであっても、それが今の玲子には嬉しかった。

「川辺さんの作った紅茶っていうのが出来たら、お父さんに頼んでうちのお店でも使ってもらえるように出来ないかな」

 玲子がそんなことを考えたとき、突然、そのような些細なことにとどまらない大きなアイディアが思い浮かんだ。

「メイドと補佐役に支えられて、ようやく慣れてきたこの洋館で何とかやっています」という髣艪フコメントを読んで、玲子は思った。「わたしも、あの洋館で川辺さんを支えられる人になれないだろうか」と。

 実際には、あまりにも飛躍しすぎた考えだっただろう。だが、髣艪ェ突然にいなくなってしまった中で彼を思いながら月日を過ごしてきた玲子の中では、そんな気持ちが純化していた。

 失ったものを取り戻せるかもしれない、あの時の自分に強い後悔を感じているだけに、そんな突拍子な考えを閉じこめる気持ちは起こらなかった。

 記事の最後には、川辺茶園の社名と髣艪フ役職名、そして洋館のある住所が書かれていた。残念ながら電話番号は本社のものしか書かれていなかったが、それならばそれで今の玲子には出来ることがある。

「玲子、すまんな、先に入らせてもらったぞ」

 ちょうど、慶幸が入浴を済ませて戻ってきたところであった。ジャージ姿というラフな格好ではあったが、世の親父のように下着姿で娘の前に現れたりしないところが玲子にとっても好きなところである。

「なんだ、父さんの雑誌を読んでたのか?」

 自分の読んでいた雑誌が玲子の膝の上にあるのに気が付いて、慶幸が言う。

「うん、お父さんが出てくるまでちょっと暇潰しに。あ、この『洋館のある風景』っていうインタビュー記事、読んだ?」

「いや、まだ読み始めたばかりで紅茶の新商品レビューしか見ていないんだ。その記事がどうかしたのか?」

「ううん、こんな洋館、素敵だなって思って」

「そうか」

 まだ玲子には本当のことを伝えることが出来なかった。

 体と髪を洗い終えた玲子は、お湯に体を沈めて若干上を向きながら、ひとつ深呼吸をした。ふくよかな二つの胸の膨らみと、軽く曲げた膝のあたりが水面に見え隠れしている。湯船の縁に頬杖を付きながら、先ほど見た雑誌からの衝撃を少しずつ現実のものとして自分に認識させていく。

 そうしながら何回か両手で掬った湯がこぼれ落ち、玲子の緩やかな体の曲線に沿って流れていく。

「川辺さん……、髣艪ウんのところに行けないかな……」

 風呂場の温かな空気の中で、そんな独り言を発してみる。

 次第にその考えは、実現へ向けて玲子の心を強く動かし始めていたが、当然、いくつもの現実的なハードルが存在していた。ベルで働いている自分という立場を簡単に捨てられるのか、両親が簡単にそのようなことを認めてくれるのか、そもそも、髣艪ノ連絡が取れたとして自分をメイドとして置いてくれるのか……。

 一方、同時にこれは一度は失うことになった髣艪ノ近づくことが出来る、天が最後に与えてくれたチャンスなのではないかという気持ちも捨てることは出来なかった。髣艪フ引っ越しの時には、何もせずにいたことがかえって玲子を苦しめる結果となった。今回も何もせずにこのまま暮らすことになれば、また後になって大きく後悔するかもしれない。そんな風に玲子は考える。その直感に、玲子としてはどうしても縋ってみたい気持ちがある。

 髣艪フ近くで暮らせないとしても、九州の茶園を訪れて髣艪ノ会って話をするだけでもいい。そうも玲子は考える。

 だが、既に玲子の中では「髣艪フところへ行くかどうか」ではなく「髣艪フ近くにいられるかどうか」ということで占められるようになっていた。

 風呂に入りながら、そして眠る前のベッドの中で玲子は髣艪ノ「再会」出来た偶然に喜びを感じていた。そして、普段はあまり使わない頭を駆使して、自分はどうすることが出来るのかを考えていくのだった。


 髣艪フいる執務室のドアがノックされた。

「佳奈子かな?どうぞ」

 中から髣艪ェ答えると、静かに遠慮がちにドアが開かれて、もうすっかり見慣れた髪型の佳奈子が姿を現した。

「あの、ご主人様にお客様が見えているのですが……」

 机で仕事をしている髣艪フ近くまでやってきて、小声でそう告げる佳奈子の表情は、どこか困ったようにも見える。

「えっ、僕にお客さん。今日は特に来客の予定はないと思ったけど……」

 念のため、スーツの内ポケットから手帳を出して今日の予定を確認する。前後数日を含め、この洋館への来客の予定は入っていなかった。

「はい、お客様の話し方からも、予めご主人様にお会いすることにはなっていなかったようなのですが、『髣艪ウんの知り合いです』と言ってらっしゃるので、果たしてお通ししてよいものかどうか判断に迷いまして」

「そっか、会社関係の人ではなさそうだけど、とりあえず会ってみることにしようかな。別に、危なそうな人ってわけじゃないよね」

「はい、大きな荷物をお持ちになった若い女の方なのですが、まさか、鉛を仕込んだ楽器や刀を隠した魚料理を持っているとも思えませんし」

 髣艪フ言葉にようやく少し安心したのか、佳奈子はそんな歴史上有名な刺客を指すような冗談を交えて答える。

「あはは。じゃ、応接間に通してもらえるかな。すぐにこっちの区切りをつけて僕も行くよ」

「はい、かしこまりました」

 佳奈子が一礼して玄関へ戻っていく。

 それを見送った髣艪ヘ立ち上がって、今度は隣の部屋で調べ物をしてくれている理紗に声を掛ける。

「ごめん、ちょっといいかな、理紗さん」

「はい、何でしょうか。先ほど聞こえてまいりました佳奈子の話では、不意の来客のようでしたが」

「うん、僕にも心当たりはないんだけど、門前払いというわけにもいかないだろうからね。頼み事している途中なのに悪いんだけど、一時中断して、そのお客さんに紅茶を用意してもらえるかな」

「はい、わかりました」

 ちょうど手にしていた本は残念ながら役に立つ物ではなかったのだろうか、理紗はそう返事をすると共に軽くつま先立ちになってその本を書棚へ戻す。長袖のメイド服から白く滑らかな腕がのぞく。そんな仕草も優雅に見える理紗は、体を元に戻して軽く髪をさっと後ろに流して整えると、来客用の紅茶を用意するために台所の方へ向かっていく。

 髣艪熕iめていた仕事に簡単に区切りをつけると、あまり来客を待たせることも出来ないだろうと考えて急ぎ足で応接間に向かう。

 一旦、入り口の前で立ち止まってそんな慌てたそぶりを見せないように姿勢を整えた髣艪ヘ、中に入って、ソファに座っている来客の女性の姿に目を向ける。黒のセミロングの髪、白色のカーディガンといった後ろ姿は、どちらかというと可愛らしさというよりは色気に似た雰囲気を纏っているようにも感じられた。

「お待たせして申し訳ございません。この茶園の主の川辺と申します」

 声を聞いた女性が、ソファから立ち上がり、髣艪フ方を向いた。

「えっ?」

 女性の顔を見た髣艪ヘ、失礼だと自覚しながらもそんな反応を返さざるを得なかった。そこにいたのは、東京のあの喫茶店にいるはずの、玲子だったからである。無地の幅広のフレアスカート、白のカーディガンとその中に着ている同じ色の上品なブラウス、そしてその胸元に飾られている花をあしらった大きなブローチの存在が、髣艪ェ知っているよりも玲子を大人びて見せていた。

「川辺さん……」

 一方の玲子は、ようやく会えた髣艪フ姿を見て、嬉しさというよりも寧ろ安堵に近い表情をした。スーツ姿の髣艪ノ懐かしさを感じ、感極まったのか微かに目に涙が浮かぶ。そしてそれを悟られないよう、髪を撫でる振りをしてさりげなく拭った。

「玲子ちゃん、だよね?」

「はい」

 まだ驚いた表情のままである髣艪ノ、玲子がにこっと微笑みかける。

 ちょうど、佳奈子と理紗の二人が台所からこの応接間に入ってきたところであり、立ったままである二人を不思議そうな顔で見た。

「突然のお客さんというから、誰かなと思ったんだけど、これは驚いたな。まずは座ってよ」

挿絵4「はい、ありがとうございます」

 玲子も部屋に入ってきた二人のメイドに気付いて、軽く会釈をして腰を下ろす。紅茶を持っている背の高い方のメイドは、確か雑誌に写真の出ていた人である。玄関で応対して、この部屋まで案内してくれたもう一人のメイドは、玲子にとっては初めて見る人だった。髣艪ヘ、この二人のメイドと一緒に暮らしているのだということを思うと、胸が一瞬だけ痛んだ。

「ご主人様のご友人でいらっしゃいましたか」

 理紗が玲子と髣艪フ前にティーカップを起きながら、僭越にならない範囲で髣艪ノ尋ねる。

「うん、友人というか……。聞くと驚くかもしれないけど、この前、東京に住んでいた時に通っていた喫茶店の話をしたことがあったよね。そこのお嬢さんだよ」

「あ、そうなのですか」

 お菓子を盛りつけた小皿を持った佳奈子が、それを聞いて嬉しそうに微笑みながら二人の間にそれを差し出す。

「どうぞ、お持たせで申し訳ございませんが」

「あ、いいえ、ありがとうございます」

 メイドという存在に慣れていない玲子が、かしこまりながら佳奈子に礼を言う。

「あ、佳奈子と理紗さんもここにいてもらえるかな。改めて玲子ちゃんを紹介するよ」

「はい、ではこちらに控えさせていただきます」

 髣艪フ斜め後ろ、何種類かのティーカップを収めた棚の傍らに佳奈子と理紗が並んで立つ。髣艪ヘそちらに一瞬顔を向けると、立ち上がって玲子の方に手を伸ばして二人に言った。

「えっと、こちらは、僕が東京で会社勤めしていたころによくお世話になっていた喫茶店のお嬢さんで、大崎玲子さん。今日は、僕に会いに来てくれたってことでいいのかな……」

 若干、照れくさそうにしている髣艨B玲子は二人のメイドに自分が紹介されて慌ててもう一度立ち上がった。

「はい。大崎玲子です。川辺さんにはとてもよくしてもらっていました」

「そうだったのですか。実は、何度かご主人様とのお話の中で大崎さんのことは伺っていたんですよ。お名前を伺ったのは今が初めてですが」

「そ、そうなんですか?」

 自分より少し年上に見える、上品なメイドがそんな言葉を掛けてくれたことに玲子は恐縮を隠せない。一方、自分もこの洋館でメイドになるだとしたら、こんな人に伍するだけの働きが出来るのだろうかという心配にも襲われる。だが、意を決してここまでやってきた玲子には臆することは許されない。

「はい、ご主人様も、引っ越し先であるここのことを何も言わないまま来てしまったのが心残りでしたそうで、『もし東京に行く機会があれば、その方に是非お顔をお店に行かれてはいかがでしょうか』とわたしたち二人でお勧めしていたんですよ」

 理紗に代わり、今度は佳奈子がそんな説明をする。

「そんな……、ありがとうございます」

 髣艪ノ促されて座った玲子だったが、そんな佳奈子たちの言葉に、かえって居心地の悪さを感じてしまうようであった。

「玲子ちゃんには、二人を紹介するね。この洋館で僕の生活や仕事の面倒を見てくれているメイドさん。左側が理紗さん。右側が佳奈子さん」

「日置理紗と申します」

「松山佳奈子です。宜しくお願いします」

 順番に二人が髣艪フ紹介を受けて丁寧にお辞儀をする。慌てて、玲子も頭を下げる。

「紅茶、冷めないうちにお召し上がり下さい」

 理紗に促されて、そして髣艪ェカップに手を伸ばすのを見て、ようやく玲子が紅茶に口を近づける。

「あっ、美味しい……」

 思わず、そんな言葉が漏れていた。玲子も喫茶店で働く人間であるから人並み以上の紅茶のいれ方は知っていたが、理紗のいれたこの紅茶はそれを遙かに凌駕している。確かに来客向けのいい葉を使っているというのもあるだろうが、それだけではここまでの滑らかで澄んだ味にはならないだろう。ますます、玲子は前途に不安を感じる。

「そういえば、玲子ちゃん、よく僕がここに住んでいるって分かったね」

 そんな玲子の心には気付かずに、髣艪ヘありきたりなことから話に入る。

「髣艪ウん……、いえ、川辺さんのことが出ていた雑誌をたまたま見たんです」

「あ、そうだったんだ。でも、あれって専門誌だからなかなか玲子ちゃんが接する機会はないんじゃないかな」

「そうでもないです。ほら、うちも一応喫茶店ですから、お父さんがあの雑誌を購読していたんです」

「なるほど」

「でも、普段のわたしはあの雑誌を読むことなんてなかったので、本当にこの洋館の記事を見たのは偶然だったんですけどね」

「そうなんだ。それでわざわざ来てくれたんだ、ありがとう。ひょっとして、こっちの方への旅行の途中か何かかな?」

 まさか、自分のメイドになろうと思って来たとは思っていない髣艪ヘ、当然にそう考えて玲子に尋ねる。そんな再会を、控えている佳奈子と理紗も微笑ましい表情で見つめている。

「それがですね……」

 髣艪ノとっては意外なことに、答えにくそうに玲子が口ごもる。しばらくの間、玲子は黙ったまま何も言うことが出来ずに髣艪ノ、そしてその後ろにいる佳奈子と玲子の方に目を向ける。

「……」

「ごめん、何かまずいことを言っちゃったかな」

 慌てて髣艪ェフォローに回る。だが、それにも答えられず、首を大きく左右に振るのみである玲子。しかし、やがてその沈黙にも耐えられなくなり、玲子はついに自分がこの洋館にやってきた真意を告げた。

「あの……、髣艪ウんに会いに来たんです」

「う、うん。そうだったよね」

「その……つまり……、わたしもこの洋館でメイドとして働かせてもらえませんでしょうか……」

 髣艪雑誌で見てからすっと玲子の中で考え、そして決心したことがそれであった。もう髣艪フ側にいられる機会を失いたくない、そんな気持ちが、このような思い切ったことを玲子にさせた。髣艪ェ背の低いツインテールのメイドを「佳奈子」と呼び捨てで呼んでいたことが気がかりであったが、ここまで来て自分の決心を覆すことも出来ない。

 その佳奈子は、玲子のそんな言葉を聞いてはっとする。東京の、しかも両親との生活まで擲って見知らぬ土地の髣艪フところまで来たということは並大抵のことではない。その原動力となる気持ちを察して、微妙な心の中にある佳奈子は穏やかならざるものを感じた。

「れ、玲子ちゃん……」

 この時の髣艪ェ、一瞬とはいえ困惑した表情を向けたのはやむを得ないであろう。それだけ、玲子の行動と気持ちは髣艪フ考えていたところより遙かに近くまで到達していたのである。また、洋館の主であるとはいえ、決して専制君主ではない髣艪ノは、自分の一存ですぐに決められるような問題でもなかった。

「わたしを佳奈子さんや理紗さんに加えて、この洋館にメイドとして置いてもらえませんでしょうか」

 玲子がもう一度自分の意志を伝える。その玲子の覚悟は確固としたものであることは髣艪ノも、そして佳奈子と理紗にもはっきりと見て取れた。

「その大きな荷物っていうのも?」

 玲子の座っているソファの脇に置いてあるバッグに目を向けて、髣艪ェ言った。確かに、これを見ると旅の途中でのちょっとした訪問とは考えにくいことに気付くべきだったのかもしれない。

「はい、こちらにお世話になるつもりで、両親にもそう言ってここに来ました」

「背水の陣、ということですね、ご主人様」

 佳奈子が驚きながら口を挟む。そうでもしないと、髣艪フ思考が止まってしまうのではないかと危惧したのだろう。同時に、佳奈子は初めて会ったこの玲子という娘の行動力に感心し、またうらやましくも思っていた。髣艪ニ一緒にいられる生活を快適に思っている佳奈子だったが、その快適さに浸かりきっている一面はなかったであろうかと自問する。

「そうみたいだね。追い返すわけにもいかないだろうけど、僕一人で決めていいものでもないと思うんだけれど……」

 髣艪フその言葉は、決して優柔不断というものではないだろう。寧ろ、この困惑の中で冷静に現状を把握してのことである。髣艪ヘこの洋館の主であり責任者でもあったが、川辺茶園という会社からその立場に任命されているに過ぎない。佳奈子と玲子はこの洋館に住み込むメイドであったが、髣艪フ権限でもう一人のメイドを雇い入れてよいのかどうかは知らされていない。

「そうですね……。わたしとしては、この広い洋館にもう一人くらい人手が加わってくれるのはとても助かるのですけれど」

 佳奈子は自分の心の奥にある揺れを隠しながらもそんな助け船を出してくれる。佳奈子にしても、こうして髣艪フところへやってきた玲子を冷たく追い返すに忍びなかったのであろう。それがまた佳奈子という人間の持つ優しさでもある。

「理紗さん、その……、制度上は何か問題があるものなのかな?」

 洋館の三人の中では比較的落ち着いたままでいるように見える理紗に、髣艪ヘ助言を求める。

「そうですね、ご主人様さえお認めになれば、もう一人メイドを雇うことには問題はないと思います。勿論、大旦那さまには事後的にでも報告をなさる必要があるとは思いますが」

「そっか。だとしたら、その問題はクリアだね。あとは、理紗さんの気持ちの問題だけれど」

「えっ、私の気持ち、ですか?」

 予期しない質問に、理紗が戸惑った。髣艪ノ問われたような問題がない以上、身一つでやってきた玲子を髣艪ニ佳奈子が受け入れることに賛成しているからには結論は決まり切ったものであると当然に思っていたからである。

「うん、洋館で一緒に暮らす人が増えるわけだから、その当事者である理紗さんにも意見を求めるのは当然じゃないかな」

「はい、そういうことでしたら私も賛成させていただきます。その、人手が増えれば私の仕事も楽になりますし、お屋敷も賑やかになりそうではないですか」

 そんな言い方で、理紗はにっこりと微笑みながら答えた。緊張下にある玲子にとっては、少しばかり冷たく見えてもいた理紗のそんな表情を見て、少し気が楽になったようである。

「そうだ、玲子ちゃんに使ってもらう部屋はあるんだっけ?もしなければ僕が一部屋空けるけど」

「大丈夫です、ご主人様。わたしたちの部屋の使わせてもらっている奥に、一つございますので」

 佳奈子が答える。

「そうか、じゃあ、いきなり今日からってことでもいいのなら、玲子ちゃんにここにいてもらうことにしようかな」

「はい、ありがとうございます」

 玲子が立ち上がり、髣艪ノ深々と頭を下げた。うれし涙を、今度は隠しきれずに両手で拭う。周りを見ずに一直線にここまでやってきたが、その願いが叶ったところはどれだけの厚意に支えられた結果であるのかを改めて知ったのである。

 佳奈子と理紗が新しくメイドなった玲子の側にやってくる。

「玲子さん、これからよろしくね」

 佳奈子がそう言いながら手を差し出す。玲子はそんな佳奈子の言葉に更に涙ぐみそうになりながらしっかりとその手を握った。

「はい、松山さん」

「佳奈子でいいですよ」

「あ、はい……」

「わたしも、よろしくね。同じく、理紗でいいから」

 続いて、理紗の手を取る。二人の手を握って、その感触のよさと肌の美しさに同性ながら感嘆する玲子。

「はい、理紗さんもよろしくお願いします」

 髣艪ヘそんな三人をほっとした表情で見つめていた。

「さて、早速だけど、玲子ちゃんを自分の部屋に案内してくれないかな。少し落ち着く時間も必要だろうし、お昼を一緒に食べてから、今後のことを決めたり、敷地を案内したりしてあげればいいんじゃないかな」

「そうですね、それではわたしが玲子さんを案内します。それからすぐにお昼の準備に取りかかりますね」

「ありがとう、佳奈子。じゃあお願いするよ」

「では、私は紅茶を下げてから先ほどの続きを」

「そうだったね、ごめんね、理紗さん」

「いいえ、突然の出来事なのでちょっと驚きましたけど」

 理紗が軽やかに笑いながら髣艪ニ玲子のカップを片づけ始める。二人とも思ったよりもすんなり玲子を受け入れてくれて、髣艪ヘ安心する。だが、一番、

「すんなり玲子を受け入れた」

と思っていたのは佳奈子の方かもしれない。

「あ、大丈夫です。そんなに重くないので、自分で持ちます」

 バッグに手を掛けようとした佳奈子を慌てて玲子が制する。

「そうですか、すみません。それではお部屋にご案内しますね」

「はい」

 佳奈子の後ろに付き従うようにして玲子が歩いていく。

 最後に応接間に取り残された形になった髣艪焉A仕事の続きをするべく、執務室へ戻っていく。

「こちらのお部屋を、今日から玲子さんが使ってくださいね。しばらく空いていた部屋だから、最初はちょっと殺風景で埃っぽいかもしれないけれど、可愛らしく飾っちゃっても構わないですから」

 東京の家にある自分の部屋よりも一回り以上広いこの部屋に玲子は驚きを隠せなかった。殺風景とは言いながら、窓には明るい色のカーテンが取り付けられ、ベッドの脇のミニテーブルや小さな鏡台、クローゼットなどの一通りの調度は揃っている。

「ですが、こんな立派なお部屋を頂いてもよいのでしょうか……」

「もちろんですよ。わたしや理紗も同じくらいの部屋を使わせてもらっていますし」

「本当にありがとうございます。それから……、わたしはメイドのお仕事ってしたことがありませんので、佳奈子さんや理紗さんにいろいろ教わりたいと思います」

 玲子がぺこりと頭を下げる。突然の訪問に最初は驚いた佳奈子だったが、玲子とは波長が合うというのだろうか、既にちょっとした親近感のようなものを持ち始めていた。ひょっとするとライバルになるかもしれない存在ではあるが、玲子という娘に好感を覚えている。そんな自分の気持ちを、佳奈子自身も不思議に感じていた。

「そうですね。わたしはともかく、理紗はいいメイドさんだし、手本にすべきところがたくさんあると思いますよ」

「あの……」

 遠慮がちに玲子が佳奈子に話しかける。

「はい、何か気になることがありますか?」

「その……、これからは佳奈子さんや理紗さんはわたしの先輩になるわけですよね。ですから、わたしに対してそんな丁寧な言葉遣いをなさらなくても構わないです」

 玲子の方は、まだ緊張感が解けていないところがあるかもしれない。同じ初対面同士であったとしても、その存在だけは髣艪ゥら聞いて知っており、今いる場所に関しては自分にとって住み慣れたところでもある佳奈子と、メイドになるということも含めて何もかもが初めてである玲子では緊張の大きさも異なるだろうから無理もない。そんな中で、これから一緒に仕事をしていく佳奈子との距離を、まずは言葉の上からでも縮めたいという玲子の気持ちがあった。

 どこか楽しそうに、佳奈子はそんな玲子を見つめていた。

「ふふっ、そうね。じゃ、遠慮なくそうさせてもらうね。って、こんな感じでいいのかな」

「はい、ありがとうございます」

「わたしもその方が助かるかな。理紗とは長いつきあいだから、二人でいるときには今のような話し方をしているしね」

「そうなんですか、何だかうらやましいです」

「あ、だけど、それはわたしたちだけでいる時だけよ。ご主人様がいらっしゃるところでは、あんまり言葉は崩さないようにしているからね。玲子さんも気を付けてね」

「はい、わかりました。それから……」

「うん?」

「たぶん、私の方が年下だと思いますし、佳奈子さんはわたしのことも呼び捨てで呼んで下さい。その……、それが図々しいと思われるのでなければですが……」

 玲子にも呼び方に関してのいくらかの思い入れがあるようである。親近感を求めてのことであったが、それが無遠慮と捉えられては悲しいところでもあり、難しいところだった。髣艪ヘ自分を、昔と同じように「玲子ちゃん」と呼んでくれたのが嬉しかった。一方、恋する女として、その髣艪ェ佳奈子を呼び捨てで呼んでいることが気がかりでもある。

 佳奈子の方は、自分の容姿のために初対面の人からはたいてい幼く見られることを気にしているのであるが、玲子が自分を年上だと認識してくれたことが嬉しかったようである。

「大丈夫よ、理紗にもそう伝えておくね」

 なので、佳奈子は機嫌良くその玲子の要望に応える。

「はい、ありがとうございます」

「それと、わたしたちの着ているこのメイド服だけど……」

「はい、素敵なお洋服ですよね。佳奈子さんにも理紗さんにもよくお似合いでうらやましいです」

「ふふっ、ありがとう、お上手ね。……ってそうじゃなくて、玲子のメイド服もこれから用意しなきゃならないんだけど、出来上がるまで少し時間がかかると思うの。その間はどうしたらいいかしら……」

 言外に、普段着のままでメイドとして働くのは好ましくないと言っているようにも感じられる。

「あ、それでしたら、一つ提案出来ることがあるんです」

「えっ?」

「実は荷物の中に、一着だけメイド服が入っているんです。あの、もちろん、佳奈子さんたちの服とは違うものなんですけど……」

「そうなの?」

「はい、ですから、わたしの服を頂けるまでは、それを着て髣艪ウま……、ご主人様のもとで働きたいと思うのですが……」

「そうね、それがいいんじゃないかな。だけど、メイドになるつもりで来たからって、メイド服まで用意してたの?」

「いえ、向こうに住んでいたときに、たまたま見つけて買ってしまった服なんです。なかなか着る機会がなくて残念だったんですけど」

「確かに、町中でメイド服って目立っちゃうわよね。いくら東京だったとしても」

「そうなんです……。でも、こうして持ってきてよかったです」

 こうして話している間に、佳奈子と玲子は意気投合したというに近い気持ちをお互いに感じるようになっていた。玲子にとっても、佳奈子にとってもそれは幸運なことであったといえるだろう。

「あ、そろそろわたしはお昼ご飯の準備をするから、少し休んだらそのメイド服に着替えて降りてきてね。さっきの応接間の隣が食堂だけど、わたしか理紗が教えてあげるから」

「はい、ありがとうございます」

 軽く手を振って佳奈子は玲子の部屋を出ていった。

「あんなに正直に自分の気持ちが表現できるのはうらやましいなあ……」

 佳奈子は思うのだった。

「ご主人様、お昼ご飯の準備が整いました」

 時計が十二時を少しまわったところで、佳奈子が執務室の髣艪ノ告げにきた。玲子が来てからのやりとりもあって、普段よりも少しだけ遅くなってしまっている。

「あ、もうそんな時間だね。理紗さんもすっかりつき合わせちゃって、ありがとう」

「どういたしまして。でも、久しぶりに聞いたタイトルだったので、探すのに少し苦労しました」

 書棚から探し出してきた本から数字を拾いながら、理紗が髣艪フ方を向いている。

「そう言われてみるとお腹も空いてきたね。今日から、食事も四人になるのかな」

「はい、食事は賑やかな方が楽しいと思います。そのメイドのわたしたちがご一緒させてもらっていることはとてもありがたいことなのですが……」

「そんなことは気にしなくていいんだよ。佳奈子の言うとおり、賑やかな方が楽しいのは事実なんだし」

「そうですね。あ、早速、玲子さんに配膳を手伝ってもらっています」

「おっ、それは楽しみだね」

「はい」

 佳奈子に促されるようにして、髣艪スちは食堂へと向かう。

 中に入ると、ボリュームのありそうなパスタを満載した大皿の配置をあれこれ迷っている玲子の姿があった。

「早速、頑張ってくれているんだね、玲子ちゃん。あ、でも、その服……」

 声を掛けた髣艪ノ気付いて、玲子が顔を上げた。そして、そうした髣艪フ指摘に、微かに顔を赤らめる。黒いロングスカートのワンピースに、華美になりすぎない程度にレースの飾りが施されたエプロン、そして、佳奈子や理紗のものより大きめの、えんじ色のリボンが襟元を飾っている。

 昔、ベルで一度、髣艪フ前に来て現れたあのメイド服を玲子は着ていたのだった。

「はい……」

 玲子もその時のことを思い出したのだろう、不慣れもあってか恥ずかしさをどうしても隠せずに俯いてしまう。

「あの時のメイド服だよね、持ってきてたんだ」

「はい、その……、こちらでメイドになるのですからと、荷物の中に入れておいたんです。先ほど、佳奈子さんから教えていただきましたが、私の分の洋館のメイド服が用意できるまでは、この服で働かせてください」

「うん、そうだね。似合ってるよ」

 隣の佳奈子は「あら、ご主人様の前で着たことがあるんじゃないの。もう、わたしには隠しちゃって」と細い目で玲子を冷やかすように見ている。髣艪ノ褒められた上に、そんな佳奈子に気付いて、玲子はますます赤くなった顔を上げにくくなっている。理紗がさりげなくそれをかばって、大皿の位置を整えると、先に席に着いた髣艪ノ続いて順番に腰を下ろす。椅子の配置は、今までの髣艪フ正面に佳奈子と理紗が並んでいるというものから、両側にそれぞれ二人ずつというものに変わっている。髣艪フ隣りには理紗が、正面には佳奈子が座り、その隣りに玲子がいる。

「あ、ちゃんと粉チーズも持ってきてくれたのね。ありがとう、玲子」

 佳奈子が玲子に礼を言う。白い陶器の器を嬉しそうに手に取りながら、佳奈子が説明を加える。

「このチーズ、ちゃんと食べる前に必要な分だけ削っているのよ。だから、風味の方にも期待していてね」

「そうなんですか、びっくりです」

「パスタは、本当は理紗の方がずっと上手に作れるんだけど、今日はわたしので我慢してね」

「佳奈子も謙遜するよね。理紗さんのが美味しいというのには賛成だけど、佳奈子の腕だってなかなかのものだよ」

 そう言う髣艪フ隣で理紗が強く頷いている。

「さ、冷めないうちにいただこうよ」

 そうして、髣艪ェ手元のフォークを手に取る。話をしている間に理紗が取り分けてくれたパスタを、皆が美味しそうに食べ始める。

「それはそうと、佳奈子と玲子ちゃん、なんだかもう仲良くなっちゃったようだね。もう『玲子』なんて呼んでるし」

「はい、わたしも不思議に思うのですが、すごく波長が合うみたいなんです」

「それはよかった。理紗さんも宜しくね」

「はい、佳奈子ほど気さくではない私ですので申し訳ありませんが、玲子さんとは上手くやっていけるように思います。ご主人様のためでもありますし」

「うーん、理紗さんには気を遣わせちゃったかな」

 そんな理紗の答えに、心配した様子を見せる髣艨B

「いいえ、そんなことはございません。ただ、玲子さんはメイドとして働いた経験はありませんでしょうから、最初はご主人様にも迷惑をおかけするかもしれません、しばらくはどうかお見逃しになってください」

「そうだね」

 おそらく、玲子が不安に思いながらも口にすることの出来なかった気持ちを理紗が代弁してくれたようである。慣れた調子で会話する佳奈子と理紗に対して、半年以上の空白の生んだ距離をまだ近づけることは出来ていなかった。

 実際にメイドになることが認められ、髣艪フ側にいることが出来るようになって改めて、自分がそのメイドとしては未熟であることを自覚する。だが、「メイドにしてください」と飛び込んできた以上、「メイドの仕事は上手に出来ません」と自分から言うことは出来ない。

 もしかすると、理紗が初めてメイドとして働くようになったときに、同じように先輩のメイドにそうして助けてもらったことがあるのかもしれない。理紗は敏感にそんな玲子の心の内を読みとって髣艪ノそれを伝えてくれた。

 落ち着いた大人の雰囲気がどこか冷たさにも見えていた玲子の理紗に対する印象が、これで大きく変わったこと事実だった。

「理紗さん、ありがとうございます。髣艪ウま、出来るだけ早くお二人と同じように働けるように頑張ります」

「うん、でも、空回りしたりしないようにね。ひとまず、その服でいる間の玲子ちゃんは、『メイドさん見習い』って感じでいいんじゃないかな」

「そうですね。でも、メイドの基本は、ご主人様に心から快適に過ごしてもらいたいと思う奉仕の心ですから。その点に関しては、玲子は心配ないと思います」

 佳奈子が隣の玲子にそう言って笑みを向けてくれる。

 少しずつではあるが、玲子の緊張も解けていくようであった。


 新しいメイド服が届くまでの間に、玲子が洋館に落ち着くまでの準備も少しずつ整っていった。外の茶畑も含めた洋館の敷地全般のことに関しては理紗から、洋館で暮らす上での決まり事やこれから玲子が少しずつ担当することになる仕事の内容については佳奈子から教わっていく。

 「よく、ご両親が玲子を出してくれたわね」と驚いている佳奈子には、雑誌の髣艪フインタビュー記事を見てから決心して、自分の気持ちと意思で両親を説得するところまで嬉しそうに説明した。知らない人間ではないとはいえ、遠くに住んでいる男性のところへ単身、押し掛けようという娘を慶幸も最初は咎めたが、決して一時的な感情によるものではないことを薄々、この父親も感じていたのだろう。自分の責任できちんと店の後任を探し出してきたに及んで、やや消極的ながらもようやく娘の決心を認めた。

 そんな父親に玲子は電話で連絡を入れ、家に残っている日用品のいくつかを送ってもらうことにした。

 その時に電話を替わった髣艪ヘ、「いきなりやってきた玲子ちゃんには驚きましたが、これまでお世話になったマスターを心配させるようなことはいたしませんので、どうか安心してください」と伝えた。

 もともと喫茶店で接客をしていたということもあり、玲子の立ち居振る舞いには、メイドとしてもさほどの問題はないようであった。家事の腕前に関しては、さすがに一朝一夕で佳奈子や理紗に追いつくものではなかったが、昔から店をやっている家で育ったこともあり、子供の頃から基本的なそれはこなせるようになっている。

 昼夜の食事の準備を除いた家事全般を、佳奈子と手分けして行うようにするというのが新しい方針のようであった。よき後輩とも感じて面倒を見てくれる佳奈子と、さりげなくサポートをしてくれる理紗の間で、玲子はメイドとしての自分を少しずつ育てていった。

 勿論、直接的に髣艪フために働くこともある。特に玲子が嬉しく思ったのは、髣艪フ部屋のベッドメイクを含めた掃除を任せてもらえたことであった。

 東京のアパートに住んでいた頃の髣艪フ暮らしぶりを見たことはなかったが、この洋館に確かに暮らしている髣艪ニいう存在を身近に感じられるのが嬉しい。時々、ベッドの枕元に置いたままになっている本が気になって、開いてこっそりとそのタイトルを見てみたい誘惑にも駆られるが、それを危ういところで封じ込める。今の自分は髣艪フメイドとしてこの洋館にいることを認めてもらったに過ぎない。

 好きな人のことをもっと知りたいという欲求は当然のものであったが、それが則を越えた行動に繋がることは許されないだろう。

 玲子にとってみれば、自分の幸運というものを改めて自覚せずにはいられなかった。いくら最後の機会を逃したくなかったという気持ちがあったにしても、突然に髣艪フもとへ押し掛けてそこでメイドにしてもらうという望みを叶えてもらい、その洋館にいる他のメイドからもよくしてもらっている。唯一、密かに心配しているのが理紗とは明らかに違った接し方をしている佳奈子の髣艪ニの関係であったが、どうやら玲子が絶望するところには到達していないようである。

 佳奈子から仕事を教えてもらう合間に、さりげなくそれを聞いてみたことがある。それによると佳奈子は自分の方から「わたしのことは呼び捨てでお呼び下さい」と望んだのだそうで、「それは玲子がわたしに言ってくれたのと同じようなことだと思うな」と言っていた。佳奈子の髣艪ヨの気持ちは完全にはそれにとどまらないであろうことを玲子も敏感に察してはいたが、だからといってそれを指摘して奇跡にも近い中で手に入れることの出来た自分の居場所を危うくすることは出来ないであろう。自分の方はあからさまに髣艪ヨの好意を見せているにもかかわらず、決して冷たく当たったりはしない佳奈子に対してそれはフェアでもないと思った。

 ともあれ、玲子の髣艪ノ対する気持ちは明らかにプラスの方向に働いていた。新しいメイド服が届くのを楽しみにしながら、玲子はこの洋館で髣艪フメイドとして着実に成長していた。

 ちょうど、その日は土曜日で洋館も全体的にのんびりした雰囲気に包まれていた。

 そろそろ秋も後半に入ろうとしており、敷地の中にある木の葉も色づき始め、食事時には女性の風物詩ともいえるやきいもの話題ものぼったりしていた。

 朝、起きたばかりの髣艪ノ目覚めの水を提供するのはこれまで通り佳奈子の役割であったが、この日はいつもよりも少しだけ遅く起き出して、その後の仕事に追われない安らいだ朝食を取ることになる。

 玲子が来てくれてからは、理紗も週の半分ほどは朝に余裕を持つことが出来るようになって助かっているようだ。この日は、休みの日とはいえ髣艪ニほとんど同じ時間という、彼女にしてはずいぶんとのんびりした頃合いに食堂に姿を見せた。

「おはようございます、髣艪ウま、理紗さん」

 黒のメイド服を着ている玲子が、二人に気付いて声を掛けた。トーストに紅茶、スクランブルエッグという簡単な朝食を用意している玲子を、先に髣艪フ部屋から戻っていた佳奈子が手助けしながらテーブルの上を整えていた。

「おはよう、玲子ちゃん」

「おはようございます。玲子さんが来てくれたおかげで、週に何回かはこうして楽させてもらって助かります」

 そんな言い方で理紗が玲子の働きぶりを評価してくれる。

「そうだね、佳奈子や理紗さんは朝早くから働きすぎだって思っていたくらいだから、ちょうどよかったんじゃないかな」

「ですが、本当はメイドは『楽が出来て助かる』なんて思ってはいけないんですけど。佳奈子はしっかり起きてくれていますしね」

 そんな風に理紗は謙遜するが、自分の仕事に一番責任感と誇りを持っているのが理紗なのかもしれない。佳奈子が毎朝、髣艪起こしに行くという仕事を気に入っていることもよく知っているのだろう。佳奈子に言わせれば「いつもご主人様は既に起きておられるので、これに関しては仕事のしがいがない」ということなのだそうだが。

 それはともかく、四人が揃った休日の朝食は、和んだ雰囲気の中で過ぎていった。昼間は髣艪フ業務の補佐が主な仕事である理紗は、他の二人と比べて比較的余裕が持てるようになっていた。これまでは、普段は主に家事をこなしている佳奈子を手伝って平日と同じくらいに働こうとする理紗だったが、玲子が来て仕事のバランスが変わってからは半ば休みと出来るような余裕を持つことが出来るようになっていた。

 佳奈子も必要に応じていつも通りの洗濯や掃除などを行っていたが、そちらにも余裕が出てきている。

「ご主人様、ちょっとよろしいでしょうか」

 応接間で本を読んでいた髣艪ノ、遠慮がちに理紗が声を掛けた。

「うん、どうしたの、理紗さん」

「紅茶をいただこうかと準備したのですが、ご主人様もこちらでお過ごしでしたら、よかったらご一緒にどうかと思いまして」

「そうだね、理紗さんの紅茶なら喜んで」

 理紗にそうした余裕が出来ていることが髣艪ノも嬉しかった。そんな理紗の気遣いに感謝して、髣艪煢痘カなくその厚意を受け入れる。

「はい、それではこちらに用意させていただきますね。実は、もうカップはお持ちしております」

 穏やかな笑顔で、嬉しそうに理紗が言う。

「あっ、ご主人様とティータイム?わたしも加えてもらっていいかな。飲んだらすぐにお昼の準備をするから」

 ちょうどそこに佳奈子が通りかかり、理紗の方を向いて言った。

「そうだね、佳奈子もこっちにおいで」

「はい」

「構わないよね、理紗さん」

 傍らでティーポットから紅茶を注いでいる理紗を微かに見上げるようにしながら髣艪ェ問いかける。勿論、理紗にも異存はあろうはずはない。

「はい。ですが、佳奈子は自分のカップはそこから自分で取ってきてくださいね」

「えっ、あ、そうだね。でも、ご主人様のカップはちゃんと用意してくれてるのにずるいな」

「何を言ってるんですか、佳奈子。ご主人様とメイドでは待遇が違っていて当たり前です」

 冗談交じりに理紗がそんなことを言う。佳奈子も本気で言ったわけではないから、寧ろ楽しそうに棚からカップを選んで取り出し、髣艪フ隣にやってきた。

「ちょっと少な目になってしまうかもしれないけど、我慢してね」

 三杯目は想定外だったのであろう。少し濃いめになってしまった紅茶を、追加の佳奈子のティーカップに注いでいく。理想的な量からは僅かに少なくなってしまったが、なんとか問題のない量を佳奈子にも与えることが出来たようであった。

「すみません、二人してご主人様の読書の邪魔をしてしまって」

「ううん、構わないよ。ちょっと目が疲れてきたから休もうかと思っていたところだったし、休みの日にこうして佳奈子や理紗さんとのんびりお茶を飲んで過ごす時間は悪くないよ」

「ありがとうございます」

 理紗が髣艪フ向かいのソファに、佳奈子は髣艪フ隣に座っている。理紗が夏休みを取っていたときにも、こうして並んで座って髣艪ニ話をしたことを佳奈子は思いだした。

「だけど、玲子ちゃんはどうしたのかな?」

 一人だけ欠けていることに気付いた髣艪ェ隣の佳奈子に聞いてみた。

「あ、今はお洗濯をしてもらっています。『髣艪ウまがお休みの日は、佳奈子さんたちも少し楽できるようにわたしが頑張ります』って引き受けてくれたんです。その言葉に甘えちゃいました」

「そっか、何ていうのかな、玲子ちゃんともうまくやってくれていて助かるよ、ありがとう」

「そんな、とんでもないです。わたしたちも大助かりですし、それに玲子、思ったよりも飲み込みが早いんですよ。『後生、畏るべし』ってところでしょうか」

「はは、そうなんだ」

「玲子も、こんな素敵な洋館で暮らすことが出来て嬉しいって言ってましたよ」

 心地よい味と香りを味わいながら、働かせたままである玲子にちょっとした申し訳なさを感じている髣艨B佳奈子がそうして伝える玲子の気持ちを、髣艪ヘどの程度察しているのであろうか。

 ピンポーン……

 ちょうどその時、玄関の呼び鈴が三人に聞こえてきた。

「あれ、誰かいらっしゃったようです。わたしが見てきますね」

 立ち上がりかけた理紗を軽く手で制して、佳奈子が先に席を立った。

「あ、ごめんね、佳奈子」

「ううん」

 そんな理紗に微笑みかけて、佳奈子が足早に玄関へと向かっていく。メイド服のスカートとその裾から見えているペチコートの白いひらひらがくるりと舞って今の佳奈子の気持ちを代弁していた。

 程なく、その佳奈子が肩幅よりも大きめの段ボール箱を両手に持って戻ってきた。出ていったときより更に嬉しそうな顔をして、髣艪ニ理紗の方へやってくる。

「お届け物?」

「はい。待望の……、玲子の新しいメイド服です」

「あ、届いたんだ」

 自分の分だけ僅かに残っていた紅茶を一気に飲み終えて、テーブルの上に場所を作った佳奈子がその箱を置く。茶色の飾り気のない段ボールに、横長の伝票が貼り付けられており、品名欄にはこれまた飾り気なく「衣類」とだけ記入されていた。

「ご主人様に提案があります」

 箱に向けていた視線を上げた佳奈子が、おもむろに右手を挙げて言う。

「なにかな、佳奈子?」

「早速、玲子にこれを着てもらおうと思います」

「うん、それがいいね。でも、玲子ちゃんは……」

「今から呼んできますね」

 髣艪フ返事を待たずに、佳奈子が外の庭の方へ駆けていった。さきほどよりも更に大きくスカートとペチコートが舞った。そんな佳奈子の後ろ姿を、理紗が苦笑しながら見送る。

「あれでは、本人がいくら気にしていても子供っぽく見えてしまいますよね……」

 理紗があえて髣艪ノそう言う。佳奈子の嬉しさを知っているからこそのそんな言い方なのであろうから、髣艪煬yくその言葉を受けておくことにする。

「それについてはノーコメントということにしておくよ。でも、いいんじゃないかな」

「そうですね、ありがとうございます、ご主人様」

 そんなところからも、理紗の友人思いのところが分かるのだった。

「あ、あの……」

 佳奈子に手を引かれてやってきた玲子は戸惑いを隠せない様子であった。まだ、メイド服が届いたことは知らされていないのだろう。

「どうなされたのでしょうか、髣艪ウま」

 玲子の髣艪ヨの呼びかけ方は、いつの間にか「髣艪ウま」で落ち着いていた。他の二人のように「ご主人様」と呼ぶには気恥ずかしさがあり、この洋館と会社の名前を考えると、大旦那様である雄一と同じ「川辺さん」というのもふさわしくない。ではあるが、しばらくの間は東京にいたときのように「川辺さん」という呼び方が反射的に口に出ることがあったが、こうして慣れていくうちに、「髣艪ウま」で収束していった。

「はい、これ。玲子ちゃんの新しいメイド服が届いたよ」

「わぁ、本当ですか?」

 驚きを喜びに変える玲子。

「まずは、開けてみたらいいんじゃないの?」

 いつの間にかカッターナイフを持ってきていた佳奈子が、大きな段ボールを受け取った玲子に手渡す。片手を無理に空けるために、抱え込むようにメイド服の入った段ボールを持ち替えた玲子だったが、一度床に置けばよいということに気が付いて腰をかがめる。

 ガムテープを慎重にカットして、玲子がゆっくりと中に入っている袋から自分のために用意されたメイド服を取り出す。

 綺麗に畳まれた紅茶色のワンピースとエプロンに、髪に着けるためのカチューシャが添えられていた。

「素敵なお洋服です……」

 まぶしそうに玲子がその服を見つめている。佳奈子と玲子も、自分がこの服を初めて着たときのことを思い出したのだろうか、優しい表情をそんな玲子に向ける。

「それでね、玲子」

 メイド服にすっかり気を奪われている玲子の腕を、佳奈子が横から指で突っついた。

「えっ、あ、はい……」

 佳奈子に顔を向けた玲子は、その佳奈子の視線の向く先に気が付いて、慌ててそちらをに向き直って立ち上がる。

「玲子ちゃん、早速だけど、そのメイド服を着てみたらどうかな?」

「えっ、よろしいのですか?」

「はは、だって、それは玲子ちゃんのために用意したメイド服だよ」

「でも、今はお仕事の途中なのに……」

「そこまで気にする必要はないよ。ここでってわけにはいかないだろうから、それを持って一度、自分の部屋で着替えてくるといいよ」

「はい、ありがとうございます、髣艪ウま」

 上の開いた段ボールを持って、玲子が半ば駈けるようにして二階の奥にある自分の部屋へ向かっていく。

 髣艪スちは、そんな玲子を見送って、新しいメイド服姿の彼女を期待しながら待つのだった。

「あの……、わたしのメイド服姿、いかがでしょうか……」

 今にも消えてしまいそうな細い小さな声で、応接間の入り口に立つ玲子が声を掛けた。

 髣艪スちが玲子の方に顔を向けると、三人の視線を受け止めきれずに真っ赤になってうつむいてしまう。

「その……、佳奈子さんや理紗さんのようには着こなせていないと思うんですけど……」

「そうかしら、よく似合ってるわよ。さっきの嬉しそうな顔はどうしたの、玲子さん」

「そうよ、悔しいけどわたしたちにも負けていないかな」

 理紗と佳奈子がそう言って誉めてくれる。だが、一番見て欲しかった髣艪ヘ黙ったまま玲子に声を掛けてくれない。

「……」

「やっぱり、変ですか?」

 玲子が少しばかり気落ちしたような口調でつぶやいた。

「いや、そんなことはないよ、玲子ちゃん。佳奈子や理紗さんの言うとおり、よく似合ってると思う」

「本当ですか?」

「うん。だけど、さっきまでの黒のメイド服を見慣れていたから、ちょっと驚いたのかもしれないね。そのリボンは、前と同じなのかな?」

 佳奈子と玲子が身につけているリボンは、それぞれ色違いではあるが両方とも細身のものであった。一方、玲子が身につけてやってきたのは、これまでのメイド服の時に着けていたのと同じ、えんじ色の幅広のリボンである。

「はい、佳奈子さんたちとお揃いの物を持っていませんので、こちらでと思いまして」

「そうなんだ。佳奈子たちと同じ服のはずなのに、少し雰囲気が違うと思ったのはそのせいかな」

「あ、確かにそうですね」

 理紗が気付いて髣艪ノ同意する。

「そうだ、これでご主人様に仕えるメイドが三人揃ったわけだから……」

 佳奈子が応接間の入り口にいる玲子の手を取って中に引き寄せる。そして髣艪フ隣りに立っている理紗を手招きして呼び寄せる。

 玲子を挟むようにして三人のメイドが並んで立った。

「それではご主人様。改めてわたしたちを宜しくお願いします」

 そして、佳奈子の言葉と共に、スカートの裾の両側を手でつまんで、揃ってうやうやしくお辞儀をする。

「こ、こちらこそ宜しくね……」

 圧巻というのが、この時の髣艪ェ彼女たちに対して感じたことを表現するのに一番近い言葉だったであろう。

 小柄で可愛らしいが、気さくながらもしっかり者である佳奈子。黒のストッキングと流れるような美しい髪が独特の色っぽさ感じさせる理紗。そして、まだぎこちなさを残しながらも、メイドとしてしっかり歩み始めた玲子。

 そんな三人がこれからの髣艪フ暮らしと仕事をしっかりと支えていくことになる。


 秋も深まる中、洋館には落ち着いた日常が取り戻されていた。ご主人様である髣艪要として、佳奈子と理紗が暮らす生活に、玲子が加わった四人での暮らしにも慣れていき、冬から始まった髣艪フ洋館での暮らしも、一通りの季節を経験する段階まで進んでいた。

 紅茶色のメイド服は、色づいた木の葉や石造りの建物の落ち着いた色合いと親和性が高いのだろうか、これまでにも比べてメイドたちの姿がこの洋館での暮らしによくとけ込んでいるともいえた。

「あ、お帰りなさいませ、ご主人様」

 玄関前の木の根元で箒を手にして落ち葉を掃き集めていた佳奈子が、外出先から戻ってきた髣艪ノ気が付いて声を掛ける。

「ただいま、佳奈子。落ち葉集めか、大変だね」

「はい。わたし、季節の中でも秋は好きな方なんですけど、これだけが玉に瑕なんですよ」

「うーん、集めても集めてもまだ落ちてくるもんね」

 手を休めて髣艪ニ話す佳奈子であるが、その側から、また新しい葉が舞い落ちてくる。期せずして、二人が同時にその葉に目を向けて、見つめ合う形になった。それに気付いて恥ずかしくなる佳奈子と、同じ気持ちから視線を佳奈子の足元へ落としてしまう髣艨B黒のシンプルな靴に白いソックスという足元のコントラストが、佳奈子の着こなしているメイド服と同じくらいの好印象を与えている。

「そうなんですよ。人間、嫌なことばかり印象に残るのかもしれませんけど、中学校の頃の掃除当番ですとか、実家の町内会の落ち葉集めですとか、秋の思い出はそんなことばかりなんです」

「はは、そっか。でも、今日はちょうどよかったかもしれないよ」

 ビジネスバッグを肩から掛けているスーツ姿の髣艪セったが、その格好に唯一不釣り合いな白いビニール袋を、佳奈子の前にかざしてみせる。

「えっ、ちょうどよかったっておっしゃいますと?」

 そのビニール袋との関連性が浮かばず、思わずきょとんとした表情で佳奈子が問い返す。そんな表情の豊かさも佳奈子という娘の魅力的なところかもしれない。

「これ、途中の無人販売で買ってきたんだ。佳奈子たちの好物だといいなって思ったんだけど」

 近くまでやってきた髣艪ェ、その袋を佳奈子に手渡す。

「えっと、何でしょうか……」

 受け取るときに一瞬、髣艪フ指が手に触れてどきっとした佳奈子だったが、そんな微かな動揺に気付かれないようにしながら、袋の中を覗き込む。

 中には、大小混ざったいくつかの、土の付いた紫色の塊が入っている。

「これはひょっとして……、女の子の好物として人口に膾炙した……」

「ご名答」

「おいもですねっ」

「うん。ちょっと定番過ぎたかもしれないと思ったけど、佳奈子も好物?」

「はい、もちろんです。『ちょうどよかった』というのは、これのことなんですね」

 佳奈子が苦労してかき集めた落ち葉に顔を向けながら言う。

「うん。大変だっただろうから、ご褒美ということにしようか」

「ありがとうございます。もう少し集めたら、早速、有効活用させていただきますね」

「うん、そうするといいよ。でも、理紗さんや玲子ちゃんは冷たいなあ。佳奈子一人に落ち葉集めさせて……」

「いいえ、そんなことはありませんよ。玲子はお洗濯をやってくれています。ちょうど乾いたのを取り込む時間だと思います」

「そうだったんだね」

「はい。今日はご主人様がお出かけでしたから、理紗も手伝ってくれていると思いますよ。後で、二人もこっちに呼んじゃいますね」

「うん、少し休憩しながら楽しんでね」

「はいっ。ですが、ご主人様……」

 佳奈子があることに気が付いた。

「どうしたの?」

「理紗がご主人様を迎えに上がるところを見なかったので不思議に思ったのですが、ひょっとして、駅から歩いて来られたのでしょうか」

 「途中の無人販売で買ってきた」というのもそのためだからであろう。もし、髣艪ェ自分たちメイドに気を遣っていたのだとすると、本末転倒な話になってしまい、佳奈子としては看過できない。

「うん。だけど、心配しないでね」

「えっ?」

 髣艪ノは佳奈子の考えていることが分かったようである。先回りしてその心配を無用なものであると伝える。

「ほら、前に理紗さんが夏休みに入るときだったかな、『この洋館の近くに小さな無人駅があるんです』って教えてくれたよね。一度、そっちを使ってみたいって思っていたし、少し歩くことも必要だと思ってね」

「そ、そうなんですか。あの、わたしたちに……」

 再び髣艪ヘ佳奈子に先回りして、ゆっくり首を横に振って言う。

「ほら、ここで生活していると快適すぎてあんまり運動しなくなっちゃうんだよね。実は、こっちで暮らすようになってから少し体重が増えちゃったのを気にしていたんだ」

「ダイエット、ですか?」

「そんなところかな。佳奈子たちは毎日こうして働いてくれるから、それがいい運動になっているかもしれないけど、僕はここではデスクワークばかりだから」

「ですが……」

「あ、そういう意味では、僕が今日、歩いて帰ってきたのは佳奈子たちメイドが原因かもしれないね」

 そう言って髣艪ヘ笑う。

「あ、そんな言い方、なんだかずるいです。だから、おいもが焼けましたら、ご主人様にも一つ召し上がっていただきます」

「そうだね、そうさせてもらうかな」

 佳奈子の反撃を、あっさりと髣艪ェ封じた。毎日の生活を共にしているからなかなか気付かなかったのであろうが、確かに初めて会った時の髣艪ヘどちらかというと痩せ気味だった印象が残っている。

「あとで、ご主人様の執務室に持っていきますから、楽しみにしていて下さいね」

「うん、ありがとう」

 話しているうちにも、落ち葉がまた少し増え始めていた。髣艪ニの会話に区切りのついた佳奈子は、再び箒を動かし始める。メイド服に竹箒という姿は、意外にマッチしているように感じられ、文句を言いながらも佳奈子は落ち葉集めを楽しんでいるようにも見えた。

 それから何日かたったある日の晩、応接間にテレビを見に来た髣艪ヘ、ソファに座っている先客がいることに気が付いた。夕食の後、先に風呂に入った髣艪セったが、まだ寝るには早い時間でもあり、少しばかり人恋しくなって降りてきたのである。

「申し訳ありません、ご主人様」

 ソファに座っていたのは理紗だった。一心に手元を見つめて、メイド服と同じ色の布を持って何かの作業をしている。髣艪ヘその邪魔をしないように気をつけながら、その向かいに静かに腰を下ろしたが、それに気付いた理紗が手を止めて髣艪フ方へ顔を向けた。

「ううん、こっちこそ、邪魔をしちゃってごめんね」

「いいえ、とんでもございません。本来なら自分の部屋でするようなことなのですが……」

 ひょっとすると、理紗にも人恋しさという感情があるのかもしれない。我ながら少し失礼な考えだと、髣艪ヘ心の中で密かに苦笑いをしながらそんな理紗を見つめる。

「理紗さんのお仕事の邪魔だったかな。続けてくれていいよ」

 テレビのリモコンに手を伸ばそうとした髣艪ヘそれをやめて、彼女の妨げにならないように気遣いながら話しかける。

「すみません、お言葉に甘えます。実は、メイド服のボタンが一つ緩んでしまいまして、付け直していたところだったんです」

「そうなんだ。理紗さんがお裁縫しているところって初めて見るかな」

「あまり得意ではないんです。こういったことは佳奈子の方が上手なんですが、わたしもこうしたことは出来るようにならないと、と思いまして」

「そうなのかな、僕には手際よくやっているように見えるけど」

「そうでもないんですよ。なかなか思い通りの位置に留まってくれなくて……」

 糸を通しているうちにボタンが微妙に動いてしまうことが理紗の悩みのようである。髣艪ゥら見れば理紗は仕事の面でも勿論、家事をするメイドとしても人並み以上の働きをしてくれていると感じているが、前にも本人が言っていたように、より一層の家事能力を身につけることが目標でもあるらしい。

「結構、こういうことってあるのかな?」

「いいえ、いただいているメイド服はしっかり作られていますので滅多にないのですが、それでも普段から着ているものですから……」

「なるほど」

 手を動かしながらも、時々、髣艪フ方に顔を向けて理紗は話してくれる。

「ご主人様も既にお風呂に入られましたし、仕事の区切りがついた佳奈子にアドバイスをもらいながらやろうと、こっちに持ってきてしまったのですが」

「ううん、いいんじゃないかな。そういえば、佳奈子と玲子ちゃんは?」

「あ、佳奈子は明日の朝食の下ごしらえだそうです。玲子さんには先にお風呂に入ってもらっています」

「そっか。ごめんね、やっぱり少し邪魔になっちゃったかな」

「いいえ、そんなことはありません。このお屋敷の中ではご主人様が第一にいらっしゃるのですし、こうしてお仕事の他でもご主人様とお話しできることは私にとっても楽しいことなんです」

「ありがとう、理紗さんにそう思ってもらえるのは嬉しいよ」

「ご主人様がいらしてから、私も毎日の生活が楽しくなりました。どうも、それに関しては佳奈子の方が上のようですけれど」

 少しばかりそうした会話のエッセンスを交えながら、理紗が話を続けてくれる。

「うーん、そうかもしれないね。玲子ちゃんも来てくれて、この洋館も賑やかになったし。理紗さんにはちょっと賑やかすぎるんじゃないかと心配しちゃうこともあるんだけど」

「いいえ、玲子さんが来てくれたことは私にとっても大きな助けです。その……」

 そこで珍しく理紗が言葉を途中で止める。

「うん?」

「その、ですね……。もし、あの雑誌のインタビューの時にご主人様がお話しになったことを、本当に積極的に進めてくださるのでしたら、私もそれをもっとお手伝いしたいと思いますし。そうなりますと、洋館の人手が増えてくれることは大賛成なんです」

「あの、新しい紅茶の話かな」

「はい、そうです」

 言葉に出すことはなかったが、やはり理紗はそれを期待してくれていたのだということがわかり、髣艪ヘほっとした。孝敬の影とこの洋館そのものに縋っている理紗がまだいるのだとすれば、そうしたことでこの洋館やメイドとしての仕事への思い入れに明るいものに昇華することが出来れば、理紗にとっても、志半ばで亡くなった孝敬や伯父の雄一にとっても喜ばしいことになるのではないだろうか。

 まだ自分にはその力が不足している……。だが、理紗がいれば実現することは必ずしも不可能ではないだろう。そのための努力は自分もしているつもりである……。丁寧に針と糸を動かしている理紗を見ながら、髣艪ヘ改めてそんなことを考えていた。

「勿論、あの話は思いつきなんかじゃないよ。理紗さんには時々資料を探してもらったりしているけど、目処が立ってきたら社長に正式に話を持っていこうかとも思っているんだ」

「ありがとうございます」

「はは、僕もこの洋館でメイドさんに囲まれて暮らすばかりというわけにもいかないしね。僕を取り立ててくれた伯父さんのためにも、何か貢献したいって思っているし」

「やはり、ご主人様は尊敬できる方だと思います」

「ありがとう。そんな理紗さんの期待に応えられるように頑張るよ」

「はい、楽しみにしています」

 ちょうどボタンを付け終えたところらしく、ぎゅっと引いた白い糸の根元を小ばさみでぱちっと絶つ。腕を伸ばすと、メイド服の襟から理紗の滑らかな白い肌が姿を見せる。

「どう、うまく出来た?」

「そうですね……、ちゃんと留まったとは思いますけど、これくらいのことはもう少し手際よく出来るようにならないといけないですね」

「そっか、僕は邪魔しにきちゃったみたいでごめんね」

「いいえ、ご主人様とお話しできてよかったです」

 こうして少しずつでも、理紗を影から解放できることが出来ればと、髣艪ヘ思っていた。

 次の土曜日の昼下がり、食事の後に落ち着いてきた体を動かすべく洋館の外に出てきた髣艪ヘ、敷地の一角にある菜園に玲子の姿があるのに気が付いた。

 メイド服の長めのスカートの裾がいくらか土に触れてはいたがそれを気にするでもなく、優しく土を触っている。秋にしては気温の高い良い天気で、空には羽根をちりばめたような薄い雲がところどころに見えるだけで澄んだ青色をしている。

 吹き抜ける風が、耳の辺りから一部を軽く三つ編みにしている玲子の黒髪を時々揺らしている。

 そちらの方へ髣艪ェ近づいていくと、それに気付いた玲子が顔を上げる。

「あっ、髣艪ウま」

 とたんに、玲子の表情が嬉しそうになる。

「ごめんね、邪魔しちゃったかな」

「いいえ、そんなことはないです。髣艪ウまに会えて嬉しいです」

「ありがとう」

 菜園は、洋館の南側にある庭に接した一角に設けられており、玲子が主に担当する仕事になった洗濯物を干すための日当たりのよい場所の隣に位置している。

 よく東京の郊外にあるような家庭菜園と同じくらいの広さを持ち、大まかに三分割された畑を佳奈子と理紗、そして玲子が使っている。洋館や茶園全体の敷地を考えるとこぢんまりしたものではあったが、三人のメイドがそれぞれ好きな植物を育てられる場所は、彼女たちにとってもお気に入りのものであるらしい。

 佳奈子はよく野菜の種や苗を買ってきて植えており、自分の育てた野菜を食卓に出すのを楽しみにしているようである。理紗は主に花を育てていて、咲いた花を切り花にして洋館の中にさりげなく飾ることが多い。一度、小麦を育ててみたこともあって、その時には正真正銘、理紗の手作りのパンが洋館の人間たちに振る舞われたのであった。

 この洋館に髣艪ェ移ってきてすぐの頃に、佳奈子と玲子に案内された髣艪燗人に場所を分けてもらったのだが、髣芬ゥ身は菜園を使うことがないまま過ぎていき、今般、玲子がやってきたときにその場所を譲ったのだった。

「玲子ちゃんは、何を育てるのかな?」

 佳奈子の植えた冬野菜が青い葉を広げている側で白く細い手で土を撫でるようにしていた玲子に髣艪ェ問いかける。

 しゃがんだ姿勢の玲子が、近くに来てくれた髣艪見上げる形で答える。その時に首周りの白い肌が髣艪フ印象に残る。

「はい、菜の花の種を蒔いたところなんです。今からですと秋まきのお花がなんとか間に合うかなって思いまして」

「そっか、来年の春が楽しみだね」

「はいっ。小さな黄色い花がたくさん咲くのが好きなんです。佳奈子さんに話したら『油も取れるかもしれないから一石二鳥だね』って笑ってましたけど」

「あはは、そうか……」

「わたしも理紗さんを見習って、お花が咲いたら洋館の応接間か食堂に飾りたいと思います」

「うん、それがいいね」

「あ、でも……、もしよかったらなんですけど……」

「どうしたの?」

 小声になった玲子を不思議に思って髣艪ェ問いかける。

「お花、ご主人様のお部屋にお持ちしてもよろしいでしょうか?」

「玲子ちゃんから花のプレゼントか、それは光栄だね」

「えっ、そんな大それたことではありません。だけど……」

 その先を言えなくなって玲子が口ごもる。照れ隠しなのか、言葉を探す代わりに目の前の土に再び触れる。

「だけど、折角、玲子ちゃんたちに菜園を使ってもらっているのに、みんな洋館で役に立つものばかり育てているよね。佳奈子なんか野菜だし」

「でも、佳奈子さんや理紗さんも自分の育てたものが他の人にも見てもらえるのが嬉しいんだと思います。特に、髣艪ウまに見てもらえるのが」

「そうなのかな?」

「はい、きっとそうです。理紗さんは、この冬はいちごの苗を買ってくるって言ってました」

「そうなんだ?」

「はい。わたしも楽しみです。理紗さんも佳奈子さんも、わたしよりずっと立派なメイドさんでうらやましいです」

「そうだね。でも、玲子ちゃんもずいぶんと慣れてきたんじゃないのかな?」

「出来るだけ頑張ってはいるんですけど、まだまだ全然追いつけないです」

「確かに、僕がここに来る前からずっとメイドさんとして働いていたんだからね。でも、二人も玲子ちゃんのことを大事に思ってくれているみたいだし、その……、僕も来てくれてやっぱり嬉しいよ」

「ありがとうございます」

 そんな髣艪フ言葉を聞いて、玲子は嬉しくなった。土を払いながら、髣艪フ隣に立ち上がる。髣艪謔閧ヘ少し背が低いので、話すときにはこれでもまだ若干、見上げるような形になる。

「ベルにいたときにはあまり気付かなかったんですけど、髣艪ウまって、背が高いですよね」

「そうかな、男の平均とそう変わらないと思うんだけど」

「えっ、本当ですか?でも、こうして少し見上げながら髣艪ウまと話すのが、わたしは大好きです。なんだかこう……、あこがれの人を見るような感じで」

 見上げるという仕草に、その人への敬愛の気持ちを籠めることが出来るように玲子は感じているのかもしれない。男の人に頼るという心理の象徴という意味もあるのだろう。

「だから、そんな時は背の低い佳奈子さんがちょっとうらやましかったりもします。その、すごく可愛くて魅力的で……」

「あ、でもその『可愛い』は佳奈子の前では言っちゃダメだよ」

「はい、そうみたいですね、気を付けてます」

 理紗あたりに聞いたのであろうか、いたずらをしてしまった時のような表情をして、玲子が言う。

「玲子ちゃんは僕に憧れてくれるの?」

「はい。思い切ってこの洋館に押し掛けてきてよかったと思ってます」

「はは、あの時はさすがにびっくりしたけどね」

「ご、ごめんなさい……」

「でも、よかったんじゃないかな。そのメイド服もよく似合ってると思うし」

「ありがとうございます」

 さすがの髣艪燉謗qが自分に向けてくれている気持ちをうっすらとは気付いているらしい。だが、今の絶妙なバランスの上に成り立っているこの洋館での生活やここに至るまでの玲子の気持ちのことを考えると、軽々しく受け止めてよいものではないということもよく知っていた。場合によっては、逆に玲子を傷つけることにもなるかもしれない。まずは玲子の居場所をこの洋館に持たせてやりたい、髣艪ヘそんなことを考えていた。

「そうだ、種まきの作業はもう済んだのかな?」

「はい、あとは、このジョウロを戻してきます」

「じゃ、つき合うよ。もし時間があるんだったら、少し近くを一緒に散歩しようか?」

「はい、よろしくお願いします」

 髣艪フ方に向き直り、両手を揃えてお辞儀をした玲子は、腰を屈めて未だ少し水の残っているジョウロを手に取った。メイド服のベルトと白いエプロンの二つの結び目がそれだけで装飾品のように玲子の背中を飾っている。

「髣艪ウまと二人きりの時間がいただけて嬉しいです」

「そう考えてみると、確かにそうかもしれないね」

「ベルにいたときもお店の中だけでしたし、こっちで暮らすようになって髣艪ウまの近くにいられる時間は増えましたけど、こうやって二人でお話し出来る機会ってあまりなかったです」

「そうだね」

「あっ、ですけど、佳奈子さんや理紗さんが邪魔だって言ってるんじゃありませんよ」

「大丈夫、分かってるよ。さ、行こうか」

「はいっ、お供しますっ」

 歩き始めた髣艪フ横、少しだけ後ろの位置を玲子が追いかけていく。少しだけ手を伸ばせば髣艪ノ触れることが出来る。そんな場所にいられる自分を、玲子は幸せに感じていた。

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