高津本陣 高津本陣 Web Page 〜創作中心個人サークルの総合案内〜

第3章へ

第2章 先の見えぬ道を

観鈴に連れられて往人がやってきたのは、この町の住宅街の一角にある、小さな平屋の家だった。一昔前の家という感じで、正直、古さは否めないようだ。

「往人さん、ここがわたしのおうち」

「そうか、世話になるな」

観鈴の後に続き、玄関に入る。

「上がっていいよ」

「ああ。だけど、家の人とかには挨拶しなくていいのか?」

「お母さん、もうお仕事に行ってる」

「遅いのか?」

「うん。だから、今は気にしないでいいの」

「分かった」

観鈴に続いて、居間の方に向かった。

遠慮なく、空いている座布団の上に腰を下ろす。

観鈴はすぐに冷たい麦茶を持ってきてくれた。

少しずつ飲む観鈴に対して、往人は一気にそれを飲み干した。

「ぐはぁ、気持ちいいな」

「往人さん、そんな飲み方したら、お腹こわすよ」

「大丈夫だ。それより、腹が減らないか」

往人はあえて無遠慮な言い方をしている。観鈴のくだけた言葉遣いと共に、この子とやりとりするにはその方がよさそうだと判断したのだ。

「お夕飯の支度するね。往人さんはここで待ってて。テレビ見てもいいから」

「ああ、頼むぞ。期待してる」

エプロンを持ってきた観鈴が、制服姿の上にそれを着て、台所に向かっていった。

手持ちぶさたの往人は、言われたとおりにテレビの方に手を伸ばす。今時、リモコンもなく、チャンネルもボタンではなくダイヤルという年代物だった。

「まだこんなテレビが現役であったのか……」

妙な意味で感心する。画面の方は、きちんと映るようだった。

だが、中途半端な時間帯で、子供向けのアニメ番組と地方ニュースくらいしかやっていない。そもそも民放が二つか三つくらいしか入っていなかった。

「うーむ……」

すぐに飽きた往人は、寝ころんで外に目を向けた。

すっかり暗くなった空には、星がいくつか輝いている。本来は無数の星があるのだろうが、壁のすぐ向こうに電灯の立っているこの場所からは、そのほとんどは見えなくなっている。

今度は、意識を聴力の方に振り分けてみた。台所の方からは、料理をする観鈴の声や音が聞こえてくる。

手際の方はどうなのであろうか。

「にははっ、観鈴ちん失敗……」

「わわっ、ちょっと入れすぎ」

「あっ、そっちいっちゃダメ」

なにか、不穏な声ばかりが聞こえてくるような気がする。

この家からは逃げ出した方が賢明かもしれないと思い始めていたとき、観鈴がエプロン姿で往人のところにやってきた。

「往人さん、出来た」

「そうか。ずいぶん苦労していたようだが……」

「ちょっとだけ失敗しちゃったけど、大丈夫」

「そう願いたい」

観鈴に促されて、台所のテーブルに向かい合う。

冷たい麦茶と、炊きたての美味しそうなご飯が食欲を誘う。おかずの方はというと、簡単な炒め物と焼き魚である。見た目はそれほど危険そうではない。

「食べていいか?」

「うん。いただきますっ」

観鈴と同時に、箸を手にして食べ始める。若干の緊張がある。

炒め物を口に運ぶ。ちょっと癖のある味付けだったが、不味くはなかった。往人はひとまず安心した。

焼き魚の方にも手を付けてみる。こちらもますまずである。

ふと気が付くと、観鈴が往人の顔を見ていた。

「どうした?」

「往人さん、美味しい?」

「そうだな、絶品とまでは言えないがそんなに悪くはない」

空腹も手伝って、往人はそういう答え方をした。

「なんか、変な味とか、しない?」

「いや、平気だけど、なんでだ?」

「う、ううん、なんでもない」

さっき台所の方から聞こえてきた言葉と共に、どういう意味だったのかが気になったが、追求することの方が恐かったので気にしないことにした。

普段は一人で夕食を取っているという観鈴にとっても、今日は楽しい食事ということだったらしく、半ば居候の立場になろうとしている往人にとっては、僅かでも役に立ててほっとしている一面もあるのだった。

夜も遅くなってきた。

食後は観鈴の「遊ぼう」という言葉に引き込まれて、トランプをしたりボードゲームをしたりして遊んでいた。

二人ではそれほど楽しめるようなものでもなかったが、往人はともかく、観鈴の方はなぜか心から楽しんでいるように見えた。それを見ると、「つまらないからやめる」とも言えずに、ずるずると引き込まれ続けていた。

日付が変わるような時間になり、観鈴があくびを見せた。

これを奇貨に、往人はようやくこれから逃れようとする。

「眠いんじゃないのか。もう結構遅いぞ」

「あっ、もうこんな時間」

「明日も補習があるんじゃないのか?」

「にははっ、そうだった」

「だったら、そろそろ寝た方が……」

そう言っている途中に、静かなはずのこの界隈に、やかましい音が聞こえてきた。暴走するバイクのような、およそこの時間のこの場所には似つかわしくない音である。

音はこちらの方に近づいてくる。

「おい、あれはなんだ?」

「たぶん、お母さん」

賑やかな登場だった。だが、ここからが往人の正念場だった。

いきなり変な男を連れてきた観鈴を、晴子は叱ったが、何か思うところがあるらしく、直接に往人を追い出したりはしなかった。だが、普通に部屋で寝ることは許されずに、納屋の方に追いやられてしまった。まあ、それは仕方ないであろう。ともあれ、うまくいけば数日間の居場所と食事を確保できることになった往人は、バイクの油臭い匂いのただよう納屋の中で、考えていた。

何故自分はこんな町に来てしまったのか。

観鈴という少女は一体、自分をどういう風に見ているのか。

だが、簡単に答えなどは得られなかった。


結局、そのまま往人は観鈴の家に居つくようになってしまった。

観鈴は往人が気に入ったらしく、何かと構ってもらおうとしていた。生殺与奪の権を抑えられている往人は、子供の相手など気が進まないところではあったが、やむを得ず、観鈴に連れ回されてあちこちへと行っていた。

観鈴が学校で補習を受けている間に、町の中心部の方へ向かってみた。

勿論、自分の本職である人形劇で路銀を稼ぐためのものだったが、結果は散々たるものだった。

落ち着いて考えてみればすぐに分かることである。

こんなに人の少ない町で、充分なお金が得られるだけの観客が集まるはずがない。

この日差しの中で、外を歩こうとする人間の姿も疎らであるのに、観衆が集まるのを期待できるはずもなかった。

それでも、何度か試してみたが、寄ってきたのは、お金など持ってなさそうな幼女が一度、犬に似た奇妙な生物が一度、そして明らかに冷やかしである、公演場所の敷地である診療所の若い女医一人だけだった。

唯一の収穫は、その医師にご馳走してもらった冷たいお茶と「場所だけなら貸してやる」というありがたい言葉だけだった。

結局、惨敗に近い結果で、往人は海岸の方に戻ってきた。

「まあ、こんな町じゃ無理があるよな……」

ひとまずは涼しい風を浴びながら、自嘲的にそんな風に呟いた。この町を出ていく路銀の算段すら立たない。

「往人さん、待っててくれた」

補習が終わったらしい観鈴が、往人のそばに駆け寄ってきた。手には例の飲み物のパックを持っている。

「往人さんも飲む?」

「いや、結構」

観鈴の味覚に疑問を覚える。どう考えても、その飲み物は暑さを助長する役にしかならないような気がする。

「補習、やっと終わった。疲れた」

「それはご苦労だったな」

「往人さんは何してたの?」

「……」

「往人さんは?」

思い出したくないことだったので、無視しようかと思ったが、厳しく追及された。やむを得ず往人は答える。

「路銀を稼ごうと、町の方に行ってみたけど、散々だった……」

「そうなんだ。観鈴ちん、ちょっとだけ安心した」

「何でだ?」

「往人さん、お金稼いだら、この町からいなくなっちゃう。せっかくお友だちになったのに」

「友だちなんて一言も言ってないぞ」

「にははっ」

往人の指摘に、観鈴は耳を貸さなかった。

「はぁ、やれやれ」

そう思いながらも、今日も観鈴の家に厄介になることを確信していた。

人形芸を巡る環境は一日や二日で変わるはずもなく、結局、往人はだらだらとこの町で過ごす結果になっていた。同時に、観鈴の家にも厄介になり続ける。

夜寝るまでは観鈴の遊び相手、深夜には観鈴の母の晴子の酒飲みの相手と、食事が保証されているとはいえ、なかなかのハードさであった。

ある意味で、往人や観鈴にとって、日常になりかけていた生活だった。

だが、そのような中にいて、観鈴は一つの心配を感じるようになっていた。

自分の性格、いや正しくは特質である。

割合に人なつっこい性格であるにもかかわらず、観鈴は学校にはほとんど友人と呼べる生徒がいなかった。友人を作る努力はしたこともあり、実際に仲のよい子も出来たことがある。

だが、夏休みを前にして、観鈴はひとりぼっちになっていた。その原因がこの特質であった。

幼い子供がよく、理由もなく泣き出して手を付けられなくなることがある。これを癇癪ということがあるが、それと同じようなものが観鈴にも起きるのだった。

その原因は明らかではないが、どういう時に起きるのかは分かっていた。

友人が出来て、仲良くなってくると起こるのである。心配した相手の子は例外なく驚き、中には心配してなだめようとする子もいた。だが、観鈴は泣き続けてそれを振り払ってしまう。結局、相手の子はどうすることも出来ずに観鈴のもとを離れてしまう。自分が癇癪の原因になることを怖れて、彼女たちはそれ以降は観鈴と距離を置くようになってしまうのだ。

観鈴の方も、もはや積極的には接することは出来ない。

こうして、観鈴は孤立していった。最近は、観鈴のそんな性癖も知られるところとなってしまい、最初から観鈴と仲良くしてくれる生徒も少なくなってしまった。そうして、観鈴はひとりぼっちになっていった。

本当は、ひとりぼっちでいるのが一番寂しい観鈴だった。だが、そんな寂しさを押さえ込むようにして、観鈴は学校生活を送っていたのだ。

そんな観鈴が唯一、自分の心を開けるのが、風のもとなのだった。学校の屋上や海岸の堤防の上に立ち、風を受けていると、観鈴は心が慰められ、開放されるような気持ちになった。

空を見るのが気持ちいい、空が懐かしいように思えた。

そしてある日、観鈴はこんなことを考えた。

「空の上に、もう一人の自分がいて、風を受けて羽ばたき続けているのではないか」

と。

そんな空想が、何故か観鈴には現実味を帯びて感じられていた。そして、いつか、その空にいるもう一人の自分に会うことが出来るのではないだろうかと。

観鈴が往人に出会ったのはそんな時のことだった。

この人なら自分の友だちになってくれるかもしれない。そんな予感は、根拠のないものであったが、決して単なる妄想にとどまる類のものでもなかったのだ。

無愛想な言葉遣いで、言動も少し変わっている。往人はそんな男だったが、人に対する好悪の激しい母親の晴子も、往人をそんなに嫌っているようでもなかった。

最初にあったときに比べて、観鈴自身も往人になじんでいったような気がする。どこかで、思っていた。この人は他の人とは違う存在になるのではないかと。

同時に、仲良くなった往人に対して、いつもと同じ恐れの気持ちも感じていた。この人ととこれ以上仲良くなってしまうと、また自分の癇癪が出てしまうのではないかと。そうすると、往人は観鈴から離れてしまうのではないだろうか。観鈴は、往人を失うのは嫌だと思っていた。その理由は分からない。最近出会った、佳乃という後輩の女の子も含めて、いや、それ以上に観鈴は往人を失いたくないという気持ちを持ち始めていた。単に孤独が嫌だというのではない、正体不明の気持ちである。

そんな中のある晩のこと、観鈴は夜にベッドに入った後に考えた。

すぐに眠りに落ちそうになるが、そのたびに頑張って考えを巡らせる。

「にははっ、観鈴ちん、まだ寝ちゃだめだよ」

「大事なことを考えているんだからね」

「がおっ、観鈴ちん、ファイト」

窓のカーテンを開けて、部屋を明るくしてみる。起きあがったために、少し眠気が飛んでくれたような気がする。

「往人さんと、本当に仲良くなってもいいのかな……」

「観鈴ちんは往人さんともっと一緒にいたい」

「でも、またわたしが泣き出しちゃったら、往人さんはここにはいてくれないかも」

「往人さん、旅の人だから……」

そう思うと、観鈴は悲しくなった。往人がこの町でなかなか路銀が稼げないという事実を、観鈴はどこかで喜んでいるようなところがあった。

往人の不運を喜ぶつもりはないけれど、まだここにいてくれると知ると安心するのだ。

やはり、往人は観鈴を救ってくれる人なのかもしれない。

「空にいる自分に、会わせてくれるのかな……」

そんな予感もしていた。そのためには乗り越えなければならないものが多くなったとしても。

「観鈴ちん、往人さんに甘えてばかりじゃダメ。まず、明日は頑張って一人で起きる。そして、朝ご飯をちゃんと作る」

直接、往人と会わなくても、往人のために何かすることが出来れば、往人はこの町にまだいてくれると思う。

再びやってきた睡魔に、観鈴はもう逆らわないことにした。


翌日、観鈴は一人で学校に向かった。

きちんと時間に遅れないように起きることが出来たので、遅刻することもなさそうである。

往人と母の晴子はまだ寝ているようなので、三人分の食事を作って、自分の分だけ食べる。

一人の食事も、他の二人分が並んでいるのを見ながら食べれば僅かながら寂しさをうち消してくれる。

「にはは、ごちそうさま」

静かに観鈴は言うと、制服に着替えて学校に向かった。

ここ数日は、遅刻確定の時間だったので、補習の一時間目はいつもさぼりであった。出掛ける往人と一緒に出て海辺で時間をつぶし、校門で別れた後、観鈴は二時間目に間に合うように教室へ向かい、往人は稼ぎを得るために商店街の方に歩いていくのが定番になっていた。

その往人が今日はいない。

決心していたとはいえ、やはり寂しかった。だが、観鈴はそれを甘んじて受けることにした。往人を失いたくなかったので。

ひょっとすると、杞憂なのかもしれない。だが、観鈴にはそれを相談できる友だちはいないと思っていた。だから、自分でそう決めて、頑張ることにした。

その頑張りの、一日目は報われたようである。

補習は何事もなく終了した。

勉強の苦手な観鈴にとって、つらい時間であった。ようやく分かりかけてきた内容を定着させる前に、授業は先に進んでしまう。新しい宿題も、悪戦苦闘は免れないだろう。しかも、今日からはなるべく往人に教わらないようにしなければならない。

補習対象の、少ない生徒達は終了と同時に帰ってしまっていた。

観鈴も、誰もいなくなった教室を見渡した後、鞄に教科書やノートを詰めて立ち上がった。

「わたしも、帰ろう」

そう思った観鈴だったが、一つの心配事に気が付いた。

今帰ると、ちょうど人形芸を終えた往人の帰ってくる時間なのではないだろうか。往人とは一緒に過ごしたいが、少し我慢した方がいいかもしれない。往人の姿を見ると、きっとそうしたくなるだろうから。

「屋上へいこ」

そうつぶやいて、観鈴は誰もいないであろうと思われる、屋上へと向かっていった。

空の下、風の中にいれば寂しさは少しだけでも紛らわされることだろう。

観鈴の髪が風にたなびいていた。

そんな風を受けていると、観鈴の心にどこか心地よいものが流れていく。

往人の存在をどこかに感じながらも、観鈴の中で不規則に動いていた気持ちの流れというものが、整えられていくように思われる。

「うん、来てよかった」

観鈴が赤くなりつつある日を見ながら言った。

夏のひたすらな青空が西の方から徐々に紅に染まっていく。その青と赤の混ざった微妙な色がまた美しかった。色の極みを、まだ青いままである海の色が引き立てている。雲も、場所によっては白く、場所によっては赤くなりつつあった。自然界でなければ出せないような色が、空を支配していた。

観鈴は、そんな複雑な分析をしながら空を見ていたわけではなかったが、その美しさに本能的に魅入っていた。同時に、空にいるであろうと思っている、もう一人の自分に対して親近感を覚える。故郷を見るような感覚だった。

その時だった。

観鈴は屋上の鉄扉が閉じる音に意識を引き戻された。今いる屋上に意識の場所を戻した観鈴が振り返ると、ここにもう一人の生徒がいるということに気が付く。

どこか愁いを帯びたような黒髪が特徴的だった。夕日を顔に受けているということもあってか、どこか寂しそうだと観鈴は思った。

美凪だった。美凪も、ここには誰もいることはないと思っていたのだろう、一瞬、おやっという表情をした。

「遠野さん?」

「はい。神尾さんはどうしてこちらに?」

「空を見に来たの」

「そうでしたか。まだ星が出るには早いですよ。ほら、あそこだけ」

美凪の指差した先には、一番星が輝いていた。宵の金星が、まだ明るさの残る空で独り輝いている。どこか自分のようにも思われた。

「あっ。でもわたしは星を見に来たんじゃないの。さっきまで、青空を見てた」

「そうですか。ちょっと残念です」

そう言って、美凪はポケットから白い封筒を取りだした。

「残念賞を進呈します」

「にははっ、ありがと」

往人のもらったのと同じだろうかと思いながら、観鈴はそれを受け取った。

「だけど、もう青空じゃなくなっちゃったね」

「そうですね。青い空もきれいですが、夕方には夕方の、夜空には夜空の美しさがあります」

「観鈴ちん、難しいことはよくわかんない……」

「難しいことではないです。ほら、星空も捨てたものでないです」

徐々に、星が姿を見せ始めていた。西の空はまだ明るさが残っていたが、東の方ではいくつかの星が存在を主張させ始めている。

「少し、見ていきませんか?」

美凪が観鈴を促して腰を下ろした。

「うん」

観鈴はそれに従い、隣に腰を下ろす。

時々風が吹くと、美凪と観鈴の長い髪を揺らしていく。美凪の持っている独特の雰囲気が、観鈴に届くようだった。それは観鈴にとって必ずしも不快なものではない。

しばらくの間、二人は空を眺めていた。

見ている場所は微妙に異なっていたが、同じ時間を共有している。

そんな安心感も手伝ったのだろうか、美凪が隣にいる観鈴の心を見透かしたかのようにこんな風にささやきかけた。

「神尾さん、何か悩んでいるのでしょうか?」

観鈴は答えなかった。だが、そう問いかけられた瞬間、頭の中に浮かんだのは往人の姿である。この人に友だちになって欲しい。だが、自分は往人のそばにいられることが出来るのだろうか。

沈黙の意味を悟ったのか、美凪は何も言わなかった。

しばらくして、その沈黙に促されるかのように、観鈴は自分の悩み考えていることを美凪に話し出したのだった。

「そうですか……。往人さんとは、あの時お会いした国崎さんのことですね」

「うん、そう」

美凪も、観鈴の癇癪のことは話程度には聞いたことがあった。クラスメイトである観鈴が孤独そうにしているのも知っている。だが、それを今まで関連づけて考えることは出来なかった。それを知った今、美凪は、観鈴のために何を言うことが出来るのか、懸命に考えていた。

観鈴は、空を見るためにここに来たという。ここは、独りになれる場所である。

美凪も、天文部の部活動の準備という目的はあったが、やはり独りになるためにここに来ていたのだ。そういった共通点が、美凪をして観鈴のことを他人事と思わしめなくしていたのだった。

美凪も、ある意味では孤独だった。親友といえる存在のある美凪だったが、それはどこか虚ろげな存在でもあり、幻と現実の境界が動き始める可能性を、いつも怖れていた。

観鈴の孤独を救うことが、美凪にとってどういう意味を持つのかは分からなかったが、今、このクラスメイトの子には、孤独には縛られていて欲しくない、そう考えていた。

やがて美凪は、こんな風に言った。

「神尾さんは、もっと勇気を持ってよいと思います」

「そうかな……?」

「はい。神尾さんが国崎さんに何かを感じたのでしたら、それは今までお友だちになろうとした人とは違うものを持っているからだといえるのではないでしょうか」

「が、がお……」

 難しい言い回しに、混乱を見せる観鈴。

「ですから、国崎さんとしっかり向かい合ってはどうでしょうか?あの人がこの町を出てしまってからでは手遅れだとは思いませんか?」

一緒にいたくてもそうすることの出来ない人もいるのだから……。話しながら美凪はそう思っていたが、それは言葉にはしなかった。

「うん。観鈴ちん、がんばってみる」

「その意気です、がっつ」

美凪がガッツポーズをして見せた。普段真面目な美凪の、そんなポーズがおかしくて、観鈴は思わず笑い出した。

「……ちょっとショックです」

残念そうな顔をする美凪。

「ご、ごめんなさい」

慌てて謝る観鈴。

だが、それはどこか心の温まる風景だった。

すっかり日の暮れた屋上で、観鈴も綺麗だと知った。

「わたしは帰るね。遠野さんは?」

「私は部活なのでもう少しここにいます」

「うん、それじゃあね」

「はい」

観鈴は、朝とは異なった気持ちで家に帰っていった。

それから数日後のことだった。

観鈴は、夕食を終えた後に往人をトランプ遊びに誘った。

「またか、好きだなあ」

「うん、往人さん、遊ぼ?」

「しかし、補習の宿題があるんじゃないのか」

「が、がお……」

困った顔をする観鈴。今日は何とか開放されるかと思っていたが、そう甘くはなかったようだ。

「だったら、往人さん、宿題手伝って?」

「何故、俺が……」

「往人さんと手分けしてやれば、早く終わってトランプも出来る。一石二鳥」

「俺にとってメリットがないと思うんだが」

「手伝ってくれたら、明日のご飯は豪華にする」

「なにっ?」

豪華な食事とはいっても大したものではなさそうなのは容易に推測できたが、それでも往人の心は、いや寧ろ体が鋭敏に反応していた。

「観鈴ちんが、腕によりをかけて作る」

「頼もしいな」

「うん。観鈴ちん、ファイト」

「だけど、俺が手伝うのは一部だけだ。そうじゃないと観鈴の補習の意味がないだろう。テストとかあるんじゃないのか?」

「うん……。明日、確認テストある」

「だったら観鈴自身でやっておかないと、明日まずいんじゃないか」

「そうかも……」

なんとか理屈を付けながら、観鈴になるべくきちんとやらせようとする。娘を教育しているようで、どこかおかしく感じられた。

「だったら、はじめようか」

トランプ遊びをするという目標があるからだろうか、観鈴は割合に頑張って勉強をした。往人にとっては少々残念なことに、観鈴が課題を終えたときには、まだ少し寝るまでに時間の余裕があった。

「やった。往人さん、始めよう?」

勉強道具と一緒に用意していたトランプの箱を笑顔で取り出す。約束ではあるから仕方あるまい。二人で遊べるトランプのゲームなどは種類が限られている。観鈴と遊ぶことというよりも、すぐに飽きが来てしまうことの方が往人にとっての不満要因だったのだが、観鈴の方は全くそんなことは感じていないようだった。

「今日は七並べしよう?」

「マジか?」

「うん」

「この前やったボードゲームの方がよくないか?」

タイルを並べて、道や町などを作るゲームがある。このゲームが今までやった中では唯一、二人でも楽しめたゲームであったといってよい。

「でも、あのゲーム、難しいから」

ルールは複雑でないのだが、コツというものがあるようだった。それを先に見つけた往人が、前回は四戦四勝と圧倒した。

「そうか……。少し観鈴にも勝たせておくべきだったか」

そんな後悔をしてみるが遅かったようである。

一方、七並べを二人でやっても面白いはずがない。だが、観鈴はそんなことを気にせずに切った札を二人に配り始めた。

笑顔を見せ、やる気満々である観鈴を見て、往人は腹をくくることにした。

「わたしからだね」

観鈴が札を置いた。

往人も続けて置く。

どう考えても手詰まりになることなど考えられなかった。

しかし、ゲームが中盤まで進んだとき、お互いリズミカルに進んでいた手が、観鈴の手番で急に止まった。

「どうした、観鈴。置くところなんかいくらでもあるだろう?」

「……」

観鈴は俯いたまま何も言わなかった。

「どうした?」

心配になった往人が声を掛けようとしたとき、観鈴は往人の全く考えていない反応を示した。

「ぐすっ、うっ……」

観鈴が急に泣き出したのだ。最初はくぐもった嗚咽に近かったが、すぐに大きな鳴き声をあげ始める。

「何かあったのか、観鈴」

そう声を掛けながら、往人は泣きわめく観鈴の肩に手を置こうとした。だが、観鈴はその手を力一杯に振り払った。

はね除けられた手と、観鈴を交互に見つめる往人。

一体、観鈴に何が起きたのだろうか。あまり観鈴に対して優しく振る舞ってはこなかったかもしれないが、それはあくまでも表面的なものだと思っていた。年下の、自分に対して無警戒な女の子に対して、どう上手く接するべきかわからなかったという面が大きい。食事や宿の恩は忘れてはいなかったし、決して観鈴と一緒に過ごすのが不快だったということもない。寧ろ、ある種の居心地の良さに、堕落しかねないとも思っていたのだ。

挿絵2 この町で、人形芸でお金を稼ぐのはもはやほとんど期待できそうになかった。単に外に出ているだけでも嫌になってくるほどである。最近知り合った小憎たらしいツインテールの女の子と、暇潰しにお茶に付き合わせる診療所の女医師くらいしか往人の相手をしてくれる人間はいなかった。しかも、彼女たちは絶対にお金を落としてくれそうもない。

だから、目の前で泣き続ける観鈴を見て、往人は狼狽した。なんとかして泣きやませようとしてみるが、それはことごとく失敗した。

ついに往人は諦めざるを得ず、静かになるまで観鈴のことを見守るのみとなった。

一時間近くたっただろうか。観鈴はようやく泣きやんだ。

というよりは、泣き疲れて寝てしまったと言った方がよい。

おそるおそる観鈴に近づきながらその体に触れた往人は、ようやく拒絶されないくなったのにほっとして、観鈴を抱きかかえてベッドの上に寝かせた。観鈴の体は、予想していた以上に軽かった。もともと華奢な子だとは思っていたが、まるで鳥か何かであるように、質量というものをあまり感じさせない体に思えたのだった。

観鈴の体に触れた瞬間、観鈴の体温と共に別の種類の温かさを往人は感じた。だが、その正体は分からず、今は落ち着いた観鈴を刺激しないことが最優先と考える。

部屋着の、割と薄い格好でいたことがこの場合は幸いしたかもしれない。少女と女の狭間にある観鈴の体に触れ、自らを律しながら、往人は横たえた観鈴の体に毛布を掛けてやった。

今の観鈴はもう落ち着いており、静かな寝息を立てていた。

途中のままになっているトランプの札の並びと、放り出された観鈴の手札が、先ほどあったことが紛れもなく現実であることを示している。

すっかり寝入ったことを確認して、往人は観鈴の部屋を後にした。

「いったい、どうしたというんだ……」

往人はそうつぶやかざるを得なかった。

「……と、そういうわけだったんだが」

帰宅した晴子と差し向かって酒を飲みながら、往人は説明した。

微妙な話であるから、多少酒が入ってから切り出した方がよいだろうという往人の判断だったが、それは間違ってはいないようだった。

晴子の酒も、こういった話を理解不能になるところまで進んでいたわけではなく、逆に、晴子の酔いを抑えるような形になった。

「そうか、あの子がなぁ……」

「心当たりがあるのか?」

「ああ、今に始まったことやない。だからあんたを家に置くにはあまり気が進まなかったんや」

「悪い、もう少し詳しく説明してくれないか」

「あの子はな、時々ああやって癇癪、起こすんや。ああなってもうては、止めようはない」

「……」

「どうやら、誰かと仲良うなると起こるようなんや。観鈴はあんたが気に入っていたようやから、うちは心配しとったんや」

「そうか……」

「あんた、少し前に、うちが観鈴に母親らしいことしてへん言うて責めたことあったやないか」

「ああ」

「これで、そのわけがわかったやろ」

「……そうだな」

晴子と観鈴の距離が近くなれば、観鈴は晴子を否定してしまう結果になる。一緒に住んでいるのだから、絶対にそうなってはならない。そのためには、晴子は観鈴とは近くなってはならないのだ。ある一定の距離を保ちながら暮らさねばならない。

苦しい矛盾を内包した親子なのだ。

「それやと、あまりにもあの子は不憫や。だから、あんたがその救いになってくれるとどこかで期待してたん。でも、難しかったようやな」

「期待に添えなくて悪かったな」

「いや、期待したのはうちの勝手やから気にせんでええ。悪かった思うのはうちのほうや」

往人が注いだ酒を、晴子が一気に飲み干した。往人のコップにも晴子の手によって酒が注がれる。

「俺は、果たして観鈴に何をしてやれるのだろうか」

酒も手伝ってか、往人はそんなことをふと口にした。

「あんたが、観鈴にか……。うちがそんなことを期待してはいかんのかもしれないけどな……」

「いや、変な意味でなく、俺は観鈴に何かしてやりたいと思っている」

「そやな。うちも根拠なんか持ってへんけど、ひょっとするとあんたは観鈴を救ってやれる存在なのかもしれへんと思うことがあるわ」

「そうか……」

「理由はわからんけどな」

「ああ……」

再び、晴子がコップに入った酒をあおった。往人もつられるように酒を口に運ぶ。

深刻な話をしながらも、場が暗くならずに済んだのは、この酒のおかげであると言えなくもなかった。

観鈴が静かに寝ている頃、観鈴の近くにいるべき二人の人間は、そんな話をしているのだった。


その翌日。

観鈴はこの日もひとりで学校に向かっていた。往人は晴子にかなり遅い時間まで酒を付き合わされたらしく、居間で倒れるようにして寝ていた。晴子の方も、自分の部屋で軽やかな寝息を立てていたので、二人の邪魔をしないようにそっと起き出した。

「往人さん……」

昨晩は納屋に追い出されるのは免れたようだ。

少しだけ安心しながら、往人を起こそうとした観鈴だったが、数秒ほど躊躇して、結局、それは止めることにしたのだった。

あまり細かい記憶はないのだが、トランプをしていたときに往人の前で泣き出してしまったらしい。

朝起きて、散らかったままのトランプを見た観鈴は、何が起こったのかをすぐに悟った。ひょっとすると、往人は自分を嫌いになってもうこの家を出ていってしまったのではないかと心配したが、居間に毛布も掛けずに寝ころんでいる往人の姿を見て、ほっとしたのだった。

目が覚めたとき、ベッドの中にいたから、ひょっとすると往人が自分を寝かせてくれたのではないかと思う。そうだとしたら、往人は自分のことを拒絶したのではないと思ってもよいのだろう。

昨日の出来事は、観鈴にとってショックではあったが、最悪の事態にはならなかったことに慰められた。

だから、今日は往人を起こさずに、一人で学校に行こう。

そう観鈴は決めた。往人と一緒にいて、また癇癪を起こしてしまうのではないかという恐れもある。

ただ、今日は朝食は用意できなかった。既に、補習の始まる時間を過ぎてしまっていたからである。

「が、がお……。遅刻確定」

ようやく制服に着替えた観鈴は、もはや走らずに学校に向かっていく。

今日も晴天だった。青空と大きな雲が夏の太陽に力強い背景を与えている。

「もっとしっかりしないと」

そう言いながら、割とのんきに観鈴は学校に向かっていった。

「おはようさんだよぉ」

観鈴は、校門の近くでそんな声に呼び止められた。

そんな明るい声に振り向いてみると、前に屋上で出会った制服姿の女の子が笑顔を見せているのに気が付いた。

「あっ、佳乃ちゃん」

「観鈴さんも今日は学校なのかな?」

人なつっこい言い方は、観鈴との距離を縮めてくれるように思える。これが佳乃が先天的に持つ魅力なのかもしれない。

「うん。観鈴ちんは補習。でも、今日は遅刻しちゃった。にはは……」

苦笑いをしてみせる観鈴。本当は「今日は」でなく「今日も」なのだが、細かいことは気にしていない。

「かのりんは、今日は重大任務があって来たんだよぉ」

「じゅうだいにんむ?」

咄嗟に意味の分からない漢語を突きつけられて、観鈴が聞き返した。

「かのりんは飼育委員さんなのでした。だから、今日はうさぎさんたちに食事を持ってきたの」

「あっ、前に聞いたね。動物さん達も暑くて大変だね」

「うん。小屋もきれいに掃除してあげないとねぇ」

佳乃は、飼育係という仕事が好きらしく、楽しそうに話している。

「あ、佳乃ちゃん、おはよう」

ちょうど校門をくぐるときに、佳乃の同級生らしい女の子が二人並んで駆けていった。制服姿の佳乃や観鈴に対して、こちらは体操着姿である。眩しいほどに白い体操着と、ラインの入ったジャージのズボンが快活さを感じさせる。

「うん、おはよう」

「佳乃ちゃんは飼育係?」

「そうだよ。真由子ちゃんたちは部活?」

「うん。今日は暑いから大変そう」

「頑張ってね〜」

佳乃が手を振ると、二人も元気に答えてくれた。そして、グラウンドの奥にある部室棟の方へと向かっていった。

「佳乃ちゃんのお友だち?」

観鈴が聞いた。

「うん。かのりんの親友一号さんと二号さんだよ」

「佳乃ちゃんは、友だちがたくさんいてうらやましいな」

佳乃たちのやりとりを見て、観鈴が本当にうらやましそうに言った。観鈴は、クラスの子たちともほとんど話したことがないのだ。

だが、観鈴の予想に反して、佳乃は一瞬、寂しそうな表情を見せた。

どうしたんだろうか……。観鈴はそう思ったが、佳乃の表情はすぐに、それが嘘だったかのようにいつもの元気なものに戻った。

「ぴこぴこっ」

観鈴の後ろから、前にもあったことのある珍妙な生物が姿を現した。確か、ポテトという名前だったか。

「あれっ、どうしたの、ポテト?」

何かを口にくわえている。

「ぴこっ」

「あっ、そうだね。忘れてたよぉ」

「ぴぴこっ」

「うん、ありがとう」

「ぴこぴっ」

「あ、この人はね、かのりんのお友だちさんだよ。観鈴さんっていうんだよぉ」

「ぴこっ」

よく分からないやりとりだったが、会話が成立しているようである。不思議そうにそれを眺めていた観鈴に、佳乃が言った。

「ポテトが、よろしくって言ってるよ」

「にははっ、観鈴ちんもよろしくっ」

観鈴がそう言うと、ポテトはそれが分かったのだろうか、後ろ足立ちになって、ぴこっと言った。それがお辞儀をしているようにも見えて楽しかった。

「やっぱり、佳乃ちゃんがうらやましいな」

「そんなことないよ……。かのりんには親友さんが何人かいるけど、本当のお友だちには未だ会ったことがないから……」

さっきと同じ、寂しそうな表情をしていた。

それを見た観鈴は、何故か不安になった。一見、明るくて社交的な佳乃の奥にある寂しさを、敏感に感じ取ったからである。それがどういう種類のものであるのかは分からないが、長い間寂しさを持ち続けてきた観鈴の心のどこかで、佳乃の持つ空虚に反応したのだといってよい。

「観鈴さんが、かのりんの本当のお友だちになってくれるといいな……」

どこか遠くを見るような目で、佳乃が言った。ポテトがそんな佳乃をどこか心配そうな表情で見上げている。

「うん……」

観鈴は、自然にそう答えていた。自分がひょっとすると佳乃の友だちとして何か役に立つことが出来るかもしれない。そういう予感と期待があった。どこかお互いの知らない場所で、観鈴と佳乃は共通したものを持っていたのだ。

この夏の、観鈴のいくつかの出会いが、それを通して何かを動かそうとしていた。

そこにある壮大な悲しみは、まだ気付かれることはなかったのであるが……。

校舎の方から、チャイムの音が聞こえてきた。

どうやって補習授業に潜り込もうか考えていた観鈴だったが、もうそれを考える必要はなくなっていた。次の時間が始まる前に教室に入り込んでしまえばよい。つまるところ、今までとは大差はなかった。

「それじゃ、観鈴ちんは行ってくるね」

「うん。かのりんも任務達成に向けて出発っ!」

運動部の生徒達もぼちぼちとグラウンドに姿を見せ始めていた。

夏の日の午前中。暑さはこれからまだまだ厳しくなりそうだったが、明るい日差しと青空が、そんな彼女たちに大きな元気を与えてもいるのだった。

第3章へ

上に戻る


(c) 高津本陣・徐 直諒 since 1999.12