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ドイツ旅行記・7日目

翌日、7日目。

フランクフルト連泊ではあるが、フランクフルト自体にはそれほど観光名所もないので、買い物(ブランド品とか?)に興味がない身にとってはあまりおもしろみのない町になってしまう。

そこで、今日は日帰りでライン川沿いにあるボッパルトという町を訪ねることにした。

ライン川沿いといえば川下りとワインの名産地。地元のワインに大いに期待できそうである。

ライン川沿いには古城や小さな町がいくつも並んでいて川下りの観光客を魅了するのだが、その中で特にボッパルトに白羽の矢を立てたのはある理由があってのことである。

私の友人が東京の青梅に住んでいるのだが、ボッパルトはこの青梅と姉妹都市になっているのである。一度、友人に誘われて青梅の「ボッパルト交流祭」みたいなものを見に行ったことがあるのだが、今回、やや中途半端に出来た時間でこのボッパルトを訪れてみようと思い立った次第である。

さて、ホテルの朝食であるが、普通はホテルの1階にあるレストランで、ということになるのだが、このホテルにはそういう設備はなく、指定した時間におばちゃんがパンとコーヒーを部屋に持ってきてくれた。朝食は本当にパンとコーヒーだけ(ジャムとバターはついているが)の本当にシンプルなものである。

ちなみに、お世話になったホテルの名誉のために付け加えておくが、ホテルのおばちゃんやボスは親切であったし、部屋も質素ではあるが清潔であった。

食事を済ませてから出発し、駅へ向かう。

少し時間があって本屋に寄って鉄道雑誌を買ってみたりして、目的の列車に乗り込む。地上部だけで24番線まである大きな駅だが、昨日のうちに発車ホームをチェックしておいたので迷わない。

二階建ての列車に乗り込み、川のよく見える右側に座った。

定刻になると何の前触れもなく静かに発車した列車は、空港駅、オペルの工場に隣接したオペルスヴァルケ、印刷術で有名なグーテンベルクの生まれたマインツを過ぎ、いよいよライン川沿いへ入っていく。

しかし、次のビンゲンまでは川沿いの平地も広いので線路が川に肉薄することもなかったのだが、そのビンゲンを過ぎると、いよいよ有名なローレライに近づき、両岸の山地が川に迫ってくるので、線路も川のすぐ近くを走ることになる。

昔から水運の用に供せられたライン川では、両岸の領主がその船に対して通行税を取るようなことを行っており、そのための城もいくつも残っている。山の上にある城は今では古城ホテルとなっているが、フランス、ドイツで領土争いが盛んであった中世には防衛上の要衝でもあったのだろう。

列車はおよそ10分ほど遅れてボッパルトへ到着した。

駅はさほど特徴のないシンプルな造りであった。

町の中心部から見るとやや北側に位置している駅を出て、青梅ボッパルト友好協会のサイトから落として印刷してきた地図を参考に歩き始める。

それほど規模の大きい町ではないので、滞在時間を4時間ほど取っていたのだがそれでも余裕があった。

ボッパルトの町並み まず最初は、人通りの多い賑やかなメインストリートを歩いて町の中心であるマルクト広場までやってきた。大きな白壁の教会が建っており、印象的である。しかし、この日の教会も残念ながら中の見学は出来なかった。

このマルクト広場までの通りは商店街のようなものであり、銀行から花屋、レストランまで並んでいる。肉屋があったりもするが、値札の単位がキログラムだったりして豪快である。途中、「クリスマスハウス」という土産物屋があったので覗いてみたが、その名に違わず、サンタや雪だるまといったクリスマスを彷彿とさせる人形や飾り物がたくさん置いてあった。

ローマ時代からの城壁 マルクト広場から少し戻り、線路沿いの道に出てみる。ここには古くローマ時代に建設されたという城壁が残っている。勿論、中世にかけて手入れが行われたので全てがローマ時代のものではないのだが、それでも古めかしい城壁が残っているのを見ると感動的である。その先、小路を歩いていくと、中世の門にたどり着く。この城壁の規模から考えると、中世のボッパルトはそれほど大きな町でもなかったようである。

ここから直角に曲がり、川の方へと進んでいく。

川岸は公園になっていて、のんびりとした雰囲気であり、木陰の涼しさを感じながら北の方へ歩いていく。

城 次の見どころは、トリア選帝侯の城(領主の館)である。外見は白壁に煉瓦色の窓枠や屋根という意外にシンプルなものだが、それがかえって歴史を感じさせる。

中はボッパルトの資料館になっており、入場無料だと書いてあるので中を見学することにする。

展示は大きく二つに分かれており、一つは館の塔を使ったもので、二階から四階にかけて、発掘されたローマ時代の土器から中世の武器や生活用品、そして礼拝堂までいろいろな品物が展示されている。電子辞書を頼りにそれらを見ていく。

もう一つは管理人もいるもう少ししっかりした展示室で、ワイン醸造に関係する品物(醸造に使う器具や樽など)、現在の特産品になっている木と籐の椅子、そしてシーボルトを通じた日本との関係が展示されていた。日本に関する展示は勿論、この町が青梅と姉妹都市であるからだろうが、そのフロアの入り口に日本から寄贈されたという安土桃山時代の戦国武将の鎧というのが私の意表を突いた。

ここまで見て歩くと、ちょうどお昼になっていたので、マルクト広場にテラスを出しているレストランで昼食を取ることにする。

教会を見ながら昼食 メニューに英語があって助かった。値段も手頃なところでポークカツレツのマッシュルームクリームソースというのがあったのでこれを注文し、ビールもついでに頼む。

これまでの町歩きと同じで、いい感じに疲れていたのでビールが美味しい。

ポークの方も、これまた意外なことにさほど塩辛くなく、美味しくいただくことができた。山のように添えられているフライドポテトが凄かったが、何とか全て食べ終えるとすっかり満腹になった。

再び川辺に出て歩いてみることにする。

川下りの船の着く船着き場の近くには豪華なホテルやレストランなどが並んでおり、華やかな風景である。しかし、船が着いて人が降りるとにわかに賑やかになるが、そうでない時間は割とまったりとしている。

時間に余裕があり、食後の運動も兼ねて町の外れの方まで歩いてみた。

ボッパルトはワインをよく産する土地でもあるのだが、そのワインはライン川が蛇行している場所の外側の傾斜地に広がる葡萄畑で産出したものからつくられるという。その葡萄畑をよく見ることが出来る町外れまでやってくると、ちょっとした公園になっていた。入り口をよく見ると、ドイツ語の表記と共に漢字で「青梅公園」と彫られた石が設置されていた。花に囲まれており、日本人として何となく嬉しくなる。その傍らには日本から運ばれた物であるらしい灯籠が置いてあり、この町とのミスマッチが楽しい。

公園で川や葡萄畑を見ながら佇んでいると、遊びに来ていた10歳くらいの女の子がしばらくこっちを見ていたが「ハロー」と声を掛けてくれたのでこちらも笑顔で「ハロー」と返す。「グーテンターク」の方がよかったかなとも思ったが。

青梅公園から町の中心部を望む 青梅公園までやってきた後は、もう一度船着き場の方まで戻る。川沿いのカフェに立ち寄り、グラスで提供してくれるボッパルトのワインを休憩がてら飲んでみることにする。黒地のワンピースに小さめの白いエプロンというお姉さんの服装が何となくクラシックな感じでよい。

ワインは、甘口が有名なドイツ(ラインワイン)の中で、あえてトロッケン(辛口)を選んでみたが、さっぱりしていて美味しかった。

そして、マルクト広場に面したお店でお土産用のワインを買った。荷物の都合上、ハーフボトルにしたかったのだが、フルサイズしかないというのでそちらを購入。値段もその分少し張ったが、宿代で懐には少し余裕が出来ていたのでよいだろう。

そのまま駅まで歩き、近くにある古めかしい塔の写真を撮って駅に入る。

運良く、予定よりも一つ早い列車が出るところだったのでそれに乗ってしまった。


ここからコブレンツという町まで向かい、そこから川とは直角の東方向へ行くローカル線に乗ることにしていた。

ローカル線の車窓から 非電化のローカル線は、最初のヘッヒンゲンに向かった路線に似たようなよい雰囲気で、両側が山に挟まれた小さな川沿いを快適に進んでいく。

2時間程度という長すぎも短すぎもしない旅を味わった。通路を挟んだ向こうの席には、迷彩服を着た体つきのよいお兄さん(おそらく軍人)が乗っていたので少し緊張したが……。

そのローカル線でギーセンという町までやってきて、フランクフルト行きの特急に乗り換える。こちらの列車は割と混雑しており、本を読んでいる老婦人の隣りに空席を見つけてようやく座る。

今更ながら気が付いたことだが、日本での新幹線に相当するICEよりも、特急列車であるICの方が利用率が高いようである。フランクフルトでは隣の老婦人も降りるので、棚に載せてある荷物を降ろすのを手伝った。女性や年輩の方に対する礼儀として当然であるので(ドイツではたぶん)何となくそれを求められることも嬉しかった。

フランクフルトに着いてからは、またハウプトヴァッフェへ立ち寄って買い物をして、ホテルに戻った。

明日は飛行機で帰るだけであるので、旅行はほぼこれで終了。

小物ばかりであるが結構、物を買い込んだのでここからの荷造りがまるでパズルのようである。

きちんと機内持ち込み可能な範囲で収まるとよいのだが……。

こうして、およそ一週間にわたる3度目のドイツ旅行は終わりを告げたのだった。

この旅行記を書くにあたって、持参したガイドブック、現地でもらったパンフレットをはじめとして、多くの資料を参考にさせていただきました。歴史的な説明をする場合にはネットの情報も役に立ちました。個別にそれらを列挙することは割愛させていただきますが、これらの資料や情報には大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

また、この旅行記は筆者の主観で書かれているため、現実のドイツと異なっている部分があることもあり、また各記述についても詳細に調べたわけではありませんので事実誤認などがあるかもしれません。それはご承知おき下さい。

最後に、ここまで読み進めてくださった方、ありがとうございました。

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