車を走らせて、ついに築別炭鉱に到着しました。
最盛期は羽幌炭鉱と合わせて3万近い人が住んでいたそうですが、廃止になって40年近くたって、すっかり自然に溶け込んでしまいました。当然、携帯電話も圏外、何かあったらどうしようもありません。こんなところに人来ないですし。
まず最初に目に入ったのは、崩れかけた家屋。これは診療所だった建物だそうです。確かによく見てみると玄関のあたりが民家ではなく公共の建物っぽい。
足元に気をつけながら慎重に中を覗いてみると、予想通りかなり荒れておりました。今すぐ崩壊するというものでもないでしょうが。
橋を渡って、炭鉱及び周辺施設の中心部へ。
奥の方に高くそびえる煙突が見えますが、さすがに森の中をつっきってそこまではいけないようです。あれに肉薄したかったら、雪が溶けて草が伸びるまでの限られた時期に来るしかないのでしょうね。
煙突とは反対側を見ると、この地域では一番の遺構である住宅があります。
昭和時代の団地ですね。
炭鉱で働いていた人は単身者が多かったということなのでしょうか、風呂も台所もない間取りの独身寮という感じです。
……というのが分かる程度に中にお邪魔してみました。建物は木に半ば隠れるようになっていて、その木が育つまでの年月をリアルに感じさせてくれます。
冬の雪や何度かあった地震に耐えているというのは大したものです。慎重に中を覗いてみましたが、コンクリート造りであるため、階段などはしっかりしています。床板とかは危険そうだったので中には入りませんでしたが。
最後に、途中で見かけたホッパーの遺構を。まだ看板の文字も読める程度には残っています。
内部はやはり荒れている模様。