今回は大物の深名線訪問記です。
廃線跡探索を趣味にするようになってから、実は何度か来ているとても思い入れのある路線なのですが、実は全線を探索したことはなかったのです。
一番はじめに沿線を見たのはもう五年以上前になりますが、重ねてみたところでいろいろ変わっていますね。
長大路線なので、日帰りレンタカーですと、時間との戦いになります。
まずは起点の深川駅。
ここから旭川方に少し走った後、深名線は北にカーブしていきます。その分岐点は踏切の近くで、そばまで路盤の跡が残っています。
その先、丸山の手前で地図上、道が不自然なカーブを描いているところがあるのでそこを線路が通っていたと読んだのですが、そのカーブは整備されてしまって跡があったとしてもわからなくなっています。
丸山付近もよくわからないのでそのまま通過しました。
県道をそのまま進み、上多度志方面へ向かいます。道路と線路跡は離れているので追跡は無理ですが、途中の多度志トンネルを抜けた先が線路跡のすぐ隣になります。
多度志方から脇を見ると、線路跡の奥に塞がれたトンネルポータルが見えます。
その後は築堤が少し残り、川を渡った先で東西方向に通る道道を越え、北側に出たすぐ先が上多度志駅跡です。
駅跡は更地になって何も残っていませんが、隣接する農業倉庫があるので場所は特定しやすくなっています。
その先は道道に沿って線路跡が続きます。深名線は開通も古く、規格の高い路線ではなかったため、路盤は畑のあぜ道と区別がつきにくい程度のものです。この先、鷹泊まではこのようにおおむね線路跡が残っていますが、残念ながら畑に帰って跡形もなくなっている区間もあります。
多度志の市街地の手前で線路は右にカーブして中学校の裏手を通り、多度志駅跡に到着します。
中学校から続く小さい道の坂を下ったところに新しめの農業倉庫が並んだ広い場所があり、そこが駅跡かと思ったのですがそうではなく、例のごとく不自然な道道の延びた突端が駅跡のようです。近くにバス停もあるのでやはりここなのでしょう。
今の季節はタンポポなどの花が咲く時期らしく、廃線跡のあちこちで黄色い花を見ることができました。
多度志から先は、国道二七五号線沿いに進みます。深名線は豪雪地帯で道路が整備されていなかったために
廃線になるのが比較的遅くなったのですが、深名線を廃線に追い込んだこの国道が、探索では役に立つというのが皮肉なところです。
次の宇摩駅跡ははっきりしません。線路跡はわかるのですが、バス停の近くにある駅前商店らしきものの存在から推測するしかないようです。向かいにある公民館は廃校になった小学校の跡地に建てられたもののようで、今回の探索では線路跡に関連するようにあちこちに廃校が見られます。
次の幌成駅も、やはりコミュニティセンターになった小学校跡の近くにあったようです。これもはっきりとはわかりませんが、農業倉庫その存在からも何となく予想がつきます。小学校跡の敷地にはおそらく木造校舎をそのまま使っているであろう郷土資料館があるので、深名線関係のものが何かないかと期待しましたが、残念ながらほぼ物置と化しているようです。
ちなみに、有名な貨車を使った幌成駅舎はその手前の建設会社の敷地にありました。
次の下幌成も不明でしたが、更に進んだ鷹泊は駅舎がしっかり残っています。駅前通りが道道でないので地図からはわかりにくいのですが、また農業倉庫が目印になります。
駅舎は深名線では基本といえるようなスレート屋根の木造家屋風のものです。窓は板でふさがれており、中も放置された倉庫状態ですが、外観はいい感じに残っています。灯油タンクまでありますね。
裏手に回るとホームも雰囲気そのままで、よく観察すると改札口の様子もわかります。ホームのコンクリートには黄色と黒の警戒色の塗装も残っています。駅の深川方にある倉庫も侘びしく残っています。
ここから、幌加内へ向けて峠越えになります。線路は国道からは見えないところを通ることになりますが、峠の頂上の少し手前に線路跡をまたぐ跨線橋があり、ここから線路を見ることができます。
国道の幌加内峠は、新線を建設している途中らしいですが、これが出来ると線路跡はどうなるのか少し心配です。うまくすればより廃線跡にアクセスしやすくなるのですが……。
幌加内峠を越えると下幌加内ダムを挟んで向こう側を線路が通ります。接近してみたかったのですがダムの敷地には関係者以外入れないので断念。ですが、しばらく進むとクマザサの茂みの向こうに線路跡が見えます。
この区間、よく観察すると一カ所だけ、キロポストが残っているのがわかります。
次に、国道から少し入った不自然な場所にあるのが沼牛駅です。
ここも駅舎とホームがしっかり残っています。状態も先ほどの鷹泊駅と同じような感じで、駅の構造も似た感じです。
この近くはそば畑が広がっており、八月下旬くらいに訪れたときには駅の近くまでそばの白い花がたくさん咲いていました。
その先、線路跡が車でも通れそうだったので挑戦してみたのですが、途中で山菜採りかなにかの車が道をふさいでいたので諦めました。バックで1キロ近く戻るのは骨でしたが……。
迂回して新成生近くにある切り通しの後を見ます。道路からみると斜めの角度で線路跡は伸び、市街地に南から入り込む形で幌加内に到着します。
「松家食堂」という蕎麦屋の前が駅跡で、バスの待機所も設けられています。廃止後も駅舎が残っていましたが、火災で焼失していまったとのこと。現在は線路と駅名標でモニュメントのようになっています。
松屋食堂で昼食をとりましたが、店の中には深名線の写真や深名線のレールなどがさりげなく飾ってありました。
さて、幌加内には国道沿いの町の中心部にバスターミナルがあり、ここの二階が深名線資料館になっています。沿革などを説明した資料や各駅の遺物、現役当時の写真などに加えて深名線のビデオ上映もあるなかなかの施設なのですが、この日は休館になっていました。たまたまお休みだったのかそれとも閉鎖されてしまったのか不明です。