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「希望の灯り」 全国へ
2001.2.17〜2001.3.17
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 1月17日から2月16日の「希望の灯り」の動きは前ページ
 2月17日 松江 ⇒ 米子
 日本海新聞 2001年2月18日
米子についたランナーたち阪神・淡路大震災でお世話になった全国の人々に、「希望の灯り」と感謝の気持ちを届ける神戸市の市民ランナー3人が17日、米子市に到着。同市錦町一丁目のふれあいの里で、市民約250人が、がいな太鼓などで出迎えた。

神戸で1月17日から開かれている「神戸二十一世紀・復興記念事業(KOBE2001 ひと・まち・みらい)」の一環で、市民ランナーが「希望の灯り」を持って全国47都道府県の約6500キロを走っている。

50人のランナーは全国14ブロックに分かれ、各地域に「希望の灯り」を届けている。山口県下関市から米子市までのブロックを担当した大阪府枚方市の学生、来住宏樹さん(21)ら3人は、12日に下関を出発し、17日夕に米子市に到着した。  

3人は、米子市ボランティア協議会の別所清平会長や森田隆朝米子市長に「震災の時は激励をいただきありがとうございます」とあいさつし、「希望の灯り」と笹山幸俊神戸市長からのメッセージを手渡した。

森田市長は「立派に復興した神戸にエールを送るとともに、私たちも震災の経験を持っているので手と手を取り合ってがんばりたい」とこたえた。
 2月19日 米子 ⇒ 鳥取
  新聞 2001年 月 日
 2月20日 鳥取 ⇒ 豊岡
  新聞 2001年 月 日
 2月21日 豊岡 ⇒ 枚方
  新聞 2001年 月  日
 3月1日  糸魚川 ⇒ 長野
 信濃毎日新聞 2001年3月2日
全国リレー「希望の灯り」が長野に到着 神戸市民、支援にお礼  
阪神大震災で受けた支援への感謝を込め、神戸市から同市民の手で全国にリレーされている「希望の灯(あか)り」が一日、長野市に到着した。市民ランナー四人は震災時に受けた長野県民の支援にお礼を伝え、地元のボランティアと交流した。

同日朝、新潟県糸魚川市を出発した「灯り」は、午後二時すぎ、上谷聡子さん(19)=神戸市西区=の手で、ボランティアら約百人が待ち受ける長野市若里の県社会福祉総合センターに到着。トーチからランタン(手提げランプ)に移された後、受け入れ側の県社協の高槻保臣常務理事に手渡された。

上谷さんらランナーたちは「震災のことを口に出すのはつらくてこれまで伝えることができなかったけれど、全国の人からもらった優しさや思いやりを忘れてはいけない」などと、震災の体験を語った。

リレーを含む復興記念事業については田中康夫知事が一月、「空虚なセレモニー」などと批判。この日参加した神戸市民の一人は「復興記念事業は最初から市民と行政が一緒につくってきた。事業のすべてを否定するのは違うのではないか」などと話した。一方、田中知事は同日夜、「復興記念事業は純粋な神戸市民の善意をいささかもてあそんでいる。空疎なイベントだ」との認識をあらためて示した。

リレーは十四グループに分かれており、この日長野市に着いた「灯り」は二日に佐久市、三日に甲府市に到着する予定。
 3月下旬 青森県
東奥日報 2001年1月17日
阪神大震災「希望の灯り」青森へ

一九九五年一月十七日に発生した阪神大震災。みぞうの大被害に駆け付けた県内のボランティアたちは、六年たった今も熱い気持ちを持ち続けている。被災地で出合った人々の温かさ、深い傷跡から生まれた絆(きずな)、続く交流 当時、たった一人で現地へ飛び込んだむつ市の歯科医師高瀬厚太郎さん(50) や、弘前市の会社員佐藤晶子さん(26) もあの時の思いは生涯消えることはないという。全国へ感謝の気持ちを伝えようと十七日に神戸市を出発する「希望の灯(あか)り」が三月下旬、青森市に到着する。県内のボランティアたちは手を携え復興の使者を迎えようとしている。「これからも頑張って」との言葉を添えて−。
弘前・佐藤さん

「行かなくちゃ」。九五年一月十七日、次々増えていく死者や被災者。専門学校生だった佐藤さんは、現地の信じられない悲惨なニュースを目にし、激しく心が突き動かされた。知り合いも土地勘もないまま、二月に単身で現地入り。神戸市東灘区でボランティア団体が運営する情報センターに加わり約十日間活動した。避難所に集中する救援物資を仕分けしたり、各地のお年寄りたちに物資を届けて生活の支援をしたり、避難所で孤立している高齢者たちを励ました。

同年四月に就職した後も連休などに神戸市へと通い、同センターでボランティアをしたり、知り合った被災者たちを訪ねている。「神戸の人たちのエネルギーや街の復興していく姿を見ると、こっちが勇気づけられる」と話す。被災地で知り合った視覚障害のある高石幸男さん 寿美子さん(59)夫妻との交流は今も続いており「もう親子のような感じ」と佐藤さん。

佐藤さんは「被災地では職業や肩書など全く関係ない、人間同士のふれあいがあった。人々の優しさに、わたしの方が励まされたことが多い」と語る。三月に青森市で希望の灯りを出迎える時、自分の思いを伝える。「わたしは被災地でとても大切なことを学んだ。こちらこそ、ありがとう」と。
※写真は高石寿美子さんと一緒に神戸の街を歩く佐藤さん(右)=今年2月

むつ・高瀬さん

むつ市の高瀬さんの元には、神戸市の年配の女性から毎年、年賀状が届く。「避難所から仮設住宅に移りました」「元気でやってます」。六年目となった近況の知らせからは、少しずつだが、生活の落ち着きぶりが伝わってくるという。

災害地での歯科治療の必要性を感じていた高瀬さんは九五年三月、全くあてのないままに一人で神戸市へ出発した。同市灘区で活動していた本県医療班に飛び込み歯科医師であることを告げ、行動を開始。カンパンなど堅い食べ物で歯が欠けた人、入れ歯が壊れた人、虫歯やストレスによる歯痛で苦しむ人など思っていた以上に患者はたくさんいた。年賀状の女性をはじめ四日間で約六十人の治療に当たった。

被災地での経験を基に高瀬さんは現在、神戸市内の歯科医師のグループと一緒に災害地での歯科診療に関するマニュアル作りに取り組んでいる。間もなく完成する予定だ。

「青森で何かあったら、私たちが絶対応援に行くから」−。現地を離れる時、こう語って見送ってくれた患者たちの顔を高瀬さんは一生忘れることはない。
※写真は、患者たちに見送られ神戸市の被災地を後にする高瀬さん(左)=95年3月
 2月23日 京都 ⇒ 草津 ⇒ 敦賀
  新聞 2001年 月 日
 2月24日 敦賀 ⇒ 福井
  新聞 2001年 月 日
 2月26日 福井 ⇒ 
  新聞 2001年 月 日