< 2000−2003年に見る、戦後58年の日本 >
 
 1945(昭和20)年に第二次世界大戦(日本では、太平洋戦争)が終了した後、日本は復興を目指し、がんばってきました。見事に復興を果たし、“経済大国” “先進国” の仲間入りをしました。GDPといった経済指標やODAの規模(金額)といった数値では、世界でも指折り数える国になりました。

 そしてここに来て、 この国は指針を見失っており ( 日本の歴史上 経験の少ない自律 を要求される状態になっており、かつこの国では何か宗教を強く信じる伝統はなく((神との対峙の伝統がなく))、かつ生活の知恵としての価値規範((社会として人々が生きていくためのあんな仕掛けやこんな仕掛け。たぶん、たとえばやせ我慢とか))も、おそらく、軍国日本 を脱しようとする過程 で多くが失われてしまった )、 その中で社会の上層部では既得権益を守ることが第一義になっており、中層部は迷い、足元では若者が切れています(「自分は『正しく』ありたい、その道筋が見たい」という欲求は、たぶん、食欲や性欲などの欲求((生理的欲求))と同じレベルの((「保健体育」で扱う範疇の))欲求なのではないか、と想像します。その意味で、昨今((2000−2003年))の若者は“絶望”しているのではないだろうか。環境ホルモンや食品添加剤などの化学物質によるという説もあるようですが、私は、今のところ、左記を想像します。)。

 最近ときおり背中が寒くなるのは、昨今は若者もまた、既得権益にしがみついて離そうとしない向きがあるようであることです。それは戦後民主主義を正義として信望する・考え方として正しいと判断するからこれを支持する のではなく、自分たちの既得権益としてこれを離すまい、これを傷つける人たちを許すまい、という反応を示す人たちがいるようである、という風です。

 フジテレビ「ボクらの時代」 第6回 2007年5月6日 7:00 - 7:30 放送 瀬戸内寂聴・美輪明宏・平野啓一郎の話 はとても頷けた。
 

世代で見る日本の戦後58年
バブル経済(以降)
浜崎あゆみ
ラストサムライ
2001年に思う、若者と大人の一考
モーゼの十戒や十七条の憲法

 


 

== 後考 ==
 2006年9月6日のサンデーモーニングのコーナー「風を読む21」。テーマは「“箍” 緩んでいませんか?」。田中秀征氏いわく、個人の生活を観る、視点で世の中を見渡してみた場合、「(社会的)使命感の緩んでいる人ほど、上に立っている」。
 では、昨今の日本で上に上がっていく尺度、もっとゆるく言えば、日常生活で生き残っていく尺度となっているものは何?今の風情・時代の気分を例証する言葉の1つとして、「こういう言葉の出現」 を例えば採り上げるのは、妥当?(2006年9月記)