○太平洋戦争後
 
 戦争に敗れ、相手国によって占領され、主権を失ってしまったことは、日本有史以来、太平洋戦争後がはじめてであった。それは全く新しい経験だった。
 しかしアメリカは、絵に描いたような戦争の勝者ではなかった。共産主義国ソ連と対立し、世界が二大影響力によって分裂することが予想されたことにより、アメリカは日本をソ連から守るという態度をとった。戦争の勝者としての権利も当然行使したが、それは強奪し焼き尽くし奪い尽くすというものではなかった。結果論かもしれないが、創氏改名も英語の強制もしなかった。日本を、価値観を共有する同盟国のひとつに仕立て上げようとした。食料や財政的な援助を与え、(崩壊や混乱を恐れて?)天皇を存続させ、民主憲法を持たせ、一定期間の後主権を回復させた。ソ連を中心とした共産国を相手にした米軍基地を多数設置し、軍事同盟(日米安保条約)も結ぶことになる。
 こうしたことによって米国は、明治維新後のヨーロッパよりもずっと、日本形成期の中国に近い存在となった。圧倒的に強大で先進的だが、日本を認知しており、侵略はしてこない。それどころか援助すらしてくる。大多数の日本人の意識にとって、米国は保護者のごときものになった。占領者は、強姦魔ではなかった。


 戦後の日本では、アメリカに似ていることに価値があり、意味があり、高級で高度なことだった。そして、かっこいいことだった。
 何か価値を持たせるために名前や呼び名を英語に置き換えるやり方、北海道で荒野のガンマンを気取る東映無国籍映画、その他服装や生活など、アメリカに似ていることに価値があった。
 最後に、手元に入手できるなら、「『アイドル40年』 Part1〜8 近映文庫 1986年初版」の写真を見てもらいたい。服装やしぐさ、顔立ち、眉や目の化粧、口紅などに注目して欲しい。戦後すぐのものほど、アメリカに似ていることに価値や美しさやかっこよさを求めており、時間が経つにつれて「国風化」していくのが分かる。「アイドルの顔」については、自身の顔を表現しようとする力が確かに働いているようだ。「アメリカ」に自身を二重写しすることなく、勝手に想像した「日本」にとらわれることなく。 私たちの「今」を表現する。

 そして今、
 日本が経済大国化し、一方で世界の強大な力が小さくなりつつある。日本の自律と自立が求められるようになったとき、日本の顔は、どんなものだろうか。
 
日本の表現へ
日本の表現へ
元版1990−1991
本版2003



 




でも(そして)