○「国風」文化
 
 10世紀、平安時代中期、唐は経済社会構造の変化により統治体制が乱れ、政争が生まれて崩壊してしまった。

 一方日本でも、藤原摂関政治により権力中央が乱れ、経済構造の変化により統治体制が揺らいだ。律令体制と矛盾する荘園が増え、社会不安から身を守るために武装する者・集団が現れた(武士の発生)。東北地方では征服した「蝦夷」が反乱を起こし(前九年・後三年の役)、中央では秩序が乱れ院政が生まれた。 社会不安が増大する中で、来世に希望を託す浄土教が広まった。

 強大で圧倒的な存在だった唐が滅びたことにより、中国に似ていることの価値は急速に下がった。かな・和歌・随筆が発達し、大和絵の肖像画(似絵)が盛んになった(国風文化)。また、日本の存在の根拠として成立した宗教「神道」と中国から入った仏教との理論的融合が試みられた。

 社会はますます変動し、大和政権(朝廷)を司り律令体制の権力層だった貴族に代わり、新興の武士の政治的発言力が増し、権力を握っていく。保元・平治の乱、源平の争い、承久の乱といった大きな争いを経て、武家による政治権力が確立する(鎌倉幕府)。
 
日本の表現へ
日本の表現へ
元版1990−1991
本版2003