○鎖国の中で
 
 江戸幕府の統治体制は強く、政治的に安定した時間が続いた。比較的農民が困窮していく傾向にある一方、商業は活発になり、都市は栄えた。
 学問は、幕府が奨励する儒学のほか、洋楽や医学、本草学といった分野が栄え、藩学や寺子屋による教育(読み、書き、算盤、それ以上)も普及した。歌舞伎や浮世草子といった演劇や文学が隆盛し、都市の世俗文化が栄えた。


 こんな中で、江戸時代中期頃から、日本の古典を研究する学問国学も発達し始めた。「万葉集」「古事記」「古今集」などの古典を読み、解釈し、研究をする学問である。
 その研究の中から、「外来宗教伝来以前の日本人固有の考え方」という発想が生まれ出た。仏教や儒教が流入する前には日本人の「本当の」姿があった。それが日本人の魂だ。今ある姿は偽りで、だから中国やその他の影響を取り除き、本来の姿に帰らねばならない、という発想だ ( “江戸時代”の中から、中国の要素を取り除かねば、という発想・志向 )。
 以後国学は、純粋に古典の解釈をする分野と、日本人固有の魂を取り戻そうという思想を追求する分野とに分かれていく。
 こういう発想が生まれ出た背景には、何か価値あるもの、意味あるもの、高級なものを表現するのに、すぐ中国の色や雰囲気を粉飾するやり方が漠として広がっていた。良寛坊主が残した戒語「好んで唐言葉を使う」は、その状態を示している。
 この発想で追求された民族精神の行き着くところは神道であり、天皇であった。儒仏の影響を受けない純粋固有の日本古代の道、惟神の道の復活を説き始めた。この考え方は、迫り来る欧米の侵略の包囲網の中で、日本の存在の理由・根拠として、盛り上がっていくことになる。
 
日本の表現へ
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元版1990−1991
本版2003