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< 本 >
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腑に落ちる、または感銘を受けた本を紹介します。
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51. |
「機長の一万日」 「機長の三万フィート」 「機長の700万マイル」 |
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著:田口美貴夫 講談社+α文庫 |
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文庫版それぞれ2001年10月20日初版第1刷、2004年9月20日、2003年7月20日初版初版第1刷発行。1940年埼玉生まれ、1963年宮崎にある航空大学校卒業、日本航空に入社、DC-6、DC-8、B727、B747のパイロットとして、国内線、東南アジア線、欧州線を飛んだ著者が、戦後の解放の気風にあふれる頃の航空大学校時代の話、飛行機の操縦について、パイロットとしてレシプロのプロペラ機からジェット機に乗り換える時代の航空の世界、民間航空会社のあれこれを語る。2003年1月10日引退。
内容は、飛ぶ!雲上のパラダイス、沈黙のコックピット、オートパイロット、ジェット機の速さと入道雲の恐さ、空の仁義、てんやわんやのVIPフライト、飛行機雲と煙草の煙、名キャプテンの腕と精進、さらばアラスカ、はじめて飛んだ空、袖に光る金筋、努力する奴・しない奴、その操縦待った!、旅ゆけばジャンボ、洋上のハプニング、出発前の二十四時間、飛べジャンボ、コックピットの窓から、なつかしのモスクワ線、着陸復行(ゴー・アラウンド)!、車輪の下のドラマ。
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「機長からアナウンス 第2便」 著:内田幹樹 新潮文庫 |
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平成17年10月15日第4刷発行。「機長からアナウンス」の第2便。全日空でボーイング747−400等の機長を務めた著者が送る、機上のあれこれから業界再編まで。
内容は、キャプテン、この便はどこ行きでしたっけ?、とにかく無事に着陸させる、空の世界のグレーゾーン、万全のセキュリティのために、ハイジャックは絶対に防げないのか、こんなサービスもございます、グレートキャプテンたち、ひやりとしたことありますか?、滑走路にはじまり滑走路に終わる、メンテナンスは苦労が絶えない、節約にもコツがある、空港はこれからどう変わるべきか、JAL・JAS合併、業界再編、業界タイヘン、ミスはどうして起きるのか。
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53. |
「武士道」 訳:奈良本辰也 三笠書房 知的生きかた文庫 |
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ISBN 4-8379-0563-3。
1900年に出版された 新渡戸稲造(1862年−1933年) 著 「Bushido The Soul of JAPAN - Another of
the History of the Intercourse between the U.S. and Japan」(1900年) の口語訳。
「Bushido - 」 は、キリスト教を信じ英語を母語とする人々へ向けて、日本の道徳心の根拠を説明しようとした試み。英文で書かれた書物。クリスチャンでかつ英語に堪能だった新渡戸は、キリスト教のような強い宗教を持たない国で、道徳的な教育は誰がどうやってするのか?と聞かれ困惑した。たしかにキリスト教のような強い宗教はないが、でも日本に倫理や道徳的な心が無いわけではない。思いを巡らした結果、“武士道”という言葉に思い当たり、これで説明をしようと試みた。
本書はその口語訳。読んでみて驚いたのは、「武士道」というタイトルから、右翼右翼した、いかめしい絶叫調の日本人を鼓舞あるいは美化する本なのかと思っていたら、その正反対の内容だったこと。明治の世にあって、クリスチャンだった新渡戸が、キリスト教にも日本にも敬意と愛情を持って、欧米の人たちに(新渡戸が生きた同時代のあるいはそれよりも古い)日本を説明しようと試みた本だった。それは、スタインベックが1966年に
「アメリカとアメリカ人」 でフランス人に向かってアメリカを主張しようとした心情とそっくり(と私は感じた)。
なお本書によれば、日本語訳の決定版は、1938年に出版された岩波文庫の矢内原忠雄の訳によるものだ、という。
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「代表的日本人」 訳:鈴木範久 岩波文庫 |
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1995年7月17日第1刷発行、2005年11月4日第24刷発行。ISBN 4-00-331193-0。
1894年に出版された 内村鑑三(1861年−1930年) 著 「Japan and Japanese」 の改訂版で1908年に出版された 「Representative Men of Japan」 の日本語訳。
「Representative Men of Japan」 は、キリスト教を信じ英語を母語とする人々へ向けて、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人の人物を描くことによって日本を表現しようとする試み。英文で書かれた書物。クリスチャンでかつ英語に堪能だった内村は、「日本が、今もなお『わが祈り、わが望み、わが力を惜しみなく』注ぐ、唯一の国土であることには変わりありません」といい、江戸幕末から明治時代に遭遇した帝国主義時代の欧米列強に向かって、日本を説明しようとする。
カバーには、「新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作」とある。
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「茶の本」 訳:村岡博 岩波文庫 |
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1929年3月10日第1刷発行、2005年11月5日第103刷発行。ISBN 4-00-331151-5。
岡倉天心(1863年-1913年)著「THE BOOK OF TEA」(1906年)の日本語訳。
岡倉天心は、学校では、政治学、理財学を学ぶ。学校を卒業後勤めた文部省でアーネスト・フェノロサについて日本美術の調査に従事したことで「日本の美術」への関心が開いた模様。
弟 岡倉由三郎(「研究社新英和大辞典」の初版(1927年)の編纂者)がこの日本語訳に寄せたはしがきによれば、学校卒業の頃、実家が正阿弥という茶人を家に招いて茶をたしなんだのが、茶への理解のはじまりではないか、という。その後、石塚宗匠の話の天心夫人を介しての伝聞や、陸羽の「茶経」などの「茶に関する書物の渉猟」が茶についての洞察を深めたのではないか、と想像している。
諸外国に外遊、東京芸術大学の校長、日本美術院の院長、ボストン美術館 中国・日本美術部の部員・部長を務めることになる岡倉天心は、英文で英語を母語とする人たちに日本を紹介する試みを行った。すなわち、「The
Ideals of the East」(東邦の理想、1903年)、「The Awakening of Japan」(日本の目覚め、1904年)、「THE
BOOK OF TEA」(茶の本、1906年)である。
本書のはしがきによれば、「東邦の理想」に関しては記述の史実について議論の余地があり、「日本の目覚め」はタイムリー性のある記述・表現・書物で、時間を経た・時代が変わってから読むとそのインパクトは薄れ、受け取られ方は違うだろう、と展望しており、兄
岡倉天心の著述でもっとも素晴らしいものは「茶の本」であろう、としている。
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「からごころ」 著:長谷川三千子 中公叢書 |
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1986年6月10日初版発行、2004年6月25日7版発行。ISBN 4-12-001489-4。
東京生まれ、東京大学文学部哲学科卒業、埼玉大学教養学部教授になった長谷川三千子氏(1946年-)が描く、「日本人であること」。
「われわれ日本人の内には、確かに、何か必然的に我々本来の在り方を見失はせる機構、といつたものがある。本居宣長はそれを『からごころ』と呼んだ。おそらく、『日本人であること』の探究とは、その機構の究明に他ならないのではないか」「この本の中では、その問ひについては、まだ何も語られてゐない。おそらくは何が最も重要な答へとなるであらうか、といふことも、ほのめかされてすらゐない」「ここではただ、それのいまだ語られてゐないことを心に留めて読んでいただければ幸ひである」「昭和六十一年春」とある。
著者の感覚を共有する。その実感が、とてもよくわかる。
漢意(からごころ)と古意(いにしえごころ)が出会うメビウスの輪の全体が日本文化の構造なのだ、として、その日本文化を維持したいのであれば、古意を守っていきたい、と欲するのであれば、どんな文化にもどの人にも美しいところと醜いところはあるのだから、漢意の持つ「おぞましさ」は受け入れて生きていけばいい。ときにグチをつき、ときに気晴らしをして、ときに耐えられなくなったらひとしきりわめいて、気を取り直して生きていく。
もし、漢意の持つ「おぞましさ」に耐えられない、これを乗り越えたい、と欲するのであれば、いま、カメラを持って、身の回りを、自分の日常を、行く先々を、たとえば100枚、写真に撮ってみるといい。つまり、「今」を表現する。いくつかのマンガと、1980年代後半からのトレンディ・ドラマ、1990年代のJ-POPに、漢意を乗り越えたものを感じる。私は、日本の歴史上、幾度かの折に、同様の充実を感じた瞬間があったと信ずる。個別にどれがどうとは、なかなかわからないけれど、そういう機会があったと信ずる。そして、そういう方向が広がり伸びていく可能性はどこかにある、と信ずる(2006年2月記)。
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「他人を見下す若者たち」 著:速水敏彦 講談社現代新書 |
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ISBN 4061498274。1947生まれ、名古屋大学大学院教授速水敏彦氏が描く、21世紀初頭の日本人または若者の様子。
文芸評論家 野口武彦氏の書評(2006年3月19日朝日新聞読書欄)より : 「個人的な怒りはすぐ爆発させるが、社会悪には無反応だと言われて久しい」「最近ではすっかり日常化した『キレる』行為を<<自尊感情が傷つけられた場合に些細なことで怒る>>現象と定義する著者」「そうした行動の根底にある心理的メカニズムを『仮想的有能感』と名づけて、日本の最新世代に起きている心性の変化を解明しようとする」「自分のミスに思い至らず、まず『相手の落ち度を鋭く指摘する』」「攻撃的に見えて、実は過剰に自己防衛的なのではないか」「<<いつも『自分より下』を必要とする他者軽視で成り立つ防衛機制>>」「『2ちゃんねる』の閲覧とこの種の有能感とには相関性が高いという観察」「こういう心理機制が働くのは、若者だからだろうか。それとも、世紀の代わり目の日本人だからなのだろうか」「この人々には『汚れっちまった悲しみ』(中原中也)がないのではないか」
21世紀初頭、英語の世界が生んだインターネットにおける大きな文化(物)の1つが Wikipedia (日本語版) で、日本語の世界が生んだそれは 2ちゃんねる ( 2ちゃんねるの歴史 ) か。 Wikipedia も、日本語版と英語版では、どこか記述の雰囲気・記述に対するムードに違うところがある。 ウィキペディア日本語版 と ブログ に、関連する記述がある。うまく言えないけど、何が違うのだろう?
あるいは、何が正しい、という理念・想像力が無くなった状態にあるからか。
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「『大人』がいない・・・」 著:清水義範 ちくま新書 |
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2006年1月10日第1刷発行。ISBN 4-480-06275-0。
大人のよい面・悪い面・大人でないことのよい面・悪い面という切り口で、21世紀初頭の日本を把握しようとする日本人論(←私はそう読みました)。
あとがきに「狙ったとおり、雑然とした本になった」「この本で私がなんとか伝えたいと思っているのが、『我々はちゃんと大人になっていて、大人として物を考えているだろうか』という、ぼんやりとした疑問だからである。つまりそれは、現代社会論でもあり、文化論でもあり、日本人論でもあるようなことで、状況証拠の寄せ集めでしか語れないことだったからだ。小説家の私としては、いろんな角度からの雑談を展開するという書き方しかなかった」「二〇〇五年残暑の頃」とある。
P139 から書いてある2ちゃんねるについての感慨は、完全に一致ではないけれど、自分が持っている感慨とほぼ同じものが表明されていた。とりわけ、2ちゃんねるに対するスタンスは同じもの。
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「キレる大人はなぜ増えた」 著:香山リカ 朝日新書 |
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2008年1月30日第1刷発行。ISBN 978-4-02-273190-6。
ときどき世に出て来る声 “女性の気持ちへの気づかい・理解がない、デリカシーがない” ということにちょうど対称する “男同士の気持ちの在り方、男同士の気づかい、男同士で大事なことへの無理解”
がある(2007年10月の出来事を思い出した)など、社会の読み解きの全てに共感はしなかった。でも、
・他人、他の属性を持つ者もまた様々な思いを抱える(自分と同じ)1人の人間なのだ、ということへの想像力の欠如
・昔と比べて多様性を許さない社会になってきている( “多様性を認め合う社会へ向かって行く” どころか、一元化を強いる社会になってきている)
だから、キレる人が増えてきているのだ、という理解など、腑に落ちる把握も多の本。
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「引用・転載の実務と著作権法」 編:北村行夫 雪丸真吾 中央経済社 |
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平成17年6月15日初版第2発行。ISBN 4-502-92680-9。
まえがきに「本書は、出版業務の最前線で活躍される方々に、『引用』(著作権法第32条1項)を中心として、著作権者から承諾を得ることなく著作物を適法に利用できる場合を正しく理解していただくことを目指すものである」とある。
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「著作権とは何か −文化と創造のゆくえ」 著:福井健策 集英社新書 |
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2005年5月22日第1発行。ISBN 4-08-720294-1。
はじめに に「『著作権』という言葉が注目を集めています。(改行)著作権とは、文学・映画・音楽・美術といった作品の創作者が持つ、その作品がどう利用されるかを決定できる権利のことです。(改行)著作権の最大の存在理由(少なくともそのひとつ)は、芸術文化活動が活発におこなわれるための土壌を作ることだと筆者は考えています。(改行)なぜなら、豊かな芸術文化は私たちの社会に必要なものだからです。(改行)ですから、著作権をその目的に沿うように使ったり、設計することは、私たちに課せられた課題です。(改行、段落替え)これで、この本でいいたいことは書いてしまいました」とある。
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「著作権の考え方」 著:岡本薫 岩波新書 |
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2005年9月26日第6発行。ISBN 4-00-430869-0。
初版は2003年12月19日発行。文化庁著作権課にいたら見える著作権にまつわる風景を描いた本。著作権法そのもの(本書が著わされたときの日本の著作権法)についての解説も前座にあるが、P105
第五章 新しい「法律ルール」の構築、P167 第六章 「契約」と「ビジネス」−日本の弱点、P211 第七章 国際政治と著作権 がメイン、と私は読みました。
「著作権の場合は、関係者全員が『良くない』というのが『普通の状態』」(P124)で、「著作権の世界には『宿命的な対立構造』がある」(P133)、とし、日々“お上”に持ち込まれる(実際に“お上”に持ち込まれた)対立事例を複数挙げる。そして、「『国民のため』になるかどうかは、国民自身が判断しなければならない」(P139)、「社会の中で対立する利害を調整するのは、本来は『行政』ではなく『政治』の役割」(P129)、として、自由と民主主義の国に生きる者は、自ら人々を説得して戦うか、選挙を通じて(代議士を動かすことによって)政治を動かすことによって信ずるところや幸福を追求しなければならない、とする。「国民の意思にしたがって決められるべき」(P134)「声をあげるべき」(P134)と主張する。
「『法律ルール』について不断の改善努力が必要」(P106)とし、P164 - 166 の「『情報』は『原則自由使用』か『原則独占使用』か?」では、著作権の根本的な思想の部分について、皆が考えていかなければならない、考えていくべきだ、と主張する。今後どういう社会が出現しようとも、(自由と民主主義の国では)(その結果は)皆に由来する、国民に源泉がある、“誰か悪い奴”とか“なんとかしてくれる(ろ)お上”とかのせいなどではない、とする。(←私の読解による)
第六章 「契約」と「ビジネス」−日本の弱点(P167 - )では、著作権のビジネスとしての側面が描かれている。「コンテンツ・ビジネス」や「権利ビジネス」という言葉が登場する。文化庁が作ってみた(試みている)
“自由利用マーク” も紹介する。自由利用マークが定着するのか、他の何かが広まるのか、まったく違う発想が登場するのかは、皆が選び取っていくことなのだろう。
「どのような権利をどうすることが『人びとの幸せ』になるのか」「著作権に関係するようになった『すべての人びと』が、『自分の問題』として考え行動すべきだろう。日本が自由と民主主義の国である以上、これらすべてのことは、国民の意思にかかっているのである」で
おわりに(P225 - ) を閉める。
日本国憲法の前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」とあり、第97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて」、第12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とある。丸山真男の「日本の思想」のP154には、「権利の上にねむる者」は権利の「保護に値しない」とある。(自由と民主主義の国に生きる)私たちは、今後どのような社会が出現しようとも、逃げも隠れもできない。それはすべて、私たちの責任、私たちの日々の(細かい)選択の結果である。
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「3日でわかる法律入門 (はじめての)知的財産法」 著:尾崎哲夫 自由国民社 |
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2006年6月25日第11発行。ISBN 4-426-34417-4。
「幅の広い知的財産の俯瞰図と入門を目指しました」(はじめに、P5)として、特許法、不正競争防止法、商標法、意匠法、実用新案法、著作権法および国際的な取り決めについて解説する。
序論 の 1 知的財産権とはどういう権利か の P15 で、「知的財産の『保護』と『利用』のバランスをとることが重要であり、それが知的財産法の目的であり役割と言える」と述べる。
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「オールフライトニッポン」 柳屋三太楼 柳屋三之助 風濤社 |
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2006年1月31日第1発行。ISBN 4-89219-274-0。
ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」の風情で、昭和40年と48年生まれの噺家2人が、飛行機のパイロット、航空整備士ら3人と対談する本。飛行機好きが飛行機について話す。
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「日本の思想」 丸山真男 岩波新書 |
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1961年11月20日第1刷発行。2006年2月15日第83発行。ISBN 4-00-412039-X。
1914年生まれの日本政治思想史家が、「日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとらえ」「あらゆる時代の観念や思想に」「相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で−否定を通じてでも−自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統」の出発点、「個人の発想のレヴェルから、政治制度と社会機構のレヴェルに至る近代日本の思想的見取図」を作ることが出来た、これでやっと「『身軽』になり」、「将来に向っての可能性をそのなかから『自由』に探って行ける地点に立った」、と安堵する本。
丸山真男の「日本の思想」と、内田義彦の「社会認識の歩み」と、グレゴリー・クラークと竹村健一の対談「ユニークな日本人」と、司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談「日本人と日本文化」は、“感じていること”は“同じこと” であるように読める。で、丸山真男は観念としての・思想的な出発点に、とにかく立ったと安堵し、内田義彦は社会科学書の読書の仕方を具体的に示して、皆さんここから始めようと提言し、グレゴリー・クラークは文化の在り方はいろいろ在るのだ、と是認し、ドナルド・キーンは焦ることないよ、とつぶやく。
丸山真男は、「『日本の思想』にたいして、その直後の反響が、ほとんど『理論信仰』と『実感信仰』の対比という問題にだけ集中したのは、正直にいって予想外」と驚き、インパクトのあるものとして言葉(単語?)が流通したときに起こる事象に目を見張り、「理論をそのまま思想として『信仰』」することを理論信仰、「実感をそのまま思想として『信仰』」することを実感信仰と述べたのだ、とその本意を記す。「私自身も一定の対象把握についてA理論がB理論より正しいと信じている!」「自分が信じないような実感などはそもそも実感ではない!」と誤解を憤慨する。まるで「新人類図鑑」の まえがき だか あとがき だかに“その言葉で言おうとしたことは〜”と筑紫哲也が述べた記述みたいだ。
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「転がる香港に苔は生えない」 星野博美 文春文庫 |
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2006年10月10日第1刷発行。ISBN 4-16-771707-7。
1966年生まれの著者が、1986年に留学で訪れたあと、1996年に「落とし前をつけ」に香港を訪ねる話。単行本は2000年4月に情報センター出版局から刊行。人に借りて読んでいる最中だけれど、筆者が会話に見い出す心性の描写、本音を引き出そうと繰り出す質問、否定しようとする相手と核心に迫ろうとする筆者など、面白い。
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67. |
「社会学入門 人間と社会の未来」 見田宗介 岩波新書 |
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2006年4月20日第1刷発行。ISBN 4-00-431009-1。
社会学入門と題して、社会学とは何か、一理解を述べる。人間と社会の未来と題して、1945年以降の日本の時代時代の雰囲気・心性を描き出し、未来への展望を語る。ひとつひとつ共鳴するものではない。けれども、自分が生きてきた時代の空気をこんな風に心・記憶に留め置くことが出来るなんて、なんて想像力の強い人なのだろう。 宮台真司は、 “解放的関心が強烈なのが左で、条理を条理で見極めるのが右” とたしか言った。その伝でいくと著者は“左”なのかな。自由になりたい、自立して生きたいよねえ。そのうえで、互いに他への想像力を持ちたい。持てればいいな。持てるんだろうか。
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68. |
「パイロット・イン・コマンド」 内田幹樹 新潮文庫 |
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平成18年9月1日発行。ISBN 4-10-116044-9。
2007年2月18日。TBSテレビ「ボイスレコーダー 残された声の記録 20年目の真実」(再放送)を観た。命懸けで何かを明らかにするには、“匿名”はやむを得ない、んだな。
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69. |
「日本酒がわかる本」 蝶谷初男 ちくま文庫 |
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2002年10月5日第3刷発行。ISBN 4-480-03648-2。
普通酒、本醸造酒、純米酒、吟醸酒とは、から始まって、言葉を押さえて、日本酒についての概観を解説した本。自分の飲んだ経験を踏まえ、再確認やら誤った知識の訂正やら新発見やらができる本。これを一度読んだうえで、頭を空にして、また好きに飲もう。
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70. |
「ワインと洋酒を深く識る酒のコトバ171」 堀賢一 土屋守 福西英三 「世界の名酒事典」編集部 講談社+α新書 |
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2006年12月20日第1刷発行。ISBN 4-06-272411-1。
醸造酒、蒸留酒、混成酒とは、から始まって、言葉を押さえて、ワインと洋酒についての概観を解説した本。自分の飲んだ経験を踏まえ、再確認やら誤った知識の訂正やら新発見やらができる本。これを一度読んだうえで、頭を空にして、また好きに飲もう。
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71. |
「ジャズの歴史」 相倉久人 新潮新書 |
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2007年2月20日発行。ISBN 978-4-10-610203-5。
1999年から2002年に洗足学園音楽大学にて筆者が行った「ジャズの歴史」という講義をもとに書いた、ジャズとは何かを、言葉を押さえて歴史と概観を解説した本。筆者の音楽評論家としての蓄積と、何冊かの文献により、ジャズの通史を描いた。難しく煙に巻く姿勢をどこにも感じさせない、正々堂々とした本。決断力を感じる。
自分の聴いた経験を踏まえ、読む。これを一度読んだうえで、頭を空にして、また好きに聴こう。
「これまでの『ジャズの歴史』にあったあの隔靴掻痒感が一気に消し飛んで行く待望の書」(山下洋輔)「総ての『個人が編む歴史』は正史、偽史、珍史のいずれかに定められながら、いずれでもない、という宿命を持っている」「最も登場が待たれた、相倉久人の、相倉久人による、相倉久人のためのジャズの歴史」(菊池成孔) -帯-
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72. |
「F1速報 PLUS F1 Sokuho Special Edition Vol.8 2007 SPRING」 |
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発行人 三好正巳 編集人 船田力 発行元 株式会社イデア 発売元 株式会社ニューズ出版。2007年5月5日臨時増刊。
P16-17。F1熱狂時代。グランプリ・ノスタルジア。1987-1993。鈴鹿への黒船来襲から、セナプロの劇的な和解で幕を閉じた日本におけるF1がもっともハイテンションだったあの時代へ−。文:高桐唯詩。写真:金子博。P18-19。F1熱狂時代。グランプリ・ノスタルジア。1987-1993。二度とないリッチで芳醇な黄金のセブンシーズンズ。文:今宮純。写真:澤田賢志、イデア。
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73. |
「小悪魔な女になる方法」 蝶々 集英社文庫 |
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2008年6月30日発行。ISBN 978-4-08-746313-2。
胸のすく「男」性の言説が 高樹 洸さんのこれなら、胸のすく「女」性の言説がこの本か。
「時と場合と」欲望・願望「以外の自分の気持ちと、もちろん相手の気持ちも見計らって、」異性に「とって受け入れやすい形で表現する人もいます。何かの勘違いに基づいて、」異性に「嫌がられる表現ばかりをしてしまう人もいます。」(ここより)
これも、女性も男性も同じだ。
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74. |
「待機児童が4万人超に」 朝日新聞2009年3月7日の記事 |
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本ではなくて新聞の記事を読んで。
厚生省が2009年3月6日にまとめたところによると、認可保育所へ入所待ちをしている待機児童の数が4万人を越えたそうだ。
(確か2001年(だったかな?)の内閣総理大臣の施政方針演説で、)小泉首相は「待機児童をゼロにする!」と絶叫した。当時、ああ、これで日本はもっとよくなる、働ける人はもっと気持ちよく働ける、車も家も消費財ももっと買え、日本の未来を明るくする兆候の1つの表れだ、と思った。だから小泉首相を支持したし、小泉内閣メールマガジンの配信も申し込んだ。
2009年になったいま(時点で(は))、見えた明るさの兆候は現実にはならなかった(わけだ)。それにしても、一国の総理大臣が「待機児童をゼロにする!」と叫んでもゼロにはならないほど、待機児童の解消は難しい、おおごとなのかなあ。それとも、理念そのものがウソだった?(本気で実現しようとは思っていなかった?)
朝日新聞2009年6月29日の記事
首都圏で急増しているそうだ。明治維新の獅子たちは、「日本がよくなること」を考えて命までかけて闘った。その後200年くらいの間、たぶん日本人たちは、自分たちの「いま」の境遇を彼らに感謝した。いっぽうで世界史を見渡してみれば、国がいま危機にあるのに(日常生活として)自分がよければいいやという気運が満ちていたために滅んだり、その後100〜200年の間の人達が先人を恨んだり憎むことになったりする例はたくさんある。西暦2000年代のいま、日本は、もしかしてやばいかも?
朝日新聞2009年7月7日の天声人語
「国民は民度に応じた政府しか持てない」。2000年代いま只今の日本はそうなのかも。う〜む。
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75. |
「この記事」 再び |
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「JAF MATE」2004年10月号。
これは駅とか、公の場を歩いているときも感じることがある。互いに無関係の者がたまたまたんにすれ違う場所が公の場なのだから、急いでいる人は急いでね、そうでない人は、どうぞごゆっくり、ではなんでダメなんだろう?と思うことがある。と感じさせる人がいる。見たところその人は急いでいないのに、急いでいる人を見ると邪魔をしないではいられないであるらしいという人がいる。あのタイプの人たちの、(その人の内側から湧いてくる)あの衝動・欲求はいったい何なのだろう?
嫉妬?妬み?それとも、記事にあるような文化論的な話?
それとも、その人が生活上の不満を抱えていて、見ず知らずの他人に向かってそれを晴らしている?そういう生活上の不満を抱えている個人が多いということ?
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2010年1月19日 朝日新聞 社会面 |
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文化審議会において、日本版フェアユースは限定的な範囲に適用する方向で検討されているのだそうだ。たとえば社内会議で使用するための複製はフェアユースとして可、パロディはフェアユースの範疇には入れないなど…。社内会議で使用するための複製はフェアユースとして可?
昔、イタリアの車はかっこいい、それに比べて日本車はかっこ悪いよなあ、タイヤは細いし何はなんだし。日本人には車とかデザインとかのセンスがないんだよな、と世間で話されていたところ、なんのことはない、車のどこからどこまでは何mm、そこからあそこまでは何mmと、法や令でミリ単位で決められていたからだった。いま(というか(今や)一昔前から)、日本車はかっこいい。
日本で、「フェアな使用目的」は狭い範囲に限定されることになりそうだ。車のかっこよさに向かって、もとい、日本の文化の華開きに向かって、その決定はどう作用するのだろう。日本車はイタリア車を凌駕した。いま、これから、文化の華開きはどうなるか。
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77. |
2011年2月27日 朝日新聞 「多数派の特権」 |
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朝日新聞2011年2月27日の読むぞ!ホップステップジャンプという記事に「多数派の特権」という表現があった。表現に違和感を感じて目に留まり、ひとくさり考えた。
「多数派の特権」というのはこれまで目にしたことのない 新しい 表現だ。「多数派の特権」というのは形容矛盾だろう、「特権」というなら「少数の」だろう、多数派の「それ」をもし表現するとしたら、にわかに思い浮かぶのは「多数派の横暴」とか「数の力」という表現だ。と違和感を感じた。
その「多数派」と言っているものがどんなものか記事からだけではわからないのだが、開いた個人同士が自由に交流し合った結果生み出された「多数派」なのなら、これは喜ぶべきことだ。理想に近い。のびのびとした、日本の未来は明るいかも。一方、同じ日の声欄に出ている13歳の中学生が投書しているようなことで形成される「多数派」なのなら反対で、え?今の時代、そんなに不自由な、生きづらいことになってるの?とちょっと心配。非国民という言葉が飛び交ってみなが互いを牽制し合い、みなで戦争に向かっていった時代を連想させる。そっちへ行ってはいけないとうすうす感じた人はいたかもしれないのに、「多数派」の声に押されて、全体は制御不能のように動き流れていった。もし、こっちだとしたら、ここでこんなこと言ってたら焚書坑儒や言論弾圧に遭うかもしれない。言葉狩りに遭うかもしれない。敵性語で書かれたものはこっそり隠して見なければいけなかった時代みたいに。
前者は、宮崎県知事時代の東国原氏や橋本大阪府知事の政治を連想させ、後者は、「小沢的なるもの」を連想させる。
小沢的なるもの:週刊現代2011年1月15日22日合併号「最後に小沢一郎を語ろう」、朝日新聞2011年2月21日「小沢氏流を超えて「政局」政治から卒業を」、朝日新聞2011年1月22日「日本史に見る小沢流」
2011年3月29日の朝日新聞 文化欄 「再建という希望が残った」 加賀乙彦
2011.3.11東日本大震災を、1945年に終わった戦争で起きた都市爆撃に重ねた、81歳の「老人のつぶやき」が載っている。いま原発を復旧させようとしている人々、被災地で救命にあたっている人々、ボランティアとして働く人々をみて「明るい希望がある」と言い、戦争中の軍国主義者の横暴とまるで反対、とつぶやく。やっぱり、2010年のいま、「多数派の特権」と「言ってみせる人」というのは、戦争中の軍国主義者と同じメンタリティの人であり、社会のなかでの存在(感・位置)は戦争中の軍国主義者と同じ存在ではないか。戦争に反対する人を「非国民」と呼んで叩き押え付けた人たちではないか。1945年以降多数決の民主主義になった世にあって「少数派の尊重」という言葉にも重きが置かれてきたのは、戦争中の軍国主義者が嫌だったから、戦争中の軍国主義者が国を破滅に導いたから、軍国主義者が導いた戦争が終わったあと、この国で何が起こっていたかを冷静に見ることが出来た結果、ではないか。「多数派」が悪いというのではない。「多数派の特権」と「言ってみせる人」というのは。「多数派の特権」と発想する人というのは。
テレビ「鶴瓶の家族に乾杯」や映画「名もなく貧しく美しく」なんかを観ると、「多数派の特権」とか言い出す奴は「悪役」タイプなんだろうな。本人自身が上へ前へ目指すタイプではない、他人に「仕打ち」をして「満足」するタイプ。「生き方」がそういう人。
NHKスペシャル 2011年8月15日 日本人はなぜ戦争へと向かったのか。
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2011年3月14日 朝日新聞 |
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朝日新聞2011年3月14日1面の13日午前10時57分の「掲載」と、同日の記事 与野党協力なるか の 政権対応へ批判 自民本部で噴出 で「描かれているもの」は同じものに見える。
同日の記事 LNG供給で協力 と 冷静さ驚き で「描かれているもの」は、上とは反対のものに見える。
ああ。
朝日新聞2011年10月15日新聞週間特集の6月4日付の「写真そのもの」も同じものに見える。
ああ。
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2011年3月29日 朝日新聞 |
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文化欄 文芸時評 斉藤美奈子 本にできること。戦争中、「欲しがりません、勝つまでは」の掛け声のなかで詩や小説や絵を心の支えにした田辺聖子。阪神大震災を被災、何もかも失ったなかでゴルフを心の支えにした古市忠夫。酷烈な状況にあって、あるいは毎日の日常にあって、文学には文学にしかできない効用が、ゴルフにはゴルフでしか果たせない効能がある。「人にはそういう心の支えが必要なのだ」。一緒にがんばろうと励まし合う。そっと寄り添う。本を贈る。ゴルフバッグを提供(?)する。「仕方は多様でよいのだ」。多様な人が共生する社会を。一元化を強いられない社会を。
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2011年4月27日 朝日新聞 |
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文化欄 文芸時評 斉藤美奈子 原子力村と文学村。「ありとあらゆる人間が、ある日突然に、主義や信念を試されるのではないか。誘惑、もしくは、脅しにより、試される瞬間があるのではないか。(略)/試され、主義を曲げる。/誰かが諦め、妥協し、挫けるたびに、澱のようなものが溜まっていく」「誘惑や脅しに屈しただれかの諦めと妥協と挫折の結果がたとえば戦争であり、原発事故ではなかったのか」。
そう考える際、実際につらいのは、世の中のこういう部分か。→ 2011年3月28日スマトラ沖大地震 被災した村の村長。 つらい、それはつらいなあ。村長さん、大変だったなあ。よく乗り越えたなあ。偉大だ。2011年4月に始まったドラマ「仁」の新シリーズも。ドラマで仁先生は生き延びたけど、現実にはあのような勢力が向かってきたら、牢獄のなかで死んで終り、ではないか?それとも、それでも世の中を信じろ、とドラマは言っているのか?
2011年5月20日のオピニオン面に、異なる考えを持つ3人の「当事者」の意見が出ている。
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2011年4月29日、5月3日 朝日新聞 |
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歴史的危機を超えて(4月29日)
「じっと耐えている被災者の姿(中略)、パニックを起こすことなく、規律を守っている姿が、尊敬の念を集めている」「米国社会はいまも日本に対するシンパシーであふれてい」る。「一国に対する同情的感覚がこれだけ広がったのはめったにないこと」。日本の課題は、この「世界の共感を引きつけていることを、どう生かすか」「この感覚があるうちに他国との連帯をどう築くのか」である。
「注目しているのは、(中略)助け合いやコミュニティーの感覚が生まれていること」。「そこにあるのは、(中略)質実で献身的な精神(中略)自分のことだけでなく、コミュニティーのことを」考える姿勢だ。この「意識を伸ばして、日本をどのような国にすべきか、そういう議論に発展させてほしい」。
戦後、「あらゆるレベルで信じられないほどの活気あふれる精神がありました。その精神を、日本人はその後の繁栄の中で失ってしまった。ふつうの人が政治に積極的に発言する、そんな参加型民主主義の精神を取り戻してほしい」。「官僚や電力会社任せにせず、一般の人も加わるボトムアップで議論を重ねるべき」。
「突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです」「しかし、もたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。既得権益を守るために、スペースをコントロールしようとする勢力もあるでしょう」。結果がどうなるかは分からないが、今が歴史のひとつの転換点であることは間違いない(ジョン・ダワー、歴史家、1938年生まれ)、のか。
世界の矛盾が生み出した男(5月3日)
「『ビンラディン』とは何だったのか」。「無差別殺人に手を染めたビンラディンは犯罪者であって、革命家ではありえなかった」。しかし、「中東の各国政府が沈黙を守るのはなぜか」。それは、その「思想の一部に、かなりの人々が共感できる要素が含まれて」いるからだ。「通底していたのは、(中略)エゴに対する憤り」だった。憤りが起こる「根源は、(中略)人間の尊厳がないがしろにされる」世の中の「矛盾」だからだ。「矛盾にいま一度、世界が目を向けない限り、ビンラディンは生き続ける」。(アメリカ総局長)
「我欲より共生」(2011年3月26日記者有論)、ということか。我欲がゼロなんてことはありえない。そんな人は死んでしまうし、そんな社会は衰退してしまう。稀有な1人や2人はできるのかもしれないが、普通はそんなことはできない。ただ、「少しずつ削って差し出し合う意識」「辛抱強さ、規律正しさ」(2011年3月27日天声人語)が欠けていたということか。自由原理主義時代の日本がここ20年で失っ(てい)たのは、他を思いやる心、我慢する心か。
2006年出版の「バックラッシュ!(男女平等で何が悪い!)」のp.393には、「私は東大に十二年いますが、(中略)学生の幼児化と自己中心主義化は、あきらかに進行しています」p.394には、「ようするに、いまの学生たちは、自己批判もしないし痩せ我慢もしない。既得権の防衛と自己利益が最重要課題なのでしょう」とあるし、2008年出版の「不機嫌な職場」のp.4には「自己欲求的で、攻撃的で、他尊心に欠けている」「繊細な人は、それだけで参ってしまう」ような「特徴」がある、p.5には、「いつごろから、どうして日本の職場はこうなってしまったのか」とあるし、2009年出版の「日本の難点」のp.113「社会設計の目標」には、自分だけよければあとはどうなってもいい、他の人が何を感じるかは関知しない、そんなことはどうでもいい、という人は常にいるだろうけど、それが大勢になったらかなわん、ではどうしたらいいか、と書いてあるし、ここ20年の日本は、他を思いやる心、我慢する心を失っていた時代だった、といえるのでしょう。
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2011年5月 希望の光筋 |
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朝日新聞2011年5月16日 強い現場、弱い本部。言われてみれば、確かにそう感じる。(いま現在の)日本人の、ある面と別の面、1側面と1側面、向いている場面と不向きな状況。(いま現在の)「日本の特徴」。良い面は伸ばすように、悪い面は打ち消したり減じる方策を模索し、「良い」方向を探す/目指すことが未来への道だろう。
朝日新聞2011年5月16日 ワイルドに攻めろ。紹介されている本田と遠藤の言説を見ていると、まるで日本、自分(たち)、自分(たち)がやっていることを愛するがゆえに日本(自分(たち))を変えたい、変えようとするタイプの「日本人論」を述べる人たちと、その言説を聞いて、現状維持でどこが悪い?そんなことを言うなんて、きっとあなたは日本を嫌いなんだろう、嫌いだからに違いない/お前だって同じじゃないか、お前、まずやってみろ、という反応をする人たちを見ているようだ(→)。というか、その種類の“「日本人論」周辺の葛藤(攻防?)”そのものだ。一方で、「我慢強い日本人に寄せられた尊敬」にしがみついて(?)「だから日本人は素晴らしい」と言う「日本人論」は、バブルの頃「ジャパン・アズ・ナンバーワン」にのせられて
なぜ日本の製品は素晴らしいのですか? 日本人だから とやって顰蹙を買った(しかも当人たちが当代に悦に入っただけで、後の世に向かって何も残さなかった)種類の「日本人論」そのものだ。さらに1つ、数多ある論のなかから「都合のよい」1〜2行を拾ってきて振り回す類の振る舞い(人)は、毎日毒を吐いたり常に誰かに意地悪をする振る舞い(人)と同じ、その人の生活で発生した欲求不満や恨みを晴らそうとしているのだろう。
朝日新聞2011年5月16日 ワイルドに攻めろ。朝日新聞2011年5月16日 はざまに生きる9・11世代。日本、3・11世代、若者に、新しい世代に、希望の光筋は見えているのかもしれない。20年後に振り返ったとき、結果どうなっているかは、もちろんわからないけど。
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83. |
2011年5月20日 朝日新聞 |
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国際面 特派員メモ お手本はあなた。「どんな状況下でも人間は礼節と尊厳を保てると、日本人が示してくれた」。でも平時の東京で、と思い浮かべる。平時の東京で、なんでもないときになんでもなくただ街を歩いているとき、いまどきの日本人は礼節と尊厳を保ってると言えるかなあ?むしろ、無礼と非礼に満ち満ちてないか?
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